上 下
356 / 812
九州探題小佐々弾正大弼純正と信長包囲網-西国の動乱まだ止まぬ-

第六天魔王信長と純久

しおりを挟む
 永禄十二年(1569年) 十月二十三日 京都大使館

 島津が小佐々に敗れ、条約を結んでから十日後。大使館の大使執務室では、純久が書類の山に埋もれながら仕事をしていた。

 以前純正に願いでて、検非違使と所司代の人員を増やす事ができたのだが、まだ足りない。

 ある意味検非違使と所司代の仕事は減ったのだ。しかし、大使館の大使としての仕事が爆増している。朝廷と幕府からの使者が増えるのは当然の流れであった。

 それ以外にも多数あり、全部あげればきりがない。おおよその使者や書状は次の諸将からである。

 大和からは筒井家と松永家、河内からは三好左京大夫(義継)。
 摂津は池田、伊丹、茨木、入江をはじめとした国衆。
 周辺からは紀伊の畠山高政や南部の国人衆、六角に浅井に朝倉。

 他には山名、一色、別所、赤松、浦上、三村、毛利、そして四国の三好からも使者や書状が届いた。長宗我部もしかりである。

 しかし、現状で反織田である四国三好や筒井順慶などには、当然そっけない対応をする。当たり障りのない対応で、書状の返書には三等筆者をあてているのだ。

 筒井順慶は四国の三好と共謀して、松永弾正に対抗しているようだが旗色が悪い。降伏や和議となった場合に少しでも条件を良くしようと、つなぎをつくっておこうという算段なのだろう。

 むろん、危険とわかっている橋など渡るはずもない。

 純久もそれをわかっているからぞんざいに扱っているのだ。四国の三好にいたっては戦っている。まだ停戦すらしていない。

 そんな相手とまともな書状のやり取りができるはずもない。

 情報収集なのかもしれないが、純久は当然、筋を通せと言って取り合わない。しかしこれも、小佐々の影響力が増してきた証拠であろう。

「おい」

「おい!」

「おい!!」

「もう、何だよ! うっとうしいなあ!」

 ときどき、純久はこういう口調になる。純正と親しい間柄で、現代人的な言動やそぶりを見せる純正を知っているからだろうか。次第に純正の口調が移ってきている。

「お、おう、わるい」

「あ、これは弾正忠(織田)様、申し訳ありませぬ。いつからそこに?」

 信長にしてみれば、このような対応をされたのが久しぶり、いや初めてだったのだろう。面食らっている。

「いつからも何も、近習に用件を伝え、しっかり断って返事を聞いてから中に入ったぞ」

 純久は居住まいを正し、信長に正対してしっかりと礼をする。

「それから何度呼んでも返事がないではないか」 

「それは失礼いたしました。ここ最近業務が溜まっておりまして。佐吉、お茶をお出しして」

 こちらに、と佐吉はすでに準備した紅茶を二人分用意していた。ほう、これはまた珍しいな、と信長は紅茶を覗き込み、くんくんと匂いを嗅いでから口にした。

「そのようなこと、お主がすべてやらぬでも良いではないか。最後に確認だけすればよい。もしくは権限を与えてその範囲で任すなど、いかようにもできよう」

「その通りなんですが、殿の代理をしている以上、中途半端な事はできませぬ」

 純久も紅茶を飲みながら答えるが、苦笑いだ。

「してこたびは、どうされたのですか」

「いや、なんという事はないのだがな、何か面白い事はないかと思うてな」

 えええ……、と純久は思ったがおくびにも出さない。

「そうですね、しかし私が知っているのは主に西国の事ですよ。小佐々家中に関わりのある事にて、弾正忠様にはあまり面白くないやもしれませぬ」

 信長は驚いた顔をした。

「何を言うておる。気付いておらぬのか。今や小佐々の動きを気にしておらぬ領主はおらぬぞ。日の本のあまたの諸将が、小佐々の動きを知りたがっておる。それゆえお主に会いに訪れる者が多いのであろう」。

 なるほど、小佐々は知らぬ間にどんどん大きく、影響力を持つようになってきているのだな、と純久は改めて考えた。わかってはいたが、他家である信長に言われて再認識したのだ。

「そう言われると、うれしいような、なんだか不思議な気分ですね」

「わしですら、こないだの伊勢征伐で小佐々の大砲を使うたゆえ、人の動きが多くなっておるのだ。小佐々が増えん訳がなかろう」。

 純久は苦笑いだ。

「ふふふ、それで、どうだ、何かあるか」

「そうですね。一番の出来事は、殿が、島津に勝ちました」

「なんと!」

「弾正忠様も、すでに知っているのではないかと思うておりましたが」

「いや、それは初耳じゃ」

「では、(間者は)情報の確認をしているのでしょうか。一両日中には報告が来るのではないですか? もしくは留学生からの手紙にも、似たようなものが書かれているかもしれませんね」

「そうかもしれぬな。ううむ、島津が負けたか。小佐々はどんどん強くなるのう」。

 信長は深刻な顔をしたが、すぐに純久に察知されぬよう隠した。

「心配なさらずとも、以前も申し上げましたが、わが殿は領地を増やそうなどとは考えておりませぬ。結果的にそうなってはおりますが、殿は肥前の小領主でも良かったのです」

 本当にそれだけで、三百万石を超える大国になるだろうか。

 そう思うのは信長が特殊なのではない。一般的な感覚なのだろう。棚からぼた餅ではないが、降りかかる火の粉を払っているうちに大きくなった事になる。

 いずれにしても、ここまで大きくなれば、おいそれを手を出すものはいなくなる。結果、小佐々の領土拡張はない。

「それから……そうですね、当人たちはあまり知られたくないのでしょうが、いずれわかる事ですし。徳川様や浅井様より、殿と誼を通じたいと申し出がありました」

「それは、聞いておる。純正を独り占めしたい気もあるが、まあ、あいつの事だ。断れんだろう。織田家に害がなければ、よい、と伝えた」

 ふふふ、と信長には笑みがこぼれる。俺が先に唾をつけたんだぞ、とでも言いたげである。

「それから、六角殿や朝倉殿からもお見えになりました」

 なに? と信長の顔が曇る。

「三好からも参りましたが、あれは敵です。まずは筋を通せと伝えましたが、よろしかったですか」

「当然じゃ、純正は所司代の仕事をしたのみ。その事に関しては感謝しておる。しかし、幕府や朝廷、わしへは何もなく、純正へ使者を出すとは、まったく」

「わが殿は、与しやすいと思われているのかもしれませんね。しかし実際には利のない相手とは組みませんし、危ない匂いのする者は遠ざけようとする嗅覚には優れています」

「ははは、まったくじゃ。そうでなければ三百万石の太守にはなれまい」。

 信長は高らかに笑う。

「それから……」

「なんじゃ」

 純久は聞きにくそうだ。

「その……浅井様とは、近ごろ、どうなのです」

「どう、とは?」

「その、近ごろ織田様がよそよそしくなった、気がする、ような事をおっしゃっていたので」

 ははははは! と信長がまた笑う。

「長政め、そのような事を気にしておったのか。優秀だが、小さい事を気にするのがたまに傷じゃ。わしは義兄ではあるが、主君でもあるのだ。そのような事、いちいち気にするなと伝えておけ」

 主君? ……主君? なのか? ああ、そうなのか。

 自意識がないんだ、この人。純久はそう思った。殿が考えていた通りだと。

 おそらく信長に悪気はないのだろう。そしてそれが、親しい純久ゆえに心の声が漏れてしまった。

 しかし、意識してならもちろんだが、無意識ならさらにたちが悪い。なぜだ? となるからである。

「なるほど、伝えておきます。それから申し出のあった街道の整備ですが、殿は快諾するとの事です。あわせて、浅井様からもお話はきておりませぬか? 浅井領を通る街道ゆえ、人夫や材料を供出したいと」

「おおそうだ、そうであった。殊勝な心がけよ。むろん喜んで受け入れた」。

 ああ、これはいよいよ殿が言っていた恐れが現実になりつつある。万が一があってはならぬから、浅井様には念を押しておこう、そう考えた純久であった。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

『転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く~時代・技術考証や設定などは完全無視です!~』

姜維信繁
ファンタジー
佐賀藩より早く蒸気船に蒸気機関車、アームストロング砲。列強に勝つ! 人生100年時代の折り返し地点に来た企画営業部長の清水亨は、大きなプロジェクトをやり遂げて、久しぶりに長崎の実家に帰ってきた。 学生時代の仲間とどんちゃん騒ぎのあげく、急性アルコール中毒で死んでしまう。 しかし、目が覚めたら幕末の動乱期。龍馬や西郷や桂や高杉……と思いつつ。あまり幕末史でも知名度のない「薩長土肥」の『肥』のさらに隣の藩の大村藩のお話。 で、誰に転生したかと言うと、これまた誰も知らない、地元の人もおそらく知らない人の末裔として。 なーんにもしなければ、間違いなく幕末の動乱に巻き込まれ、戊辰戦争マッシグラ。それを回避して西洋列強にまけない国(藩)づくりに励む事になるのだが……。

幼い公女様は愛されたいと願うのやめました。~態度を変えた途端、家族が溺愛してくるのはなぜですか?~

朱色の谷
ファンタジー
公爵家の末娘として生まれた6歳のティアナ お屋敷で働いている使用人に虐げられ『公爵家の汚点』と呼ばれる始末。 お父様やお兄様は私に関心がないみたい。愛されたいと願い、愛想よく振る舞っていたが一向に興味を示してくれない… そんな中、夢の中の本を読むと、、、

ボッチの少女は、精霊の加護をもらいました

星名 七緒
ファンタジー
身寄りのない少女が、異世界に飛ばされてしまいます。異世界でいろいろな人と出会い、料理を通して交流していくお話です。異世界で幸せを探して、がんばって生きていきます。

【書籍化進行中、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化進行中です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

異世界でホワイトな飲食店経営を

視世陽木
ファンタジー
 定食屋チェーン店で雇われ店長をしていた飯田譲治(イイダ ジョウジ)は、気がついたら真っ白な世界に立っていた。  彼の最後の記憶は、連勤に連勤を重ねてふらふらになりながら帰宅し、赤信号に気づかずに道路に飛び出し、トラックに轢かれて亡くなったというもの。  彼が置かれた状況を説明するためにスタンバイしていた女神様を思いっきり無視しながら、1人考察を進める譲治。 しまいには女神様を泣かせてしまい、十分な説明もないままに異世界に転移させられてしまった!  ブラック企業で酷使されながら、それでも料理が大好きでいつかは自分の店を開きたいと夢見ていた彼は、はたして異世界でどんな生活を送るのか!?  異世界物のテンプレと超ご都合主義を盛り沢山に、ちょいちょい社会風刺を入れながらお送りする異世界定食屋経営物語。はたしてジョージはホワイトな飲食店を経営できるのか!? ● 異世界テンプレと超ご都合主義で話が進むので、苦手な方や飽きてきた方には合わないかもしれません。 ● かつて作者もブラック飲食店で店長をしていました。 ● 基本的にはおふざけ多め、たまにシリアス。 ● 残酷な描写や性的な描写はほとんどありませんが、後々死者は出ます。

異世界の貴族に転生できたのに、2歳で父親が殺されました。

克全
ファンタジー
アルファポリスオンリー:ファンタジー世界の仮想戦記です、試し読みとお気に入り登録お願いします。

超文明日本

点P
ファンタジー
2030年の日本は、憲法改正により国防軍を保有していた。海軍は艦名を漢字表記に変更し、正規空母、原子力潜水艦を保有した。空軍はステルス爆撃機を保有。さらにアメリカからの要求で核兵器も保有していた。世界で1、2を争うほどの軍事力を有する。 そんな日本はある日、列島全域が突如として謎の光に包まれる。光が消えると他国と連絡が取れなくなっていた。 異世界転移ネタなんて何番煎じかわかりませんがとりあえず書きます。この話はフィクションです。実在の人物、団体、地名等とは一切関係ありません。

入れ替わった恋人

廣瀬純一
ファンタジー
大学生の恋人同士の入れ替わりの話

処理中です...