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島津の野望に立ち向かう:小佐々の南方戦略-島津と四国と南方戦線-
信長の対小佐々戦略① 光秀に問う
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永禄十二年 六月二十八日 岐阜城
「そうか、それで落着したか」
信長は怒るでもなく、褒めるでもない。面を上げよ、と促す。
「申し訳ござりませぬ。小佐々にも、長宗我部にも利のないように、平等に進めようと思うておりましたが、いらぬ邪魔が入りました」
晴門か、と信長は聞いた。
「はは、事前にこちらが進める通りに同意すると、決めておったのですが」
光秀は答える。
「あの公方様も、堪え性のない方よのう。少し灸を据えておかねばならぬかの。しかし光秀、こたびは難しい役目をさせてしまったな」
光秀と長宗我部の関係を考慮して、信長はそう答えたのだ。数日後、世に言う『殿中御掟十五か条』が発せられることになる。
「本来であれば、縁者である長宗我部に有利な条件で結びたかったであろうが、許せ」
「とんでもありません! 有利ではござませぬが、割譲でなくなったのはまだ良い方にございます」
さようか、と信長。
「しかし殿、これから先どうなさるおつもりなのですか」
信長はニヤリと笑った。
「さすが光秀よ。そろそろ言うて来る頃だと思っておった。先日猿も同じ事を申してきての、その時ははぐらかしたが、大筋は立てておかねばなるまい」
眺めていた地球儀をくるくる回していた信長であったが、真剣な面持ちになった。
「して光秀、その方はどう思う?」
「は、されば、これがもう限界かと存じます」
「ほう? なぜだ」
光秀は居住いをただし、答えた。
「されば小佐々家は、すでに高は直轄領百五十万石、服属している国衆もあわせれば三百万ちかくございます」
うむ、と目をつむり、考える信長。
「さらにこたびの四国出兵にて、本命は一条の救援にあらず、一条の服属と伊予の平定にございます」
光秀はそのまま続ける。
「一条は小佐々家中の大友宗麟の娘婿でございますが、これが服属するとなるとさらに十万、そして伊予も入れると、ゆうに三百二十万を超えまする」
「光秀よ、何が言いたい」
信長は回りくどい言い方は嫌いである。結論を先に言い、理由を後から聞くタイプだ。
「は、されば友好関係は保ちつつ、これ以上伸びぬよう、楔を打っておく必要があるかと」
「うむ、具体的にはどうするのだ」
「では、長宗我部に三好討伐を命じ、讃岐、阿波そして淡路をとらせるのです」
「なんだ光秀、身びいきではないか」
信長の顔に少しだけ笑みがこぼれる。
「とんでもありませぬ」
光秀は大真面目だ。
「三好は長年朝廷ならびに幕府、畿内を騒がせたものどもにて、ここで叩いておく必要があるかと」
「ふむ、わしの腹は痛まぬの。長宗我部が三好を攻めて平定すれば、いずれはくるかもしれぬ、小佐々との戦に備えられると?」
「さようにございます。小佐々とは盟を結んでおりますゆえ、すぐにではございませぬが、備えておくに越したことはございませぬ」
信長も現実的だが、こういったところは光秀も現実的だ。
天下統一を進める信長にとっては、将来の禍根は、可能な限り取り除いておきたい。それでなくても小佐々は、大国毛利を凌駕する国力なのだ。
「面白い奴らゆえ、考えたくはないが、……考えておかねばならぬだろうな」
信長は残念なような、なにか諦めのような言葉を発して、続けた。
「しかし能うのか? 三好は衰えたとは言え、今の長宗我部の四倍以上の高があるぞ。土佐を平定できておったとしても、倍近い差がある。いささか力不足ではないか?」
「確かにそうでございます。しかし三好も一枚岩ではございませぬ。朝廷からの勅許があり、国境の国人から切り崩していけばあるいは」
朝廷から勅許はもらえるだろう。義昭も仇敵三好を倒すのだ、反対するはずがない。しかし問題は兵力だ。どう考えても今の長宗我部に勝ち目はない。
「確かに三好の直轄地より国人衆の領土の方が多いの。しかし切りくずすと言っても、そう簡単にはいくまい」
そこで、と光秀は続けた。
「小佐々の力を借りるのです」
「小佐々の?」
信長は続ける。
「小佐々の力を抑えるための三好攻めに、小佐々の力を借りるだと?」
さようにございます、と光秀が答える。
「殿、小佐々は長宗我部との交渉の際に、浦戸の割譲を申し出てきました」
「うむ」
「これは、小佐々が上方への物流の拠点として、浦戸を重要視していたからにほかなりません」
「うむ」
短く信長がうなずく。
「四国の南を通る南海路は、明や琉球との交易で栄えてきましたが、いかんせん天候の影響を受けやすうございます。しかし瀬戸内を通って莫大な帆別銭を海賊に支払うより、利があるのです」
経済に聡い信長は、帆別銭、いわゆる海の関銭の重要性を津島や熱田で実感している。
「しかも、土佐にて見てきた小佐々の軍船は、尋常な大きさではございませぬ。安宅や関船よりも大きな異形の船にて、外洋を航海しております」
話が長くなり、信長の機嫌が悪くなる前に結論を言おうとした光秀だが、そうなる気配はない。
「南蛮の船を真似て、小さいものは七年も前に作っていたとか。これにより、天候の影響を今までより受けにくくなります」
光秀、と信長が言う。
「要するに、湊をえさに小佐々を釣れ、と?」
「は、さようにございます」
「ふふ、ふはははははは!」
不意に信長が笑い出した。奪った三好領の湊の権益を、小佐々に与えるという考えを笑っているのか、それとも別の何なのか。
「よいぞ、使える湊は多いに越したことはないからな。阿波の湊が使えるようになれば、小佐々にとっても利も多くなろう」
信長はなにかに納得したように、高らかに笑った。
「はい、勅命であれば逆らえぬかと。すぐには出来ずとも、二年ないし三年の間には助力能いましょう」
「そして讃岐をとれば、これは小佐々ではなくこちらの話ぞ。塩飽衆や真鍋衆、日生衆などをはじめ、小豆島や淡路の海賊も手懐ける事もできよう」
「はは、さようにございます」
信長はさらに笑い、光秀も笑った。
こうして信長と光秀は、小佐々と長宗我部の協力を得て、三好を攻める計画を練ったのであった。しかし後ほど、信長は小佐々の驚くべき内政政策を知ることになる。
それは、信長の野望に大きな影響を与えることになったのだ。
「そうか、それで落着したか」
信長は怒るでもなく、褒めるでもない。面を上げよ、と促す。
「申し訳ござりませぬ。小佐々にも、長宗我部にも利のないように、平等に進めようと思うておりましたが、いらぬ邪魔が入りました」
晴門か、と信長は聞いた。
「はは、事前にこちらが進める通りに同意すると、決めておったのですが」
光秀は答える。
「あの公方様も、堪え性のない方よのう。少し灸を据えておかねばならぬかの。しかし光秀、こたびは難しい役目をさせてしまったな」
光秀と長宗我部の関係を考慮して、信長はそう答えたのだ。数日後、世に言う『殿中御掟十五か条』が発せられることになる。
「本来であれば、縁者である長宗我部に有利な条件で結びたかったであろうが、許せ」
「とんでもありません! 有利ではござませぬが、割譲でなくなったのはまだ良い方にございます」
さようか、と信長。
「しかし殿、これから先どうなさるおつもりなのですか」
信長はニヤリと笑った。
「さすが光秀よ。そろそろ言うて来る頃だと思っておった。先日猿も同じ事を申してきての、その時ははぐらかしたが、大筋は立てておかねばなるまい」
眺めていた地球儀をくるくる回していた信長であったが、真剣な面持ちになった。
「して光秀、その方はどう思う?」
「は、されば、これがもう限界かと存じます」
「ほう? なぜだ」
光秀は居住いをただし、答えた。
「されば小佐々家は、すでに高は直轄領百五十万石、服属している国衆もあわせれば三百万ちかくございます」
うむ、と目をつむり、考える信長。
「さらにこたびの四国出兵にて、本命は一条の救援にあらず、一条の服属と伊予の平定にございます」
光秀はそのまま続ける。
「一条は小佐々家中の大友宗麟の娘婿でございますが、これが服属するとなるとさらに十万、そして伊予も入れると、ゆうに三百二十万を超えまする」
「光秀よ、何が言いたい」
信長は回りくどい言い方は嫌いである。結論を先に言い、理由を後から聞くタイプだ。
「は、されば友好関係は保ちつつ、これ以上伸びぬよう、楔を打っておく必要があるかと」
「うむ、具体的にはどうするのだ」
「では、長宗我部に三好討伐を命じ、讃岐、阿波そして淡路をとらせるのです」
「なんだ光秀、身びいきではないか」
信長の顔に少しだけ笑みがこぼれる。
「とんでもありませぬ」
光秀は大真面目だ。
「三好は長年朝廷ならびに幕府、畿内を騒がせたものどもにて、ここで叩いておく必要があるかと」
「ふむ、わしの腹は痛まぬの。長宗我部が三好を攻めて平定すれば、いずれはくるかもしれぬ、小佐々との戦に備えられると?」
「さようにございます。小佐々とは盟を結んでおりますゆえ、すぐにではございませぬが、備えておくに越したことはございませぬ」
信長も現実的だが、こういったところは光秀も現実的だ。
天下統一を進める信長にとっては、将来の禍根は、可能な限り取り除いておきたい。それでなくても小佐々は、大国毛利を凌駕する国力なのだ。
「面白い奴らゆえ、考えたくはないが、……考えておかねばならぬだろうな」
信長は残念なような、なにか諦めのような言葉を発して、続けた。
「しかし能うのか? 三好は衰えたとは言え、今の長宗我部の四倍以上の高があるぞ。土佐を平定できておったとしても、倍近い差がある。いささか力不足ではないか?」
「確かにそうでございます。しかし三好も一枚岩ではございませぬ。朝廷からの勅許があり、国境の国人から切り崩していけばあるいは」
朝廷から勅許はもらえるだろう。義昭も仇敵三好を倒すのだ、反対するはずがない。しかし問題は兵力だ。どう考えても今の長宗我部に勝ち目はない。
「確かに三好の直轄地より国人衆の領土の方が多いの。しかし切りくずすと言っても、そう簡単にはいくまい」
そこで、と光秀は続けた。
「小佐々の力を借りるのです」
「小佐々の?」
信長は続ける。
「小佐々の力を抑えるための三好攻めに、小佐々の力を借りるだと?」
さようにございます、と光秀が答える。
「殿、小佐々は長宗我部との交渉の際に、浦戸の割譲を申し出てきました」
「うむ」
「これは、小佐々が上方への物流の拠点として、浦戸を重要視していたからにほかなりません」
「うむ」
短く信長がうなずく。
「四国の南を通る南海路は、明や琉球との交易で栄えてきましたが、いかんせん天候の影響を受けやすうございます。しかし瀬戸内を通って莫大な帆別銭を海賊に支払うより、利があるのです」
経済に聡い信長は、帆別銭、いわゆる海の関銭の重要性を津島や熱田で実感している。
「しかも、土佐にて見てきた小佐々の軍船は、尋常な大きさではございませぬ。安宅や関船よりも大きな異形の船にて、外洋を航海しております」
話が長くなり、信長の機嫌が悪くなる前に結論を言おうとした光秀だが、そうなる気配はない。
「南蛮の船を真似て、小さいものは七年も前に作っていたとか。これにより、天候の影響を今までより受けにくくなります」
光秀、と信長が言う。
「要するに、湊をえさに小佐々を釣れ、と?」
「は、さようにございます」
「ふふ、ふはははははは!」
不意に信長が笑い出した。奪った三好領の湊の権益を、小佐々に与えるという考えを笑っているのか、それとも別の何なのか。
「よいぞ、使える湊は多いに越したことはないからな。阿波の湊が使えるようになれば、小佐々にとっても利も多くなろう」
信長はなにかに納得したように、高らかに笑った。
「はい、勅命であれば逆らえぬかと。すぐには出来ずとも、二年ないし三年の間には助力能いましょう」
「そして讃岐をとれば、これは小佐々ではなくこちらの話ぞ。塩飽衆や真鍋衆、日生衆などをはじめ、小豆島や淡路の海賊も手懐ける事もできよう」
「はは、さようにございます」
信長はさらに笑い、光秀も笑った。
こうして信長と光秀は、小佐々と長宗我部の協力を得て、三好を攻める計画を練ったのであった。しかし後ほど、信長は小佐々の驚くべき内政政策を知ることになる。
それは、信長の野望に大きな影響を与えることになったのだ。
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