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彼は美食家

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勇者と一緒に魔王討伐に迎え、そう言われた時からこんな時がいつか来るんじゃないかと予想はしていた。

暗雲立ち込める禍々しい魔王城に入った瞬間、僕は長い銀髪を後ろで一つに結い銀縁の眼鏡をかけた目つきの鋭い何者かに拉致された。

道中で遭遇した魔王四天王と言っていたボーンとやらの名前のつく魔物よりは人間と変わらない見た目で、だけど耳が鋭く尖っていて、細いように見えるのに僕を軽々しく横抱きにしていた。

勝てないと思った。

チビだなんだと村で馬鹿にされていた剣も握れない非力な僕が、ましてや勇者でもないただの村人に、この状況をどうにかできるわけがない。
圧倒的な力の差を前に、ただ生まれたての子鹿のようにぷるぷると震えるだけで精一杯だ。

「ああ、こんなにも震えて……大丈夫ですよ。君を蔑ろにするハエはここには居ませんから」

銀髪の彼は、とんでもない広さの部屋で豪華なソファに恐怖で固まった僕を横抱きにしたままで、その手は何かを探るように僕の身体に伸びている。

「ひぃ……!」

さわさわと触られ肉の感触を確かめられて、いよいよ食べられるのかと恐怖で身が縮んだ。

本によれば、魔物は人の肉を好んで食べるという。
元から5体満足で魔王討伐から帰って来られるとは思っていなかった。弱い僕は魔物からすれば格好の餌食で、それこそ城に辿り着く前に死んでしまうんじゃないかとさえ思っていた。
だけど、涎を垂らした魔物を前にした時のような恐怖とはまた違った、じわじわと迫り来る死への恐怖を感じて、情けなくも死にたくないなんて思ってしまった。

「僕を、た、食べるん……ですか……」

一塁の望みをかけて聞くも、言っているそばでじわりと目頭に涙が滲んだ。
泣くな、泣くな。と堪えても、涙は溢れるばかりで止まってはくれない。

恐る恐る斜め上を見上げれば、にこりと笑う彼と目が合った。その姿がどことなく嬉しそうに見えるのは、僕の気のせいだろうか。

「今すぐ取って食うなんて野蛮な真似はしませんよ、私はどこぞの魔王とは違うので。心を通わせてからにしましょう。瞳を麗わせた貴方も可愛いですが、私は笑顔の方が好きです。啼くのはベッドの中だけがいいですからね」
「取って食う……」

後半の言っている意味は分からなかったけど、彼はどうやら魔物の中でも美食家らしい。
僕はチビで痩せてるから大した脂肪もないし、食べても美味しくないのに……。

やっぱり食べられるのかと絶望が目の前に広がった時、彼は横抱きにしたまま立ち上がり、どこかに僕をそっと下ろした。

柔らかな感触がしてみれば、そこは大きな天蓋付きのベッドの上だった。
優しく下された彼の手が僕の涙を拭った。
冷たいとばかりに思っていたその手は、意外にも温もりがあって、つるりとしていて人間と同じように思えた。

「ハエどものせいで疲れたでしょう。本当なら今すぐにでも貴方の疲れを取って差し上げたいですが、心の休息も必要だと言います。ここにはどんな魔物も私以外入って来られないので、安心してください」

ふわりと掛け布団が胸元までかけられて頭をそっと撫でられる。

目の前にいるのは恐ろしい魔物だというのに、旅の疲れか、はたまた彼の声がとても優しくてその手が温かったからか、僕の意識はすぐに微睡み沈んでいった。





◇◆◇


「やはり、あのハエどもは始末するに限りますね。こんなにも痩せ細ってしまって……私が貴方を引き取りたいと何度願ったことか。けれど、人の形をしていても所詮は魔物。人間の住む土地に足を踏み入れられないようにした初代魔王様が恨めしい」

静かに眠る彼を見ていると、心が絞られるように痛くなる。
村から出始めたばかりの頃は、周りに怯えてはいても健康的な身体つきをしていたというのに。

紫水晶で見る彼を実際にこの目に映して触れて、水晶越しで見る彼の姿に獣のように狂わしい愛おしさが増したと同時に、羽のように彼が軽かったことに心底驚いた。

触って確かめてみれば、肌は柔らかいが腰のあたりが枝のように細くて人間で言う性交をすれば折れてしまうのではと恐ろしくなった。
それに、こちらを見上げて震える彼は大変に庇護欲を唆ったが、無理やり事に及んで怖がらせるのは本意ではない。

「果物ならば、食べられるでしょうか。血が苦手な彼のことです、肉は好まないでしょうし。旅の中で一度たりとも口にしていなかったのも心配ですね…………もしかすると、早く栄養を摂らせないと彼の身体が持たないかもしれない」

徐々に息苦しくなってきた部屋を出て、大量の空気を吸い込む。
すると途端に呼吸が軽くなった。

「はは、なんともまあ、意地悪な神とやらがいたものですね。所詮、私は魔物だと、そう言いたいのですか」

魔物にとって自殺行為でもある瘴気を払う結界を張った部屋に、私は長いこと居られない。

我々魔物は姿形は人の形であったり四足歩行の獣だったり、あるいはその両方だったりと様々だが、魔物である限り瘴気の穢れた空気の中でしか生きられない。
逆に人間は、澄み渡る清涼な空気でなければ身体を徐々に蝕まれてその命を落とすことになる。

瘴気は、魔物には薬で人間には毒となるものだ。

ここ魔王の住む城は、魔物からすれば体が軽くなるほどに息のしやすい場所で瘴気が濃い。
だからこそ城の中に四天王に与えられた私の住処があるわけなのだが……けれども森に移ったところで、彼も私も、決して楽になるわけではない。薄い瘴気の中にいれば、彼はゆっくりではあるがその僅かな瘴気に身を侵されていき、私は英気を失い満足に彼を愛でられなくなる。

人間の儚さは美徳だと言うが、見るだけならそれでも良かっただろう。彼が生まれてからこの方見守ってきた。我慢などいくらでもできる。
だが、この手に触れられた今、彼を私のものにするという選択肢以外は考えられなくなっている。

そういった超えられない壁があるからなのか、人間と魔物が恋に落ち、仲良く暮らしたという文献は漁ってみたが一つも見当たらなかった。
国が違う、種族が違う。生きる環境が違う。
たったそれだけで、交わることなど不可能だと目の前に突きつけられた気分だった。

だが、それでも、生まれながらに隔たりがあるとしても、私は彼と一生を共にしたい。
そう思ったのだ。

「……魔王様は、どうなさるおつもりなんでしょうね……」

防音魔法を巡らせているのか、ボルボ様の部屋からは何も聞こえない。

例え女に鼻の下を伸ばして魔王四天王はおろか、魔物の一つでさえ屠れないような軟弱者だとしても仮にも勇者。
聖なる力がある限り、魔物に堕とすことは出来ないだろう。

「核を埋め込むなんて、もしそれが本当に共に生きる術ならば、彼には人間であることを諦めてもらわなければいけませんね……」

執務室に向かう足取りは、足枷がついたように酷く重い。

種族の隔たりなんてそんなもの、と昨日まで軽く考えていた。だがそれも瘴気に守られていたのだと気がつくまでのことだ。
徐々に呼吸が難しくなる中で、私は綺麗に笑えていただろうか。苦しそうに呻いていなかっただろうか。

「私が人間になれるなら、そうしたいところですが……彼にばかり苦を強いる私は、人間からすれば魔物らしい魔物……なのでしょうね」

自嘲めいた声は、ただただ広いばかりの、紙が散乱した部屋の中に吸い込まれて消えていった。
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