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日ノ本未だ一統ならず-内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え-
松前異変
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天正元年(1572)八月二日 京都 越後屋近江屋敷
組屋源四郎は気が気ではない。
屋敷の中で待たされてはいたものの、立ち上がっては座り、立ち上がっては座りで、室内をウロウロしている。
やがてゆっくりとした足音が聞こえると、障子があいた。
「組屋さん、お待たせしました。おや、どうしたのですか、らしくない。落ち着いてください」
源四郎にそう言って座らせたのは、屋敷の主人である越後屋兵太郎である。
兵太郎は越前国敦賀の商人で、蝦夷国貿易を主としている。蠣崎家ともつきあいがあり、京大坂での蝦夷地の産物の取り扱い高は常に上位をしめている豪商なのだ。
その兵太郎が、もう一人の蝦夷地貿易の豪商、組屋源四郎のただならぬ様子に驚く。
「これが落ち着いてなどいられますか? 越後屋さん、あなたと私、他にも何人かおりますが、蝦夷地の鮭や昆布を売り買いしている者にとっては一大事ですぞ」
「ですから、いかがなされたのですか?」
兵太郎になだめられ、ようやく落ち着きを少し取り戻した源四郎が、ふたたび口を開いた。
「越後屋さん、今鮭はいくらだ? 蝦夷産の干し鮭は?」
ふう、と越後屋兵太郎はため息をつく。
「何を言うかと思えば組屋さん、鮭なら一尾八十五文と相場はきまっておろう? 多少値が動いても八十文から九十文の間じゃ」
「そうであろうそうであろう! 今までそれでやってきた。蝦夷北海の珍味にして、盆正月、婚儀や祝いの席で特別に食すものだ。違うかい?」
組屋源四郎は、何かを自分の中で確かめるかのように何度も繰り返す。
「違いませぬ。それで、その鮭の値がいかがしたのです?」
「七十文じゃ」
と源四郎。
「は?」
「一尾七十文で売られておるのじゃ」
源四郎は吐き捨てるように言った。
「馬鹿な事をおっしゃらないでください。われわれが八十五文で売っているものを、いったい誰が七十文で売れると言うのですか? 良いですか? われらは商売のために京大坂に店を構えてはおりますが、畿内のどの商人が、越前若狭の我らより安い値で鮭を売れるというのですか?」
「そうじゃ、普通はそうじゃ。そのはずじゃ。然れど現に七十文で売っておるのだ」
「どこですか? どこで売っているのですか?」
■京 珍味万屋
「はい! いらっしゃいませ~」
組屋源四郎と越前屋兵太郎の二人がのれんをくぐると、店主の元気な声で迎えられた。
「店主、ここは何を扱っているんだい?」
「え? なんだいあんた達? 客じゃないのかい? じゃあ帰った帰った。商売の邪魔だよ」
客じゃないとわかった途端に、あからさまに顔色を変える店主である。
「では買おう。鮭は一尾いくらだ?」
「そうこなくっちゃ! 毎度あり! 一尾七十文だよ!」
源四郎に言われて来てみたものの、本当に一尾七十文で売っていたのだ。
「時に店主、さっきの問いだが……」
「うーん、そうだね。小佐々産の産物が多いが、北は蝦夷地から南は薩摩の品まで手広く扱ってるよ。なんたって万屋だからね。どうだい? なんだったら他にも買ってくかい? 値は張るが、お取り寄せもできまっせ」
手もみしながら言い寄っている店主をいなしながら、二人は店先の商品を物色する。
すると驚いた事に、鮭だけではなく昆布や干しダラなどの乾物に獣皮、エブリコなどの薬物まで置いてある。
高価ではあるが、そのどれもが二人が決めた値段より安い。
「店主、つかぬ事を聞きたいのだが、この品々はいったいどこから仕入れて……」
「……なんだいあんたら、やっぱり客じゃなくて商人じゃないか。客だったとしても、大事な仕入れ先を簡単には教えられないね。さあ、用が済んだなら帰った帰った」
二人が同業者と知った店主は、そうそうに追い出してしまった。
「組屋さん、ちょっと心当たりがあるんですがね」
「なんでしょう?」
■大使館 小佐々純久
「大使、若狭の組屋源四郎様と越前の越後屋兵太郎様がお見えです」
「うん、通してくれ」
俺は書類作業を止め、二人を出迎える準備をする。普通はアポなしの訪問客は待たせるのだが、商人ネットワークは情報収集をするにあたって重要である。
そのネットワークを代表する商人二人がそろってきたのだ。何かしらの情報を持ってきたに違いない、そう感じた。
「これはこれはお二人さん、血相変えてどうしたのですか?」
いつもの商人スマイルに手もみとは違う、なにやら緊迫した様子である。また何か、きな臭い事でも起きたのだろうか?
「それが、その……こういった事を治部大丞様にお伺いするのは、どうかと思うのですが……」
「大使でいいですよ。対外的には治部大丞ですが、われらの仲です。いったいどうしたのですか?」
二人は顔を見合わせ、越後屋兵太郎が聞いてきた。
「その……鮭の事なんですが……」
「おお、鮭、鮭ね。正月には世話になった。改めて礼を言います」
「いえ、とんでもありません。こたびはその鮭の値についてお伺いしたいのです」
「鮭の値? ふむ、これは異な事を承る。それがしは武人にござるぞ。商人でもないのに、なにゆえ鮭の値など聞くのですか? ……確か一尾、だいたい八十五文ほどでは?」
「さようでございます。多少の動きはあっても、おおよそ一尾八十五文で売られています」
二人して俺を見ている。
「その鮭が、一尾七十文で売られているのです! それもわれらと取引のない万屋で!」
「いや、言っている意味がよくわからぬが? なにゆえ鮭の値や取引先の事で、それがしに聞いてくるのですか?」
なんとなく、だが、言わんとする事はわかってきた。
「それが、その、われらと付き合いのない商人が、われらより安い値で売れるはずがないのです。そこで、まさかとは思いましたが、その……小佐々のお殿様がなにやらなさっているのではないかと……」
俺は少し考えた後で二人に伝えた。
「あいわかった。要するに、鮭の値動きに御屋形様がなにか関わってはおらぬか? とそういう事ですね。文を送って聞いてみましょう。なに、日ごろからお世話になっている皆さんを、邪険に扱うような事はありません」
二人は俺の言葉に安心したように、帰って行った。
発 治部大丞 宛 権中納言
秘メ (超訳) おい! また何か企んでいるのか? 組屋源四郎と越後屋兵太郎が泣きついてきたぞ。
この前上洛して、能登に向かう途中で顔合わせしただろう? その二人だ。鮭が自分たちより安い値で売られているって!
鮭と言えば蝦夷地だが、蝦夷地の開発をすることは聞いている。しかしすでに商いをしているのか?
根回しというものがあるんだから、一言教えてもらわなきゃ。彼らを怒らせたら、商人の伝手の情報も入らなくなるじゃないか。
詳細を教えてほしい。
叔父より 秘メ
次回 第579話 純正の同盟国の事情
組屋源四郎は気が気ではない。
屋敷の中で待たされてはいたものの、立ち上がっては座り、立ち上がっては座りで、室内をウロウロしている。
やがてゆっくりとした足音が聞こえると、障子があいた。
「組屋さん、お待たせしました。おや、どうしたのですか、らしくない。落ち着いてください」
源四郎にそう言って座らせたのは、屋敷の主人である越後屋兵太郎である。
兵太郎は越前国敦賀の商人で、蝦夷国貿易を主としている。蠣崎家ともつきあいがあり、京大坂での蝦夷地の産物の取り扱い高は常に上位をしめている豪商なのだ。
その兵太郎が、もう一人の蝦夷地貿易の豪商、組屋源四郎のただならぬ様子に驚く。
「これが落ち着いてなどいられますか? 越後屋さん、あなたと私、他にも何人かおりますが、蝦夷地の鮭や昆布を売り買いしている者にとっては一大事ですぞ」
「ですから、いかがなされたのですか?」
兵太郎になだめられ、ようやく落ち着きを少し取り戻した源四郎が、ふたたび口を開いた。
「越後屋さん、今鮭はいくらだ? 蝦夷産の干し鮭は?」
ふう、と越後屋兵太郎はため息をつく。
「何を言うかと思えば組屋さん、鮭なら一尾八十五文と相場はきまっておろう? 多少値が動いても八十文から九十文の間じゃ」
「そうであろうそうであろう! 今までそれでやってきた。蝦夷北海の珍味にして、盆正月、婚儀や祝いの席で特別に食すものだ。違うかい?」
組屋源四郎は、何かを自分の中で確かめるかのように何度も繰り返す。
「違いませぬ。それで、その鮭の値がいかがしたのです?」
「七十文じゃ」
と源四郎。
「は?」
「一尾七十文で売られておるのじゃ」
源四郎は吐き捨てるように言った。
「馬鹿な事をおっしゃらないでください。われわれが八十五文で売っているものを、いったい誰が七十文で売れると言うのですか? 良いですか? われらは商売のために京大坂に店を構えてはおりますが、畿内のどの商人が、越前若狭の我らより安い値で鮭を売れるというのですか?」
「そうじゃ、普通はそうじゃ。そのはずじゃ。然れど現に七十文で売っておるのだ」
「どこですか? どこで売っているのですか?」
■京 珍味万屋
「はい! いらっしゃいませ~」
組屋源四郎と越前屋兵太郎の二人がのれんをくぐると、店主の元気な声で迎えられた。
「店主、ここは何を扱っているんだい?」
「え? なんだいあんた達? 客じゃないのかい? じゃあ帰った帰った。商売の邪魔だよ」
客じゃないとわかった途端に、あからさまに顔色を変える店主である。
「では買おう。鮭は一尾いくらだ?」
「そうこなくっちゃ! 毎度あり! 一尾七十文だよ!」
源四郎に言われて来てみたものの、本当に一尾七十文で売っていたのだ。
「時に店主、さっきの問いだが……」
「うーん、そうだね。小佐々産の産物が多いが、北は蝦夷地から南は薩摩の品まで手広く扱ってるよ。なんたって万屋だからね。どうだい? なんだったら他にも買ってくかい? 値は張るが、お取り寄せもできまっせ」
手もみしながら言い寄っている店主をいなしながら、二人は店先の商品を物色する。
すると驚いた事に、鮭だけではなく昆布や干しダラなどの乾物に獣皮、エブリコなどの薬物まで置いてある。
高価ではあるが、そのどれもが二人が決めた値段より安い。
「店主、つかぬ事を聞きたいのだが、この品々はいったいどこから仕入れて……」
「……なんだいあんたら、やっぱり客じゃなくて商人じゃないか。客だったとしても、大事な仕入れ先を簡単には教えられないね。さあ、用が済んだなら帰った帰った」
二人が同業者と知った店主は、そうそうに追い出してしまった。
「組屋さん、ちょっと心当たりがあるんですがね」
「なんでしょう?」
■大使館 小佐々純久
「大使、若狭の組屋源四郎様と越前の越後屋兵太郎様がお見えです」
「うん、通してくれ」
俺は書類作業を止め、二人を出迎える準備をする。普通はアポなしの訪問客は待たせるのだが、商人ネットワークは情報収集をするにあたって重要である。
そのネットワークを代表する商人二人がそろってきたのだ。何かしらの情報を持ってきたに違いない、そう感じた。
「これはこれはお二人さん、血相変えてどうしたのですか?」
いつもの商人スマイルに手もみとは違う、なにやら緊迫した様子である。また何か、きな臭い事でも起きたのだろうか?
「それが、その……こういった事を治部大丞様にお伺いするのは、どうかと思うのですが……」
「大使でいいですよ。対外的には治部大丞ですが、われらの仲です。いったいどうしたのですか?」
二人は顔を見合わせ、越後屋兵太郎が聞いてきた。
「その……鮭の事なんですが……」
「おお、鮭、鮭ね。正月には世話になった。改めて礼を言います」
「いえ、とんでもありません。こたびはその鮭の値についてお伺いしたいのです」
「鮭の値? ふむ、これは異な事を承る。それがしは武人にござるぞ。商人でもないのに、なにゆえ鮭の値など聞くのですか? ……確か一尾、だいたい八十五文ほどでは?」
「さようでございます。多少の動きはあっても、おおよそ一尾八十五文で売られています」
二人して俺を見ている。
「その鮭が、一尾七十文で売られているのです! それもわれらと取引のない万屋で!」
「いや、言っている意味がよくわからぬが? なにゆえ鮭の値や取引先の事で、それがしに聞いてくるのですか?」
なんとなく、だが、言わんとする事はわかってきた。
「それが、その、われらと付き合いのない商人が、われらより安い値で売れるはずがないのです。そこで、まさかとは思いましたが、その……小佐々のお殿様がなにやらなさっているのではないかと……」
俺は少し考えた後で二人に伝えた。
「あいわかった。要するに、鮭の値動きに御屋形様がなにか関わってはおらぬか? とそういう事ですね。文を送って聞いてみましょう。なに、日ごろからお世話になっている皆さんを、邪険に扱うような事はありません」
二人は俺の言葉に安心したように、帰って行った。
発 治部大丞 宛 権中納言
秘メ (超訳) おい! また何か企んでいるのか? 組屋源四郎と越後屋兵太郎が泣きついてきたぞ。
この前上洛して、能登に向かう途中で顔合わせしただろう? その二人だ。鮭が自分たちより安い値で売られているって!
鮭と言えば蝦夷地だが、蝦夷地の開発をすることは聞いている。しかしすでに商いをしているのか?
根回しというものがあるんだから、一言教えてもらわなきゃ。彼らを怒らせたら、商人の伝手の情報も入らなくなるじゃないか。
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