4 / 76
1章「今日も今日とて、大好きです」
4
しおりを挟むそして絵を描くこと自体に、なにかどうしようもないうしろめたさを抱いている。
胸を張れるほどの実力と経歴を持ち合わせながら、彼はそれをいっさいひけらかさないばかりか、己の栄光に露ほども興味がないのだ。
どうして、とずっと疑問に思っていた。
でも、そこにはきっと先輩しか知らない事情があるのだろう。私の『ただの後輩』という立ち位置では、なかなかその繊細な部分まで立ち入ることは難しい。
「生意気かもしれませんけど、さっきの言葉。絵を描くことしかない、じゃないですからね。できることがあるってすごく特別なことなんですよ、先輩」
「……だとして、君はどうなの」
「え?」
「君も絵を描く人でしょ」
まあたしかに、私も生粋の絵描きだ。ユイ先輩には及ばずとも、絵に関しては並々ならぬ思いがある。特別、と言えば、きっと自分にも当てはまるのだろう。
だが、そこは明確に違う。私と先輩では、はなから比べることはできない。
「私は絵を描くこと自体に、そこまでこだわってないんです」
「……?」
「絵を描くのは──描いていたのは。その先に希望があったからでした。だけどこの希望はもう、仮に私が絵を描けなくなったとしても続くものになったので」
だから本当は、もう絵を描く理由すらない。美術部で唯一と言ってもいいほど真面目に活動していた身としては、たとえ口が滑っても明かせないけれど。
「そういえば先輩。遅ればせながら、今年も金賞おめでとうございます」
ひょいっと立ち上がってユイ先輩と向き合うように振り返ると、唐突な話の転換に先輩は面食らっているようだった。それでも構わず続ける。
「コンクール五年連続金賞ってもう神さまの域ですよね。さすがです」
「……君だって銀賞だったじゃない」
思いがけない返しに、私はえっと大きく目を瞠った。
「先輩、私が銀賞獲ったこと気づいたんですか」
「? そりゃ気づくでしょ。部員の功績くらい、さすがの俺もチェックするよ」
へえ、と心の奥底がそわそわと浮き足立つ。だって、他人への興味が皆無に等しい先輩が、まさか気づいてくれるなんて思っていなかった。
「ふふ」
「……嬉しそうだね?」
「嬉しいですよ。たぶん、ここ数年でいちばん」
一歩、二歩、三歩と足を踏み出して、風雅な桜の大樹を見上げる。
樹齢百年記念で数年前にここへ植え替えられた桜は、きっと他のどの桜よりも空に近い場所にいるのだろう。
天に花を咲かせる薄紅を脳裏に焼きつけながら、私は「先輩」と呼んだ。
「なに?」
「ユイ先輩」
「……聞こえてるって」
私にとって、誰よりも大切な人。
さきほどまでまったく吹いていなかった風が、私と先輩を隔てるように流れていく。いつも通り。久方ぶりでも、変わらない日常。
けれど、きっとそう遠くないうちに終わりを迎える『当たり前』。
爽やかに凪いだ髪が潤みかけた視界を泳ぐなか、私は誤魔化すように微笑んだ。
「今日も今日とて、大好きです」
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
1ヶ月限定の恋人を買ってみた結果
こてこて
ライト文芸
「キレイさっぱり消えて、粉になる。粉は普通ごみで捨てられるから心配いらない」
俺の自慢の彼女、それは“ハニーパウダー”であった。
落ちこぼれ大学生の俺に対し、とことん冷たかった彼女。それでも俺たちは距離を縮めていき、恋心は深まっていく。
しかし、俺たちに待ち受けているものは、1ヶ月というタイムリミットだった。
そして彼女が辿った悲痛な運命を聞かされ、俺は立ち上がる。
これは1ヶ月限定の恋人と向き合う、落ちこぼれ大学生の物語。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness
碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞>
住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。
看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。
最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。
どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……?
神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――?
定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。
過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる