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博物館の令嬢
しおりを挟む弐
静かな店内だ。朝日が差す窓辺の机に座り、算盤を打ちながら思った。これまで、よくぞ潰れずにやってきたものだと。
関心するほどの赤字ぶりに溜め息すら忘れる。
ぼくが正式に店を継いでからの数日、確かに客の姿を見ていない。お婆が台帳を見せたがらなかったのは「こういう理由か」と納得した。
通りには、それなりに人はいる。ここは日本橋に近いのだ。ひとりくらい暖簾を潜る者がいても良さそうなものだが、と入口を凝視していたら丸い顔が覗いた。
「暇そうね」
塚本美津江──みっちゃんが和装姿で暖簾を潜る。見慣れた紺の帯締めに薄い茶色の縦縞が入った振り袖は、真夏のひまわりのような笑顔と相俟って陰鬱としていた店内を照らした。
「今日は女学校は?」
ぼくの何気ない問いかけに「呆れた」という表情を隠す気もなく「日曜日よ」と、ころころ笑った。
「そうか、忘れていたよ」
世間は休日だ。なのに朝から全く客が来ないのはどういう事かと、また落ち込んだ。
「あのね、恋之助くん」
珍しく、みっちゃんは指を絡ませながら俯き加減にもじもじしている。女学校で好きな人でも出来たのか……いや、女学校だから女しかいないか。よもや、みっちゃんは昨今流行りの百合族……黄表紙の読み過ぎだな。自重しよう。
「何だい」
恐る恐る聞く。みっちゃんはまだ十四の子供だが、ぼくも同い年の子供だ。大人の話をされたら困る。こういうのは、「みょん」に相談したほうが良いかもしれないが、いやいや万年筆に相談って……ないな。
「実は相談に乗って欲しいことがあって、今夜……」
みっちゃんは拳を握り、ぼくを見つめ、覚悟を決めたように話し始めた、その時。店の前で俥が止まった。暖簾の向こうに昨今流行りのゴムタイヤをつけた高価そうな俥が見えた。俥引きもハイカラな洋装だ。座席から降りる『姫様』の手を取って店へと導いた。
「随分と埃っぽいですわね」
フリルのハンケチを鼻に充て眉間に皺を寄せながら、汚いものでもみるような目つきで辺りを伺う洋装の女性。どこぞのお嬢様という出で立ちは、鹿鳴館で毎夜乱痴気騒ぎに興じているような貴族階級だろう。こんな文具店に何用かと訝しんだが、すぐに閃いた。
「みっちゃん、ごめん。話はまた後で」
幼なじみは戸惑い、一瞬泣きそうな目をすると貴族女を睨みつけ、そしてぼくを睨みつけ、ぷいっと頬を膨らませて何も言わず出て行った。暖簾の前で再び貴族女を睨みつける事も忘れなかったが、当の女のほうは一般庶民の言動など気にする素振りすら見せず、やはり周囲を興味深げに見回していた。
「このような不衛生な場所と知っていたら遣いの者を寄越したのに」
失礼極まることを平然と言った。
「何か御用でしょうか」
分かっていたが、あえて尋ねる。
「ここの主人を呼んで頂戴。戸鞠恋之助なる者に話があります」
「戸鞠恋之助はぼくです」
名乗ると、女は眉間の皺を深くしてぼくを凝視した。軽く首を振り否定の態度を示した。
「子供じゃないの」
その言葉にぼくは怒ったフリをして女を睨みつけ、一呼吸してから静かに口を開いた。
「戸鞠文具堂の主人、戸鞠恋之助です。このたび高等小学校を卒業し正式に跡を継ぎました。お見知りおき下さい」
女は鼻に宛てていたハンケチを取り素顔を晒した。薄い唇は引き結んだままだ。細面の美人だが冷たい感じを受けた。年の頃は二十というところか。
「これは失礼致しました。わたくし伊集院留吾郎の三女で茅と申します。伊集院博物館の店主をしております」
伊集院留吾郎といえば貴族院の議長も勤めた伯爵だ。俘虜の事故死で亡くなったあとは、その功績を称える博物館を建設したと聞いたが、そうか、そこの女主人か。不貞不貞しいほど落ち着き払った態度に納得がいった。
「それで……依頼、ですね」
相手がなかなか切り出さないから、こちらから聞いた。女主人はそれでも、ぼくを凝視し──まるで値踏みでもするように、しばし眼光鋭く見つめる。やがて「ふっ」とため息のような呟きを放つと俥引きへ何やら目で合図をした。
「ここではお話し出来ません。今夜、博物館の方へ起こし下さい」
その態度に無性に腹が立ち、だから言い返した。
「まだ依頼を受けるとは言っておりません」
女主人は目を真ん丸にしてぼくを見た。これまでの人生で自分に楯突く者がいたためしが無いのだろう。
「あら、言い値よ」
「カネの話ではありません。これは戸鞠恋之助、いえ父である玄之助より受け継いだ名誉の問題です。伊集院さまが、ぼくを認めてくださるのか否か、それが問題なのです」
女主人は「ふふっ」と初めて笑顔になると「そうですわね。あなたも男ですから、女から命令されて動くのは嫌ですわよね」と的外れな事を言った。
「そういう話ではなく……」
女主人は深々と頭を下げた。見れば俥引きも同じように頭を下げている。
「大変に困った事態になっております。先生のお力をお貸し下さい」
ぼくは、それ以上何も言えなくなった。
「あたしに任せておけば大丈夫だよ」
女主人が帰って静寂が戻った店内。それまで引き出しの中で寝ていたのか、黙っていたのを取り戻すように煩く喋りはじめた万年筆。妙乙女だ。
「まだ、わからん」
机の上に尻を置いて、黒い着物の裾から覗かせた白い足をぶらぶらさせる「みょん」は、ぼくの顔を覗き込みながら「ケケケ」と笑った。
「なんだい、あの女主人の態度が気に入らないから依頼を受けたくないのかい」
この『妖怪』は何故こうも人の心の中を見通せるのか。それも能力のひとつなのだろうか。
「ああいう不遜な態度をとる女は好かん」
ぼくの言葉に、にんまり口角を引き伸ばした妙乙女は「そりゃあ、目の前にこんなにいい女がいたら他の女に目がいかないのは分かるよ」
「なんの話だ」
「恋之助にはあたしが女を教えてあげるよ」
「ば、ばかな、ことを言うんじゃない。だいたいおまえは万年筆だろ。なんでぼくが万年筆と、そんなことを」
「あー、酷い。あたしは恋之助だけのモノなんだよ。ほら、触って御覧よ。いい気持ちにしてあげるよ」
「わー、わー、ばか、やめろ」
ぼくは椅子から転げ落ちたが、みょんは抱きついたまま離れようとしない。重さを感じないから、そのまま立ち上がることは出来るが、まさかこのままの格好で店番をやるわけにはいかん。そもそもお婆が来たらどう言い訳するんだ。
「とにかく離れろ。離れてください」
「いや」
「怒るぞ」
「あーん、酷いよお。あたしは恋之助に、ほの字なんだよ……おや、変だね」
突然、みょんの顔色が変わった。
「どうした」
「近くにあたし以外にも付喪神がいるね」
「まさか」
「いや、いるね」
みょんはぼくから離れて暖簾のそばに寄っていく。どうやら外に何かいるようだ。
「みょん、少し待て。おまえが顔を出すのは不味い」
もしも買い物帰りのお婆と鉢合わせでもしたら面倒だ。
「普通の人間にあたしの姿は見えないよ」
「そうなのか」
それでもお婆は感が鋭い。ぼくは、妙乙女へ「向こうへ行ってろ」と指示して、そっと暖簾の向こう側へ顔を出した。
「あ、恋之助くん。違うの、そうじゃなくて」
真っ赤に火照った顔で突っ立っていたのは、みっちゃんだった。帰ったんじゃないのか。何をしていたんだ。
「どうしたの」
「な、なんでもない」
みっちゃんは逃げるように駆けていった。わら草履で、転ぶぞ、と心配になった。
「あれだね」
「何がだ、あの子はぼくの幼なじみだ。付喪神じゃないぞ」
「あの小娘が持ってる万年筆だよ」
「みっちゃんが万年筆を持ってるのか。聞いたことがないが」
「間違いないよ。あれはケバい女だ」
みょんは「ケケケ」と喉を震わせた。
暗くなってから、約束通り博物館へ出向いた。依頼を受けるか否か、話だけでも聞いてみようと……みょんが言うからだ。こいつの魂胆は分かっている。別に「困った人を助けてあげよう」なんて正義感溢れる動機なんかじゃない。たんに暴れたいだけだ。
「ようこそ、おいでくださいました」
迎えたのは老齢の使用人だった。
「お嬢様は奥でお待ちです」
博物館の正門から真っ直ぐ館内を通り抜けると、使用人は関係者用の扉を開けた。促されるままに通路を歩く。
窓は無く両方の壁には大きなガラスの展示棚が延々続いていた。武具から鍬や鎌まで節操なく収められている。観衆に御披露目する前に、ここへ一旦据え置いているのだろう。博物館というのは見せ方にこだわるものだ。
ぼくも図書館完成の暁には見せ方に凝った展示に心掛けたいものだ。もっとも博物館と図書館では使用目的は異なるけれど。
「いらっしゃい、先生」
女主人が部屋の前で立っていた。使用人が「後ほど」と下がったあと、それまでの横柄な態度は一転、ハタチの娘の随分と砕けた感じに雰囲気が変わった。
「今朝方は失礼。わたくしも使用人の前では気が張りますのよ」
「はあ、いえ」
「先生、早速ですが見て欲しいものがありましてよ」
部屋の角に小窓があった。それは後からとりあえず取り付けました、という感じの部屋の気品とはかけ離れた安普請なものだった。
「どうぞ」
女主人、伊集院茅が窓を開けて指し示した。ぼくは視線を投げ出す。向こう側にも部屋。それも荒れ果てた、まるで廃墟のような部屋だ。
「なんですか、ここ」
伊集院茅の目が怯えていた。
「父の書斎でしたの」
「伯爵の、何故こんなに荒らしたままに」
「整理してもすぐにこの状態になるのです。おそらくはモノノケの仕業かと」
「何故、モノノケだと?」
「使用人の中に見たものがいるのです。この博物館は父が内外から集めた骨董品も多くあります。どうやらその中に異形のモノが混じっていると……こういう場所ですから霊能者に見てもらったのですけど、皆さんお手上げ状態」
「なるほど。それで、ぼくのところに」
「もしも先生から断られたら、わたくしひとりでモノノケと対峙する気でおりました。もっとも博物館で揃えられる武具などたかがしれておりますけど」
通路脇に見たあの武具はそのためのものか。展示までの一時保管ってわけじゃないんだ。
「お一人で、モノノケと?」
「父の大切な思い出を守るためです。女一人何が出来るわけではありません。けれど、このままにして博物館を潰すわけにはいきません。アレは最近、調子に乗って書斎以外の場所にも出るようです。厨房や客間にまで」
「騒ぎになりますね」
「そう、モノノケに取り憑かれているなんてバレたら博物館に足を運んでくださる方がいなくなります」
ぼくは少し考えるふりをして「一人にして頂けますか」と茅お嬢様を部屋から追い出した。
「さてと、みょん。どう思う」
胸元に締まっておいた万年筆を手に取った。姿は見せず声だけがぼくの耳元に囁いた。
「西洋のモノノケだね。輸入品に紛れていたんだよ。なに、問題ないよ。大した力はないから簡単に片づく」
「ならば依頼は受けてもいいな」
今夜は一旦帰宅して明日の夜に伺います、と告げた。
除霊の『原稿料』は言い値だ。おもいっきりふっかけてやろうかと思ったが、茅お嬢様が意外と親思いの大和撫子であったため気持ちがぶれた。相場と変わらぬ価格を伝えると、使用人の前で再び冷徹な表情に戻った女主人は「ご心配なさらずとも、明日までに用意しておきます」と口にした。思いの外、素直なのかもしれない。
帰りの夜道をみょんと雑談混じりに「いるんじゃないか」と冗談を言い合ったが、店の前には「やはり」いた。
「みっちゃん」
出来るだけ脅かさないよう、優しく声をかけたつもりが逃げだそうとする。ぼくは追いかけて腕を掴まえた。細くて柔らかな幼なじみの腕だ。
「ぼくに用事があったんだろ。聞くよ」
振り袖姿の少女、塚本美津江はぶるぶる震えながら、自分の手のひらより大きな桐の小箱を差し出した。
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