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番外編
美しい波を包む海
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初めてその人を見かけたのは、高校3年の冬。無事に大学が決まって、数ヶ月間だけバイトをさせてもらったカフェの常連さんだった。
「……おかわり、いかがですか?」
「ああ、ありがとう。頂くよ」
初めて言葉を交わした時、声が好きだと思った。見るからに頭が良さそうで、品のある出で立ちに、俺は憧れのような感情を抱いた。
いつの間にかその人が来るのを心待ちにしている自分に気が付いた。何を頼むか、どんなタイミングでおかわりを注ぎに行けばいいか知りたくて、その人が来たら俺は積極的に接客に回った。
「ホットでよろしいですか?」
「君が相手だと楽でいいよ。ありがとう。みなみ君……苗字、だよね?」
「はい。美しい波って書くんですよ。似合わないでしょ」
「そんなことないよ。似合ってる。……すごく、似合ってる」
名前を覚えてもらえた。それがすごく嬉しかった。
「私は鳴海というんだ。鳴き声の鳴くに海と書くんだよ」
「……鳴海、さん」
『海』と『波』。
それがどうしたって話だけど、なぜかそんな共通点とも言えないような些細なことが俺にとっては貴重で、胸が踊った。
「あ、オーダー。すみません、ホットですよね。お待ち下さい」
「ありがとう」
ふんわりとした微笑みがこの上なく優しそうで、聡明そうで……俺はこの時からすでに好きだったんだと思う。
鳴海さんと話すようになってしばらく経った2月の上旬。
鳴海さんはカフェで電話をすることがよくあったけれど、その日は珍しく表情が冷たかった。
聞くのは失礼なこと。それはもちろん分かっていたけど、どうしても気になって、おかわりを注ぐっていう大義名分を作って、そばに行った。
「あなたの誕生日がもうすぐだなんて知りませんよ。大体、誕生日じゃなくても年中我儘放題でしょう。そういう風に変に理由を付けられると余計に腹が立ちます」
ギクリと、カップにコーヒーを注ぐ手が少し震えた。
「シャワールームもキッチンもあなたの言う通りにしたでしょう。何が不満なんですか」
恋人との会話だと直感した。
……そりゃそうだ。こんなに素敵な人に恋人がいない訳がない。いや、こんな会話をするってことは、家を新築でもしたのだろう。もう結婚しているのかもしれない。
俺はスッと頭だけ下げて、その場から去った。話なんか聞かなければよかった。どうせバイトは短期だったのだから、ただの思い出として胸にしまえたはずなのに。
もともと伝える気もなかったのに、伝えることもなく失恋て……最悪だ。
レジの付近であからさまにしょぼくれる。勝手に片思いして、勝手に失恋して、勝手に落ち込んでいる。何これ。ありえねぇ。
「美波君」
「え……あ、はい!」
いつの間にか目の前に鳴海さんが立っていた。
「ごめん、コーヒー淹れてくれたのに行かなきゃいけないんだ。飲めなくてごめんね」
そう言って、コーヒーの代金を手渡してくれた。お釣りのいらないぴったりの小銭。少しだけ触れた指先にドキッとする。
「それじゃあ、また。バイト頑張って」
店から出て行く後ろ姿を見送って、ポツンと残されたコーヒーカップを片付けた。『飲めなくてごめん』と言ってくれたけれど、俺が注いだ時より少し減っていることは明らかで。
なぜだかそれが嬉しくて、そのカップが愛おしかった。
誰にも見られてないことを確認して、カップに口を付ける。鳴海さんが飲んだコーヒー。自分のしている行為が気持ち悪いという自覚はあった。それでも俺は飲み干した。
コーヒーは、まずかった。
「……おかわり、いかがですか?」
「ああ、ありがとう。頂くよ」
初めて言葉を交わした時、声が好きだと思った。見るからに頭が良さそうで、品のある出で立ちに、俺は憧れのような感情を抱いた。
いつの間にかその人が来るのを心待ちにしている自分に気が付いた。何を頼むか、どんなタイミングでおかわりを注ぎに行けばいいか知りたくて、その人が来たら俺は積極的に接客に回った。
「ホットでよろしいですか?」
「君が相手だと楽でいいよ。ありがとう。みなみ君……苗字、だよね?」
「はい。美しい波って書くんですよ。似合わないでしょ」
「そんなことないよ。似合ってる。……すごく、似合ってる」
名前を覚えてもらえた。それがすごく嬉しかった。
「私は鳴海というんだ。鳴き声の鳴くに海と書くんだよ」
「……鳴海、さん」
『海』と『波』。
それがどうしたって話だけど、なぜかそんな共通点とも言えないような些細なことが俺にとっては貴重で、胸が踊った。
「あ、オーダー。すみません、ホットですよね。お待ち下さい」
「ありがとう」
ふんわりとした微笑みがこの上なく優しそうで、聡明そうで……俺はこの時からすでに好きだったんだと思う。
鳴海さんと話すようになってしばらく経った2月の上旬。
鳴海さんはカフェで電話をすることがよくあったけれど、その日は珍しく表情が冷たかった。
聞くのは失礼なこと。それはもちろん分かっていたけど、どうしても気になって、おかわりを注ぐっていう大義名分を作って、そばに行った。
「あなたの誕生日がもうすぐだなんて知りませんよ。大体、誕生日じゃなくても年中我儘放題でしょう。そういう風に変に理由を付けられると余計に腹が立ちます」
ギクリと、カップにコーヒーを注ぐ手が少し震えた。
「シャワールームもキッチンもあなたの言う通りにしたでしょう。何が不満なんですか」
恋人との会話だと直感した。
……そりゃそうだ。こんなに素敵な人に恋人がいない訳がない。いや、こんな会話をするってことは、家を新築でもしたのだろう。もう結婚しているのかもしれない。
俺はスッと頭だけ下げて、その場から去った。話なんか聞かなければよかった。どうせバイトは短期だったのだから、ただの思い出として胸にしまえたはずなのに。
もともと伝える気もなかったのに、伝えることもなく失恋て……最悪だ。
レジの付近であからさまにしょぼくれる。勝手に片思いして、勝手に失恋して、勝手に落ち込んでいる。何これ。ありえねぇ。
「美波君」
「え……あ、はい!」
いつの間にか目の前に鳴海さんが立っていた。
「ごめん、コーヒー淹れてくれたのに行かなきゃいけないんだ。飲めなくてごめんね」
そう言って、コーヒーの代金を手渡してくれた。お釣りのいらないぴったりの小銭。少しだけ触れた指先にドキッとする。
「それじゃあ、また。バイト頑張って」
店から出て行く後ろ姿を見送って、ポツンと残されたコーヒーカップを片付けた。『飲めなくてごめん』と言ってくれたけれど、俺が注いだ時より少し減っていることは明らかで。
なぜだかそれが嬉しくて、そのカップが愛おしかった。
誰にも見られてないことを確認して、カップに口を付ける。鳴海さんが飲んだコーヒー。自分のしている行為が気持ち悪いという自覚はあった。それでも俺は飲み干した。
コーヒーは、まずかった。
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