上 下
302 / 312

第299話 『帰途』

しおりを挟む
 文久二年九月二日(1862年10月24日) 上海沖

「もうちっと居たかった気もするが、仕方ねえか」

「晋作さん、仕方ないですよ。御家老様と御公儀からの命となれば、逆らえません」

「そうか……僕にとっては狭い日本より随分と暮らしやすいと思うのだが……ゴホンッ……ゴホッ……」

「大丈夫ですか晋作さん?」

「ん……大事ない」

 晋作と晋九郎が世間話をしていると、中牟田倉之助がドアを叩いて船室に入ってきた。

「おい! 目を覚ましたぞ!」

「……人の部屋に入るときはノックぐらいしろよ。無作法だぞ」

「したじゃないか! その上で入ってきたのだ」

「どうぞ、と言ってない」

「……○△□×&! ……今そんな事言っている場合か? 3人が目を覚ましたんだよ!」

 自分は破天荒な事をするくせに、人にやられるのは嫌という、典型的な性格の晋作である。




カズ(一之進)さん、どんな感じですか?」

「おお、晋作か。……うん、3人とも一命は取り留めたが、予断は許さん。経過観察が必要だ。色々と聞きたい事はあるだろうが、数日は動かせんな。ところで晋作、大丈夫か? 顔が青いぞ。後で診てやろう」

「ありがとうカズさん。然れど大事ござらんよ」

「馬鹿たれ! 医者に向かってなんてこと言うんだ。大丈夫かそうでないかは、オレが決める。いいか?」

「は……い」

 考え方や行動は破天荒だが、実は晋作は体が丈夫な方ではなかった。幼年期に天然痘を患っており、その病弱さを克服するために武道に打ち込んできたという歴史がある。




「あ……ぐ、はあはあ……」

「動かないで。まだ起きるのはダメです。いま先生を呼んできますから、そのまま待っていてください」

 看護師が目を覚ましたパーシーに向かって言い、急いで一之進のもとへ報告に向かう。




 数分後、一之進がパーシーの病室に駆けつけた。

「目が覚めたか。よかった。気分はどうだ?」

 パーシー・ホッグはその巨体に似合わず弱々しくうなずき、かすれた声で『ここは……どこだ?』と尋ねた。

「ここは済生丸、病院船だ。君は上海のイギリス租界で銃撃戦に巻き込まれ、重傷を負っていた。我々が保護して治療を施したのだ」

「銃撃戦……そうか、あの野郎、保護するっていいながら……撃ちやがった、ぐ……」

 あの野郎とは紅幇ほんぱんの張の事である。そしてその背後にはイギリス公使館がいる。




『確保して保護しろ、それが叶わずもし日本側の手に渡るようなら、適切に処置せよ』

 
 

 これがパークスを経由した駐日代理公使のニールの依頼であった。

 2人に対して実行されたのは後者である。

 一之進は深刻な患者に不安を与えないように、適度な表情でパーシーの瞳孔を調べ、脈を測る。

「ドクター。ビルは、ビルはどうなんです? どこにいるんですか?」

「落ち着いてください。あなたのお名前は?」
「パーシー・ホッグです」
「では誰を捜しているのですか?」
「ビル・スレイターです」

「……ふむ。彼は無事です。同じように重傷でしたが、我々が治療し、今は別の部屋で休んでいます。あなたも安心してください、すぐに回復に向かうでしょう」

 一之進は両手の指の数を数えさせたり、いくつか質問をして確認をとりながら、落ち着いた声でパーシーを安心させた。それから看護師に指示を出し、パーシーの容態を詳細に記録させる。

「先生、容体はいかがですか?」

 晋作と彦馬、埠頭ふとうで大立ち回りをした面々が病室に入ってきた。二人はパーシーが意識を取り戻したという知らせを聞いて皆を呼び、すぐに駆けつけたのだ。

「意識は回復した。今の所は問題ないが、経過観察は重要だ。当然だが傷はまだ塞がっていないし、感染症の可能性もある。しばらく安静が必要なのは間違いない」

 一之進はパーシーの様子を二人に説明した。

「そうでしたか……いや、しかし意識が戻ってよかった」

 晋作は安堵あんどの表情を浮かべた。パーシーとビルの証言は、生麦事件の真相を解明する上で重要な鍵となるからだ。

「先生、ビルに会わせてくれ。オレ達はいつも一緒なんだ。ビルが目覚めたら、オレの姿を見せてやりたい」

 いわゆる子供の頃からの腐れ縁というやつであろう。

「今はまだ無理です。起き上がるのもキツいでしょう」

「そんな事はない。ほら、この通り……はっ……ぐ……」

 パーシーの額には脂汗がにじんでいる。

「言わんこっちゃない。医者の言う事は聞きなさい。そんなに会いたいのなら、この部屋、個室ですがベッド1つ置いても十分な広さです。彼をこちらに移しましょう」

 無理に動こうとするパーシーを、一之進は妥協案で制止した。



 一方、巻き添えをくった形で張に故意に撃たれ、運び込まれたアーサー・ヘンリー・フィッツジェラルド (Arthur Henry Fitzgerald)は治療を受け、幸いにも容態は安定していた。

 3人とも助かり、目を覚ましている。一之進達の医療技術の賜物である事は言うまでもない。

 なんだ? オレはなぜここにいる? どこだ? 病院のような部屋だが、そうだ! オレは撃たれたんだ! あの張の野郎に……。くそう、なんでこうなった?

 アーサーの脳裏に様々な思いが巡る。

 アーサーはイギリス本国の裕福な貴族の家に生まれ、父親も外交官を歴任しており、将来を嘱望されていたのだ。インドを経て清国(中国)へ渡り、オールコックとパークスの後押しもあって、順調に出世街道を歩んでいた。

 それが本人の意図とはまったく関係なく巻き添えをくった形で撃たれ、死のふちから復活して、病院船で日本に向かっているのだ。

 理解できるはずがない。




「カズさん、これからどうするんですか?」

「うん、患者の事を考えれば……長崎で降ろして陸の病院で診るのがいいのは間違いないが……。次郎が待ち望んでいるんだろう? ならば長崎で血液や医療品の補充を済ませ、それから横浜に向かうとしよう。1週間後くらいになるだろうな」

「わかった。じゃあオレもついて行こう」

「え?」




 ■上海 イギリス公使館

「間に合わなかっただと! ? 全く、何をやっていたんだ? 署長、なぜ君たちはこうも動きが遅いのだ? 後手後手に回っているではないか」

 パークスは手で顔を覆いながら怒鳴り気味に言った。

「お言葉ですが公使閣下」

 と前置きして署長が話し出す。

「真に申し訳ございませんが、我々は通常業務とあわせ捜索を行っておりました。ですから全力を出せていないのは確かです。しかし、紅幇のヤツらはどうにかならなかったのでしょうか? ヤツらときたら全く言う事を気かないし、自分らの雇い主は閣下であって、私ではないといいはって譲らないのです。今回報告を受けるのが遅れ、結果現場に向かうのが遅れたのもヤツらのせいです」

「……もういい。下がれ」

「はっ」




 次回予告 第300話 『状況急変』
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

Another World〜自衛隊 まだ見ぬ世界へ〜

華厳 秋
ファンタジー
───2025年1月1日  この日、日本国は大きな歴史の転換点を迎えた。  札幌、渋谷、博多の3箇所に突如として『異界への門』──アナザーゲート──が出現した。  渋谷に現れた『門』から、異界の軍勢が押し寄せ、無抵抗の民間人を虐殺。緊急出動した自衛隊が到着した頃には、敵軍の姿はもうなく、スクランブル交差点は無惨に殺された民間人の亡骸と血で赤く染まっていた。  この緊急事態に、日本政府は『門』内部を調査するべく自衛隊を『異界』──アナザーワールド──へと派遣する事となった。  一方地球では、日本の急激な軍備拡大や『異界』内部の資源を巡って、極東での緊張感は日に日に増して行く。  そして、自衛隊は国や国民の安全のため『門』内外問わず奮闘するのであった。 この作品は、小説家になろう様カクヨム様にも投稿しています。 この作品はフィクションです。 実在する国、団体、人物とは関係ありません。ご注意ください。

1日1小説書けるかな(短編集)

toku
ファンタジー
短編集です。 『一話完結型』です。それぞれの話は別人による別の話となります。 ★マーク……作者おすすめ。 ジャンルごちゃ混ぜです。 一部異世界転生/転移ものがありますので『ファンタジー』カテゴリーとしました。 もともとは『1日に1つ、小説が書けるだろうか?』と言うコンセプト(?)で書き始めました。 『ハーメルン』さまでも投稿しております。

三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地~ 家族愛の三国志大河

墨笑
歴史・時代
『家族愛と人の心』『個性と社会性』をテーマにした三国志の大河小説です。 三国志を知らない方も楽しんでいただけるよう意識して書きました。 全体の文量はかなり多いのですが、半分以上は様々な人物を中心にした短編・中編の集まりです。 本編がちょっと長いので、お試しで読まれる方は後ろの方の短編・中編から読んでいただいても良いと思います。 おすすめは『小覇王の暗殺者(ep.216)』『呂布の娘の嫁入り噺(ep.239)』『段煨(ep.285)』あたりです。 本編では蜀において諸葛亮孔明に次ぐ官職を務めた許靖という人物を取り上げています。 戦乱に翻弄され、中国各地を放浪する波乱万丈の人生を送りました。 歴史ものとはいえ軽めに書いていますので、歴史が苦手、三国志を知らないという方でもぜひお気軽にお読みください。 ※人名が分かりづらくなるのを避けるため、アザナは一切使わないことにしました。ご了承ください。 ※切りのいい時には完結設定になっていますが、三国志小説の執筆は私のライフワークです。生きている限り話を追加し続けていくつもりですので、ブックマークしておいていただけると幸いです。

OLサラリーマン

廣瀬純一
ファンタジー
女性社員と体が入れ替わるサラリーマンの話

大絶滅 2億年後 -原付でエルフの村にやって来た勇者たち-

半道海豚
SF
200万年後の姉妹編です。2億年後への移住は、誰もが思いもよらない結果になってしまいました。推定2億人の移住者は、1年2カ月の間に2億年後へと旅立ちました。移住者2億人は11万6666年という長い期間にばらまかれてしまいます。結果、移住者個々が独自に生き残りを目指さなくてはならなくなります。本稿は、移住最終期に2億年後へと旅だった5人の少年少女の奮闘を描きます。彼らはなんと、2億年後の移動手段に原付を選びます。

友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。

石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。 だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった 何故なら、彼は『転生者』だから… 今度は違う切り口からのアプローチ。 追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。 こうご期待。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

処理中です...