299 / 312
第296話 『租界潜入』
しおりを挟む
文久二年九月一日(1862年10月23日) 上海 イギリス公使館
「失礼します」
明らかにそれと分かる風貌の男が、公使館内でパークスの部屋のドアを叩いて入り、開口一番に告げた。イギリス租界一円を管轄している警察署の署長である。
すでに捜索開始から10日がたっていた。
「どうした? 見つかったか?」
「いえ、残念ながら……」
「! いったい何をやっているのだね? シーク教徒どもなど、代わりはいくらでもいるのだから、昼夜を問わずに捜させれば良いのだ」
パークスの焦りは募っていた。
「見つかってはおりませんが、気になることが2つ」
「なんだね?」
「はい、ここ数日前まで、妙に羽振りのいい男の2人組がいたらしいのですが、ぱったりと見なくなったようなのです」
「……感づいたか?」
「それは分かりませんが、もう1つ。どうやら何者かが同じように2人組を捜しているようなのです」
警察署長は生麦事件や日英の外交戦の事など知るよしもない。
「くそう……わかった。2人組と一緒にその何者かも捜すのだ。やり方は任せる。……いいかね? もし捕らえようとして抵抗したり、逃げようなどとすれば、わかっているね?」
「はい」
■フランス租界
「どうやら2人は潜伏先を変えたようだ。以前は酒場や賭博場に出入りしていたらしいが、最近は全く姿を見せていない」
王徳仁は深刻な面持ちで言った。
「どこへ消えたんだ?」
晋作が鋭く尋ねた。
「おそらく、どこかの隠れ家に潜伏しているのだろう。あるいは、既に上海を離れた可能性もある」
「くそっ……このままでは、いつまでたっても2人を見つけられない」
「見つけたぜ! 王さん!」
勢いよくドアを開けて、今道晋九郎も聞き取れない言葉で叫んだのは金羅漢(最初に案内した男)である。
「どうした! ?」
晋作の質問に王が金の報告をそのまま伝える。
「見つかったようだぞ」
「なんだって? どこだ! ?」
「イギリス租界とフランス租界の境界、黄浦江沿いのホテル『黄浦楼 』だ」
「よし! いくぞみんな! 案内してくれ!」
■ホテル『黄浦楼 』
青幇の情報網で2人の名前はわかっていた。
どうやら相当焦っていたのか、1泊ずつホテルを変えていたようだ。しかし名前は変えていない。ホテルの従業員に賄賂を渡し、部屋番号を聞いてさっそく早速パーシーとビルの部屋へと向かったが、部屋はもぬけの殻だった。
「ちっ……逃げられたか」
晋作は舌打ちした。従業員に聞き込みを行ったが、2人の行方はわからなかった。ただ、少し前にイギリス租界の警察が同じ二人組のことを聞きに来ていたらしい。
「警察か……奴らに感づかれたか」
晋作は眉をひそめた。
「しかし、どこへ行ったんだ?」
五代が尋ねた。
「おそらく……港のすぐ近くのこのホテルに1泊しているとなれば、埠頭に向かったのだろう。このまま上海を離れるつもりかもしれない」
晋作は推理した。確証はないが、可能性の高い方へかけたのだ。
夜のとばりが降り始めていたにもかかわらず、埠頭は多くの人々で賑わっていた。晋作達は人混みをかき分けながら、パーシーとビルの姿を探した。
その時、金羅漢が叫んだ。
「あそこにいます!」
金が指差す方を見ると、パーシーとビルが数人の男たちに囲まれ、もみ合いになっているのが見えた。男たちは皆、腕に赤い腕章を巻いている。
イギリス租界を拠点とし、アヘン利権を巡り青幇と対立する紅幇の構成員たちだ。
「あれは……ち! 紅幇のヤツらか! しかも張までいやがる」
王が吐き捨てるように言い、晋作達に説明する。
青幇は大運河のギルドが基盤で近年上海を根城とするようになっており、紅幇は内陸部の水運業者が長江中下流域に進出してできたものだ。
同じようにアヘンの売買が大きな収益となっていた。
規模・知名度ともに青幇の方が上回っていたが、それでも紅幇と全面戦争をするとなると、青幇も相応の被害を覚悟しなければならない。それが王が吐き捨てるように言った理由だ。
紅幇はおそらくイギリス公使館から依頼を受けて、二人を捕らえようとしていたのだろう。
「いくぞみんな! 覚悟を決めろ!」
晋作は拳銃を手に取り、2人を囲む男達へと進んでいく。
「くそっ! 晋作! 割増料金だぞ!」
王と金に率いられた青幇が続くと、中牟田や五代らの日本陣営も後に続いた。
埠頭は騒然となった。晋作一行と紅幇の男たちが入り乱れ、怒号と罵声が飛び交う銃撃戦だ。
「二人を放せ! さもないとどうなるか分かっているだろうな?」
晋作は大声で威嚇するが、もとより言葉が通じない。
ただ、お互いが敵であることしかわからないのだ。晋作の合図で一斉に紅幇の男たちに向けて撃ちかかる。埠頭は激しい銃撃戦の舞台と化し、晋作達はリボルバーを手に応戦する。
多勢に無勢ではあったが、紅幇の男たちも青幇との抗争で疲弊しており、本気を言えばさっさと2人組を連れて引き揚げたかった。
「仕方ねえ、取られるよりマシだ。お前らに恨みはないが、死んでもらうぞ!」
紅幇のリーダーの張は、形勢不利と見るや、パーシーとビルに銃口を向けた。
「や、やめ……」
「待て、金はある!」
2人の懇願を無視して張が引き金を引き、バアン! バアン! バアン! バアン! という音が響き渡った。
「引き揚げるぞ!」
張はそう言って仲間を連れて逃走する。
「くそっ! 待ちやがれ!」
「待て晋作! 2人が先だ!」
晋作は叫んだが、中牟田の声に我に返って2人を見る。2人とも腹部に銃創があり、かなり出血していた。
「あの野郎……腹をやられている、残念だがもう助からんだろう」
王が首を横にふる。
「まだわからん、運ぶぞ!」
晋作が声をあげ、全員で搬送の準備をする。
バシャ! バシャ! バシャ!
突然の閃光とともに現れた男は、晋作をはじめ一行をよく知る人物であった。
次回予告 第297話 『謎の男、その正体と目的』
「失礼します」
明らかにそれと分かる風貌の男が、公使館内でパークスの部屋のドアを叩いて入り、開口一番に告げた。イギリス租界一円を管轄している警察署の署長である。
すでに捜索開始から10日がたっていた。
「どうした? 見つかったか?」
「いえ、残念ながら……」
「! いったい何をやっているのだね? シーク教徒どもなど、代わりはいくらでもいるのだから、昼夜を問わずに捜させれば良いのだ」
パークスの焦りは募っていた。
「見つかってはおりませんが、気になることが2つ」
「なんだね?」
「はい、ここ数日前まで、妙に羽振りのいい男の2人組がいたらしいのですが、ぱったりと見なくなったようなのです」
「……感づいたか?」
「それは分かりませんが、もう1つ。どうやら何者かが同じように2人組を捜しているようなのです」
警察署長は生麦事件や日英の外交戦の事など知るよしもない。
「くそう……わかった。2人組と一緒にその何者かも捜すのだ。やり方は任せる。……いいかね? もし捕らえようとして抵抗したり、逃げようなどとすれば、わかっているね?」
「はい」
■フランス租界
「どうやら2人は潜伏先を変えたようだ。以前は酒場や賭博場に出入りしていたらしいが、最近は全く姿を見せていない」
王徳仁は深刻な面持ちで言った。
「どこへ消えたんだ?」
晋作が鋭く尋ねた。
「おそらく、どこかの隠れ家に潜伏しているのだろう。あるいは、既に上海を離れた可能性もある」
「くそっ……このままでは、いつまでたっても2人を見つけられない」
「見つけたぜ! 王さん!」
勢いよくドアを開けて、今道晋九郎も聞き取れない言葉で叫んだのは金羅漢(最初に案内した男)である。
「どうした! ?」
晋作の質問に王が金の報告をそのまま伝える。
「見つかったようだぞ」
「なんだって? どこだ! ?」
「イギリス租界とフランス租界の境界、黄浦江沿いのホテル『黄浦楼 』だ」
「よし! いくぞみんな! 案内してくれ!」
■ホテル『黄浦楼 』
青幇の情報網で2人の名前はわかっていた。
どうやら相当焦っていたのか、1泊ずつホテルを変えていたようだ。しかし名前は変えていない。ホテルの従業員に賄賂を渡し、部屋番号を聞いてさっそく早速パーシーとビルの部屋へと向かったが、部屋はもぬけの殻だった。
「ちっ……逃げられたか」
晋作は舌打ちした。従業員に聞き込みを行ったが、2人の行方はわからなかった。ただ、少し前にイギリス租界の警察が同じ二人組のことを聞きに来ていたらしい。
「警察か……奴らに感づかれたか」
晋作は眉をひそめた。
「しかし、どこへ行ったんだ?」
五代が尋ねた。
「おそらく……港のすぐ近くのこのホテルに1泊しているとなれば、埠頭に向かったのだろう。このまま上海を離れるつもりかもしれない」
晋作は推理した。確証はないが、可能性の高い方へかけたのだ。
夜のとばりが降り始めていたにもかかわらず、埠頭は多くの人々で賑わっていた。晋作達は人混みをかき分けながら、パーシーとビルの姿を探した。
その時、金羅漢が叫んだ。
「あそこにいます!」
金が指差す方を見ると、パーシーとビルが数人の男たちに囲まれ、もみ合いになっているのが見えた。男たちは皆、腕に赤い腕章を巻いている。
イギリス租界を拠点とし、アヘン利権を巡り青幇と対立する紅幇の構成員たちだ。
「あれは……ち! 紅幇のヤツらか! しかも張までいやがる」
王が吐き捨てるように言い、晋作達に説明する。
青幇は大運河のギルドが基盤で近年上海を根城とするようになっており、紅幇は内陸部の水運業者が長江中下流域に進出してできたものだ。
同じようにアヘンの売買が大きな収益となっていた。
規模・知名度ともに青幇の方が上回っていたが、それでも紅幇と全面戦争をするとなると、青幇も相応の被害を覚悟しなければならない。それが王が吐き捨てるように言った理由だ。
紅幇はおそらくイギリス公使館から依頼を受けて、二人を捕らえようとしていたのだろう。
「いくぞみんな! 覚悟を決めろ!」
晋作は拳銃を手に取り、2人を囲む男達へと進んでいく。
「くそっ! 晋作! 割増料金だぞ!」
王と金に率いられた青幇が続くと、中牟田や五代らの日本陣営も後に続いた。
埠頭は騒然となった。晋作一行と紅幇の男たちが入り乱れ、怒号と罵声が飛び交う銃撃戦だ。
「二人を放せ! さもないとどうなるか分かっているだろうな?」
晋作は大声で威嚇するが、もとより言葉が通じない。
ただ、お互いが敵であることしかわからないのだ。晋作の合図で一斉に紅幇の男たちに向けて撃ちかかる。埠頭は激しい銃撃戦の舞台と化し、晋作達はリボルバーを手に応戦する。
多勢に無勢ではあったが、紅幇の男たちも青幇との抗争で疲弊しており、本気を言えばさっさと2人組を連れて引き揚げたかった。
「仕方ねえ、取られるよりマシだ。お前らに恨みはないが、死んでもらうぞ!」
紅幇のリーダーの張は、形勢不利と見るや、パーシーとビルに銃口を向けた。
「や、やめ……」
「待て、金はある!」
2人の懇願を無視して張が引き金を引き、バアン! バアン! バアン! バアン! という音が響き渡った。
「引き揚げるぞ!」
張はそう言って仲間を連れて逃走する。
「くそっ! 待ちやがれ!」
「待て晋作! 2人が先だ!」
晋作は叫んだが、中牟田の声に我に返って2人を見る。2人とも腹部に銃創があり、かなり出血していた。
「あの野郎……腹をやられている、残念だがもう助からんだろう」
王が首を横にふる。
「まだわからん、運ぶぞ!」
晋作が声をあげ、全員で搬送の準備をする。
バシャ! バシャ! バシャ!
突然の閃光とともに現れた男は、晋作をはじめ一行をよく知る人物であった。
次回予告 第297話 『謎の男、その正体と目的』
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。
Another World〜自衛隊 まだ見ぬ世界へ〜
華厳 秋
ファンタジー
───2025年1月1日
この日、日本国は大きな歴史の転換点を迎えた。
札幌、渋谷、博多の3箇所に突如として『異界への門』──アナザーゲート──が出現した。
渋谷に現れた『門』から、異界の軍勢が押し寄せ、無抵抗の民間人を虐殺。緊急出動した自衛隊が到着した頃には、敵軍の姿はもうなく、スクランブル交差点は無惨に殺された民間人の亡骸と血で赤く染まっていた。
この緊急事態に、日本政府は『門』内部を調査するべく自衛隊を『異界』──アナザーワールド──へと派遣する事となった。
一方地球では、日本の急激な軍備拡大や『異界』内部の資源を巡って、極東での緊張感は日に日に増して行く。
そして、自衛隊は国や国民の安全のため『門』内外問わず奮闘するのであった。
この作品は、小説家になろう様カクヨム様にも投稿しています。
この作品はフィクションです。
実在する国、団体、人物とは関係ありません。ご注意ください。
三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地~ 家族愛の三国志大河
墨笑
歴史・時代
『家族愛と人の心』『個性と社会性』をテーマにした三国志の大河小説です。
三国志を知らない方も楽しんでいただけるよう意識して書きました。
全体の文量はかなり多いのですが、半分以上は様々な人物を中心にした短編・中編の集まりです。
本編がちょっと長いので、お試しで読まれる方は後ろの方の短編・中編から読んでいただいても良いと思います。
おすすめは『小覇王の暗殺者(ep.216)』『呂布の娘の嫁入り噺(ep.239)』『段煨(ep.285)』あたりです。
本編では蜀において諸葛亮孔明に次ぐ官職を務めた許靖という人物を取り上げています。
戦乱に翻弄され、中国各地を放浪する波乱万丈の人生を送りました。
歴史ものとはいえ軽めに書いていますので、歴史が苦手、三国志を知らないという方でもぜひお気軽にお読みください。
※人名が分かりづらくなるのを避けるため、アザナは一切使わないことにしました。ご了承ください。
※切りのいい時には完結設定になっていますが、三国志小説の執筆は私のライフワークです。生きている限り話を追加し続けていくつもりですので、ブックマークしておいていただけると幸いです。
私のお父様とパパ様
棗
ファンタジー
非常に過保護で愛情深い二人の父親から愛される娘メアリー。
婚約者の皇太子と毎月あるお茶会で顔を合わせるも、彼の隣には幼馴染の女性がいて。
大好きなお父様とパパ様がいれば、皇太子との婚約は白紙になっても何も問題はない。
※箱入り娘な主人公と娘溺愛過保護な父親コンビのとある日のお話。
追記(2021/10/7)
お茶会の後を追加します。
更に追記(2022/3/9)
連載として再開します。
大絶滅 2億年後 -原付でエルフの村にやって来た勇者たち-
半道海豚
SF
200万年後の姉妹編です。2億年後への移住は、誰もが思いもよらない結果になってしまいました。推定2億人の移住者は、1年2カ月の間に2億年後へと旅立ちました。移住者2億人は11万6666年という長い期間にばらまかれてしまいます。結果、移住者個々が独自に生き残りを目指さなくてはならなくなります。本稿は、移住最終期に2億年後へと旅だった5人の少年少女の奮闘を描きます。彼らはなんと、2億年後の移動手段に原付を選びます。
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
転生したら貴族の息子の友人A(庶民)になりました。
襲
ファンタジー
〈あらすじ〉
信号無視で突っ込んできたトラックに轢かれそうになった子どもを助けて代わりに轢かれた俺。
目が覚めると、そこは異世界!?
あぁ、よくあるやつか。
食堂兼居酒屋を営む両親の元に転生した俺は、庶民なのに、領主の息子、つまりは貴族の坊ちゃんと関わることに……
面倒ごとは御免なんだが。
魔力量“だけ”チートな主人公が、店を手伝いながら、学校で学びながら、冒険もしながら、領主の息子をからかいつつ(オイ)、のんびり(できたらいいな)ライフを満喫するお話。
誤字脱字の訂正、感想、などなど、お待ちしております。
やんわり決まってるけど、大体行き当たりばったりです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる