293 / 312
第290話 『生麦事件交渉-5-10万ポンドの要求』
しおりを挟む
文久二年八月十八日(1862年9月11日)
日本側とイギリス側の会談は連日にわたって続き、ついにニールは上海租界における捜査協力を認めるに至った。
今回のニールの目的は、100対0の勝利でなくともイギリス優位で交渉を進め、賠償金を勝ち取り、今後の日本におけるイニシアチブを獲得することである。
謝罪に関してはニール一行も再度病院に行き、被害者と面談の上、国家の体裁を保てるだけの賠償金を得て、謝罪はお互いが非を認めて相互に行うことで合意を得た。
・イギリス側は個人的謝罪を認めたが、薩摩側は認めるのか?
・賠償金をいくらに設定するのか?
・犯人引き渡しは事実上難しい。
ただし上海においては領事館、もしくは大使館の許可が必要なため、捜査協力をするにしても時間がかかる。次郎はなるべく早くと言ったものの、使者が上海に到着しても、すぐに協力は得られないだろうと考えていた。
「では私はこれから事件の詳細、これはこれまでの状況を踏まえ、双方が合意した内容ですが、この書面をもって上海の領事館と、必要があれば北京の大使館まで捜査協力の要請をいたします。相応の時間がかかることはご了承ください」
「承知しました」
次郎はなんとか協力を取り付けたことに満足していたが、あとはどのくらいの時間がかかるかである。
「では、治療中の3人については完治の後、無礼は謝罪するとのことですでに話がつきました。それで加害者側……で問題ありませんね? 島津側は、刀で傷を負わせたことに対しては、謝罪していただくことでよろしいですか?」
次郎は考え、即答は避けたが、否定的ではない回答をする。
「それについては善処いたします。ただ、武士の矜持というものがあり、わが国では人々の生活の中でも秩序というものを大ごとにしていますので、それを傷つけられた手前……これに関しては善処いたしますとしか今の段階では申し上げられません」
薩摩が謝罪に応じるかということである。それにつきる。
「それは困りますね。こちらは傷を受け、それを踏まえて無礼を謝罪するのです。わが国の法で裁けない以上、犯人の身柄を渡せとは言えませんが、せめて謝罪はしてもらわないと筋が通りません。このままでは一方的にこちらが悪かったことになる」
「十分承知しています。ただ、ここにいない者の考えを私が軽々に述べることはできません。ですから、事実を踏まえた上での説得を試みる、ということです」
ニールは怪訝な顔をする。
「サツマは、シマヅは幕府の統制下にあるのではないのですか? なぜ命令できないのですか?」
統制下ではある。ただし、残念ながらその力が、今の幕府においては弱まってきているのだ。
「ニール殿、日本では今回のような事例は初めてなのです。藩と藩の争いであったり、藩内で収拾がつかない場合は幕府が間に入って仲裁し、問題を解決してきました。しかし、今回幕府が薩摩に命じたとしても、すぐに了承が得られるとは限らないのです。ただし、それでも薩摩の行為は行為であり、国家の責任をもって謝罪するよう命じます」
次郎は言葉を選んだ。
命じることはできる。
ただし、本当は『説得する』と言いたかったのだが、そうなれば幕府の統治能力を疑われ、不必要な介入を受けてしまう。ここはグレーでも日本は統一国家だと示しておかなければならなかったのだ。
「なるほど、まあ良いでしょう。では次に、協力をした場合には相応の賠償金の支払いに応じるとのことに間違いはありませんか?」
「間違いありません」
「その上で、状況に応じた賠償額を決めておきましょう」
ニールは少し不服そうに話を進めた。
・逃亡した2人がイギリスの命令で犯行を起こした。
・逃亡した2人が第三国の命令で犯行を起こした。
・逃亡した2人は国家とはまったく関係がなく、個人的に行って逃亡した。
「まずあり得ない話ですが、我が国政府の命令で2人が犯行に及んだのであれば、これは由々しき事態です。被害者への賠償は政府が行わなくてはならず、イギリスは日本に対して賠償を行わなければならないでしょう。この場合はいくらをお考えですか?」
まったく関心がないような素振りでニールが次郎に聞いた。
「そうですね……金額は考えた事もありませんでしたが、国家単位の陰謀ですから、貴国の通貨で10万ポンドは必要でしょうか」
ニールは鼻で笑い、続ける。
「なるほど、わかりました。では次です。第三国の場合は……これは協議は、イギリスと日本両国がその対象国に対して請求するものですから、急がなくても良いのではないでしょうか」
「そうですね」
次郎は無表情であり、ニールもまた、そんな事はありえないと考えていた。
「さて、1番の問題は国家がまったく介在しない場合です」
「……」
「わが国は貴国に対して10万ポンド、薩摩に対して2万5千ポンドを要求します。死者は出なかったとはいえ重傷を負い、それに上海において、前例のない租界内での捜査を認めるのです。その上で国家の関与が認められないと判明した場合、威信を傷つけられたとして、当然の要求かと」
「なるほど。しかしそれは先の話になりますね。実際の交渉は、その結果によるでしょう」
こっちもふっかけたが、まさか史実と同額を要求してくるとは。
次郎は驚いた。
■上海 フランス租界 ホテル『宏記洋行』
「Excusez-moi, un Japonais du nom de Shinsaku Takasugi séjourne-t-il dans cet hôtel ? (失礼、このホテルに高杉晋作という日本人は泊まっていませんか?)」
「ああ! 誰かと思ったら直紀どのではないか! なぜ上海に? ……さては、なにか日本で起きたのですか?」
大村遊学時代に知己となっていたのだ。
「その何かなのです! 人目につくので某を含めて数名しか家中からは来てはおりませんが、とんでもないことが起きました」
大村藩士の御城直紀は辺りを見回し、晋作の耳元でささやいた。
「なにい! ? それで、いや、ここはまずい。部屋には佐賀の中牟田君や薩摩の五代君、御家中の峰君もいる。そこで話そう」
高杉晋作と大村藩士の御城直紀、そして同じく今道晋九郎は2階の晋作たちの部屋に上がっていった。
次回予告 第291話 『上海にて』
日本側とイギリス側の会談は連日にわたって続き、ついにニールは上海租界における捜査協力を認めるに至った。
今回のニールの目的は、100対0の勝利でなくともイギリス優位で交渉を進め、賠償金を勝ち取り、今後の日本におけるイニシアチブを獲得することである。
謝罪に関してはニール一行も再度病院に行き、被害者と面談の上、国家の体裁を保てるだけの賠償金を得て、謝罪はお互いが非を認めて相互に行うことで合意を得た。
・イギリス側は個人的謝罪を認めたが、薩摩側は認めるのか?
・賠償金をいくらに設定するのか?
・犯人引き渡しは事実上難しい。
ただし上海においては領事館、もしくは大使館の許可が必要なため、捜査協力をするにしても時間がかかる。次郎はなるべく早くと言ったものの、使者が上海に到着しても、すぐに協力は得られないだろうと考えていた。
「では私はこれから事件の詳細、これはこれまでの状況を踏まえ、双方が合意した内容ですが、この書面をもって上海の領事館と、必要があれば北京の大使館まで捜査協力の要請をいたします。相応の時間がかかることはご了承ください」
「承知しました」
次郎はなんとか協力を取り付けたことに満足していたが、あとはどのくらいの時間がかかるかである。
「では、治療中の3人については完治の後、無礼は謝罪するとのことですでに話がつきました。それで加害者側……で問題ありませんね? 島津側は、刀で傷を負わせたことに対しては、謝罪していただくことでよろしいですか?」
次郎は考え、即答は避けたが、否定的ではない回答をする。
「それについては善処いたします。ただ、武士の矜持というものがあり、わが国では人々の生活の中でも秩序というものを大ごとにしていますので、それを傷つけられた手前……これに関しては善処いたしますとしか今の段階では申し上げられません」
薩摩が謝罪に応じるかということである。それにつきる。
「それは困りますね。こちらは傷を受け、それを踏まえて無礼を謝罪するのです。わが国の法で裁けない以上、犯人の身柄を渡せとは言えませんが、せめて謝罪はしてもらわないと筋が通りません。このままでは一方的にこちらが悪かったことになる」
「十分承知しています。ただ、ここにいない者の考えを私が軽々に述べることはできません。ですから、事実を踏まえた上での説得を試みる、ということです」
ニールは怪訝な顔をする。
「サツマは、シマヅは幕府の統制下にあるのではないのですか? なぜ命令できないのですか?」
統制下ではある。ただし、残念ながらその力が、今の幕府においては弱まってきているのだ。
「ニール殿、日本では今回のような事例は初めてなのです。藩と藩の争いであったり、藩内で収拾がつかない場合は幕府が間に入って仲裁し、問題を解決してきました。しかし、今回幕府が薩摩に命じたとしても、すぐに了承が得られるとは限らないのです。ただし、それでも薩摩の行為は行為であり、国家の責任をもって謝罪するよう命じます」
次郎は言葉を選んだ。
命じることはできる。
ただし、本当は『説得する』と言いたかったのだが、そうなれば幕府の統治能力を疑われ、不必要な介入を受けてしまう。ここはグレーでも日本は統一国家だと示しておかなければならなかったのだ。
「なるほど、まあ良いでしょう。では次に、協力をした場合には相応の賠償金の支払いに応じるとのことに間違いはありませんか?」
「間違いありません」
「その上で、状況に応じた賠償額を決めておきましょう」
ニールは少し不服そうに話を進めた。
・逃亡した2人がイギリスの命令で犯行を起こした。
・逃亡した2人が第三国の命令で犯行を起こした。
・逃亡した2人は国家とはまったく関係がなく、個人的に行って逃亡した。
「まずあり得ない話ですが、我が国政府の命令で2人が犯行に及んだのであれば、これは由々しき事態です。被害者への賠償は政府が行わなくてはならず、イギリスは日本に対して賠償を行わなければならないでしょう。この場合はいくらをお考えですか?」
まったく関心がないような素振りでニールが次郎に聞いた。
「そうですね……金額は考えた事もありませんでしたが、国家単位の陰謀ですから、貴国の通貨で10万ポンドは必要でしょうか」
ニールは鼻で笑い、続ける。
「なるほど、わかりました。では次です。第三国の場合は……これは協議は、イギリスと日本両国がその対象国に対して請求するものですから、急がなくても良いのではないでしょうか」
「そうですね」
次郎は無表情であり、ニールもまた、そんな事はありえないと考えていた。
「さて、1番の問題は国家がまったく介在しない場合です」
「……」
「わが国は貴国に対して10万ポンド、薩摩に対して2万5千ポンドを要求します。死者は出なかったとはいえ重傷を負い、それに上海において、前例のない租界内での捜査を認めるのです。その上で国家の関与が認められないと判明した場合、威信を傷つけられたとして、当然の要求かと」
「なるほど。しかしそれは先の話になりますね。実際の交渉は、その結果によるでしょう」
こっちもふっかけたが、まさか史実と同額を要求してくるとは。
次郎は驚いた。
■上海 フランス租界 ホテル『宏記洋行』
「Excusez-moi, un Japonais du nom de Shinsaku Takasugi séjourne-t-il dans cet hôtel ? (失礼、このホテルに高杉晋作という日本人は泊まっていませんか?)」
「ああ! 誰かと思ったら直紀どのではないか! なぜ上海に? ……さては、なにか日本で起きたのですか?」
大村遊学時代に知己となっていたのだ。
「その何かなのです! 人目につくので某を含めて数名しか家中からは来てはおりませんが、とんでもないことが起きました」
大村藩士の御城直紀は辺りを見回し、晋作の耳元でささやいた。
「なにい! ? それで、いや、ここはまずい。部屋には佐賀の中牟田君や薩摩の五代君、御家中の峰君もいる。そこで話そう」
高杉晋作と大村藩士の御城直紀、そして同じく今道晋九郎は2階の晋作たちの部屋に上がっていった。
次回予告 第291話 『上海にて』
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。
Another World〜自衛隊 まだ見ぬ世界へ〜
華厳 秋
ファンタジー
───2025年1月1日
この日、日本国は大きな歴史の転換点を迎えた。
札幌、渋谷、博多の3箇所に突如として『異界への門』──アナザーゲート──が出現した。
渋谷に現れた『門』から、異界の軍勢が押し寄せ、無抵抗の民間人を虐殺。緊急出動した自衛隊が到着した頃には、敵軍の姿はもうなく、スクランブル交差点は無惨に殺された民間人の亡骸と血で赤く染まっていた。
この緊急事態に、日本政府は『門』内部を調査するべく自衛隊を『異界』──アナザーワールド──へと派遣する事となった。
一方地球では、日本の急激な軍備拡大や『異界』内部の資源を巡って、極東での緊張感は日に日に増して行く。
そして、自衛隊は国や国民の安全のため『門』内外問わず奮闘するのであった。
この作品は、小説家になろう様カクヨム様にも投稿しています。
この作品はフィクションです。
実在する国、団体、人物とは関係ありません。ご注意ください。
貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
佐藤醤油
ファンタジー
貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
------------------------------------------------------------------
お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
------------------------------------------------------------------
注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。
三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地~ 家族愛の三国志大河
墨笑
歴史・時代
『家族愛と人の心』『個性と社会性』をテーマにした三国志の大河小説です。
三国志を知らない方も楽しんでいただけるよう意識して書きました。
全体の文量はかなり多いのですが、半分以上は様々な人物を中心にした短編・中編の集まりです。
本編がちょっと長いので、お試しで読まれる方は後ろの方の短編・中編から読んでいただいても良いと思います。
おすすめは『小覇王の暗殺者(ep.216)』『呂布の娘の嫁入り噺(ep.239)』『段煨(ep.285)』あたりです。
本編では蜀において諸葛亮孔明に次ぐ官職を務めた許靖という人物を取り上げています。
戦乱に翻弄され、中国各地を放浪する波乱万丈の人生を送りました。
歴史ものとはいえ軽めに書いていますので、歴史が苦手、三国志を知らないという方でもぜひお気軽にお読みください。
※人名が分かりづらくなるのを避けるため、アザナは一切使わないことにしました。ご了承ください。
※切りのいい時には完結設定になっていますが、三国志小説の執筆は私のライフワークです。生きている限り話を追加し続けていくつもりですので、ブックマークしておいていただけると幸いです。
大絶滅 2億年後 -原付でエルフの村にやって来た勇者たち-
半道海豚
SF
200万年後の姉妹編です。2億年後への移住は、誰もが思いもよらない結果になってしまいました。推定2億人の移住者は、1年2カ月の間に2億年後へと旅立ちました。移住者2億人は11万6666年という長い期間にばらまかれてしまいます。結果、移住者個々が独自に生き残りを目指さなくてはならなくなります。本稿は、移住最終期に2億年後へと旅だった5人の少年少女の奮闘を描きます。彼らはなんと、2億年後の移動手段に原付を選びます。
転生したら貴族の息子の友人A(庶民)になりました。
襲
ファンタジー
〈あらすじ〉
信号無視で突っ込んできたトラックに轢かれそうになった子どもを助けて代わりに轢かれた俺。
目が覚めると、そこは異世界!?
あぁ、よくあるやつか。
食堂兼居酒屋を営む両親の元に転生した俺は、庶民なのに、領主の息子、つまりは貴族の坊ちゃんと関わることに……
面倒ごとは御免なんだが。
魔力量“だけ”チートな主人公が、店を手伝いながら、学校で学びながら、冒険もしながら、領主の息子をからかいつつ(オイ)、のんびり(できたらいいな)ライフを満喫するお話。
誤字脱字の訂正、感想、などなど、お待ちしております。
やんわり決まってるけど、大体行き当たりばったりです。
天日ノ艦隊 〜こちら大和型戦艦、異世界にて出陣ス!〜
八風ゆず
ファンタジー
時は1950年。
第一次世界大戦にあった「もう一つの可能性」が実現した世界線。1950年4月7日、合同演習をする為航行中、大和型戦艦三隻が同時に左舷に転覆した。
大和型三隻は沈没した……、と思われた。
だが、目覚めた先には我々が居た世界とは違った。
大海原が広がり、見たことのない数多の国が支配者する世界だった。
祖国へ帰るため、大海原が広がる異世界を旅する大和型三隻と別世界の艦船達との異世界戦記。
※異世界転移が何番煎じか分からないですが、書きたいのでかいています!
面白いと思ったらブックマーク、感想、評価お願いします!!※
※戦艦など知らない人も楽しめるため、解説などを出し努力しております。是非是非「知識がなく、楽しんで読めるかな……」っと思ってる方も読んでみてください!※
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる