花を愛でる獅子【本編完結】

千環

文字の大きさ
上 下
34 / 108
本編

3-1

しおりを挟む
「…………何してんだお前」

 再び雇ってもらえることになった喫茶店『Bluemoon』のカウンター席に、結城がいた。閉店作業のあと、俺がちょっとトイレに行っている間に来たらしい。オーナーである結城が店にいることは別に問題はないんだけど。

「コーヒーを飲んでいる以外の何に見えるのか聞かせてもらいたいもんだな」

 優雅さすら感じさせる佇まいで、コーヒーを飲む結城はもちろん格好いいんだけど。それはそうなんだけど。

「それは俺が淹れたコーヒーじゃねぇのか」

「それがどうした」

「やっぱりな! 今すぐ飲むのやめろ! それは、俺が初めて淹れたやつで、全然美味くなかったやつで、俺が責任持って全部飲むつもりだったやつだぞ!」

「だからこそ飲んでんだろうが」

「何でだよ! どうせ飲むならもっと美味く淹れられるようになってからにしてくれよ」

「バカか。そんなものはこれからいくらでも飲めるがな、お前が初めて淹れたコーヒーは今しか飲めねぇだろ。これを飲まなかったら一生後悔するぞ、俺は」

 何だそれ。何なんだよ。
 結城はずっとこんな調子で、いつも優しくて、甘い。だけど、最近は……いや、俺の母親が生きてるっていう話を聞かされた日から、結城が俺に触れることはなくなった。
 あの朝、結城の腕に抱かれて寝てたのが最後。結城の膝に座ることも、腰を抱かれて歩くことも、キスをされることもない。結城との間には、これまでにはなかった距離が常にある。

 結城が俺から距離を取るのを目の当たりにするのが恐くて、俺は結城に近付けなくなった。
 でも、結城の言葉はいつも優しくて、俺の想いはさらにでかくなった。

「とりあえず、横座れ。これ飲んだら帰るぞ」

 結城は俺のことを大事に思ってくれている。それは分かる。でもそれは、俺が欲しいと望んでいる気持ちじゃない。
 そばにいるのに、寂しい。結城のおかげで満たされた心に、またポッカリと穴が空いたみたいだ。

「山下さんは?」

「先に帰らせた」

「何で? 結城も一緒に、山下さんに乗せて帰ってもらうんだと思ってたのに」

 男手一つで育ててくれた親父を亡くしたり、ヤクザに金で買われたり、俺を産んでくれた母親のことを知ったり、その母親よりヤクザのそばにいることを自分で選んだり……色んなことがあり過ぎた夏休みが終わって、俺はまた大学に行き始めた。

 前期までと違うのは、電車通学から車での送り迎えに変わったことと、送り迎えをしてくれる山下さんが、ずっと大学にいて常に俺を見ていること。山下さんは若いから、大学にいても学生に見えないこともないんだけど、どうやって大学にいることを許可されたのかっていう話。山下さんの車を置いておくスペースまで用意されてるし……やっぱ、金に物を言わせたのだろうか。

「今日は俺がお前を連れて帰るからいいんだよ」

「え、じゃあ今、車で誰か待たせてんじゃねぇの。早く飲め。そんな味わうもんじゃねぇし」

「誰も待ってねぇよ。ゆっくり飲ませろ」

「え?」

「え、って何だ」

「それって、誰かにここまで乗せて来てもらったんじゃなくて、結城が車を運転してきたってこと?」

「それが何だよ。運転くらいできるに決まってんだろ」

「え?」

「あ?」

「怖い顔すんのはやめて」

「お前こそ鳴海みたいなこと言うのをやめろ。気分悪い。俺が運転すんのがそんなにおかしいか」

 おっと。これはまじで不機嫌な時の顔と声だ。鳴海さんに同じようなことを嫌味っぽく言われたかな。鳴海さんって結城に嫌味言う時めちゃくちゃ楽しんでる感じがするし。ほんと仲良しだと思う。
 何でも言い合えるっていうか、お互いをよく知ってるのが分かるもん。なんかそういうの、羨ましいし。

「いつも誰かに運転してもらって、後ろで踏ん反り返ってるから、ちょっと変に思っただけだろ」

「踏ん反り返ってるは余計だ。……お前、鳴海に似てきたな」

「え? まじ?」

「嬉しそうな顔すんな。……何を目指してやがんだ」

 その心底嫌そうな顔が、やっぱり仲良しなんだなぁって感じで羨ましい。俺も結城のこともっと知りたいし、何を考えてんのかとかすぐ分かるようになりたい。
 鳴海さんは結城の顔を見なくても、結城のこと言い当てたりするらしいからなぁ。いいなぁ。俺もそんな熟年夫婦みたいな関係になりたい。
 ……ふ、夫婦って。別に、そんなの、まじで望んでるわけじゃない。例えばの話。例えば。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

悩める文官のひとりごと

きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。 そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。 エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。 ムーンライト様にも掲載しております。 

婚約破棄?しませんよ、そんなもの

おしゃべりマドレーヌ
BL
王太子の卒業パーティーで、王太子・フェリクスと婚約をしていた、侯爵家のアンリは突然「婚約を破棄する」と言い渡される。どうやら真実の愛を見つけたらしいが、それにアンリは「しませんよ、そんなもの」と返す。 アンリと婚約破棄をしないほうが良い理由は山ほどある。 けれどアンリは段々と、そんなメリット・デメリットを考えるよりも、フェリクスが幸せになるほうが良いと考えるようになり…… 「………………それなら、こうしましょう。私が、第一王妃になって仕事をこなします。彼女には、第二王妃になって頂いて、貴方は彼女と暮らすのです」 それでフェリクスが幸せになるなら、それが良い。 <嚙み痕で愛を語るシリーズというシリーズで書いていきます/これはスピンオフのような話です>

【完結】悪役令息の役目は終わりました

谷絵 ちぐり
BL
悪役令息の役目は終わりました。 断罪された令息のその後のお話。 ※全四話+後日談

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!

音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに! え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!! 調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

【完結】僕の大事な魔王様

綾雅(要らない悪役令嬢1巻重版)
BL
母竜と眠っていた幼いドラゴンは、なぜか人間が住む都市へ召喚された。意味が分からず本能のままに隠れたが発見され、引きずり出されて兵士に殺されそうになる。 「お母さん、お父さん、助けて! 魔王様!!」 魔族の守護者であった魔王様がいない世界で、神様に縋る人間のように叫ぶ。必死の嘆願は幼ドラゴンの魔力を得て、遠くまで響いた。そう、隣接する別の世界から魔王を召喚するほどに……。 俺様魔王×いたいけな幼ドラゴン――成長するまで見守ると決めた魔王は、徐々に真剣な想いを抱くようになる。彼の想いは幼過ぎる竜に届くのか。ハッピーエンド確定 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/11……完結 2023/09/28……カクヨム、週間恋愛 57位 2023/09/23……エブリスタ、トレンドBL 5位 2023/09/23……小説家になろう、日間ファンタジー 39位 2023/09/21……連載開始

処理中です...