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1章「今日も今日とて、大好きです」
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◇
まだ居残って絵を描いていくというユイ先輩と別れて、私はひとり画材の確認をしに美術室へ向かった。
部活動時間中ではあるものの、すでに閑散としている校舎内。特別教室が集まっている四階の廊下は、とりわけ静けさが際立っていた。
今日も今日とて、私以外の美術部員は帰宅部と一緒に下校しているのだろう。そう思い込んでいたために、美術室の扉を勢いよく開けた私はぎょっとした。
先客がいた。
「えっ?」
見覚えのある人影に、思わず肝を冷やす。
至るところに放置されたままの作品に囲まれながら、窓から差し込む煌々とした茜に背を向けている女子生徒。空気を含んだ肩上の髪がなびき、横顔を晒す。
ゆっくりと振り返った彼女の正体に、私はさらに硬直した。
「……さ、沙那先輩?」
「あなた、学校やめたんじゃなかったのね」
開口いちばん、また突拍子もない発言だ。
もしや私が知らないだけで、そういう挨拶が流行っているのだろうか。
「それ、さっきもユイ先輩に言われたんですけど」
ツンとそっぽを向く彼女は、榊原沙那先輩だ。
緩やかなウェーブを描く亜麻色の髪。赤系アイシャドウが濃いめに施されたメイク。怖いものなどなさそうな、キリリとした顔立ち。なによりその豊満な……胸。
齢十八とは思えぬほど全身から大人の色気を滲ませる沙那先輩は、私を見て隠しもせず鼻白んだ。
「あっ、まさかユイ先輩に変なこと吹き込んだの沙那先輩ですか?」
「言いがかりね。一ヶ月も来てないならやめたんじゃない? って言っただけよ」
「やっぱりそうじゃないですか!」
沙那先輩は、ユイ先輩の元カノだ。又聞きした話だが、私が入学する前、つまり先輩たちが一年生のときに、ほんの数ヶ月ほど付き合っていたらしい。
美男美女。並ぶとすごくお似合いで、ほんの少し面白くない気持ちはある。
だが一方で、引力が強い沙那先輩は悩みがちなユイ先輩を導いていけそうだし、実際相性はそこまで悪くないんじゃないかな、とも思っていた。
まあ、口から流れるように零れ出てくる嫌味の嵐は玉に瑕だけれども。
「……それで、沙那先輩はこんなところでなにを?」
「あなたを待ってたのよ。ここにいれば会えるかなって」
「へ、私ですか?」
思ってもみない返答に毒気を抜かれた。きょとんとしながら聞き返す。
「そうよ。昼間、あなたがいるのが見えたから」
「はあ……」
沙那先輩は、どうやらユイ先輩と親しくしている私が気に入らないらしく、一年生の頃からなにかと突っかかってくる人だった。
美術部員でもないし、私との接点なんてほぼ皆無。
なのに、なにかと絡まれるおかげで、変な親交の深め方をしてしまっている。とはいえ、こんなふうに待ちぶせされるほど仲良くなったつもりはないのだけれど。
「あなた、今日、新学期になってはじめて学校に来たのよね?」
「あ、えっと、まあ」
煮え切らない答えを返すと、沙那先輩は不愉快そうに腕を組んで眉根を寄せた。もともとツリ目がちなこともあり、それだけで威圧感が倍増しになる。
「一ヶ月も姿を見せないと思ったら、突然またやってきて凝りもせず結生のストーカー。いいご身分ね。何様だと思っているのかしら」
おーっと……?
これはもしや、ただ単に嫌味を言われるためだけに呼び出された口だろうか。
「ストーカーだなんて、やだなあ。そんなんじゃありませんよ」
「付き纏ってるじゃない」
「部活動に勤しんでいるだけです」
実際私は、あの屋上庭園以外でユイ先輩と会うことはほぼないのだ。
ユイ先輩は他人と最低限しか関わらないし、猫のように気まぐれな一面を持っているから、放課後以外はどこでなにをしているのか見当もつかない。
そりゃあ、他の人に比べれば相手をしてもらっている自覚はあるけれども。
「……でもあなた、結生が好きなんでしょう?」
直球だなぁ、と私は一周回って感心する。
「好きですけど。それとこれとは関係ありませんよね?」
「あるわよ。結生を傷つける女を、あたしがみすみす見逃すわけがないじゃない」
「えー……沙那先輩ってユイ先輩のなんなんですか……」
常日頃から感じていたことだが、元カノにしては少々執着が過ぎる気がする。
思わず嘆息しながら肩を落とすと、沙那先輩は苛立ったように鼻を鳴らした。
「残念ながらなんでもないわよ、あなたと一緒でね。いまは大事な友人、って立場から言わせてもらってるけど」
「ゆうじん」
「なによ。いいでしょ、それしか関係性が見つからないんだから」
「でも、沙那先輩はまだユイ先輩のこと好きなんですよね?」
「はあ!?」
意趣返しというわけではないが、この機会だ。常々思っていたことを尋ねてみる。
「だから、私が気に食わないんでしょう?」
「ッ、あのねぇ、こっちはもうずっと前に別れてるのよ! 大体フッたのはあたしの方なんだから、人聞きの悪いこと言わないでちょうだい!」
「えっ、そうなんですか!?」
それは初耳だ。正直、あのユイ先輩がフられるという場面をまったく想像したことがなかった。
「考えてもみなさいよ。あの人形が自ら相手をフるなんて労力を使うと思う?」
「にんぎょう……」
「そんな発想すら抱かないわよ。付き合ってって言ったときだって、二つ返事で『いいよ』だったけど、二言目には『俺はなにもできないけど』だし」
ああ、と私は虚空に目をやった。
それは容易に想像できる。ぴくりとも表情を動かさず、わかっているのかわかっていないのかも判然としない感じ。彼特有の、先輩ワールド。
まだ居残って絵を描いていくというユイ先輩と別れて、私はひとり画材の確認をしに美術室へ向かった。
部活動時間中ではあるものの、すでに閑散としている校舎内。特別教室が集まっている四階の廊下は、とりわけ静けさが際立っていた。
今日も今日とて、私以外の美術部員は帰宅部と一緒に下校しているのだろう。そう思い込んでいたために、美術室の扉を勢いよく開けた私はぎょっとした。
先客がいた。
「えっ?」
見覚えのある人影に、思わず肝を冷やす。
至るところに放置されたままの作品に囲まれながら、窓から差し込む煌々とした茜に背を向けている女子生徒。空気を含んだ肩上の髪がなびき、横顔を晒す。
ゆっくりと振り返った彼女の正体に、私はさらに硬直した。
「……さ、沙那先輩?」
「あなた、学校やめたんじゃなかったのね」
開口いちばん、また突拍子もない発言だ。
もしや私が知らないだけで、そういう挨拶が流行っているのだろうか。
「それ、さっきもユイ先輩に言われたんですけど」
ツンとそっぽを向く彼女は、榊原沙那先輩だ。
緩やかなウェーブを描く亜麻色の髪。赤系アイシャドウが濃いめに施されたメイク。怖いものなどなさそうな、キリリとした顔立ち。なによりその豊満な……胸。
齢十八とは思えぬほど全身から大人の色気を滲ませる沙那先輩は、私を見て隠しもせず鼻白んだ。
「あっ、まさかユイ先輩に変なこと吹き込んだの沙那先輩ですか?」
「言いがかりね。一ヶ月も来てないならやめたんじゃない? って言っただけよ」
「やっぱりそうじゃないですか!」
沙那先輩は、ユイ先輩の元カノだ。又聞きした話だが、私が入学する前、つまり先輩たちが一年生のときに、ほんの数ヶ月ほど付き合っていたらしい。
美男美女。並ぶとすごくお似合いで、ほんの少し面白くない気持ちはある。
だが一方で、引力が強い沙那先輩は悩みがちなユイ先輩を導いていけそうだし、実際相性はそこまで悪くないんじゃないかな、とも思っていた。
まあ、口から流れるように零れ出てくる嫌味の嵐は玉に瑕だけれども。
「……それで、沙那先輩はこんなところでなにを?」
「あなたを待ってたのよ。ここにいれば会えるかなって」
「へ、私ですか?」
思ってもみない返答に毒気を抜かれた。きょとんとしながら聞き返す。
「そうよ。昼間、あなたがいるのが見えたから」
「はあ……」
沙那先輩は、どうやらユイ先輩と親しくしている私が気に入らないらしく、一年生の頃からなにかと突っかかってくる人だった。
美術部員でもないし、私との接点なんてほぼ皆無。
なのに、なにかと絡まれるおかげで、変な親交の深め方をしてしまっている。とはいえ、こんなふうに待ちぶせされるほど仲良くなったつもりはないのだけれど。
「あなた、今日、新学期になってはじめて学校に来たのよね?」
「あ、えっと、まあ」
煮え切らない答えを返すと、沙那先輩は不愉快そうに腕を組んで眉根を寄せた。もともとツリ目がちなこともあり、それだけで威圧感が倍増しになる。
「一ヶ月も姿を見せないと思ったら、突然またやってきて凝りもせず結生のストーカー。いいご身分ね。何様だと思っているのかしら」
おーっと……?
これはもしや、ただ単に嫌味を言われるためだけに呼び出された口だろうか。
「ストーカーだなんて、やだなあ。そんなんじゃありませんよ」
「付き纏ってるじゃない」
「部活動に勤しんでいるだけです」
実際私は、あの屋上庭園以外でユイ先輩と会うことはほぼないのだ。
ユイ先輩は他人と最低限しか関わらないし、猫のように気まぐれな一面を持っているから、放課後以外はどこでなにをしているのか見当もつかない。
そりゃあ、他の人に比べれば相手をしてもらっている自覚はあるけれども。
「……でもあなた、結生が好きなんでしょう?」
直球だなぁ、と私は一周回って感心する。
「好きですけど。それとこれとは関係ありませんよね?」
「あるわよ。結生を傷つける女を、あたしがみすみす見逃すわけがないじゃない」
「えー……沙那先輩ってユイ先輩のなんなんですか……」
常日頃から感じていたことだが、元カノにしては少々執着が過ぎる気がする。
思わず嘆息しながら肩を落とすと、沙那先輩は苛立ったように鼻を鳴らした。
「残念ながらなんでもないわよ、あなたと一緒でね。いまは大事な友人、って立場から言わせてもらってるけど」
「ゆうじん」
「なによ。いいでしょ、それしか関係性が見つからないんだから」
「でも、沙那先輩はまだユイ先輩のこと好きなんですよね?」
「はあ!?」
意趣返しというわけではないが、この機会だ。常々思っていたことを尋ねてみる。
「だから、私が気に食わないんでしょう?」
「ッ、あのねぇ、こっちはもうずっと前に別れてるのよ! 大体フッたのはあたしの方なんだから、人聞きの悪いこと言わないでちょうだい!」
「えっ、そうなんですか!?」
それは初耳だ。正直、あのユイ先輩がフられるという場面をまったく想像したことがなかった。
「考えてもみなさいよ。あの人形が自ら相手をフるなんて労力を使うと思う?」
「にんぎょう……」
「そんな発想すら抱かないわよ。付き合ってって言ったときだって、二つ返事で『いいよ』だったけど、二言目には『俺はなにもできないけど』だし」
ああ、と私は虚空に目をやった。
それは容易に想像できる。ぴくりとも表情を動かさず、わかっているのかわかっていないのかも判然としない感じ。彼特有の、先輩ワールド。
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