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第299話 『帰途』
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文久二年九月二日(1862年10月24日) 上海沖
「もうちっと居たかった気もするが、仕方ねえか」
「晋作さん、仕方ないですよ。御家老様と御公儀からの命となれば、逆らえません」
「そうか……僕にとっては狭い日本より随分と暮らしやすいと思うのだが……ゴホンッ……ゴホッ……」
「大丈夫ですか晋作さん?」
「ん……大事ない」
晋作と晋九郎が世間話をしていると、中牟田倉之助がドアを叩いて船室に入ってきた。
「おい! 目を覚ましたぞ!」
「……人の部屋に入るときはノックぐらいしろよ。無作法だぞ」
「したじゃないか! その上で入ってきたのだ」
「どうぞ、と言ってない」
「……○△□×&! ……今そんな事言っている場合か? 3人が目を覚ましたんだよ!」
自分は破天荒な事をするくせに、人にやられるのは嫌という、典型的な性格の晋作である。
「一(一之進)さん、どんな感じですか?」
「おお、晋作か。……うん、3人とも一命は取り留めたが、予断は許さん。経過観察が必要だ。色々と聞きたい事はあるだろうが、数日は動かせんな。ところで晋作、大丈夫か? 顔が青いぞ。後で診てやろう」
「ありがとうカズさん。然れど大事ござらんよ」
「馬鹿たれ! 医者に向かってなんてこと言うんだ。大丈夫かそうでないかは、オレが決める。いいか?」
「は……い」
考え方や行動は破天荒だが、実は晋作は体が丈夫な方ではなかった。幼年期に天然痘を患っており、その病弱さを克服するために武道に打ち込んできたという歴史がある。
「あ……ぐ、はあはあ……」
「動かないで。まだ起きるのはダメです。いま先生を呼んできますから、そのまま待っていてください」
看護師が目を覚ましたパーシーに向かって言い、急いで一之進のもとへ報告に向かう。
数分後、一之進がパーシーの病室に駆けつけた。
「目が覚めたか。よかった。気分はどうだ?」
パーシー・ホッグはその巨体に似合わず弱々しくうなずき、かすれた声で『ここは……どこだ?』と尋ねた。
「ここは済生丸、病院船だ。君は上海のイギリス租界で銃撃戦に巻き込まれ、重傷を負っていた。我々が保護して治療を施したのだ」
「銃撃戦……そうか、あの野郎、保護するっていいながら……撃ちやがった、ぐ……」
あの野郎とは紅幇の張の事である。そしてその背後にはイギリス公使館がいる。
『確保して保護しろ、それが叶わずもし日本側の手に渡るようなら、適切に処置せよ』
これがパークスを経由した駐日代理公使のニールの依頼であった。
2人に対して実行されたのは後者である。
一之進は深刻な患者に不安を与えないように、適度な表情でパーシーの瞳孔を調べ、脈を測る。
「ドクター。ビルは、ビルはどうなんです? どこにいるんですか?」
「落ち着いてください。あなたのお名前は?」
「パーシー・ホッグです」
「では誰を捜しているのですか?」
「ビル・スレイターです」
「……ふむ。彼は無事です。同じように重傷でしたが、我々が治療し、今は別の部屋で休んでいます。あなたも安心してください、すぐに回復に向かうでしょう」
一之進は両手の指の数を数えさせたり、いくつか質問をして確認をとりながら、落ち着いた声でパーシーを安心させた。それから看護師に指示を出し、パーシーの容態を詳細に記録させる。
「先生、容体はいかがですか?」
晋作と彦馬、埠頭で大立ち回りをした面々が病室に入ってきた。二人はパーシーが意識を取り戻したという知らせを聞いて皆を呼び、すぐに駆けつけたのだ。
「意識は回復した。今の所は問題ないが、経過観察は重要だ。当然だが傷はまだ塞がっていないし、感染症の可能性もある。しばらく安静が必要なのは間違いない」
一之進はパーシーの様子を二人に説明した。
「そうでしたか……いや、しかし意識が戻ってよかった」
晋作は安堵の表情を浮かべた。パーシーとビルの証言は、生麦事件の真相を解明する上で重要な鍵となるからだ。
「先生、ビルに会わせてくれ。オレ達はいつも一緒なんだ。ビルが目覚めたら、オレの姿を見せてやりたい」
いわゆる子供の頃からの腐れ縁というやつであろう。
「今はまだ無理です。起き上がるのもキツいでしょう」
「そんな事はない。ほら、この通り……はっ……ぐ……」
パーシーの額には脂汗がにじんでいる。
「言わんこっちゃない。医者の言う事は聞きなさい。そんなに会いたいのなら、この部屋、個室ですがベッド1つ置いても十分な広さです。彼をこちらに移しましょう」
無理に動こうとするパーシーを、一之進は妥協案で制止した。
一方、巻き添えをくった形で張に故意に撃たれ、運び込まれたアーサー・ヘンリー・フィッツジェラルド (Arthur Henry Fitzgerald)は治療を受け、幸いにも容態は安定していた。
3人とも助かり、目を覚ましている。一之進達の医療技術の賜物である事は言うまでもない。
なんだ? オレはなぜここにいる? どこだ? 病院のような部屋だが、そうだ! オレは撃たれたんだ! あの張の野郎に……。くそう、なんでこうなった?
アーサーの脳裏に様々な思いが巡る。
アーサーはイギリス本国の裕福な貴族の家に生まれ、父親も外交官を歴任しており、将来を嘱望されていたのだ。インドを経て清国(中国)へ渡り、オールコックとパークスの後押しもあって、順調に出世街道を歩んでいた。
それが本人の意図とはまったく関係なく巻き添えをくった形で撃たれ、死の淵から復活して、病院船で日本に向かっているのだ。
理解できるはずがない。
「カズさん、これからどうするんですか?」
「うん、患者の事を考えれば……長崎で降ろして陸の病院で診るのがいいのは間違いないが……。次郎が待ち望んでいるんだろう? ならば長崎で血液や医療品の補充を済ませ、それから横浜に向かうとしよう。1週間後くらいになるだろうな」
「わかった。じゃあオレもついて行こう」
「え?」
■上海 イギリス公使館
「間に合わなかっただと! ? 全く、何をやっていたんだ? 署長、なぜ君たちはこうも動きが遅いのだ? 後手後手に回っているではないか」
パークスは手で顔を覆いながら怒鳴り気味に言った。
「お言葉ですが公使閣下」
と前置きして署長が話し出す。
「真に申し訳ございませんが、我々は通常業務とあわせ捜索を行っておりました。ですから全力を出せていないのは確かです。しかし、紅幇のヤツらはどうにかならなかったのでしょうか? ヤツらときたら全く言う事を気かないし、自分らの雇い主は閣下であって、私ではないといいはって譲らないのです。今回報告を受けるのが遅れ、結果現場に向かうのが遅れたのもヤツらのせいです」
「……もういい。下がれ」
「はっ」
次回予告 第300話 『状況急変』
「もうちっと居たかった気もするが、仕方ねえか」
「晋作さん、仕方ないですよ。御家老様と御公儀からの命となれば、逆らえません」
「そうか……僕にとっては狭い日本より随分と暮らしやすいと思うのだが……ゴホンッ……ゴホッ……」
「大丈夫ですか晋作さん?」
「ん……大事ない」
晋作と晋九郎が世間話をしていると、中牟田倉之助がドアを叩いて船室に入ってきた。
「おい! 目を覚ましたぞ!」
「……人の部屋に入るときはノックぐらいしろよ。無作法だぞ」
「したじゃないか! その上で入ってきたのだ」
「どうぞ、と言ってない」
「……○△□×&! ……今そんな事言っている場合か? 3人が目を覚ましたんだよ!」
自分は破天荒な事をするくせに、人にやられるのは嫌という、典型的な性格の晋作である。
「一(一之進)さん、どんな感じですか?」
「おお、晋作か。……うん、3人とも一命は取り留めたが、予断は許さん。経過観察が必要だ。色々と聞きたい事はあるだろうが、数日は動かせんな。ところで晋作、大丈夫か? 顔が青いぞ。後で診てやろう」
「ありがとうカズさん。然れど大事ござらんよ」
「馬鹿たれ! 医者に向かってなんてこと言うんだ。大丈夫かそうでないかは、オレが決める。いいか?」
「は……い」
考え方や行動は破天荒だが、実は晋作は体が丈夫な方ではなかった。幼年期に天然痘を患っており、その病弱さを克服するために武道に打ち込んできたという歴史がある。
「あ……ぐ、はあはあ……」
「動かないで。まだ起きるのはダメです。いま先生を呼んできますから、そのまま待っていてください」
看護師が目を覚ましたパーシーに向かって言い、急いで一之進のもとへ報告に向かう。
数分後、一之進がパーシーの病室に駆けつけた。
「目が覚めたか。よかった。気分はどうだ?」
パーシー・ホッグはその巨体に似合わず弱々しくうなずき、かすれた声で『ここは……どこだ?』と尋ねた。
「ここは済生丸、病院船だ。君は上海のイギリス租界で銃撃戦に巻き込まれ、重傷を負っていた。我々が保護して治療を施したのだ」
「銃撃戦……そうか、あの野郎、保護するっていいながら……撃ちやがった、ぐ……」
あの野郎とは紅幇の張の事である。そしてその背後にはイギリス公使館がいる。
『確保して保護しろ、それが叶わずもし日本側の手に渡るようなら、適切に処置せよ』
これがパークスを経由した駐日代理公使のニールの依頼であった。
2人に対して実行されたのは後者である。
一之進は深刻な患者に不安を与えないように、適度な表情でパーシーの瞳孔を調べ、脈を測る。
「ドクター。ビルは、ビルはどうなんです? どこにいるんですか?」
「落ち着いてください。あなたのお名前は?」
「パーシー・ホッグです」
「では誰を捜しているのですか?」
「ビル・スレイターです」
「……ふむ。彼は無事です。同じように重傷でしたが、我々が治療し、今は別の部屋で休んでいます。あなたも安心してください、すぐに回復に向かうでしょう」
一之進は両手の指の数を数えさせたり、いくつか質問をして確認をとりながら、落ち着いた声でパーシーを安心させた。それから看護師に指示を出し、パーシーの容態を詳細に記録させる。
「先生、容体はいかがですか?」
晋作と彦馬、埠頭で大立ち回りをした面々が病室に入ってきた。二人はパーシーが意識を取り戻したという知らせを聞いて皆を呼び、すぐに駆けつけたのだ。
「意識は回復した。今の所は問題ないが、経過観察は重要だ。当然だが傷はまだ塞がっていないし、感染症の可能性もある。しばらく安静が必要なのは間違いない」
一之進はパーシーの様子を二人に説明した。
「そうでしたか……いや、しかし意識が戻ってよかった」
晋作は安堵の表情を浮かべた。パーシーとビルの証言は、生麦事件の真相を解明する上で重要な鍵となるからだ。
「先生、ビルに会わせてくれ。オレ達はいつも一緒なんだ。ビルが目覚めたら、オレの姿を見せてやりたい」
いわゆる子供の頃からの腐れ縁というやつであろう。
「今はまだ無理です。起き上がるのもキツいでしょう」
「そんな事はない。ほら、この通り……はっ……ぐ……」
パーシーの額には脂汗がにじんでいる。
「言わんこっちゃない。医者の言う事は聞きなさい。そんなに会いたいのなら、この部屋、個室ですがベッド1つ置いても十分な広さです。彼をこちらに移しましょう」
無理に動こうとするパーシーを、一之進は妥協案で制止した。
一方、巻き添えをくった形で張に故意に撃たれ、運び込まれたアーサー・ヘンリー・フィッツジェラルド (Arthur Henry Fitzgerald)は治療を受け、幸いにも容態は安定していた。
3人とも助かり、目を覚ましている。一之進達の医療技術の賜物である事は言うまでもない。
なんだ? オレはなぜここにいる? どこだ? 病院のような部屋だが、そうだ! オレは撃たれたんだ! あの張の野郎に……。くそう、なんでこうなった?
アーサーの脳裏に様々な思いが巡る。
アーサーはイギリス本国の裕福な貴族の家に生まれ、父親も外交官を歴任しており、将来を嘱望されていたのだ。インドを経て清国(中国)へ渡り、オールコックとパークスの後押しもあって、順調に出世街道を歩んでいた。
それが本人の意図とはまったく関係なく巻き添えをくった形で撃たれ、死の淵から復活して、病院船で日本に向かっているのだ。
理解できるはずがない。
「カズさん、これからどうするんですか?」
「うん、患者の事を考えれば……長崎で降ろして陸の病院で診るのがいいのは間違いないが……。次郎が待ち望んでいるんだろう? ならば長崎で血液や医療品の補充を済ませ、それから横浜に向かうとしよう。1週間後くらいになるだろうな」
「わかった。じゃあオレもついて行こう」
「え?」
■上海 イギリス公使館
「間に合わなかっただと! ? 全く、何をやっていたんだ? 署長、なぜ君たちはこうも動きが遅いのだ? 後手後手に回っているではないか」
パークスは手で顔を覆いながら怒鳴り気味に言った。
「お言葉ですが公使閣下」
と前置きして署長が話し出す。
「真に申し訳ございませんが、我々は通常業務とあわせ捜索を行っておりました。ですから全力を出せていないのは確かです。しかし、紅幇のヤツらはどうにかならなかったのでしょうか? ヤツらときたら全く言う事を気かないし、自分らの雇い主は閣下であって、私ではないといいはって譲らないのです。今回報告を受けるのが遅れ、結果現場に向かうのが遅れたのもヤツらのせいです」
「……もういい。下がれ」
「はっ」
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