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日ノ本未だ一統ならず-技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ-
第660話 『明国と北条』(1578/12/2)
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遡って天正七年八月十七日(1578/9/18)
「申し上げます! 呂宋にて、シーバンニャ(西班牙・Hispania・イスパニア)艦隊壊滅! 小佐々に敗れたそうでございます!」
紫禁城にて首輔である張居正は忙しく業務をこなしていた。
税制改革や省庁再編、宮廷内の経費削減や殖産興業など、精力的に働いていた張居正であったが、レイテ沖海戦の結果を聞き、茫然自失の表情を浮かべる。
「シーバンニャ艦隊が壊滅……馬鹿な! これでは、小佐々の南方における覇権は揺るぎないものとなってしまうではないか」
思わず傍らにあった書類を掴み、握りしめて投げ捨てた。
実は張居正は、以前より小佐々の台頭に危機感を抱いていたのだ。
東南アジア諸国が次々と小佐々との貿易を拡大し、明との民間貿易が衰退の一途をたどっていたからである。朝貢は形骸化し、明の宗主国としての地位は既に危うくなりつつあった。
表向きは反乱を起こしたり、独立して朝貢を止めるということはない。しかし実際は明の宗主国としてのプレゼンスは低下していたのだ。
小佐々の南洋進出とは関係なく張居正は改革を行っており、検地を行って税収を増やしたり、無用な工事・官職の撤廃、氾濫した黄河の治水などに精力的に取り組んでいた。
そのおかげで窮乏の縁にあった明の財政は一息つく事になる。
一条鞭法の導入は、従来の複雑で非効率的な税制を単一の銀納制に統一し、税収の増加を目的としていた。また、銀に基づく経済の統一を進め、商業活動の活発化、経済全体の活性化を図る事でもあったのだ。
本来ならば、これにより銀納が普及して税収が上がり、歳入が倍に増えて国庫の余剰金が400万両を超え、10年分の食糧が貯蓄されるほどになる。
……はずであった。
が、それは日本との交易やスペインとの交易による銀の流入によりなされるのだ。
その供給が断たれれば、銀本位制の経済が揺らぐ事となる。ポルトガルからの流入はあったものの、史実のように明の経済の隆興を手助けするまでには至らない。
そのポルトガルも、近年は明よりも小佐々と交易をする量が増えてきたのだ。明からは絹糸や磁器などをはじめ様々な物が輸出されていたが、同様のものが小佐々から輸出される。
全てではないが、同業他社にシェアを奪われているようなものだ。
「このままでは、我が明は名ばかりの宗主国に成り下がってしまう。なんとしてでも、この流れを変えねばならぬ」
そう考えてはいたものの、張居正は打開策を見出せずにいた。そこへ追い打ちをかけるように、スペイン艦隊敗北の知らせが届いたのだ。密約を結んだスペインすら、小佐々の前に敗れ去ったのである。
小佐々とスペインを戦わせて小佐々の弱体化を図ろうとしていたのであるが、逆にスペインが負け、小佐々を勢いづかせる結果となった。そして今後は一条鞭法の大前提である大量の銀の流入が起きない。
起きつつあった(スペインとの交易)が、断たれたのだ。
「さて、どうするか……。小佐々をどうにかせねば、宗主国としての権威も保てず、経済の基盤も盤石にはならない。さて……」
台湾問題を無視して小佐々との交易を再開し、友好関係を築くか? はたして乗ってくるのだろうか? いずれにしても、正式な使者を送り、小佐々の真意を探らせる他はない。
そう思い実行に移す張居正であった。
■十一月四日(1578/12/2) 小田原城
「申し上げます!」
朝食を食べ終わり、執務に取りかかろうとしていた氏政に急報が入った。
「なんと! イスパニアの水軍が小佐々に敗れただと? イスパニアの水軍といえば、わが軍の二倍三倍の大きさの船が、それこそ十や二十ではない。四十五の兵船が、それほどの兵船団が、わずか十数年の小佐々の水軍に敗れるとは……」
氏政は信じがたい思いで、手元の報告書を見つめる。
北条家はスペインとの交易により西洋の技術を取り入れ、軍事力の増強を図ってきた。その象徴ともいえるガレオン船も、わずか10隻ながら建造に成功したばかりだった。
あれは東国へ赴いた水軍の兵力であると伝えたはずだ。油断があったのか? イスパニアはその報告を、油断するなとの警告とは受け取らなかったのだろうか? 氏政の思いはそこにつきた。
……氏政の脳裏には、かつてのスペインへの報告がよみがえった。その時氏政は、小佐々海軍の兵力を包み隠さず教えたのだ。
「小佐々め……東国の覇権を狙うつもりか……」
氏政は以前、水軍大将の梶原備前守景宗や副将の清水太郎左衛門尉康英から、小佐々水軍が蝦夷地に現れたとの報告を聞いていた。
艦隊は北の蝦夷地で小佐々の艦隊と遭遇し、氏政は純正の野望が東北はもちろんの事、蝦夷地の大半を手に入れ、そのさらに北をも手に入れる事だと知ったのだ。
それによれば蝦夷地以北は小佐々の領有する土地とのことだ。
「奥州はまだ小佐々の支配下ではないが、いずれはそうなるであろう」
フィリピンからスペイン勢力が一掃されたことで、北条家がスペインから直接技術を導入する道は絶たれた。小佐々家との技術格差は、もはや決定的なものとなりつつある。
そもそも、西洋式の軍艦を十隻揃えたところで、小佐々家との技術格差など埋まってはいなかったのだ。
スペインにしても、フィリピンや南洋諸島の島々を勢力下に置いていなければ、明との交易も不可能である。小笠原諸島を経ての北条との交易も不可能に近い。
あれはいわゆる、ガレオン貿易の航路に小笠原を経由して、北条が割り込んだだけの話である。
「ともかく、小笠原に使者を遣わし、今の事の様を確かめるとしよう。イスパニアとの交易がなくなれば、別の方法を考えねばならぬでな」
「ははっ」
スペインを利用して純正の勢力を弱めようとの氏政の対小佐々戦略は、変化を余儀なくされたのだ。
次回 第661話 (仮)『腕木通信と通信距離の延長』
「申し上げます! 呂宋にて、シーバンニャ(西班牙・Hispania・イスパニア)艦隊壊滅! 小佐々に敗れたそうでございます!」
紫禁城にて首輔である張居正は忙しく業務をこなしていた。
税制改革や省庁再編、宮廷内の経費削減や殖産興業など、精力的に働いていた張居正であったが、レイテ沖海戦の結果を聞き、茫然自失の表情を浮かべる。
「シーバンニャ艦隊が壊滅……馬鹿な! これでは、小佐々の南方における覇権は揺るぎないものとなってしまうではないか」
思わず傍らにあった書類を掴み、握りしめて投げ捨てた。
実は張居正は、以前より小佐々の台頭に危機感を抱いていたのだ。
東南アジア諸国が次々と小佐々との貿易を拡大し、明との民間貿易が衰退の一途をたどっていたからである。朝貢は形骸化し、明の宗主国としての地位は既に危うくなりつつあった。
表向きは反乱を起こしたり、独立して朝貢を止めるということはない。しかし実際は明の宗主国としてのプレゼンスは低下していたのだ。
小佐々の南洋進出とは関係なく張居正は改革を行っており、検地を行って税収を増やしたり、無用な工事・官職の撤廃、氾濫した黄河の治水などに精力的に取り組んでいた。
そのおかげで窮乏の縁にあった明の財政は一息つく事になる。
一条鞭法の導入は、従来の複雑で非効率的な税制を単一の銀納制に統一し、税収の増加を目的としていた。また、銀に基づく経済の統一を進め、商業活動の活発化、経済全体の活性化を図る事でもあったのだ。
本来ならば、これにより銀納が普及して税収が上がり、歳入が倍に増えて国庫の余剰金が400万両を超え、10年分の食糧が貯蓄されるほどになる。
……はずであった。
が、それは日本との交易やスペインとの交易による銀の流入によりなされるのだ。
その供給が断たれれば、銀本位制の経済が揺らぐ事となる。ポルトガルからの流入はあったものの、史実のように明の経済の隆興を手助けするまでには至らない。
そのポルトガルも、近年は明よりも小佐々と交易をする量が増えてきたのだ。明からは絹糸や磁器などをはじめ様々な物が輸出されていたが、同様のものが小佐々から輸出される。
全てではないが、同業他社にシェアを奪われているようなものだ。
「このままでは、我が明は名ばかりの宗主国に成り下がってしまう。なんとしてでも、この流れを変えねばならぬ」
そう考えてはいたものの、張居正は打開策を見出せずにいた。そこへ追い打ちをかけるように、スペイン艦隊敗北の知らせが届いたのだ。密約を結んだスペインすら、小佐々の前に敗れ去ったのである。
小佐々とスペインを戦わせて小佐々の弱体化を図ろうとしていたのであるが、逆にスペインが負け、小佐々を勢いづかせる結果となった。そして今後は一条鞭法の大前提である大量の銀の流入が起きない。
起きつつあった(スペインとの交易)が、断たれたのだ。
「さて、どうするか……。小佐々をどうにかせねば、宗主国としての権威も保てず、経済の基盤も盤石にはならない。さて……」
台湾問題を無視して小佐々との交易を再開し、友好関係を築くか? はたして乗ってくるのだろうか? いずれにしても、正式な使者を送り、小佐々の真意を探らせる他はない。
そう思い実行に移す張居正であった。
■十一月四日(1578/12/2) 小田原城
「申し上げます!」
朝食を食べ終わり、執務に取りかかろうとしていた氏政に急報が入った。
「なんと! イスパニアの水軍が小佐々に敗れただと? イスパニアの水軍といえば、わが軍の二倍三倍の大きさの船が、それこそ十や二十ではない。四十五の兵船が、それほどの兵船団が、わずか十数年の小佐々の水軍に敗れるとは……」
氏政は信じがたい思いで、手元の報告書を見つめる。
北条家はスペインとの交易により西洋の技術を取り入れ、軍事力の増強を図ってきた。その象徴ともいえるガレオン船も、わずか10隻ながら建造に成功したばかりだった。
あれは東国へ赴いた水軍の兵力であると伝えたはずだ。油断があったのか? イスパニアはその報告を、油断するなとの警告とは受け取らなかったのだろうか? 氏政の思いはそこにつきた。
……氏政の脳裏には、かつてのスペインへの報告がよみがえった。その時氏政は、小佐々海軍の兵力を包み隠さず教えたのだ。
「小佐々め……東国の覇権を狙うつもりか……」
氏政は以前、水軍大将の梶原備前守景宗や副将の清水太郎左衛門尉康英から、小佐々水軍が蝦夷地に現れたとの報告を聞いていた。
艦隊は北の蝦夷地で小佐々の艦隊と遭遇し、氏政は純正の野望が東北はもちろんの事、蝦夷地の大半を手に入れ、そのさらに北をも手に入れる事だと知ったのだ。
それによれば蝦夷地以北は小佐々の領有する土地とのことだ。
「奥州はまだ小佐々の支配下ではないが、いずれはそうなるであろう」
フィリピンからスペイン勢力が一掃されたことで、北条家がスペインから直接技術を導入する道は絶たれた。小佐々家との技術格差は、もはや決定的なものとなりつつある。
そもそも、西洋式の軍艦を十隻揃えたところで、小佐々家との技術格差など埋まってはいなかったのだ。
スペインにしても、フィリピンや南洋諸島の島々を勢力下に置いていなければ、明との交易も不可能である。小笠原諸島を経ての北条との交易も不可能に近い。
あれはいわゆる、ガレオン貿易の航路に小笠原を経由して、北条が割り込んだだけの話である。
「ともかく、小笠原に使者を遣わし、今の事の様を確かめるとしよう。イスパニアとの交易がなくなれば、別の方法を考えねばならぬでな」
「ははっ」
スペインを利用して純正の勢力を弱めようとの氏政の対小佐々戦略は、変化を余儀なくされたのだ。
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