わんこな部下の底なし沼

千環

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 ……間に合った。始業時間前に間に合う電車に何とか乗ることが出来て、ホッと胸を撫で下ろす。
 その瞬間、背中をぐっと押される感覚に顔をしかめた。この時間は所謂通勤ラッシュというやつで、電車は毎朝、超満員。だから俺はいつもこれより早く出る電車に乗るようにしているんだけど。

 月に一度あるかないか。それくらいの頻度で寝坊して乗り遅れてしまう。降りる駅まで約20分、自分が寝坊したせいなんだけど、朝から疲れる。

 満員なせいで目のやり場がなくずっと下を向いていたけれど、何気なく前を向くと何か複雑な表情の男の人が目に入った。
 気分が悪いのか? これが女の人だったら痴漢に遭ってるのかもとかって疑ったりするんだけど……周りもおっさんリーマンしかいないしな。下痢とか? たまにそういう日あるし。
 なんて、考えている内に駅に着いて、その男の人は降りて行った。そしてその次の駅で俺も降りた。

「主任、おはようございます。駅で会うなんて初めてじゃないですか?」

 挨拶をされて意識をそちらに向けた。具合の悪そうな男の人のことはその時点でさっぱりと忘れてしまっていた。
 朝から爽やかに声をかけて来てくれたのは、春からうちの課に配属された後輩の島田だった。

「おはよう。今日は寝坊したんだよ」

「ですよね。主任って誰よりも早く会社にいるイメージですもん」

「俺が一番って訳でもないぜ? 二課の平野主任も同じくらいだし」

「平野主任も……じゃあ朝って二人で話したりよくしてるんですか?」

「いやー? お互い何やかんやで仕事始めてるからな。まあ終始無言って訳でもねーけどさ」

「……俺も早めに出社しようかな」

「バカ。ゆっくりできんのは新入社員の間くらいだぞ。今から早く来てどうすんだよ」

 えー。と不満そうに口を尖らせる島田は何だか年相応に見えて可愛いと思った。

 要領がいい島田は新入社員のくせによく働くし、よく気も利く。俺が仕事で苛立ったりすると、さり気なくコーヒーを持って来てくれたりだとか、『今晩飲み行きましょうよ』なんて誘ってくれて、俺のストレス発散に付き合ってくれる。
 歳は離れているが、俺にとっては気が置けない存在だ。



 また寝坊した。ラッシュの満員電車に乗る羽目になった。
 前にこの電車に乗ったのはいつだ? ……えっと、4日前か? どんだけ寝坊すんだよ。……疲れてんのかな?
 そんなことを考えていると、人の波に押されてドアの方へと追いやられた。しかも太ももというか足の付け根あたりに鞄みたいなものが当たっている。後ろを振り向けないから、それが本当に鞄なのかは分からないなんて思いながら少し苛立っているとその当たっているものがもぞもぞと動いた。
 そこで初めて気付いた。鞄なんかじゃない。これは手だ。そう思った瞬間、その手が尻を撫でた。

 ぞわりと悪寒が走る。胃のあたりがぐるぐるして今にも吐いてしまいそうだ。撫でたり揉んだりしてくるその手からどうにか逃れようとしても、満員なせいで身体を動かすことすらできない。声も出せない。恐怖なのか何なのか分からないけれど、頭も満足に働かない。

 次の駅にはいつになったら着くのかと思った瞬間、今度は手が前に伸びてきた。いや、同じ奴じゃない。その手の先はすぐ隣の人間のものだ。しっかりとスーツを着込んだ男の手。
 手から、腕、肩……そして顔を見て後悔した。ニタリと下卑た笑みが浮かんでいる。気持ちが悪い。気持ちが悪い。気持ちが悪い!

 バッと目を逸らすのと同時に、スラックスのチャックがジーッと開く音がした。
 隣の男の手がスラックスの中に入ってきて、ボクサーパンツの上から性器を撫で回される。尻を触っている方の奴には、撫でるだけじゃなくて尻の穴を指でグリグリ弄られて、おまけに後ろから項に荒い息もかかる。

 何で興奮なんかしてやがるんだ。気持ち悪い! 男が男に触って、何が楽しいんだよ!
 歯を食いしばって耐えていると、遂にはボクサーパンツの合わせ目から手が侵入してきて、俺の性器を直に掴まれた。

「ヒッ……!」

 喉が引きつる。どうしよう。どうしたら……! 誰か気付いてくれ! いや気付かれたくない! ああ、早く。早く駅に着いてくれ!
 耐えるしかない。そう思って堅く目を閉じた時だった。

 ドンと身体に衝撃を受けた。
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