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本編
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「…………何してんだお前」
再び雇ってもらえることになった喫茶店『Bluemoon』のカウンター席に、結城がいた。閉店作業のあと、俺がちょっとトイレに行っている間に来たらしい。オーナーである結城が店にいることは別に問題はないんだけど。
「コーヒーを飲んでいる以外の何に見えるのか聞かせてもらいたいもんだな」
優雅さすら感じさせる佇まいで、コーヒーを飲む結城はもちろん格好いいんだけど。それはそうなんだけど。
「それは俺が淹れたコーヒーじゃねぇのか」
「それがどうした」
「やっぱりな! 今すぐ飲むのやめろ! それは、俺が初めて淹れたやつで、全然美味くなかったやつで、俺が責任持って全部飲むつもりだったやつだぞ!」
「だからこそ飲んでんだろうが」
「何でだよ! どうせ飲むならもっと美味く淹れられるようになってからにしてくれよ」
「バカか。そんなものはこれからいくらでも飲めるがな、お前が初めて淹れたコーヒーは今しか飲めねぇだろ。これを飲まなかったら一生後悔するぞ、俺は」
何だそれ。何なんだよ。
結城はずっとこんな調子で、いつも優しくて、甘い。だけど、最近は……いや、俺の母親が生きてるっていう話を聞かされた日から、結城が俺に触れることはなくなった。
あの朝、結城の腕に抱かれて寝てたのが最後。結城の膝に座ることも、腰を抱かれて歩くことも、キスをされることもない。結城との間には、これまでにはなかった距離が常にある。
結城が俺から距離を取るのを目の当たりにするのが恐くて、俺は結城に近付けなくなった。
でも、結城の言葉はいつも優しくて、俺の想いはさらにでかくなった。
「とりあえず、横座れ。これ飲んだら帰るぞ」
結城は俺のことを大事に思ってくれている。それは分かる。でもそれは、俺が欲しいと望んでいる気持ちじゃない。
そばにいるのに、寂しい。結城のおかげで満たされた心に、またポッカリと穴が空いたみたいだ。
「山下さんは?」
「先に帰らせた」
「何で? 結城も一緒に、山下さんに乗せて帰ってもらうんだと思ってたのに」
男手一つで育ててくれた親父を亡くしたり、ヤクザに金で買われたり、俺を産んでくれた母親のことを知ったり、その母親よりヤクザのそばにいることを自分で選んだり……色んなことがあり過ぎた夏休みが終わって、俺はまた大学に行き始めた。
前期までと違うのは、電車通学から車での送り迎えに変わったことと、送り迎えをしてくれる山下さんが、ずっと大学にいて常に俺を見ていること。山下さんは若いから、大学にいても学生に見えないこともないんだけど、どうやって大学にいることを許可されたのかっていう話。山下さんの車を置いておくスペースまで用意されてるし……やっぱ、金に物を言わせたのだろうか。
「今日は俺がお前を連れて帰るからいいんだよ」
「え、じゃあ今、車で誰か待たせてんじゃねぇの。早く飲め。そんな味わうもんじゃねぇし」
「誰も待ってねぇよ。ゆっくり飲ませろ」
「え?」
「え、って何だ」
「それって、誰かにここまで乗せて来てもらったんじゃなくて、結城が車を運転してきたってこと?」
「それが何だよ。運転くらいできるに決まってんだろ」
「え?」
「あ?」
「怖い顔すんのはやめて」
「お前こそ鳴海みたいなこと言うのをやめろ。気分悪い。俺が運転すんのがそんなにおかしいか」
おっと。これはまじで不機嫌な時の顔と声だ。鳴海さんに同じようなことを嫌味っぽく言われたかな。鳴海さんって結城に嫌味言う時めちゃくちゃ楽しんでる感じがするし。ほんと仲良しだと思う。
何でも言い合えるっていうか、お互いをよく知ってるのが分かるもん。なんかそういうの、羨ましいし。
「いつも誰かに運転してもらって、後ろで踏ん反り返ってるから、ちょっと変に思っただけだろ」
「踏ん反り返ってるは余計だ。……お前、鳴海に似てきたな」
「え? まじ?」
「嬉しそうな顔すんな。……何を目指してやがんだ」
その心底嫌そうな顔が、やっぱり仲良しなんだなぁって感じで羨ましい。俺も結城のこともっと知りたいし、何を考えてんのかとかすぐ分かるようになりたい。
鳴海さんは結城の顔を見なくても、結城のこと言い当てたりするらしいからなぁ。いいなぁ。俺もそんな熟年夫婦みたいな関係になりたい。
……ふ、夫婦って。別に、そんなの、まじで望んでるわけじゃない。例えばの話。例えば。
再び雇ってもらえることになった喫茶店『Bluemoon』のカウンター席に、結城がいた。閉店作業のあと、俺がちょっとトイレに行っている間に来たらしい。オーナーである結城が店にいることは別に問題はないんだけど。
「コーヒーを飲んでいる以外の何に見えるのか聞かせてもらいたいもんだな」
優雅さすら感じさせる佇まいで、コーヒーを飲む結城はもちろん格好いいんだけど。それはそうなんだけど。
「それは俺が淹れたコーヒーじゃねぇのか」
「それがどうした」
「やっぱりな! 今すぐ飲むのやめろ! それは、俺が初めて淹れたやつで、全然美味くなかったやつで、俺が責任持って全部飲むつもりだったやつだぞ!」
「だからこそ飲んでんだろうが」
「何でだよ! どうせ飲むならもっと美味く淹れられるようになってからにしてくれよ」
「バカか。そんなものはこれからいくらでも飲めるがな、お前が初めて淹れたコーヒーは今しか飲めねぇだろ。これを飲まなかったら一生後悔するぞ、俺は」
何だそれ。何なんだよ。
結城はずっとこんな調子で、いつも優しくて、甘い。だけど、最近は……いや、俺の母親が生きてるっていう話を聞かされた日から、結城が俺に触れることはなくなった。
あの朝、結城の腕に抱かれて寝てたのが最後。結城の膝に座ることも、腰を抱かれて歩くことも、キスをされることもない。結城との間には、これまでにはなかった距離が常にある。
結城が俺から距離を取るのを目の当たりにするのが恐くて、俺は結城に近付けなくなった。
でも、結城の言葉はいつも優しくて、俺の想いはさらにでかくなった。
「とりあえず、横座れ。これ飲んだら帰るぞ」
結城は俺のことを大事に思ってくれている。それは分かる。でもそれは、俺が欲しいと望んでいる気持ちじゃない。
そばにいるのに、寂しい。結城のおかげで満たされた心に、またポッカリと穴が空いたみたいだ。
「山下さんは?」
「先に帰らせた」
「何で? 結城も一緒に、山下さんに乗せて帰ってもらうんだと思ってたのに」
男手一つで育ててくれた親父を亡くしたり、ヤクザに金で買われたり、俺を産んでくれた母親のことを知ったり、その母親よりヤクザのそばにいることを自分で選んだり……色んなことがあり過ぎた夏休みが終わって、俺はまた大学に行き始めた。
前期までと違うのは、電車通学から車での送り迎えに変わったことと、送り迎えをしてくれる山下さんが、ずっと大学にいて常に俺を見ていること。山下さんは若いから、大学にいても学生に見えないこともないんだけど、どうやって大学にいることを許可されたのかっていう話。山下さんの車を置いておくスペースまで用意されてるし……やっぱ、金に物を言わせたのだろうか。
「今日は俺がお前を連れて帰るからいいんだよ」
「え、じゃあ今、車で誰か待たせてんじゃねぇの。早く飲め。そんな味わうもんじゃねぇし」
「誰も待ってねぇよ。ゆっくり飲ませろ」
「え?」
「え、って何だ」
「それって、誰かにここまで乗せて来てもらったんじゃなくて、結城が車を運転してきたってこと?」
「それが何だよ。運転くらいできるに決まってんだろ」
「え?」
「あ?」
「怖い顔すんのはやめて」
「お前こそ鳴海みたいなこと言うのをやめろ。気分悪い。俺が運転すんのがそんなにおかしいか」
おっと。これはまじで不機嫌な時の顔と声だ。鳴海さんに同じようなことを嫌味っぽく言われたかな。鳴海さんって結城に嫌味言う時めちゃくちゃ楽しんでる感じがするし。ほんと仲良しだと思う。
何でも言い合えるっていうか、お互いをよく知ってるのが分かるもん。なんかそういうの、羨ましいし。
「いつも誰かに運転してもらって、後ろで踏ん反り返ってるから、ちょっと変に思っただけだろ」
「踏ん反り返ってるは余計だ。……お前、鳴海に似てきたな」
「え? まじ?」
「嬉しそうな顔すんな。……何を目指してやがんだ」
その心底嫌そうな顔が、やっぱり仲良しなんだなぁって感じで羨ましい。俺も結城のこともっと知りたいし、何を考えてんのかとかすぐ分かるようになりたい。
鳴海さんは結城の顔を見なくても、結城のこと言い当てたりするらしいからなぁ。いいなぁ。俺もそんな熟年夫婦みたいな関係になりたい。
……ふ、夫婦って。別に、そんなの、まじで望んでるわけじゃない。例えばの話。例えば。
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