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西国王小佐々純正と第三勢力-緊迫の極東と、より東へ-
和睦交渉のゆくえと幸若丸の元服
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天正元年(元亀三年・1572年) 正月十一日
「領地の返還、割譲以外に和睦の条件がございますか?」
家康と石川数正は話し合っている。曽根虎盛の言う事に腹を立てても、確かに寝返った国人衆の扱いには困るのが現実だ。
織田・徳川と武田の和睦交渉は難航していた。
織田・徳川というよりも、徳川と武田の交渉といったほうが早いかもしれない。確かに東濃の恵那郡岩村城に関する事で言えば、信長の心中は複雑極まりなかった。
しかし、恵那郡一郡と引き換えに武田との和睦がなり、越前攻めに力を注げるなら、と考えたのだ。御坊丸の返還も和睦の条件である。
信玄許すまじ、と怒りに燃えた信長であったが、合理的判断を下した。
おつやの方も、親族の女性を輿入れさせる(この時点で秋山信友と結婚していたが)のは屈辱であったが、武田の侵攻に際し、抗えぬと覚悟の上での事であったのだ。
信長としては、最低御坊丸の返還。そして欲を言えばおつやの方と秋山信友の離縁、いわゆる岩村城と恵那郡の、織田家勢力下への編入である。
女性の気持ちを考えない、転生人の純正にとっては信じられない事ではあったが、この時代では普通に行われていた事だった。
一方の徳川と武田の交渉はより複雑である。
まずは遠江であるが、永禄十二年に今川氏が滅ぶと、天野氏の支配地である犬居城の城下に信濃と遠江を結ぶ街道が通過した。
さらに犬居城下は遠江と駿河を結ぶ交通の要衝でもあったのだ。
そのため徳川にとって、天野氏が武田に寝返った事は相当な痛手であった。
当主の天野景貫(宮内左衛門)は信玄の西上作戦の際、二枚舌外交で家康を翻弄し武田氏と結託していたのだ。戦わずして降伏している。
その景貫の根回しにより、多くの遠江北辺の国人衆が武田に従属する事となった。
家康にとって天野は完全に征伐の対象である。
国人衆は天野景貫の働きかけで武田に寝返った。今さら徳川へ帰順できる訳がない。
一度寝返った者はまた寝返るかもしれない、そういう疑心を徳川方から常に抱かれながら仕えなければならないからだ。
話を三河に移せば、これも似たり寄ったりである。
徳川から武田に鞍替えした山家三方衆は、東三河東北部(新城市、北設楽郡)の奥三河を居城とした国人衆の事である。
具体的には作手・亀山城の奥平氏、田峯城の菅沼氏、長篠城の菅沼氏であった。
駿河の今川や甲斐の武田に岡崎の松平、さらには尾張の織田を巻き込んだ複雑な情勢で、家の存続や拡大をかけてめまぐるしく主家を変えていたのである。
「侍従様(家康)、いかがでしょうか。何か腹案がございますか?」
虎盛が問う。
「……」
家康と数正、その他の家臣達で話し合ったものの、有効な手段が見当たらない。
土地のやり取り、すなわち国人衆を介しての話になるので、寝返えられた側である徳川にとっては、再び寝返らせるようなものなのだ。
武田へ寝返った三河と遠江の国人衆には、信玄が健在である事が知らされていた。
勝頼に家督が継承されても変わらず本領を安堵する事、有事の際の後詰めを保障する起請文が送られていたのだ。
これは虎盛が事前に、喜兵衛(真田昌幸)とともに勝頼に進言していた事である。
両目のうちの一人と言われた父、昌世を凌駕する先見の明であろうか。
「然れば、はばかりながら申し上げてもよろしいでしょうか」
「申すが良い」
家康は虎盛に発言を許す。
「国人衆との言問(話し合い)については、我らの与り知らぬ(関係ない)事なれば、ひとつ、申し上げたき儀がございます」
「何であろうか?」
「は、さればわが武田より徳川家に対して、和睦の証として、銭五万貫を仕舞う(支払う)用意がございます。ただし、あくまでも証としてにござる。決してつぐないの銭に(賠償金)あらず」
一同がどよめきだった。
五万貫といえば石高に直せば十万石である。
十万石相当の金を、武田が徳川に支払うというのだ。徳川家であれば、決して右から左に動かせる金額ではない。
それを一括で支払うというのだ。これには家康や徳川家中の面々だけではなく、信長も驚きを隠せない。しかし、信長はあくまで無表情を装っている。
(武田がそのように潤っているとは聞かぬぞ。無理をしているのだろうか? いや、そうまでして和睦したいのだろうか?)
和睦交渉はその後数日に及んだが、結局の所、織田としては人質である御坊丸の返還、そして秋山信友とおつやの方の離縁、岩村城を含む恵那郡の織田への編入で折り合いがついた。
徳川はというと、武田の五万貫の条件をのむ形で交渉を終えたのだ。戦没者への慰霊金を出し、復興のために使うのだろう。
そしてなにより、三河遠江の国衆に関しては、調略ではなくおおっぴらに交渉ができるのだ。
家康はこの条件をのんだ。
■諫早城
一月十一日の大安をもって太田和幸若丸の元服式が執り行われ、小佐々家の分家である松島の当主として、松島(小佐々)勘九郎行純となった。
純正の兄であり、幸若丸の父である太田和(沢森)政行(故人)の一字をとり『行』、そして小佐々家の通り名である『純』を取り入れたのだ。
小佐々家の当主は代々弾正忠を名乗っていたが、純正が弾正大弼となってより、正式に小佐々家の当主は弾正を名乗ることが許された。
分家の中浦、そして松島は(権)兵部である。
ちなみに舞姫の父親である小佐々純俊は永禄六年の葛の峠の戦いで死んでいるが、その弟である小佐々兵部少輔甚五郎純𠮷も、同じく戦死している。
純𠮷の嫡男甚吾(中浦ジュリアン)は、現在九歳となっていた。
史実では1568年2月(永禄十一年正月)生まれである。
史実の葛の峠の戦い(永禄十二年・1569年)も翌年に起きているので、いずれにしても一歳に満たない時に父親を喪っているのだ。
……こんな事は似なくていい。
その甚吾も数年後には元服して兵部少輔を名乗るだろう。キリスト教に入信して洗礼をうけ、ジュリアンとなるかはわからない。
元服式はおごそかな雰囲気の中で行われた。
「勘九郎よ、そなたも元服し、小佐々の一門である松島の家督を継ぐ事となった。家門に恥じぬよう、励むのだぞ」
純正は神妙な面持ちで勘九郎(幸若丸)に話しかける。
「はい叔父上。いえ、御屋形様の名を辱めぬよう、文武に励み、松島の家門を上げてごらんに入れます」
勘九郎の言葉に、純正はうむ、と答える。
傍らにいた純正の義姉である幸は、涙がこぼれそうなのを必死で我慢している。
純正は前世の自分の成人式ではまったく感動しなかったが、やはりイベントの重みが違うのだろう。
涙腺が弱いのは前世から引き継がなくて幸いであった。
「義姉上、おめでとうございます」
「ありがとう、平九郎。いえ、御屋形様、ありがたき幸せにございます」
そうしてその日は、終日おごそかに、和やかに、祝いの雰囲気に包まれて終わったのであった。
数日後
「御屋形様、京の治部少丞様より通信文が届いております」
「うむ、見せよ」
発 純久 宛 近衛大将
秘メ 件ノ和睦交渉 難治(難しい事)ナレド ヒトマド(一応)ノ至リ(結果)トナリテ候 ツヒテハ 左衛門尉殿ヨリ 銭五万貫ノ 借銭ノ 申シ出アリテ 裁可ヲ 願ヒ候 秘メ
発 近衛大将 宛 治部少丞
秘メ 全ク以テ 事トモセズ(問題なし) ツツガナク 受ケ渡スベシ 秘メ
「領地の返還、割譲以外に和睦の条件がございますか?」
家康と石川数正は話し合っている。曽根虎盛の言う事に腹を立てても、確かに寝返った国人衆の扱いには困るのが現実だ。
織田・徳川と武田の和睦交渉は難航していた。
織田・徳川というよりも、徳川と武田の交渉といったほうが早いかもしれない。確かに東濃の恵那郡岩村城に関する事で言えば、信長の心中は複雑極まりなかった。
しかし、恵那郡一郡と引き換えに武田との和睦がなり、越前攻めに力を注げるなら、と考えたのだ。御坊丸の返還も和睦の条件である。
信玄許すまじ、と怒りに燃えた信長であったが、合理的判断を下した。
おつやの方も、親族の女性を輿入れさせる(この時点で秋山信友と結婚していたが)のは屈辱であったが、武田の侵攻に際し、抗えぬと覚悟の上での事であったのだ。
信長としては、最低御坊丸の返還。そして欲を言えばおつやの方と秋山信友の離縁、いわゆる岩村城と恵那郡の、織田家勢力下への編入である。
女性の気持ちを考えない、転生人の純正にとっては信じられない事ではあったが、この時代では普通に行われていた事だった。
一方の徳川と武田の交渉はより複雑である。
まずは遠江であるが、永禄十二年に今川氏が滅ぶと、天野氏の支配地である犬居城の城下に信濃と遠江を結ぶ街道が通過した。
さらに犬居城下は遠江と駿河を結ぶ交通の要衝でもあったのだ。
そのため徳川にとって、天野氏が武田に寝返った事は相当な痛手であった。
当主の天野景貫(宮内左衛門)は信玄の西上作戦の際、二枚舌外交で家康を翻弄し武田氏と結託していたのだ。戦わずして降伏している。
その景貫の根回しにより、多くの遠江北辺の国人衆が武田に従属する事となった。
家康にとって天野は完全に征伐の対象である。
国人衆は天野景貫の働きかけで武田に寝返った。今さら徳川へ帰順できる訳がない。
一度寝返った者はまた寝返るかもしれない、そういう疑心を徳川方から常に抱かれながら仕えなければならないからだ。
話を三河に移せば、これも似たり寄ったりである。
徳川から武田に鞍替えした山家三方衆は、東三河東北部(新城市、北設楽郡)の奥三河を居城とした国人衆の事である。
具体的には作手・亀山城の奥平氏、田峯城の菅沼氏、長篠城の菅沼氏であった。
駿河の今川や甲斐の武田に岡崎の松平、さらには尾張の織田を巻き込んだ複雑な情勢で、家の存続や拡大をかけてめまぐるしく主家を変えていたのである。
「侍従様(家康)、いかがでしょうか。何か腹案がございますか?」
虎盛が問う。
「……」
家康と数正、その他の家臣達で話し合ったものの、有効な手段が見当たらない。
土地のやり取り、すなわち国人衆を介しての話になるので、寝返えられた側である徳川にとっては、再び寝返らせるようなものなのだ。
武田へ寝返った三河と遠江の国人衆には、信玄が健在である事が知らされていた。
勝頼に家督が継承されても変わらず本領を安堵する事、有事の際の後詰めを保障する起請文が送られていたのだ。
これは虎盛が事前に、喜兵衛(真田昌幸)とともに勝頼に進言していた事である。
両目のうちの一人と言われた父、昌世を凌駕する先見の明であろうか。
「然れば、はばかりながら申し上げてもよろしいでしょうか」
「申すが良い」
家康は虎盛に発言を許す。
「国人衆との言問(話し合い)については、我らの与り知らぬ(関係ない)事なれば、ひとつ、申し上げたき儀がございます」
「何であろうか?」
「は、さればわが武田より徳川家に対して、和睦の証として、銭五万貫を仕舞う(支払う)用意がございます。ただし、あくまでも証としてにござる。決してつぐないの銭に(賠償金)あらず」
一同がどよめきだった。
五万貫といえば石高に直せば十万石である。
十万石相当の金を、武田が徳川に支払うというのだ。徳川家であれば、決して右から左に動かせる金額ではない。
それを一括で支払うというのだ。これには家康や徳川家中の面々だけではなく、信長も驚きを隠せない。しかし、信長はあくまで無表情を装っている。
(武田がそのように潤っているとは聞かぬぞ。無理をしているのだろうか? いや、そうまでして和睦したいのだろうか?)
和睦交渉はその後数日に及んだが、結局の所、織田としては人質である御坊丸の返還、そして秋山信友とおつやの方の離縁、岩村城を含む恵那郡の織田への編入で折り合いがついた。
徳川はというと、武田の五万貫の条件をのむ形で交渉を終えたのだ。戦没者への慰霊金を出し、復興のために使うのだろう。
そしてなにより、三河遠江の国衆に関しては、調略ではなくおおっぴらに交渉ができるのだ。
家康はこの条件をのんだ。
■諫早城
一月十一日の大安をもって太田和幸若丸の元服式が執り行われ、小佐々家の分家である松島の当主として、松島(小佐々)勘九郎行純となった。
純正の兄であり、幸若丸の父である太田和(沢森)政行(故人)の一字をとり『行』、そして小佐々家の通り名である『純』を取り入れたのだ。
小佐々家の当主は代々弾正忠を名乗っていたが、純正が弾正大弼となってより、正式に小佐々家の当主は弾正を名乗ることが許された。
分家の中浦、そして松島は(権)兵部である。
ちなみに舞姫の父親である小佐々純俊は永禄六年の葛の峠の戦いで死んでいるが、その弟である小佐々兵部少輔甚五郎純𠮷も、同じく戦死している。
純𠮷の嫡男甚吾(中浦ジュリアン)は、現在九歳となっていた。
史実では1568年2月(永禄十一年正月)生まれである。
史実の葛の峠の戦い(永禄十二年・1569年)も翌年に起きているので、いずれにしても一歳に満たない時に父親を喪っているのだ。
……こんな事は似なくていい。
その甚吾も数年後には元服して兵部少輔を名乗るだろう。キリスト教に入信して洗礼をうけ、ジュリアンとなるかはわからない。
元服式はおごそかな雰囲気の中で行われた。
「勘九郎よ、そなたも元服し、小佐々の一門である松島の家督を継ぐ事となった。家門に恥じぬよう、励むのだぞ」
純正は神妙な面持ちで勘九郎(幸若丸)に話しかける。
「はい叔父上。いえ、御屋形様の名を辱めぬよう、文武に励み、松島の家門を上げてごらんに入れます」
勘九郎の言葉に、純正はうむ、と答える。
傍らにいた純正の義姉である幸は、涙がこぼれそうなのを必死で我慢している。
純正は前世の自分の成人式ではまったく感動しなかったが、やはりイベントの重みが違うのだろう。
涙腺が弱いのは前世から引き継がなくて幸いであった。
「義姉上、おめでとうございます」
「ありがとう、平九郎。いえ、御屋形様、ありがたき幸せにございます」
そうしてその日は、終日おごそかに、和やかに、祝いの雰囲気に包まれて終わったのであった。
数日後
「御屋形様、京の治部少丞様より通信文が届いております」
「うむ、見せよ」
発 純久 宛 近衛大将
秘メ 件ノ和睦交渉 難治(難しい事)ナレド ヒトマド(一応)ノ至リ(結果)トナリテ候 ツヒテハ 左衛門尉殿ヨリ 銭五万貫ノ 借銭ノ 申シ出アリテ 裁可ヲ 願ヒ候 秘メ
発 近衛大将 宛 治部少丞
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