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1章「今日も今日とて、大好きです」
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「次からは、連絡すること」
「はぁい。でも私、先輩の連絡先知らない」
「…………」
前髪を切る手がぴたりと止まり、珍しくユイ先輩が硬直した気配がした。
「そう、だっけ」
まさか、連絡先を知らないということすら認識されていないとは。
上げては落とされる。慣れてはいるが、つい苦笑いを浮かべてしまいながら、私はわざと唇をとがらせて見せた。
「先輩ったらひどいなぁ。私の気持ち知ってるくせに」
「俺はあまりスマホ見ないから」
「わあ現代っ子らしからぬ発言だ」
知っているとも。ユイ先輩に、ハニートラップなんてものは効かないのだ。こちらがいくらあざといことをしたところで、ユイ先輩が興味を持つことはない。
──けれど、それでいい。だからこそ私は、いまもこうしてユイ先輩のそばにいることができるのだから。
「まぁ、先輩って絵を描くこと以外への関心は薄いですもんね」
「……そう?」
「そうですよ。自分の世界に入り込んだら、周りがいくら声をかけようが気づかないし。ほら、食事も睡眠もまともにとらなくなるじゃないですか」
同じ絵を描く者として、没頭してしまう気持ちはわからないでもない。
ただ、先輩の場合はやや……いやかなり、度が過ぎていて。
「本気で絵を描いているときの先輩は、たとえ罵詈雑言を投げかけようが、頭から水をぶっかけようが戻ってこないですからねえ」
「罵詈雑言て。君、もしかして」
「いや、さすがにやってないですよ? やだなあ、先輩ったら。……あはは」
今日みたいに普通に話しかけて気がつく場合は、たんに集中力が切れているときか、あるいは筆が乗らないときか、はたまた他に意識を取られることがあるときだ。
どちらにせよ、大抵のことは右から左に受け流す究極のスキルを身につけている先輩には、比較的珍しい現象かもしれないけど。
「……よし、できた」
やがて満足そうにハサミを下ろした先輩。
ポーチから手鏡を取り出して見てみると、あんなにも歪な形をしていた前髪が綺麗に整えられていた。眉前でも不自然ではない。むしろオシャレだ。
「先輩すごい。美容師さんにでもなるつもりですか」
初めからこの髪型を狙っていたかようなでき栄えに、思わず「ほわー」とほうけてしまう。
「不具合は?」
「ありません! 完璧です!」
ならよかった、とユイ先輩が相好を崩す。
「っ……」
ごくまれに現れる、誰でもわかるような表情の変化だった。
でも、これはなかなかに強烈な一撃だ。なにせ顔がいいから、不意打ちで向けられた側に与えられる破壊力がえげつないのである。
加えて、長い睫毛が瞳に影を落とす様は、あまりにも高校生らしくない。というか、毎朝ビューラーで睫毛上げに奮闘している全女子高生から反感を買われそうだ。
「先輩って、ほんとなんでもできますよね」
しみじみつぶやくと、ユイ先輩はなんとも怪訝そうにこちらを一瞥する。
「そんなことない」
「えー、ありますよ」
「ないよ。……ないから、絵を描いてるんだし」
ほんのわずかながら、ユイ先輩の面差しにしっとりとした陰りが指す。
ハサミを数回動かしながら、ユイ先輩は私の隣に腰を下ろした。
揺蕩う水面のように憂いのある眼差しが、もうほとんど花弁を落としてしまった桜の木へと向けられる。ふっと、先輩の体から力が抜けたのがわかった。
「俺は、小鳥遊さんが思うほど、すごくもなんともないんだ」
「……先輩?」
「君は初めて会ったときから、やたらと俺を買い被ってるところがあるでしょ」
「そう、ですか?」
うーん、と考えるもピンとはこない。はなから私はユイ先輩を常時リスペクトし続けてきているわけだから、多少の課題評価は当然といえば当然なのだ。
「ユイ先輩って、変なところで自信がないですよね」
「え?」
「基本的に、絵を描くこと以外はどうでもいいっていうか……一見、流されるままに生きてる感じですけど、意外と完璧主義じゃないですか」
誰だって得手不得手はあるものだ。
しかしユイ先輩は、自分のできないことに対して、ひどく負い目を感じているところがある。できることをできないことで相殺してしまう、というか。
「……わからない。そう、なのかな」
「少なくとも、私にはそう見えます」
「はぁい。でも私、先輩の連絡先知らない」
「…………」
前髪を切る手がぴたりと止まり、珍しくユイ先輩が硬直した気配がした。
「そう、だっけ」
まさか、連絡先を知らないということすら認識されていないとは。
上げては落とされる。慣れてはいるが、つい苦笑いを浮かべてしまいながら、私はわざと唇をとがらせて見せた。
「先輩ったらひどいなぁ。私の気持ち知ってるくせに」
「俺はあまりスマホ見ないから」
「わあ現代っ子らしからぬ発言だ」
知っているとも。ユイ先輩に、ハニートラップなんてものは効かないのだ。こちらがいくらあざといことをしたところで、ユイ先輩が興味を持つことはない。
──けれど、それでいい。だからこそ私は、いまもこうしてユイ先輩のそばにいることができるのだから。
「まぁ、先輩って絵を描くこと以外への関心は薄いですもんね」
「……そう?」
「そうですよ。自分の世界に入り込んだら、周りがいくら声をかけようが気づかないし。ほら、食事も睡眠もまともにとらなくなるじゃないですか」
同じ絵を描く者として、没頭してしまう気持ちはわからないでもない。
ただ、先輩の場合はやや……いやかなり、度が過ぎていて。
「本気で絵を描いているときの先輩は、たとえ罵詈雑言を投げかけようが、頭から水をぶっかけようが戻ってこないですからねえ」
「罵詈雑言て。君、もしかして」
「いや、さすがにやってないですよ? やだなあ、先輩ったら。……あはは」
今日みたいに普通に話しかけて気がつく場合は、たんに集中力が切れているときか、あるいは筆が乗らないときか、はたまた他に意識を取られることがあるときだ。
どちらにせよ、大抵のことは右から左に受け流す究極のスキルを身につけている先輩には、比較的珍しい現象かもしれないけど。
「……よし、できた」
やがて満足そうにハサミを下ろした先輩。
ポーチから手鏡を取り出して見てみると、あんなにも歪な形をしていた前髪が綺麗に整えられていた。眉前でも不自然ではない。むしろオシャレだ。
「先輩すごい。美容師さんにでもなるつもりですか」
初めからこの髪型を狙っていたかようなでき栄えに、思わず「ほわー」とほうけてしまう。
「不具合は?」
「ありません! 完璧です!」
ならよかった、とユイ先輩が相好を崩す。
「っ……」
ごくまれに現れる、誰でもわかるような表情の変化だった。
でも、これはなかなかに強烈な一撃だ。なにせ顔がいいから、不意打ちで向けられた側に与えられる破壊力がえげつないのである。
加えて、長い睫毛が瞳に影を落とす様は、あまりにも高校生らしくない。というか、毎朝ビューラーで睫毛上げに奮闘している全女子高生から反感を買われそうだ。
「先輩って、ほんとなんでもできますよね」
しみじみつぶやくと、ユイ先輩はなんとも怪訝そうにこちらを一瞥する。
「そんなことない」
「えー、ありますよ」
「ないよ。……ないから、絵を描いてるんだし」
ほんのわずかながら、ユイ先輩の面差しにしっとりとした陰りが指す。
ハサミを数回動かしながら、ユイ先輩は私の隣に腰を下ろした。
揺蕩う水面のように憂いのある眼差しが、もうほとんど花弁を落としてしまった桜の木へと向けられる。ふっと、先輩の体から力が抜けたのがわかった。
「俺は、小鳥遊さんが思うほど、すごくもなんともないんだ」
「……先輩?」
「君は初めて会ったときから、やたらと俺を買い被ってるところがあるでしょ」
「そう、ですか?」
うーん、と考えるもピンとはこない。はなから私はユイ先輩を常時リスペクトし続けてきているわけだから、多少の課題評価は当然といえば当然なのだ。
「ユイ先輩って、変なところで自信がないですよね」
「え?」
「基本的に、絵を描くこと以外はどうでもいいっていうか……一見、流されるままに生きてる感じですけど、意外と完璧主義じゃないですか」
誰だって得手不得手はあるものだ。
しかしユイ先輩は、自分のできないことに対して、ひどく負い目を感じているところがある。できることをできないことで相殺してしまう、というか。
「……わからない。そう、なのかな」
「少なくとも、私にはそう見えます」
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