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本編

冀求

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※side雪田

 那央が実家に戻ってすぐに竹下さんに電話をかけた。はっきり言って一生分の勇気をそこで使い果たしたんじゃないかってくらいに、通話ボタンを押すのに躊躇した。
 呼び出し音がなる間に胃がキリキリどころかギリギリ軋むように痛んで、手があり得ないくらいに震えて、何を話すかシミュレーションしたはずなのに、土壇場で忘れて……とにかく散々だった。

「お待たせ。ごめん、ちょっと遅れちゃったね」

「いやいやそんな! 迎えに来て下さってありがとうございます」

「車の方が行きやすいから。それじゃ、乗って」

「はい。お願いします」

 奢ると約束した焼肉に誘うと、竹下さんの行きたいお店に車で連れて行ってもらうことになった。具合を悪くしてお世話になった時のお礼のつもりでいるのに、結局送り迎えをしてもらうことになってしまってはお礼にならないとは思ったのだけれど。車で行こうと言う竹下さんに、最終的に甘えることにした。

 高校の頃、竹下さんは学校の近くまで女性に車で送ってもらったり、迎えに来てもらってたりしていた。どうやら電車があまり好きではないらしいと知ったのは、いつだっただろう。俺はその車を運転する女性が、竹下さんを男として愛さないことをいつも願っていた。
 それが今や俺自身が竹下さんに車で迎えに来てもらうことになるとは。人生って何があるか分からない。

 お店に着いて中に入ると、三十代後半くらいの綺麗な女性が笑顔で迎えてくれた。

「いらっしゃいませー、って竹下くんじゃん!」

「早速来ちゃいました」

「えー! ありがとうありがとう! そっちの子は?」

「後輩の雪田です」

「君がユキちゃんかー! ほんとに連れて来てくれたんだ」

「サービスしてくれるって約束だったでしょ?」

「もちろんサービスしちゃうよ! じゃあ奥の座敷空いてるからどうぞー」

「お。座敷ですか」

「ええ、座敷ですよ。大丈夫大丈夫。隠しカメラとかはないから」

「ははっ、わざわざ言うあたり逆に怪しいですよ」

 何が起こっている?
 竹下さんが女性と仲良く談笑? あり得ない。あの竹下さんが、女性と友好的に会話するなんて。……まさか。竹下さんの好きな人って、この人?
 そう思わない方が難しかった。

「雪田? どうかした?」

「え! あ、すいません! ボーっとしてたっす」

「謝んなくていいけど……座敷でいい?」

「はい、俺は何でも」

「じゃあ、行こっか」

 行きたいお店があるって、好きな人がいる店とか……。すごいヘコむ。なんだこれ。俺めちゃくちゃ楽しみにして、吐くほど緊張したけど、それ以上に浮かれてたのに。
 竹下さんの好きな人に会っても、笑顔でいようって思ってたけど、無理だ。気を抜くとため息とか吐いちゃいそう。顔もしょぼくれてそうだ。

「元気ないね?」

「そんなことないっすよ」

「そういうの嘘って言うんだけどな。れおは俺に嘘つくのか。ひどいなー」

「え、あ。えっとそのー……俺、今日すげー楽しみにしてて。竹下さんと、二人でとか、まじで嬉しかったんす。だからなんかちょっと、女性と楽しそうに会話してる竹下さん見て寂しくなったっつーか……あ。何言ってんだ俺。すいませんっす」

 あーもう何で俺ってこうなんだろう。竹下さんが好きだなんて言ったって、結局は自分の願望とか感情とかが先に立っちゃう。
 竹下さんがあれくらいの年齢の女性と仲良く話してることは、いいことじゃないか。だって……いや。うん、あまり深く考えないでいよう。とにかくここは笑顔で! せっかく竹下さんと一緒にいるんだから。

「……えと、竹下さん?」

「あ、ごめん。れおが嬉しいこと言ってくれるから顔が緩んじゃってた」

「嬉しいことなんか俺言ってないっすよ。まじうざくてすいませんっす」

「うざくなんかないって。俺と二人でメシ来んの楽しみにしてくれてたんでしょ? 嬉しいよ? 俺だって楽しみにしてたし、誘ってくれて、嬉しかったしね」

「まじすか」

「大まじです。ほんと可愛いね、れおは」

「な……!」

「お話中申し訳ないんだけど、ウーロン茶持って来たよ。もちろんこれはサービスだから。ところで今からでもカメラ仕込んでいいかな? 最悪映像は想像するとしても録音だけでもさせてくんない? あとから聞いてハアハアしたいから!」

「なんだ。カメラ本当にないんですね。安心しました」

「え? え、何なんすか?」

 俺の声を遮って、さっき竹下さんと仲良さげに話してた女性がウーロン茶を二つ持って来てくれた。……それはいい。嬉しいんだけど。
 今すごい勢いでおかしなことをさも当たり前のことのように言わなかったか? しかも竹下さんも平然としてるし。カメラって? 録音って? ハアハアってなんだ!?

「最初はそうなるよね。俺もびっくりしたもん。なんか男同士の恋愛にすごい興味があるらしくてさ。だから、ここに雪田を連れて来たんだよ」

「え! な、何で俺なんすか!?」

 まさか俺が男が好きだって……いや、竹下さんが好きだって、バレてる……?

「前に小野さんと来たんだけどさ。あ、何も知らずにだよ? そしたら小野さんと俺の関係を聞かれてね。小野さんがバカ正直に『俺とこいつはカップルじゃない。この組み合わせはありえない』とか言っちゃって」

 その時のことを思い出して笑う竹下さんの言葉を継いで、女性の店員さんが説明を続けてくれた。

「そんな風に言われたら、じゃあ誰とカップルなの? って言いたくなっちゃうじゃない。そしたらまた小野くんが『俺は三木で、こいつはユキ。それが正しい組み合わせだ』とかって言う訳」

「で、俺は雪田と、小野さんは三木さんと一緒に来たらサービスするって話になったんだよ」

「へ、へー……?」

 えーっと、つまり……竹下さんは俺とそういう風に組み合わされても嫌じゃない……ってこと? 期待しすぎ?

「サービスって言ってもウーロン茶だけどね。おかわり何杯してくれてもいいから。まあ二人が成人してたらお酒出してもいいんだけど、竹下くんが19で、ユキちゃんは18でしょ?」

「あ、俺も19っす。って言っても未成年は未成年っすけど」

「雪田もう19になってんの?」

「はい。先週誕生日きたんで」

「先週? っていつ?」

「あら、大事なお話っぽいから、私はもう戻るね! 注文決まったら声かけてねー」

 なぜ急に。別に大事な話じゃないけど。
 仕事もあるだろうし、あえて引き止めはしないけれど、釈然としなかった。

「誕生日は8月21日っす。夏休み中なんで、今まであんまり友達にも覚えてもらえなくて悲しいんすけど」

 まあ毎年、那央が祝ってくれるし、絶対に休みだし、悪いことばっかりじゃないけれど。

「なんか欲しいものない?」

「欲しいものっすか?」

「うん。誕生日プレゼント」

「えっと……」

 まじでか。竹下さんからプレゼントとか。なんだそれ、実感なさすぎてやばい。会話になんない。
 竹下さんから何かを貰うって、竹下さんが俺のためにお金を使って物を買うってことだろ? えーなんだそれ。何も思い浮かばない。……どうせなら竹下さんが身に付けてるアクセとか欲しいとか言ったら引かれるかな? 引かれるよな。うん、だめだだめだ。

「ない?」

「いや、あの、えっとですね……あのー、だめならいいんです、全然。ちょっと思い切って言ってみるだけなんで、まじで断ってもらって構わないんすけど」

「うん。なに?」

「あの……今日みたいに、俺と二人で出掛けてもらえないすか。休みの日とか……だめすか?」

「いいよ。どっか行きたいとこあるの?」

「え! いいんすか?」

「いいよ? むしろそんなことでほんとにいいの?」

「すっげー嬉しいっす! ありがとうございます!」

「でもどうせだったら、誕生日当日に出掛けたかったなー。あ、そうだ。俺の誕生日もそうしてくれる? れおとおでかけ」

「えっ、竹下さんの誕生日っすか?」

 竹下さんの誕生日って確か……。

「12月24日なんだけど。だめかな? やっぱ予定入れたいよね。イヴだもんね」

「ガラ空きっす! 俺なんかとでよければいつでもどこでもお供させていただくっす!」

「お供って」

 竹下さんの誕生日に……それもクリスマスイヴに、竹下さんと二人で出掛けるなんて! うわーもう! 俺の人生最近ピーク来てると思ってたらまだ上があったとは。いやでもさすがにこれ以上はない。恐い。幸せすぎてこわい!

「お供なんかじゃなくてさ。もっとこう……デートとかさ。そういう感じできてよ。れおにも楽しんでもらわなきゃ意味ないんだから」

「竹下さん。一旦ちょっといいすか。落ち着いてみていいすかね。えっと、俺の誕生日の分と、竹下さんの誕生日の分とで2回出掛けるってことでいいすか?」

「うん。あ、俺の誕生日は当日ね。いいんだよね? クリスマスイヴは俺とデートってことで」

「うわやべ。それギャグとかじゃないっすよね? まじで出掛けるんすよね?」

「俺は真剣に言ってます」

「オッケーっす。手に書いとくっす。これで明日起きても消えてなかったら夢じゃないってことっすね。よし!」

 俺ちゃんと喋れてる? 浮かれすぎてやばいんだけど。竹下さんの二十歳の誕生日を俺が祝える。竹下さんとイヴを一緒に過ごせる。竹下さんとクリスマスにお出掛け!
 当日が来なきゃいいのに。そしたらずっと浮かれてられるのに。なんて、それはそれでその内おかしくなっちゃいそう。
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