運命が切れたそのあとは。

めっちゃ抹茶

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目覚めのとき

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 身体を一寸たりとも動かせないのに酷く心地の良い静寂な暗闇の中で、フィアはぼーっと微睡み、揺蕩っていた。
 ここには何もない。ただ時折チカチカと星屑のような光が差し込んで、残像のような誰かの話し声が聞こえた。その時は決まって身の奥まで包み込むような優しい温もりをフィアは感じた。

 ただ今は、いつもとは違った感覚をフィアは拾っていた。

「おはよーーア。ーーもかわーーな。あの日ーーもうすーーーが経ーーんだ。フィーー目をーーーまでーーはずーー待つよ。ーーしてる」

 いつもより話し声が鮮明に聞こえたのだ。
 途切れ途切れではあるが、一文字すら聞き取れなかったこれまでとは違う。
 フィアの耳に届いたのは大人の男性の低い声だった。彼の声はフィアにとって酷く擽ったく、けれども心をざわつかせた。
 それは、動かないフィアの身体の奥に火種を植え付けるような、脳に直接響くような声だった。

 暖炉に灯した小さな火は瞬く間に燃え上がり、フィアの身体を温めた。そしてやがて、微睡んで不明瞭だった意識にフィアはもどかしい思いを感じ始めた。



▽▽▽



「こんばんは、フィア。君の艶やかな黒髪が月の光に照らされると輝いてとても綺麗だ。今日の仕事も上手くいったよ。実は、最近調子が良いのは君のおかげなんだ。俺の秘書は"変な物でも食べましたか"とか言って茶化すんだ。周りのやつも怪訝な顔で俺を見るんだが……雇い主が誰か忘れているとは思わないか?」

 一語一句漏らさずハッキリと聞こえたその声に、微睡んでいたフィアは返事をしようと試みた。視界は変わらず暗闇で、まずは"こんばんは"を発しようと口を開こうとした。

「……」

 しかしフィアの長い間閉ざされていた喉は易々と開いてはくれず、舌が喉にこびりついて離れなかった。
 次に、ジェスチャーをしようと身体を動かそうとした。しかし指一本さえピクリとも動かない。

 フィアはこうして、彼の声が聞こえてくる度にその都度反応を返そうとした。だがやはり、何十、何百と試しても身体がいうことを聞かないのはいつも変わらなかった。
 フィアが何も話さず反応を返さないのを彼はどう思ったのか。憐れみを実は覚えていたのだろう。聞こえてくる落ち着いた彼の声は次第に掠れていき、細々としたものに変わっていった。

「ははっ、これでは君に顔向けも出来ない。……好きな人にこんな気持ちを持つなど、到底許されない……」

 しかし彼の喉から出た言葉はフィアを哀しむものではなく、まるで懺悔するかのようなものだった。それも、フィアを神聖なものとして崇め祀ったかのように。
 喉に張り付いた声を無理やりに絞り出すようにして、レイヴンは悲しみを湛えた酷く辛そう声で話し始めた。

「始めは君が一刻も早く目覚めてくれないだろうかと願っていた。だが一ヶ月が過ぎ、それからも君は目を覚まさないまま気がつけば一年が経った。ご両親は、俺が君の側にいる事を快く許諾してくれたが俺は……フィアの心を傷付け、君がこうして眠る原因を作ってしまった。本来なら君の側にいるべきではない。起きた君に拒絶されたその時は……甘んじて受け入れよう。でも、もし許されるなら……君が許してくれるなら、君の目が覚めるまではどうか……君を見守られせてくれ。そしてどうか、ずっとこうして君を眺めていたいと思ってしまう弱い俺を許してくれ……、君に……嫌われたくないんだ」

 そう話したレイヴンは涙を流しているのか、フィアは啜り泣く音を聞いた。

『大丈夫だよ、貴方の気持ちはちゃんと伝わってるよ。だって、こんなにも僕に尽くしてくれてるんだもの。ねえ、起きたら今度は貴方の笑顔が見たいなぁ僕』

 誰にでも好かれる優しくて自信に満ち溢れた貴方が大好きだから。
 そう言って彼の優しく背中を撫でたいのに出来ない自分をフィアは歯痒く思った。

 微睡みの中で聞こえた男の声。不明瞭な意識では彼が嘆き苦しんでいる、フィアに負い目を感じて、それでも好きなんだってことくらいしか理解出来なかった。しかしフィアは明確に分かったことが幾つかあった。それは、彼がいないのは寂しいということ。
 そして、今自分は寝たきりの状態で、ここは自分の幻想を形作った夢の中かもしれないということ。好きな人と両想いだなんて、なんて優しい夢なんだとフィアは思う。生まれてこの方恋をしたことがないから、この男の人はフィアが思う理想の男性像から作り上げた幻かもしれない。

 気を抜けば何も考えられなくなるぼーっとした夢の中で、フィアは頑張って考えた。彼の声が聞こえなくなってからも頑張って考えた。
 そしてついに、フィアは考えるのをやめた。

 ふわふわと心地の良い夢の中にいるのは、体を動かせない以外は気分が良い。じんわりと暖かくなる彼の声が、温もりが、目を覚ます事で消えてしまうなら今のままが良い。フィアはそう考えたのだ。



 しかしある時、フィアにとって悠長に構えていられない事件が起こった。

「おはよう、フィア。今日も可愛いな。来たばかりで悪いが早々に出なくてはならない。時間がなくてな。あぁそうだ、数日ここを留守にする。周りの狸どもが"白衣の天使よりも我が娘たちの方がお気に召すかと"などと言って興味など微塵もないやつらを寄越して来ていい加減鬱陶しいんだ。首を横に振ろうが頑として止めようともしない。俺が家業に関わってなくとも関係ないらしい。見合いだか何だか知らないが、この際だから全員黙らせてやる。っと、いけない。感情を荒げてしまった、すまない」

 歯軋りの音が聞こえそうなほど、怒気を孕んだ彼の声がフィアの意識を呼び覚ます。
 アルファの威嚇フェロモンだろうか。オメガを服従させるそれに、鈍っていた身体はピリピリと肌が粟立ち、痺れる感覚がフィアを襲った。

 彼は盛大に息を吐くと、こう言った。

「……最後の手立てに偽装結婚でもして黙らそうか。幸い、今は俺が懸想している相手が君だとはバレていないが、どこから漏れるかも分からない。君を守れるなら仮面夫婦だって何だってしてやるさ。まぁ、一文たりとも奴らに蜜を吸わせはしないがな。あくまでも表面上だ。結婚したと思わせるだけで充分だ」

 次の瞬間、少し感覚を取り戻した身体のフィアの額に温かく柔らかな何かが触れた。そこから流れ込んだ熱が移ったのか、フィアの身体は確かな熱を持ち始める。

「だが……そうなればもう、ここには来られない。……今日で君を眺めるのも見納めか……ははっ、フィアっ……胸が、張り裂けそうだ。君はあの時、これ以上の苦しみを味わったのか。あぁ、痛かっただろう。苦しかったよな……代わってやれるならやりたいよ。君には、ずっと笑顔でいて欲しいんだ」

 懺悔の時よりも、遥かに胸が締め付けられるような痛みを伴った声で彼はフィアに話しかけ続けた。
 まるで全てを吐き出すかのような悲痛な面向きで、そして最後のお別れとでも言う様な悲壮な彼の様子にフィアは、彼を見れず撫でることも留めることさえ出来ない己の身体を初めて恨めしく思った。

「なぁフィア……もう一度、あの日みたいに俺をその瞳に映して笑ってくれないか……最後に一度だけ……」

 ————そうしたら俺は……君を諦められる。

 その最後の言葉に、フィアは身を裂かれるほどの痛みを覚えた。幻想はフィアの願い通りにいってはくれなかった。夢だと思っていたのに、夢ではなかった。
 身体の内側から突き刺す様な痛みがフィアを襲う。そしてそれが次第に膨大な熱を伴い始め、ぐるぐると身体の奥で渦巻き始める。

 今にも何かが吹き出しそうな勢いに、フィアは堪らず叫んだ。

『なんでどうして……? ねぇ、行かないでよ。待ってくれるんじゃなかったの、ねえ!』

 それは、番を失いたくない、ただ一人のオメガの魂の叫びだった。



▽▽▽



「……っ!」

 涙も乾かぬ内に突如としてレイヴンを襲ったのは真っ白な広い病室を満たし、目の前のアルファを誘惑しようとするオメガの香り。
 それは、あの日風に乗ってレイヴンを導いた運命の番の匂いだった。

 彼と再会して以降嗅げなかった匂いは、途端にレイヴンの脳を甘く痺れさせた。

「ぐぅ、っ! はっ、あ、はぁっ……」

 ラットを誘発せんと強く発せられるフィアの香りにレイヴンは一瞬にして意識を持っていかれそうになる。それを荒い息を吐きながら何とか理性で堪えると、常に常備している緊急抑制剤を太腿に打ち込んだ。
 滾った血が落ち着くのを感じながら、レイヴンはフィアの元に駆け寄った。

「目が、覚め、た……のか!? フィア! 目を開けてくれフィアっ!」

 レイヴンが必死に呼び掛ける。

 すると、フィアのけぶるような睫毛を乗せた瞼が僅かに震えたと思えば、その奥から新緑を彷彿とさせる鮮やかな色をした瞳が覗いた。

「ああ! フィアっ! 俺が見えるか? 見えるよな、そうだろう? ははっ、二度目ましてだ」

 立派なスーツが汚れるのも厭わずにぼろぼろと涙を流して笑うレイヴン。その顔には自信が蘇っていた。
 レイヴンは、運命の糸が再度結ばれるのを感じていた。

 目を覚ました番に歓喜に浸る間もなく、レイヴンは続いて開かれたフィアの口元に注視した。
 僅かに口を開き、何かを伝えようとする番の様子にレイヴンは耳を寄せた。

「いか……な、い、で……」

 酷く小さな掠れた声でそう発した番を見るや否や、レイヴンの顔は破綻した。

「ああ、どこにも行かない。この身が朽ち果てるまで俺は君の側にいる。さっきの言葉は撤回だ。俺は君を諦めない。俺の番、そして伴侶はフィア——君だけだ。そうだろ?」

 そう言ってフィアの手を宝物に触れる様に優しく握ったレイヴンに、フィアは緑の瞳に涙を滲ませて、また口を動かしたのだ。

 ————「うれし、い」と。



▽▽▽



ーーーーーーーー作者のどうでもいい独り言。

穴埋め問題、皆様は正解できましたでしょうか?簡単過ぎましたかね?
このレイヴンの言葉が、今回の最後の方に繋がってくるので難し過ぎてはいけないな、と分かりやすく穴埋めにしたつもりです。
え、なになに?
伸ばし棒をこんなふうに使う人がいるんですねぇ、って?
あ、ここです、ここにいますよ。\( 'ω')/


アルファって寝ず食わずでも三日間元気なんですってね。まあレイヴンならピンピンしてそうですけども。
作者はベータなので眠気には勝てません。おやすみなさい(_ _).。o○また明日。

答え合わせはこちら↓









「おはようフィア。今日も可愛いな。あの日からもうすぐ一年が経つんだ。フィアが目を覚ますまで俺はずっと待つよ。愛してる」
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