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1章「今日も今日とて、大好きです」
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しおりを挟む案の定、どうして笑うのかと沙那先輩は今にも泣きそうな顔を歪めた。
──けれど、だって、ほら。
私相手にそんな顔をしてくれる沙那先輩は、やっぱり悪い人ではない。ただ不器用なだけで、わかりにくいだけで、誰かを思いやる心は人一倍持ち合わせている。
「とんとん、とまではいきませんが、幸いまだ加速はしてないみたいですね。でも五年ですから、さすがにいろいろと不備は出てます。生きるために最低限の機能しか残してないというか。うん、ぎりぎりラインを辿ってる感じです」
例えば胃の消化機能とか。味覚とか、嗅覚とか。
そういった、私自身にも感じられる不具合がここ最近増えてきたように思う。
──とくに、記憶関連のことは。
「体力も磨り減っているので、本当は学校生活も渋られてて。だけど、通えなくなる限界までは通うって決めてるんです。だからこうして戻ってきちゃいました」
「な、なんで、そんな無理するのよ。病院で大人しくしていた方が寿命だって……っ」
「そうですねえ」
困惑した表情をする沙那先輩に、思わずくすりと笑ってしまう。
「たしかに、病院にいた方が寿命は多少延びるかもしれませんけど。でも、どうせいつかなくなる命なら、ちゃんと最後まで使い切りたいから。それに……」
ユイ先輩に会いたいから、という言葉は直前で飲み込んだ。
きっと言わなくても、沙那先輩ならちゃんと察してくれるだろう。ユイ先輩とは違って、意外と気遣い屋な彼女は相手の真意を読むことに長けているから。
「これが理由です。すみません、あまり聞いていて楽しい話じゃないですよね」
「……あなた、なんでそんなに落ち着いてるの」
「え?」
「大変な病気なのに、どうして他人事みたいに話せるのって聞いてるのよ。……無理に聞いたあたしが、言えることでもないかもしれないけど」
他人事とはまた言い得て妙だ。私は眉尻を下げながら、慎重に言葉を選択する。
「なんて言ったらいいかな。……五年経ってるから、ですかね」
「どういう意味?」
「発病からこの五年間、いつ訪れるかもわからない死を覚悟して生きてきたんです。後悔しないように、今を全力で──なんて少年マンガみたいで嫌なんですけど。でも、本当にそんな感じで。その、私なりに向き合ってきた結果、といいますか」
深い海の底にいるかのような空気の重さに耐えかねて、私はたははと頬を掻いて誤魔化した。実際はそんな大層なものではないし、発病から今日までをでき得る限り思い返してみても、やはり後悔のない人生なんて少しも送れていない。
日々、自身に圧し掛かる病の無常な残酷さに打ちひしがれるばかりだ。
ただ、そんな心意気ではあった。
いつだって私は、前を向くことをやめたことはない。
今ももちろん継続して──だからこそ、ここにいるわけだけれど。
「沙那先輩。知っての通り、私はユイ先輩が好きです」
「っ、ええ」
「でも、こういう事情があるので付き合えません。……先輩の気持ちはさておき」
私は彼に、春永結生に会うために、この学校に入学した。
彼と彼の世界を見たくて、彼の描く世界の真髄を知りたくて、逢いに来た。
その裏側にはたしかに焦がれるほどの恋情もあるし、憧れだとか尊敬だとかそんな言葉では足りないくらいの羨望や、それ以外の大切ななにかもある。
だからこそ、自分のわがままを貫いたこの一年は、ただただ本当に幸せだった。
「沙那先輩は……さっきはああ言ってましたけど、やっぱりユイ先輩のこと好きですよね?」
「なっ……なんでこのタイミングであたしのことなのよ! あなたまさか、」
「あ、誤解しないでください。咎めてるわけじゃないです。病気だから譲れとか、そんな都合のいいことも言いません。むしろ、ホッとしてるくらいなんですから」
沙那先輩は、はあ?と言わんばかりに虚を衝かれた顔で私を凝視する。目も口もあんぐりと開いているせいで、せっかくの美人が台無しになっていた。
かと思ったら、突然ガッと身を乗り出してきた沙那先輩。
だいぶ乱暴に肩を掴まれ、私は思わず二歩ほど後ずさった。
「あっ、なたねえ! さっきから聞いてれば、なんなのその綺麗事はっ!」
「んえ、へっ?」
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