花を愛でる獅子【本編完結】

千環

文字の大きさ
上 下
97 / 108
番外編

5

しおりを挟む
 花月が事故に遭って一週間が経った。山下は常に花月に声を掛けた。返事をしない花月に根気強くずっと話しかけ続けた。実際には、意識を持つ花月が返事をしていたし、逆に花月の方からも話しかけてもいた。一方通行で交わることのない会話だけれど、それでも花月は満たされていたし、山下だって虚しいわけでもない。聞こえていると信じているからだ。

 少しでも時間ができれば結城が顔を出した。変わりないという山下の報告を受けて、そうかと返す。そして山下は席を外す。当たり前になったやり取りを花月は眺める。
 しかし今日はいつもと違った。山下の口から『帰る』という言葉が出てきたのだ。

「今晩は帰らせていただきますけど、もし予定の変更とか何でもほんまに何かあったら連絡ください。すぐ来ますんで」

「たまには休んでおけ。お前が倒れたら、こいつが一人になっちまう」

「はい! でも俺は、ここにおることをしんどいなんか思てません。ほんでも、お気遣いありがとうございます!」

「おう」

「失礼します!」

 ビシッと90度腰を折って頭を下げて、山下が病室から出て行く。ドアが閉まったのを確認して、結城が丸イスに腰掛けた。花月の眠るベッドのすぐそばの丸イスだ。少し手を伸ばして、花月の頬に触れる。そっと、壊れ物を扱うような動作がもどかしいと花月は思った。触れられている感触が今の花月には感じられないが、それでももっと触れて欲しいと、そう思う。

「ガーゼ、取れたな」

 花月の頭を覆っていたガーゼは、昼間に外された。それが無くなって、肩から下に布団が掛けられている今の状態は、本当にただ眠っているだけのように見える。

「お前いつになったら起きるんだ。何か面白い夢でも見てんのか」

 夢なんて見ちゃいない。花月の意識は常に覚醒しているのだ。それに気付いてもらえないだけで。

「夢でも何でもいいから、お前の声が聞きたい。……とか言ったら笑うか?」

『笑うわけねぇだろ!』

 なぜ届かないのだろう。こんなにも叫んでいるのに。どうして声にならないのだろう。

「今日の昼間。お前の声はどんなだったかって考えてた。毎日聞いてたはずなのにな、いくら考えても何となくピンと来ねぇんだ。子供の頃のお前の声だったら思い出せるのにな。まあ、それも確かな記憶なのかは分かんねぇが。……そんなこと思ってたら、お前が俺の店で働くようになってしばらくの間、店の前まで行って、お前の顔だけ見て帰っていたのを思い出した」

 ポツポツと言葉を紡ぐ結城。こんな風に話す結城を初めて見たかもしれない。

「お前に会うのが、こわかったんだろうな。俺のことを覚えているなんて期待をしていた訳じゃない。そんな気持ちは全く無かった。それでもただの客として扱われるのも癪でな。『その他大勢』って奴になるのが嫌だった。だからって店のオーナーとして認識されんのも違うような気がして……まあ今思えば、ビビってただけなんだ。記憶の中のお前が大切すぎて、成長したお前になんか会わなきゃよかったって思った。バカだろ。結局、顔を見るだけでは我慢できなくなって、楽しそうに働いてるお前の声が聞きたくなって、客として店に入った。お前のことになると、俺はバカになる」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

腐男子ですが何か?

みーやん
BL
俺は田中玲央。何処にでもいる一般人。 ただ少し趣味が特殊で男と男がイチャコラしているのをみるのが大好きだってこと以外はね。 そんな俺は中学一年生の頃から密かに企んでいた計画がある。青藍学園。そう全寮制男子校へ入学することだ。しかし定番ながら学費がバカみたい高額だ。そこで特待生を狙うべく勉強に励んだ。 幸いにも俺にはすこぶる頭のいい姉がいたため、中学一年生からの成績は常にトップ。そのまま三年間走り切ったのだ。 そしてついに高校入試の試験。 見事特待生と首席をもぎとったのだ。 「さぁ!ここからが俺の人生の始まりだ! って。え? 首席って…めっちゃ目立つくねぇ?! やっちまったぁ!!」 この作品はごく普通の顔をした一般人に思えた田中玲央が実は隠れ美少年だということを知らずに腐男子を隠しながら学園生活を送る物語である。

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

婚約破棄?しませんよ、そんなもの

おしゃべりマドレーヌ
BL
王太子の卒業パーティーで、王太子・フェリクスと婚約をしていた、侯爵家のアンリは突然「婚約を破棄する」と言い渡される。どうやら真実の愛を見つけたらしいが、それにアンリは「しませんよ、そんなもの」と返す。 アンリと婚約破棄をしないほうが良い理由は山ほどある。 けれどアンリは段々と、そんなメリット・デメリットを考えるよりも、フェリクスが幸せになるほうが良いと考えるようになり…… 「………………それなら、こうしましょう。私が、第一王妃になって仕事をこなします。彼女には、第二王妃になって頂いて、貴方は彼女と暮らすのです」 それでフェリクスが幸せになるなら、それが良い。 <嚙み痕で愛を語るシリーズというシリーズで書いていきます/これはスピンオフのような話です>

告白ゲームの攻略対象にされたので面倒くさい奴になって嫌われることにした

雨宮里玖
BL
《あらすじ》 昼休みに乃木は、イケメン三人の話に聞き耳を立てていた。そこで「それぞれが最初にぶつかった奴を口説いて告白する。それで一番早く告白オッケーもらえた奴が勝ち」という告白ゲームをする話を聞いた。 その直後、乃木は三人のうちで一番のモテ男・早坂とぶつかってしまった。 その日の放課後から早坂は乃木にぐいぐい近づいてきて——。 早坂(18)モッテモテのイケメン帰国子女。勉強運動なんでもできる。物静か。 乃木(18)普通の高校三年生。 波田野(17)早坂の友人。 蓑島(17)早坂の友人。 石井(18)乃木の友人。

イケメンに惚れられた俺の話

モブです(病み期)
BL
歌うことが好きな俺三嶋裕人(みしまゆうと)は、匿名動画投稿サイトでユートとして活躍していた。 こんな俺を芸能事務所のお偉いさんがみつけてくれて俺はさらに活動の幅がひろがった。 そんなある日、最近人気の歌い手である大斗(だいと)とユニットを組んでみないかと社長に言われる。 どんなやつかと思い、会ってみると……

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

処理中です...