39 / 44
番外編
金木犀と紙パック
しおりを挟む
※side三木
ふわっとキンモクセイの香りがした。
大学の構内では、俺が毎日通うサークルの部室がある校舎のすぐそばの一本しかキンモクセイは無い。確認した訳ではないから確かではないけれど。たぶん、一本だけ。
なぜ今、キンモクセイの香りがしたんだろうと、俺は思わず立ち止まった。そして、辺りを見回すと、紅茶のパッケージが描かれた紙パックの飲み口に、鼻を突っ込んでいる変な人がいた。
というか、サークルの先輩だった。
「……小野さん、何をしているんですか?」
一つ上回生のその先輩は、俺の姿を認めて嬉しそうに笑った。その笑顔を見ただけで、俺の心臓はドクンと強く脈打った。
「いいところで会ったな! 今、三木に会いに行こうとしてたところなんだよ」
「わざわざ? またあとで部室で会うじゃないですか」
「いやいや早くしないと鮮度が落ちるからさー。ほら。嗅いでみ!」
そう言われて、差し出されたのはさっきの紙パックで。自分の顔が引き攣るのを止められなかった。少し顔を近付けて中を覗いて見ると、中にはキンモクセイの花が入っていた。……少し残ったミルクティーに浸り気味だが。
「……どうしたんですか、これ」
「前にさ、キンモクセイ早く咲かないかなって、三木言ってたじゃん。だから」
「咲いてたから、集めて持って来てくれたんですか?」
「うん。優しい先輩だろー? 俺って」
「そういうの自分で言うところ嫌いです」
彼は一応……というか、歴とした先輩である。年も学年も一つ上。なのに、なぜか、敬えない。とりあえず敬語で話してはいるという感じだ。面と向かって『嫌いです』なんて、よくもまあ言えるものだと自分でも思う。そんなこと他の誰にも、たとえ本気でそう思ったとしても、絶対に言ったりしないのに。
しかも俺は、小野さんのことが嫌いではないのだ。好きでもないけど。
「三木はつれない奴だなー、ほんと」
そう言って笑う小野さんの表情に、また俺の心臓が鳴る。切ないような嬉しいような、変な顔で笑う小野さんは、おちゃらけている普段とは比べようもないくらい大人びていた。
「……このキンモクセイ臭いですよ。ミルクティーの匂いが混ざってます」
「えっ、まじで? やっぱ洗ってから入れるべきだったかー。失敗したー」
「でも、……ありがとうございます。気にかけていただいたことは、嬉しいです」
「お、おうっ。何だよー。最初からそう言えよ」
照れたように笑いながら、俺の髪の毛をグシャグシャにする小野さんの手から、キンモクセイの良い香りがした。
……好きでもないなんて、嘘だ。俺はただ、その感情を認めたくないだけ。
笑顔を見るだけで、こんな何でもないスキンシップ一つで、俺の心臓は痛いくらいに騒ぎ出す。口では嫌いだと言っておかないと、そんな俺に気付かれるんじゃないかとビビっているだけなのだ。
「三木? どうかしたか?」
「……いえ、別に。ただちょっと、馴れ馴れしい人だなと思っただけです」
「何だよ。髪触るくらいいいだろー」
「やめて下さい。不快です」
どうしてこんな言い方しかできないのか。いつも口にしてから後悔してしまう。
だけど、小野さんは出会ってからずっと、いつだって優しくしてくれるのだ。こんなに口の悪い嫌な後輩なのに。
「ほんっと冷てえなー。まあ、そういうのも悪くないんだけどな」
「小野さんってほんと、変な人ですね」
「三木は俺が嫌いかもしんないけど、俺は結構お前のこと好きなんだよな。だから、お前といると楽しくて、浮かれてんだよ」
何てことを無意識に言ってくれるんだろう。『好き』だなんて、別の意味を含ませてしまう俺からは決して言うことができない。
そんな俺とは全く違う『好き』が、嬉しくもあり、切なくもあった。
「……よく分かりました。小野さんはマゾなんですね」
「ちげーよ! ちゃんと俺の話聞いてた?」
「はい。心に刻み込みました」
「ちょ、やめろ。たぶん事実と異なることが刻み込まれてるから! それ!」
「大丈夫です」
「何の自信だよ!」
出会って数ヶ月。たった二人のサークルで、二人だけの部室にこれからも俺は毎日通う。
心地いいだけではないその空間で、俺はいつまで本当の気持ちをこの人に、隠し続けていられるだろう?
end.
ふわっとキンモクセイの香りがした。
大学の構内では、俺が毎日通うサークルの部室がある校舎のすぐそばの一本しかキンモクセイは無い。確認した訳ではないから確かではないけれど。たぶん、一本だけ。
なぜ今、キンモクセイの香りがしたんだろうと、俺は思わず立ち止まった。そして、辺りを見回すと、紅茶のパッケージが描かれた紙パックの飲み口に、鼻を突っ込んでいる変な人がいた。
というか、サークルの先輩だった。
「……小野さん、何をしているんですか?」
一つ上回生のその先輩は、俺の姿を認めて嬉しそうに笑った。その笑顔を見ただけで、俺の心臓はドクンと強く脈打った。
「いいところで会ったな! 今、三木に会いに行こうとしてたところなんだよ」
「わざわざ? またあとで部室で会うじゃないですか」
「いやいや早くしないと鮮度が落ちるからさー。ほら。嗅いでみ!」
そう言われて、差し出されたのはさっきの紙パックで。自分の顔が引き攣るのを止められなかった。少し顔を近付けて中を覗いて見ると、中にはキンモクセイの花が入っていた。……少し残ったミルクティーに浸り気味だが。
「……どうしたんですか、これ」
「前にさ、キンモクセイ早く咲かないかなって、三木言ってたじゃん。だから」
「咲いてたから、集めて持って来てくれたんですか?」
「うん。優しい先輩だろー? 俺って」
「そういうの自分で言うところ嫌いです」
彼は一応……というか、歴とした先輩である。年も学年も一つ上。なのに、なぜか、敬えない。とりあえず敬語で話してはいるという感じだ。面と向かって『嫌いです』なんて、よくもまあ言えるものだと自分でも思う。そんなこと他の誰にも、たとえ本気でそう思ったとしても、絶対に言ったりしないのに。
しかも俺は、小野さんのことが嫌いではないのだ。好きでもないけど。
「三木はつれない奴だなー、ほんと」
そう言って笑う小野さんの表情に、また俺の心臓が鳴る。切ないような嬉しいような、変な顔で笑う小野さんは、おちゃらけている普段とは比べようもないくらい大人びていた。
「……このキンモクセイ臭いですよ。ミルクティーの匂いが混ざってます」
「えっ、まじで? やっぱ洗ってから入れるべきだったかー。失敗したー」
「でも、……ありがとうございます。気にかけていただいたことは、嬉しいです」
「お、おうっ。何だよー。最初からそう言えよ」
照れたように笑いながら、俺の髪の毛をグシャグシャにする小野さんの手から、キンモクセイの良い香りがした。
……好きでもないなんて、嘘だ。俺はただ、その感情を認めたくないだけ。
笑顔を見るだけで、こんな何でもないスキンシップ一つで、俺の心臓は痛いくらいに騒ぎ出す。口では嫌いだと言っておかないと、そんな俺に気付かれるんじゃないかとビビっているだけなのだ。
「三木? どうかしたか?」
「……いえ、別に。ただちょっと、馴れ馴れしい人だなと思っただけです」
「何だよ。髪触るくらいいいだろー」
「やめて下さい。不快です」
どうしてこんな言い方しかできないのか。いつも口にしてから後悔してしまう。
だけど、小野さんは出会ってからずっと、いつだって優しくしてくれるのだ。こんなに口の悪い嫌な後輩なのに。
「ほんっと冷てえなー。まあ、そういうのも悪くないんだけどな」
「小野さんってほんと、変な人ですね」
「三木は俺が嫌いかもしんないけど、俺は結構お前のこと好きなんだよな。だから、お前といると楽しくて、浮かれてんだよ」
何てことを無意識に言ってくれるんだろう。『好き』だなんて、別の意味を含ませてしまう俺からは決して言うことができない。
そんな俺とは全く違う『好き』が、嬉しくもあり、切なくもあった。
「……よく分かりました。小野さんはマゾなんですね」
「ちげーよ! ちゃんと俺の話聞いてた?」
「はい。心に刻み込みました」
「ちょ、やめろ。たぶん事実と異なることが刻み込まれてるから! それ!」
「大丈夫です」
「何の自信だよ!」
出会って数ヶ月。たった二人のサークルで、二人だけの部室にこれからも俺は毎日通う。
心地いいだけではないその空間で、俺はいつまで本当の気持ちをこの人に、隠し続けていられるだろう?
end.
26
お気に入りに追加
305
あなたにおすすめの小説
泣き虫な俺と泣かせたいお前
ことわ子
BL
大学生の八次直生(やつぎすなお)と伊場凛乃介(いばりんのすけ)は幼馴染で腐れ縁。
アパートも隣同士で同じ大学に通っている。
直生にはある秘密があり、嫌々ながらも凛乃介を頼る日々を送っていた。
そんなある日、直生は凛乃介のある現場に遭遇する。
日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが
五右衛門
BL
月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。
しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──

無能の騎士~退職させられたいので典型的な無能で最低最悪な騎士を演じます~
紫鶴
BL
早く退職させられたい!!
俺は労働が嫌いだ。玉の輿で稼ぎの良い婚約者をゲットできたのに、家族に俺には勿体なさ過ぎる!というので騎士団に入団させられて働いている。くそう、ヴィがいるから楽できると思ったのになんでだよ!!でも家族の圧力が怖いから自主退職できない!
はっ!そうだ!退職させた方が良いと思わせればいいんだ!!
なので俺は無能で最悪最低な悪徳貴族(騎士)を演じることにした。
「ベルちゃん、大好き」
「まっ!準備してないから!!ちょっとヴィ!服脱がせないでよ!!」
でろでろに主人公を溺愛している婚約者と早く退職させられたい主人公のらぶあまな話。
ーーー
ムーンライトノベルズでも連載中。
鈍感モブは俺様主人公に溺愛される?
桃栗
BL
地味なモブがカーストトップに溺愛される、ただそれだけの話。
前作がなかなか進まないので、とりあえずリハビリ的に書きました。
ほんの少しの間お付き合い下さい。

騎士団で一目惚れをした話
菫野
BL
ずっと側にいてくれた美形の幼馴染×主人公
憧れの騎士団に見習いとして入団した主人公は、ある日出会った年上の騎士に一目惚れをしてしまうが妻子がいたようで爆速で失恋する。
手紙
ドラマチカ
BL
忘れらない思い出。高校で知り合って親友になった益子と郡山。一年、二年と共に過ごし、いつの間にか郡山に恋心を抱いていた益子。カッコよく、優しい郡山と一緒にいればいるほど好きになっていく。きっと郡山も同じ気持ちなのだろうと感じながらも、告白をする勇気もなく日々が過ぎていく。
そうこうしているうちに三年になり、高校生活も終わりが見えてきた。ずっと一緒にいたいと思いながら気持ちを伝えることができない益子。そして、誰よりも益子を大切に想っている郡山。二人の想いは思い出とともに記憶の中に残り続けている……。
フィクション
犀川稔
BL
変わらない日常送る恋(れん)は高校2年の春、初めての恋愛をする。それはクラスメートであり、クラスのドー軍の存在に値する赤城(あかし)だった。クラスメイトには内緒で付き合った2人だが、だんだんと隠し通すことが難しくなる。そんな時、赤城がある決断をする......。
激重溺愛彼氏×恋愛初心者癒し彼氏
嫌われ公式愛妾役ですが夫だけはただの僕のガチ勢でした
ナイトウ
BL
BL小説大賞にご協力ありがとうございました!!
CP:不器用受ガチ勢伯爵夫攻め、女形役者受け
相手役は第11話から出てきます。
ロストリア帝国の首都セレンで女形の売れっ子役者をしていたルネは、皇帝エルドヴァルの為に公式愛妾を装い王宮に出仕し、王妃マリーズの代わりに貴族の反感を一手に受ける役割を引き受けた。
役目は無事終わり追放されたルネ。所属していた劇団に戻りまた役者業を再開しようとするも公式愛妾になるために偽装結婚したリリック伯爵に阻まれる。
そこで仕方なく、顔もろくに知らない夫と離婚し役者に戻るために彼の屋敷に向かうのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる