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本編
計画
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※side雪田
12月に入って、竹下さんの誕生日がもう3週間後まで迫っている。なのに、俺は竹下さんと過ごせる数時間をどうすれば有意義だったと思ってもらえるか、まだ悩んでいた。だから、相談を聞いてもらえないかと以前に霧島さんに連れて来てもらったリサさんのお店に、俺は来ていた。
「あら? ユキちゃんじゃない。どうしたのー、こんなとこまで来ちゃって。とりあえず、お入んなさい」
中に入ろうにも、そこは女性の洋服店。勢いで来たはいいけれど、一人で入店するのにはかなりの勇気が必要だった。
外でまごまごしていると、運良くリサさんが戻って来られて、声をかけてくれた。リサさんが外出しているパターンなんて考えてなかった。ここに来れば当たり前に会えるものだと……考えなしの自分の行動が少し恥ずかしい。
「それで? 今日はどうしたの?」
「あの俺……こんなこと相談できるの、リサさんしか思い浮かばなくて……急に来ちゃってすみません」
「いいのよ! 気にしないで。相談って? また女装するのかしら?」
「いえあの、そうじゃなくて……今度のクリスマスイヴ、竹下さんの誕生日なんですけど……」
「ちょっと待って! それはこんな場所で立ち話で済ませることじゃないわ!」
そう言ったリサさんは、お店にいた従業員さんに声をかけてから、俺にどこかで食事でもしながらゆっくり話そうと提案してくれた。仕事を切り上げてまで相談に乗ってもらうのは忍びないので、また後日時間をいただければと言ったけれど『今じゃなきゃダメ! 気になるじゃない!』と一蹴された。
気後れしながらも、リサさんの言う美味しい居酒屋に行くことになった。以前話してくれた、リサさんの好きな人がやってるお店らしい。『一人で行くと少しブルー入っちゃうから滅多に行かないの』なんて冗談めかして笑うけれど、本当は、行きたくて行きたくて堪らないんだろうと思った。たとえ、奥さんやお子さんがその場にいたとしても、無理に明るい声や笑顔を作らなくちゃいけなくても、好きな人の顔が見たい。声が聞きたい。自分に笑顔を見せて欲しい。
俺なら、そう思う。
「うお! 何やねん、久しぶりやんけ! 元気にしとったかー?」
リサさんの顔を見ると、顔を綻ばせた店主の男性がリサさんに声をかけた。その瞬間のリサさんの顔を俺はきっと忘れない。
一瞬だったけれど、ぐっと何かを堪えるように眉間に皺を寄せて、そして口だけに笑みを浮かべた。嘘の笑顔。
「元気に決まってるじゃなーい。先輩はどうなのー? 奥さんと上手くいってる?」
「アッホ! 当たり前やろが。とりあえず座れ座れ。カウンターにするか?」
「ううん、今日はこの子とだーいじな話があるから。座敷上がらせてもらうわねー」
話している内に、目も細めて本当に楽しそうに笑ったリサさんだけど、俺にはそれが痛かった。自分を見て、話してくれる。笑ってくれる。それが幸せで、笑顔になれる。
だけど、好きな人の心にいるのは、自分じゃない。それを、知ってる。
「さて、と。じゃあ早速、ユキちゃんの話を聞かせてもらおうかしらっ」
俺は竹下さんが別の誰かと結ばれても、こんなに強くいられるだろうか。リサさんみたいに、優しく、明るく、生きていられるだろうか。
「……大丈夫。焦がれるような想いも、時間が解決してくれるものよ。少し、切ないけれど、でもやっぱり幸せでいてくれるならそれが一番いいって、今は思えるようになったの。だからね、ユキちゃん。あなたがそんな顔しなくていいの。あなたはまだまだ若いんだから。わざわざ辛い未来に進む必要はないわ。僕みたいにならないように頑張りなさい。クリスマス、会うんでしょう?」
「リサさん……」
「作戦を練るわよ! 竹下くんとはどこに行く約束をしてるの?」
「色々、考えてたんですけど竹下さんに予定が入っちゃったみたいで……」
「なっ、にしてんのあのバカ男! やだもーほんっとバカ」
竹下さんに『バカ男』なんて言葉を吐ける人を初めて見た。
「いや、でも夜に時間作ってくださるみたいで。だから夜の数時間しかないけど、何をすれば喜んでもらえるかな、って」
「そうね……簡単なところで言えば、手料理かしらね。ユキちゃんの手料理なら泣いて喜ぶわよ、竹下くん」
「料理……できない、っす」
「全く?」
「目玉焼きくらいなら……なんとか」
「じゃあ大丈夫よ。カレーとか失敗しないものになさいな」
カレーの何が大丈夫なのか。目玉焼きしか作れないって言ってんのに、カレー? いや無理だって。大体うちに鍋はもちろん、包丁すら無いし。とかそんなことを考えている時だった。
「リサ! 何だよ、来んなら来るって言えよな。こないだの礼もしてねーしさ、会いたいと思ってたんだ」
おおよそ人間とは思えないほど綺麗な顔をした人が、すぐそばに立っていた。注文した飲み物や焼き鳥なんかをその手に、腕に、常人離れした物量を持ってはいるけれど、風貌からして店員というわけでは無いらしい。ていうか気配が無かった。普通それだけ持てば、食器の擦れる音がして当たり前だろうに……忍者か?
「礼って何よー、あんなの趣味よ、趣味! またいつでも言いなさいよー? 可愛くしてあげるわ」
「そういうわけにはいかねーよ。あ、そうだ。今日の飲み代、俺が出しとこうか?」
「バカね、年下の男の子に奢られる趣味はないわよ」
そんな会話をしながら、綺麗な人の腕に乗った食べ物をテーブルに移すリサさん。俺も倣って手伝う。何これ、そもそもどうやって持ったんだよ。ていうかこの細い腕にどんだけのパワーが……超人か?
「あ! そうだわ! あなた料理も得意だったわよね? 目玉焼きしか作れない子が立派に調理ができるようなレシピ、書いてくれないかしら? 基礎中の基礎から何もかもぜーんぶみんな書いたものがいいわ」
「いいけど。何作んの?」
「カレーライスよ」
「そんだけ? 他には?」
「竹下くんの好きな食べ物って何かしら?」
「えーっと、唐揚げとか、ハンバーグとか、肉系ですかね」
「やだー、あんな顔して肉食なのね! いいわー、可愛いわー」
上げたり下げたり忙しい人だなー、なんて失礼なことを思っていると、綺麗な顔をしたお兄さんが話しかけてきた。
「具体的にいつ作んの? 調理器具あるか? うちはこのへんか?」
クリスマスに先輩の誕生日祝いをすること。家には調理器具は一切ないこと。うちは隣の県でここからは遠いことと最寄りの駅名を伝えた。
「んじゃ、俺が調理器具一式お前ん家に持ってってやるよ。材料とレシピも一緒に」
「え! いやそんなことしていただく訳にはいかないっすよ!」
「いいって。リサのお気に入りなんだろ? これがリサへの礼代わりってことで。な? こういう方がお前もいいだろ、リサ」
「もっちろんよー、分かってんじゃない」
リサさんのおかげで、なんだかんだと本当に親切にしてもらえることになった。見ず知らずの人だった訳だけれど、妙に親しみやすい人で、いや見た目は人形みたいに綺麗に整いすぎててめちゃくちゃ畏れ多いけれど、気さくで、奔放で、優しくて。
きっと、こういう人なら、同じ男でも竹下さんの隣に居ても釣り合うんだろうなと、そんなことを思った。
「んーで、これ。絆創膏な。こっちが普通ので、こっちが指先用。包丁が新しくて切りやすいから、無駄な力は入れないように、ゆっくり切れよ。あとは、火傷したときにはこの貼り薬。これも指用と大判もあるから患部に合わせて使い分けてな。それから……」
クリスマスイヴ前日。つまりは天皇誕生日で祝日である今日、約束していた通りの時間に、彫刻のように綺麗な顔をしたリサさんのご友人が、大量の食材や調理器具を抱えて家まで来てくれた。一人では持ち切れない物量だったから荷物持ちに来てもらったのだという人は、一見するに真っ当でなさそうな恐ろしい風貌であるにも関わらず、こちらも非常に整った綺麗な顔をしていらして……リサさんのご友人達はモデルさんとかなのかな?……とにかく俺としては恐くて目も合わせられないような感じなのだが、こんなパシリのような真似をさせてしまったことが申し訳ないので、努めてにこやかに接するように心掛けた。
「じゃ、頑張れよ」
「ありがとうございました! 頑張るっす!」
玄関のドアが閉まると、フー、と長い息を吐いて身体の強張りを解いた。最後まで一言も言葉を発しなかったけれど、恐い風貌の人のプレッシャーが凄かった。……こわかった。
わざわざガスコンロで強火や弱火、とろ火など、火加減の説明までしてくれた綺麗な人に感謝して、レシピを手に取る。まずは一読。
こんなに丁寧に書いてあるレシピがあるだろうかってくらいに細かく書いてある。なんの知識もない俺だけど、このレシピさえあれば、いける気がする。もしも万が一失敗した時のために、クリスマスらしいチキンだけは予約済みだし。最悪、レトルトカレーと惣菜のハンバーグで代用して……何とか事なきを得たいところだ。
だけど、きっと竹下さんなら……と、思う。たとえ失敗して、美味しいものが出来なかったとしても、竹下さんは笑って、美味しいと言って食べてくれるだろう。
レトルトカレーと惣菜のハンバーグだったとしても、準備をしたことに対して、ありがとうと言ってくれると思う。そして、失敗したのでも良かったのに、と気遣ってくれる。そんな優しい竹下さんの笑顔が思い浮かぶ。
そんなことを考えていたら、俄然やる気になった。喜んで欲しい。笑って欲しい。本当に美味しいと、そう思ってもらえるものを作りたい。
竹下さんのお誕生日を俺が祝ってあげられる。そんなこと、高校生だった頃の俺には想像も出来なかった。
なんて……なんて、幸せなんだろう。
竹下さんが竹下さんであること。そんな竹下さんに出会えて、こんなにも好きになったこと。俺を見てくれて、俺に声をかけてくれて、俺に笑顔を向けてくれて。そして、手だけでも、触れ合えたこと。
全部、幸せで。全部、感謝したい。
そして、当日。俺が作った物を美味しいと言って竹下さんが食べてくれた。
「絆創膏、いっぱいだね」
スル、と撫でるように手に触れられた。一瞬で自分の体温が上昇したのが分かる。心臓が跳ねたみたいに大きく脈打って、呼吸が荒くなるのを気付かれないように息を止めた。
「これは?」
「……あ、それは火傷しちゃって」
「ごめんね」
なんで竹下さんが謝るんすか。って、言おうとした。でも、止めた。
何でだか分からないけど、竹下さんは少し笑った顔をしていたから。
「痛かったよね。でもさ、れおが怪我してんのに、俺は嬉しいって思っちゃうんだ」
「嬉しい?」
「れおが、俺の誕生日なんかのために、こんなになるまで頑張ってくれたんだって思ったら、嬉しいんだよ。……自業自得だけどさ、俺、誕生日を祝ってもらった覚えがあんまり無いんだよね。だから、今日はすげー舞い上がってるし、すげー幸せ」
火傷を覆うように貼った絆創膏の上から、そっと優しく触れる指先を目で追う。竹下さんが今触れているのが自分の腕だってことが信じられないくらい、竹下さんの指がものすごく大切なものに触れるように繊細に動く。
「自分でも最悪だと思うけど……痕が残ればいい、って思う。そうしたら、れおは今日のこと忘れないでいてくれるでしょ」
「痕なんか残らなくても、忘れないっすよ」
「そうかな。……れおは、いつまで俺なんかとこうやって一緒にいてくれんだろ」
無意識のうちに零れ落ちたみたいに響いた声色が切ない。どうしてそんな風に思うんだろう。俺は、いつまでだって一緒にいたいと思ってるのに。まるで、俺の方から離れていくみたいに。
「竹下さん」
「ん?」
「月並みな台詞ですけど。生まれて来てくれて、ありがとうございます」
使い古されてきた言葉だけれど、これは俺の本心だ。
「俺は、竹下さんに出会えたことに感謝してます。こんな風に一緒に過ごせることが嬉しいです。だから、もし、竹下さんさえ良ければですけど、来年のお誕生日も俺に祝わせてください」
俺の言葉に驚いたように、竹下さんの目が少し泳いで、そして笑った。全く嬉しそうじゃない。顔は笑っているけれど、笑ってない。全部諦めたみたいな、懐かしい竹下さんの笑顔。この表情をする竹下さんを、俺は好きになった。だけど、本当に嬉しそうに、優しく笑う竹下さんをもう知ってる。
俺の言葉なんかでは、竹下さんを心から笑わせることは、できないんすか?
「れおは、まじで俺を喜ばせる天才だね」
嘘だ。竹下さんは笑っていない。
「来年、かぁ。……遠いねー」
12月に入って、竹下さんの誕生日がもう3週間後まで迫っている。なのに、俺は竹下さんと過ごせる数時間をどうすれば有意義だったと思ってもらえるか、まだ悩んでいた。だから、相談を聞いてもらえないかと以前に霧島さんに連れて来てもらったリサさんのお店に、俺は来ていた。
「あら? ユキちゃんじゃない。どうしたのー、こんなとこまで来ちゃって。とりあえず、お入んなさい」
中に入ろうにも、そこは女性の洋服店。勢いで来たはいいけれど、一人で入店するのにはかなりの勇気が必要だった。
外でまごまごしていると、運良くリサさんが戻って来られて、声をかけてくれた。リサさんが外出しているパターンなんて考えてなかった。ここに来れば当たり前に会えるものだと……考えなしの自分の行動が少し恥ずかしい。
「それで? 今日はどうしたの?」
「あの俺……こんなこと相談できるの、リサさんしか思い浮かばなくて……急に来ちゃってすみません」
「いいのよ! 気にしないで。相談って? また女装するのかしら?」
「いえあの、そうじゃなくて……今度のクリスマスイヴ、竹下さんの誕生日なんですけど……」
「ちょっと待って! それはこんな場所で立ち話で済ませることじゃないわ!」
そう言ったリサさんは、お店にいた従業員さんに声をかけてから、俺にどこかで食事でもしながらゆっくり話そうと提案してくれた。仕事を切り上げてまで相談に乗ってもらうのは忍びないので、また後日時間をいただければと言ったけれど『今じゃなきゃダメ! 気になるじゃない!』と一蹴された。
気後れしながらも、リサさんの言う美味しい居酒屋に行くことになった。以前話してくれた、リサさんの好きな人がやってるお店らしい。『一人で行くと少しブルー入っちゃうから滅多に行かないの』なんて冗談めかして笑うけれど、本当は、行きたくて行きたくて堪らないんだろうと思った。たとえ、奥さんやお子さんがその場にいたとしても、無理に明るい声や笑顔を作らなくちゃいけなくても、好きな人の顔が見たい。声が聞きたい。自分に笑顔を見せて欲しい。
俺なら、そう思う。
「うお! 何やねん、久しぶりやんけ! 元気にしとったかー?」
リサさんの顔を見ると、顔を綻ばせた店主の男性がリサさんに声をかけた。その瞬間のリサさんの顔を俺はきっと忘れない。
一瞬だったけれど、ぐっと何かを堪えるように眉間に皺を寄せて、そして口だけに笑みを浮かべた。嘘の笑顔。
「元気に決まってるじゃなーい。先輩はどうなのー? 奥さんと上手くいってる?」
「アッホ! 当たり前やろが。とりあえず座れ座れ。カウンターにするか?」
「ううん、今日はこの子とだーいじな話があるから。座敷上がらせてもらうわねー」
話している内に、目も細めて本当に楽しそうに笑ったリサさんだけど、俺にはそれが痛かった。自分を見て、話してくれる。笑ってくれる。それが幸せで、笑顔になれる。
だけど、好きな人の心にいるのは、自分じゃない。それを、知ってる。
「さて、と。じゃあ早速、ユキちゃんの話を聞かせてもらおうかしらっ」
俺は竹下さんが別の誰かと結ばれても、こんなに強くいられるだろうか。リサさんみたいに、優しく、明るく、生きていられるだろうか。
「……大丈夫。焦がれるような想いも、時間が解決してくれるものよ。少し、切ないけれど、でもやっぱり幸せでいてくれるならそれが一番いいって、今は思えるようになったの。だからね、ユキちゃん。あなたがそんな顔しなくていいの。あなたはまだまだ若いんだから。わざわざ辛い未来に進む必要はないわ。僕みたいにならないように頑張りなさい。クリスマス、会うんでしょう?」
「リサさん……」
「作戦を練るわよ! 竹下くんとはどこに行く約束をしてるの?」
「色々、考えてたんですけど竹下さんに予定が入っちゃったみたいで……」
「なっ、にしてんのあのバカ男! やだもーほんっとバカ」
竹下さんに『バカ男』なんて言葉を吐ける人を初めて見た。
「いや、でも夜に時間作ってくださるみたいで。だから夜の数時間しかないけど、何をすれば喜んでもらえるかな、って」
「そうね……簡単なところで言えば、手料理かしらね。ユキちゃんの手料理なら泣いて喜ぶわよ、竹下くん」
「料理……できない、っす」
「全く?」
「目玉焼きくらいなら……なんとか」
「じゃあ大丈夫よ。カレーとか失敗しないものになさいな」
カレーの何が大丈夫なのか。目玉焼きしか作れないって言ってんのに、カレー? いや無理だって。大体うちに鍋はもちろん、包丁すら無いし。とかそんなことを考えている時だった。
「リサ! 何だよ、来んなら来るって言えよな。こないだの礼もしてねーしさ、会いたいと思ってたんだ」
おおよそ人間とは思えないほど綺麗な顔をした人が、すぐそばに立っていた。注文した飲み物や焼き鳥なんかをその手に、腕に、常人離れした物量を持ってはいるけれど、風貌からして店員というわけでは無いらしい。ていうか気配が無かった。普通それだけ持てば、食器の擦れる音がして当たり前だろうに……忍者か?
「礼って何よー、あんなの趣味よ、趣味! またいつでも言いなさいよー? 可愛くしてあげるわ」
「そういうわけにはいかねーよ。あ、そうだ。今日の飲み代、俺が出しとこうか?」
「バカね、年下の男の子に奢られる趣味はないわよ」
そんな会話をしながら、綺麗な人の腕に乗った食べ物をテーブルに移すリサさん。俺も倣って手伝う。何これ、そもそもどうやって持ったんだよ。ていうかこの細い腕にどんだけのパワーが……超人か?
「あ! そうだわ! あなた料理も得意だったわよね? 目玉焼きしか作れない子が立派に調理ができるようなレシピ、書いてくれないかしら? 基礎中の基礎から何もかもぜーんぶみんな書いたものがいいわ」
「いいけど。何作んの?」
「カレーライスよ」
「そんだけ? 他には?」
「竹下くんの好きな食べ物って何かしら?」
「えーっと、唐揚げとか、ハンバーグとか、肉系ですかね」
「やだー、あんな顔して肉食なのね! いいわー、可愛いわー」
上げたり下げたり忙しい人だなー、なんて失礼なことを思っていると、綺麗な顔をしたお兄さんが話しかけてきた。
「具体的にいつ作んの? 調理器具あるか? うちはこのへんか?」
クリスマスに先輩の誕生日祝いをすること。家には調理器具は一切ないこと。うちは隣の県でここからは遠いことと最寄りの駅名を伝えた。
「んじゃ、俺が調理器具一式お前ん家に持ってってやるよ。材料とレシピも一緒に」
「え! いやそんなことしていただく訳にはいかないっすよ!」
「いいって。リサのお気に入りなんだろ? これがリサへの礼代わりってことで。な? こういう方がお前もいいだろ、リサ」
「もっちろんよー、分かってんじゃない」
リサさんのおかげで、なんだかんだと本当に親切にしてもらえることになった。見ず知らずの人だった訳だけれど、妙に親しみやすい人で、いや見た目は人形みたいに綺麗に整いすぎててめちゃくちゃ畏れ多いけれど、気さくで、奔放で、優しくて。
きっと、こういう人なら、同じ男でも竹下さんの隣に居ても釣り合うんだろうなと、そんなことを思った。
「んーで、これ。絆創膏な。こっちが普通ので、こっちが指先用。包丁が新しくて切りやすいから、無駄な力は入れないように、ゆっくり切れよ。あとは、火傷したときにはこの貼り薬。これも指用と大判もあるから患部に合わせて使い分けてな。それから……」
クリスマスイヴ前日。つまりは天皇誕生日で祝日である今日、約束していた通りの時間に、彫刻のように綺麗な顔をしたリサさんのご友人が、大量の食材や調理器具を抱えて家まで来てくれた。一人では持ち切れない物量だったから荷物持ちに来てもらったのだという人は、一見するに真っ当でなさそうな恐ろしい風貌であるにも関わらず、こちらも非常に整った綺麗な顔をしていらして……リサさんのご友人達はモデルさんとかなのかな?……とにかく俺としては恐くて目も合わせられないような感じなのだが、こんなパシリのような真似をさせてしまったことが申し訳ないので、努めてにこやかに接するように心掛けた。
「じゃ、頑張れよ」
「ありがとうございました! 頑張るっす!」
玄関のドアが閉まると、フー、と長い息を吐いて身体の強張りを解いた。最後まで一言も言葉を発しなかったけれど、恐い風貌の人のプレッシャーが凄かった。……こわかった。
わざわざガスコンロで強火や弱火、とろ火など、火加減の説明までしてくれた綺麗な人に感謝して、レシピを手に取る。まずは一読。
こんなに丁寧に書いてあるレシピがあるだろうかってくらいに細かく書いてある。なんの知識もない俺だけど、このレシピさえあれば、いける気がする。もしも万が一失敗した時のために、クリスマスらしいチキンだけは予約済みだし。最悪、レトルトカレーと惣菜のハンバーグで代用して……何とか事なきを得たいところだ。
だけど、きっと竹下さんなら……と、思う。たとえ失敗して、美味しいものが出来なかったとしても、竹下さんは笑って、美味しいと言って食べてくれるだろう。
レトルトカレーと惣菜のハンバーグだったとしても、準備をしたことに対して、ありがとうと言ってくれると思う。そして、失敗したのでも良かったのに、と気遣ってくれる。そんな優しい竹下さんの笑顔が思い浮かぶ。
そんなことを考えていたら、俄然やる気になった。喜んで欲しい。笑って欲しい。本当に美味しいと、そう思ってもらえるものを作りたい。
竹下さんのお誕生日を俺が祝ってあげられる。そんなこと、高校生だった頃の俺には想像も出来なかった。
なんて……なんて、幸せなんだろう。
竹下さんが竹下さんであること。そんな竹下さんに出会えて、こんなにも好きになったこと。俺を見てくれて、俺に声をかけてくれて、俺に笑顔を向けてくれて。そして、手だけでも、触れ合えたこと。
全部、幸せで。全部、感謝したい。
そして、当日。俺が作った物を美味しいと言って竹下さんが食べてくれた。
「絆創膏、いっぱいだね」
スル、と撫でるように手に触れられた。一瞬で自分の体温が上昇したのが分かる。心臓が跳ねたみたいに大きく脈打って、呼吸が荒くなるのを気付かれないように息を止めた。
「これは?」
「……あ、それは火傷しちゃって」
「ごめんね」
なんで竹下さんが謝るんすか。って、言おうとした。でも、止めた。
何でだか分からないけど、竹下さんは少し笑った顔をしていたから。
「痛かったよね。でもさ、れおが怪我してんのに、俺は嬉しいって思っちゃうんだ」
「嬉しい?」
「れおが、俺の誕生日なんかのために、こんなになるまで頑張ってくれたんだって思ったら、嬉しいんだよ。……自業自得だけどさ、俺、誕生日を祝ってもらった覚えがあんまり無いんだよね。だから、今日はすげー舞い上がってるし、すげー幸せ」
火傷を覆うように貼った絆創膏の上から、そっと優しく触れる指先を目で追う。竹下さんが今触れているのが自分の腕だってことが信じられないくらい、竹下さんの指がものすごく大切なものに触れるように繊細に動く。
「自分でも最悪だと思うけど……痕が残ればいい、って思う。そうしたら、れおは今日のこと忘れないでいてくれるでしょ」
「痕なんか残らなくても、忘れないっすよ」
「そうかな。……れおは、いつまで俺なんかとこうやって一緒にいてくれんだろ」
無意識のうちに零れ落ちたみたいに響いた声色が切ない。どうしてそんな風に思うんだろう。俺は、いつまでだって一緒にいたいと思ってるのに。まるで、俺の方から離れていくみたいに。
「竹下さん」
「ん?」
「月並みな台詞ですけど。生まれて来てくれて、ありがとうございます」
使い古されてきた言葉だけれど、これは俺の本心だ。
「俺は、竹下さんに出会えたことに感謝してます。こんな風に一緒に過ごせることが嬉しいです。だから、もし、竹下さんさえ良ければですけど、来年のお誕生日も俺に祝わせてください」
俺の言葉に驚いたように、竹下さんの目が少し泳いで、そして笑った。全く嬉しそうじゃない。顔は笑っているけれど、笑ってない。全部諦めたみたいな、懐かしい竹下さんの笑顔。この表情をする竹下さんを、俺は好きになった。だけど、本当に嬉しそうに、優しく笑う竹下さんをもう知ってる。
俺の言葉なんかでは、竹下さんを心から笑わせることは、できないんすか?
「れおは、まじで俺を喜ばせる天才だね」
嘘だ。竹下さんは笑っていない。
「来年、かぁ。……遠いねー」
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