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《70話》
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調子の悪い時と言うのもあるものだ。
彼はその日朝から調子が悪かった。
そして運も悪かった。
熱で浮かされる体を頑張って動かしたが、その歩みはフラフラと危なっかしい。
更には雨が降って来た。
普段常備している折り畳み傘は、今日は何時もと違うバッグを持っていたせいで入っていなかった。
冷たい雨が体を冷やす。
そうすると頭の中に靄がかかり、思考が鈍くなる。
常時からかけている魔術の構成も消し飛んでしまう。
細身で背の高い彼はフラフラと路地の隅に倒れ込んだ。
:::
目が覚めると天井が目に入った。
知らない天井だ。
年季の入った建物のようで天井も壁もデザインが古い。
だが細目に掃除されているのだろう。
壁に汚れは無く、ほこりなども見当たらない。
視線を回し部屋を見渡す。
どこかで見た気がする。
狭い部屋。
小さなキッチン。
家具はベッドと机と椅子だけ。
収納があるので衣類などはソコに直しているのだろう。
彼は潔癖の嫌いがあったが、自分が他人のベッドに寝ているのに気持ちが悪くならないのを不思議に思った。
寧ろ安心する匂いだ。
薄いマットレスに安い上布団。
なのに雛鳥が親鳥の翼で包まれて護られている様な、そんな感情を抱いた。
ソレは幼い時、母に抱擁される時に感じたような安心感だった。
ギィ
古めかしい音を立てて、安そうな扉が開いた。
「起きた、です、か?」
(アラ!?そうか、ここはアラの部屋か。見覚えがあるはずだ……)
「あの、貴方は、路地で倒れてた、です。今日は診療所、休みなので、私の部屋、に、運びまし、た」
(コイツ、俺の事気付いてないのか?)
疑問はすぐに解けた。
シーツに広がる己の髪が金色に戻っていたからだ。
このぶんでは瞳の色も元に戻っているだろう。
「勝手、に服脱がせて、すみません。びしょ濡れ、で、ベッドに寝かせられない、でしたから」
言われて自分が裸なのに気が付いた。
年頃の少女が成人男性を抱えて家に持ち帰り、あまつや裸に引ん剝くとは問題なのではないだろうか?
今度コンコンと説教しよう。
彼はそう考えた。
「お名前、言える、です、か?」
「………アーシュ」
「アーシュさん、です、ね。私はサラ、です。怪しいものでは、ない、です。ちゃんとギルドで、登録、して、る、治癒師なので、悪い事しないです、よ。安心して下さ、い」
子供に言い聞かす様にサラが自分は無害だと主張する。
だが見た目の幼さからして、初対面でこの言葉を鵜呑みにする輩は少なくないだろう。
どうみてもただの子供だ。
ギルド登録も嘘の可能性がある。
だが彼ーアーシュはその言葉を信じた。
「熱さましのお薬、あります。おかゆ食べたら、飲んで、下さい」
サラがコンロの上の小さな土鍋を持って、アーシュの近くに椅子を持ってくるとソコに座った。
そして土鍋を足に置き、匙でかゆを掬う。
「はい、あーん、で、す」
「!?」
「あーん、です!」
言われるままに口を開けると、匙が口の中に運ばれた。
仄かな卵の香りと米に染みた塩気が美味しい。
まぁ自分の料理の腕には負けるが、決して下手ではない。
アーシュは心の中で及第点、と呟いた。
それにしても食事を食べさせて貰うなど、幼い事以来だ。
ソレこそ物心ついて以来では無いだろうか?
だが嫌な気分ではなかった。
庇護される。
それがこんなにも心地よい事をアーシュは忘れていた。
母が死んだその時から、忘れていたのだ。
その事を思ったら、鼻の奥がツンと痛くなった。
視界が滲む。
「大丈夫、です。ちゃんと、治ります。熱があると、心細い、ですよ、ね。私が、此処に居ますから、安心して、下さい」
ふわふわと優しい手つきで頭を撫でられる。
頭を撫でる優しい手つき。
不安を振り払うよう浮かべられる優しい微笑。
幼子に言い聞かすような優しい声。
アーシュの切れ長の双眸から涙が零れていた。
それをサラは優しく指先で拭ってくれる。
「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせてくれる。
ずっと傍に付いていると紡ぐ言葉が、ますます涙を溢れさせる。
「アーシュさん、みたいな綺麗、な人は、涙も綺麗、なんです、ね」
クスリ、とサラが笑った。
「綺麗?」
「金色の、髪、が綺麗です。水色、の、瞳が、綺麗、です。月と、湖の色で、私は好きで、す」
「好き?」
「はい、好き、で、す」
好きと言われたから、返事をしないといけないとアーシュは思った。
好きの返事。
そう、自分はずっとこうしていた。
ふわり
アーシュの唇がサラの唇に重なった。
ソレは一瞬の出来事だった。
「へ、な、あぁぁぁぁあっ!」
サラが間抜けな声をあげる。
それをアーシュは不思議そうな顔で見ていた。
「好きの、返事だ」
「ははははい、好きの、返事です、ね。ライク、です、ね!挨拶の返事、なので、ノーカウントです、よね?」
「………眠い」
「あ、お薬、飲んで下さ、い」
「ん」
コクリとアーシュが首を縦に振る。
サラが用意した漢方薬を温い白湯で飲み込み、アーシュは再び夢の中の住民となった。
「ど、どうしま、しょう!私、なんか、ドキドキする、です!!」
心臓が胸を突き破りそうなくらい強く脈打っている。
体中が熱を持つのが分かる。
「とんでも、ない、拾い物、してまいまし、た………」
真っ赤な顔で床に崩れ落ちるサラだった。
彼はその日朝から調子が悪かった。
そして運も悪かった。
熱で浮かされる体を頑張って動かしたが、その歩みはフラフラと危なっかしい。
更には雨が降って来た。
普段常備している折り畳み傘は、今日は何時もと違うバッグを持っていたせいで入っていなかった。
冷たい雨が体を冷やす。
そうすると頭の中に靄がかかり、思考が鈍くなる。
常時からかけている魔術の構成も消し飛んでしまう。
細身で背の高い彼はフラフラと路地の隅に倒れ込んだ。
:::
目が覚めると天井が目に入った。
知らない天井だ。
年季の入った建物のようで天井も壁もデザインが古い。
だが細目に掃除されているのだろう。
壁に汚れは無く、ほこりなども見当たらない。
視線を回し部屋を見渡す。
どこかで見た気がする。
狭い部屋。
小さなキッチン。
家具はベッドと机と椅子だけ。
収納があるので衣類などはソコに直しているのだろう。
彼は潔癖の嫌いがあったが、自分が他人のベッドに寝ているのに気持ちが悪くならないのを不思議に思った。
寧ろ安心する匂いだ。
薄いマットレスに安い上布団。
なのに雛鳥が親鳥の翼で包まれて護られている様な、そんな感情を抱いた。
ソレは幼い時、母に抱擁される時に感じたような安心感だった。
ギィ
古めかしい音を立てて、安そうな扉が開いた。
「起きた、です、か?」
(アラ!?そうか、ここはアラの部屋か。見覚えがあるはずだ……)
「あの、貴方は、路地で倒れてた、です。今日は診療所、休みなので、私の部屋、に、運びまし、た」
(コイツ、俺の事気付いてないのか?)
疑問はすぐに解けた。
シーツに広がる己の髪が金色に戻っていたからだ。
このぶんでは瞳の色も元に戻っているだろう。
「勝手、に服脱がせて、すみません。びしょ濡れ、で、ベッドに寝かせられない、でしたから」
言われて自分が裸なのに気が付いた。
年頃の少女が成人男性を抱えて家に持ち帰り、あまつや裸に引ん剝くとは問題なのではないだろうか?
今度コンコンと説教しよう。
彼はそう考えた。
「お名前、言える、です、か?」
「………アーシュ」
「アーシュさん、です、ね。私はサラ、です。怪しいものでは、ない、です。ちゃんとギルドで、登録、して、る、治癒師なので、悪い事しないです、よ。安心して下さ、い」
子供に言い聞かす様にサラが自分は無害だと主張する。
だが見た目の幼さからして、初対面でこの言葉を鵜呑みにする輩は少なくないだろう。
どうみてもただの子供だ。
ギルド登録も嘘の可能性がある。
だが彼ーアーシュはその言葉を信じた。
「熱さましのお薬、あります。おかゆ食べたら、飲んで、下さい」
サラがコンロの上の小さな土鍋を持って、アーシュの近くに椅子を持ってくるとソコに座った。
そして土鍋を足に置き、匙でかゆを掬う。
「はい、あーん、で、す」
「!?」
「あーん、です!」
言われるままに口を開けると、匙が口の中に運ばれた。
仄かな卵の香りと米に染みた塩気が美味しい。
まぁ自分の料理の腕には負けるが、決して下手ではない。
アーシュは心の中で及第点、と呟いた。
それにしても食事を食べさせて貰うなど、幼い事以来だ。
ソレこそ物心ついて以来では無いだろうか?
だが嫌な気分ではなかった。
庇護される。
それがこんなにも心地よい事をアーシュは忘れていた。
母が死んだその時から、忘れていたのだ。
その事を思ったら、鼻の奥がツンと痛くなった。
視界が滲む。
「大丈夫、です。ちゃんと、治ります。熱があると、心細い、ですよ、ね。私が、此処に居ますから、安心して、下さい」
ふわふわと優しい手つきで頭を撫でられる。
頭を撫でる優しい手つき。
不安を振り払うよう浮かべられる優しい微笑。
幼子に言い聞かすような優しい声。
アーシュの切れ長の双眸から涙が零れていた。
それをサラは優しく指先で拭ってくれる。
「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせてくれる。
ずっと傍に付いていると紡ぐ言葉が、ますます涙を溢れさせる。
「アーシュさん、みたいな綺麗、な人は、涙も綺麗、なんです、ね」
クスリ、とサラが笑った。
「綺麗?」
「金色の、髪、が綺麗です。水色、の、瞳が、綺麗、です。月と、湖の色で、私は好きで、す」
「好き?」
「はい、好き、で、す」
好きと言われたから、返事をしないといけないとアーシュは思った。
好きの返事。
そう、自分はずっとこうしていた。
ふわり
アーシュの唇がサラの唇に重なった。
ソレは一瞬の出来事だった。
「へ、な、あぁぁぁぁあっ!」
サラが間抜けな声をあげる。
それをアーシュは不思議そうな顔で見ていた。
「好きの、返事だ」
「ははははい、好きの、返事です、ね。ライク、です、ね!挨拶の返事、なので、ノーカウントです、よね?」
「………眠い」
「あ、お薬、飲んで下さ、い」
「ん」
コクリとアーシュが首を縦に振る。
サラが用意した漢方薬を温い白湯で飲み込み、アーシュは再び夢の中の住民となった。
「ど、どうしま、しょう!私、なんか、ドキドキする、です!!」
心臓が胸を突き破りそうなくらい強く脈打っている。
体中が熱を持つのが分かる。
「とんでも、ない、拾い物、してまいまし、た………」
真っ赤な顔で床に崩れ落ちるサラだった。
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