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第249話 『朝廷の和宮降嫁に対する意向とイギリスと薩摩の情勢』

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 万延元年七月二十日(1860/9/5) 京都御所 陣座

 太閤鷹司政通、関白九条尚忠、正四位下右近衛権少将の三条実美、同じく正四位下右近衛権少将の岩倉具視の4人の重臣が集まっていた。
  
 同じ官位官職ではあるが、実美は具視を格下に見ている。

 政通が静かに口を開いた。

「皆様方、和宮様の降嫁について以前より議論しておりましたが、いよいよ公儀からの求めに如何いかに処するか決めねばなりません」

「和宮様を公方に降嫁させるなど、論ずるにおよびませぬ。公儀は自らの権の弱まりを立て直すために、斯様かような事を申しておるのでありましゃる」

 三条実美が厳しい表情で言うと九条尚忠も同意する。

「然様でありましゃる。これまで公儀は朝廷を蔑ろにしてきたにもかかわらず、今になって公武合体とは……虫の良い話ではありませぬか」

「確かに和宮様の降嫁とは、公儀の求めはこれまでにない事にありましゃる。然れども只今ただいまの事様では、あからさまに公儀に抗うのは如何いかがかと考えましゃる」
 
 岩倉具視がやんわりと反論し、鷹司政通は深く息をついて言葉を選びながら話し始めた。

「岩倉の言う通りにありましゃる。公儀との争いは避けねばなりませぬ。然りながら朝廷の立場も守らねばならぬとは、難し判にありましゃるな」

 公武合体は、幕府は尊王の立場であるという考えを改めて示すことで、反幕府勢力による批判を回避する事が目的であったが、その一方で、政治に関しては幕府に一任するという考えを改めて制度化する事でもあった。

 それによる幕府権力の再編強化が目指されたのだ。




「六位蔵人様がお見えです」

「通すが良い」

 政通が尚忠を確認して次郎を通す。

「太田和六位蔵人次郎左衛門武秋にございます」

「くるしゅうない。面をあげなされ」

 九条尚忠はそう言って次郎の緊張をほぐそうとする。政通や具視は相変わらず笑顔だ。実美は無表情である。

「一昨年の神戸と大阪の儀につきましては、真にありがたく、この武秋感謝に堪えませぬ。また此度こたびこの場に同席をお許しいただくこと……」

「次郎さん、そないにかしこまらんでも良いのでありましゃる。殿上を許されたのです。位の違いはあってもそこまでへりくだる事はありませぬ」

 かしこまった次郎のあいさつを具視が笑いながら止める。

「その通り」

 政通も同意して続ける。

「さて、此度来られたのは、公武合体の件ではありませんか」

「然に候。公儀からの申し出は和宮様の御降嫁を願われているかと存じますが、これにつきましては、皆様方におかれましても、苦渋の判を迫られているものと存じます」

 次郎は全員を見渡しながら続ける。

「某、浅学非才ではございますが、戦を避け平和裏に事を進めんとするならば、和宮様には御得心いただき、公武合体を推し進むるが良策かと存じまする」

 実美が眉をひそめる。

「何を申すかと思えば……。降嫁の例はあれど、五摂家のみ。武家へ、臣下である徳川に和宮様を降嫁ならしめるとは、それこそ朝廷の威を地に落とすというものではありませぬか」

 次郎は静かにうなずく。

「仰せの儀、ごもっともにございます。然れども、和宮様の御降嫁を条件といたしまして、朝廷の権威を保ち、公儀の専横を抑える方策を講じる機会となさるべきかと存じます」

「ほう、興味深い。如何なる策をお考えにあらしゃいますか」

 政通が身を乗り出す。

「恐れながら申し上げます。次なる儀を公儀に認めさせれば、朝廷の権も高まり、かつ静謐せいひつがもたらされましょう」

 1. 外交・軍事・重要な人事などの政策決定には天皇の勅許を必要とする。

 2. 毎月状況を報告させる。

 3. 朝廷の財政基盤の強化。

 4. 朝廷の儀式・行事の復興。

 5. 朝廷と幕府の定例会議。

 6. 勅使の権限拡大。

 7. 朝廷による叙位・叙勲の権限強化。

 8. 外交文書への天皇の御璽ぎょじ押印。

「うべな(なるほど)。それは興味深い案ではありましゃるな」

 岩倉具視が目を輝かせたが、九条尚忠は反論する。

「然りながら大政は公儀に任して久しい。今となっては朝廷が政に口を出すことに、然程意味を見いだせませぬ。攘夷じょういにしても全てを夷狄いてきとみなすのではなく、良い物は取入れてとの事で、公儀のやりようを悪しきものと判ずるなと、そう朝議で決まったのではあらしゃいませぬか」

 確かに、尚忠の言う事はもっともである。前回の条約調印の連絡の遅れや、神戸の開港と大阪の開始の件は、幕府が譲歩することで事なきを得たのだ。

 基本的に委任するという方針が決まった以上、これ以上朝廷の権威や権限を高める必要を感じてはいない。

 しかし次郎としては、幕府を中央政府とする立憲君主連邦制を目指していた。そのためには王権を強め、連邦制とした後に、徐々に王権を弱めて立憲君主制へと向かう必要があると考えていたのだ。

「和宮様のお気持ちや朝廷としての在り方、様々な事を踏まえて考えねばならぬと存じますが、ペリーが来航して此の方このかた、公儀の権は弱まり、また井伊大老の死去によってますますその度合いを高めております。斯様な時に朝廷と公儀が力を合わせねば、日本の未来は暗くなるばかりにございましょう。その儀よくよく御思案いただく事、お願い申し上げます」

 


 次郎は初回の会談で話をまとめようとは思っていなかった。議論をして説き伏せるのではなく、まだ多少の時間があったので、時間いっぱい使って説得しようと考えたのだ。




 ■鹿児島城 遡る事1か月半

 長崎の駐日イギリス領事であるジョージ・モリソンは、副領事を長崎に残し、横浜のオールコックと面談するという名目で長崎を出港し、船員のミスで食料が足りなくなったという体で山川港へ漂着した(という体)。

「さてモリソンとやら、わざわざ手紙を寄越してこられたと言う事は、なんぞ人に聞かれてはまずい話であろうかの。わしは此の地の領主ではあるが、公儀の決めた事に逆らうつもりはないぞ」

 好まれる客か好まれざる客か。

 今の段階では明らかに好まれざる客であるモリソンに対して、斉彬は含みを持たせた話し方をした。

「島津公、ご懸念はよく理解しております。確かに、幕府の決定に逆らうようなことは、決して望むところではございません」

 斉彬の言葉を受けたモリソンは表情を引き締めるが、周囲の緊張が高まる中、言葉を選びながら静かに口を開く。斉彬の反応を観察し、部屋の空気が重くなる。

「しかしながら、世界の情勢は急速に変化しております。日本という国が、この変化の波に取り残されてしまうことを、一介の外国人である私でさえ、危惧しているのです」

「何を言いたいのか良くわからぬが?」

 モリソンは笑顔で返す。

「薩摩藩は、日本の中でも特に先進的な藩と聞き及んでおります。幕府の決定を尊重しつつも、同時に世界の動向を見据えた準備をされているのではないでしょうか」

 斉彬はふふふ、と笑いながら言う。

「して、何を求めるのだ」

「我が国は、薩摩藩と密かに協力関係を築きたいと考えております。例えば、最新の技術や知識の提供、貿易の機会の創出などが可能です。もちろん、全ては幕府の方針に反しない範囲で行うことを前提としております」
 
 斉彬は黙ったまま、モリソンの言葉に耳を傾ける。部屋の空気が張り詰める。

「具体的には、まず薩摩藩の若い侍たちに英語や西洋の科学技術を教える機会を提供したいと考えております。これは、将来の両国の友好関係の礎となるはずです」

 ……。

 うべな(なるほど)。そう斉彬は言って続けた。

「肥前の大村家中へは向かったのであろうか? 長崎からなら遙かに近いであろうし、遙かにこの鹿児島より進んでおる。よもや大村家中に断られたから、我が家中に来た訳ではあるまいの?」

 モリソンは斉彬の鋭い質問に一瞬たじろぐが、すぐに平静を取り戻す。彼は言葉を選びながら慎重に答えた。

「公のご指摘、まことにごもっともでございます。確かに大村藩は西洋の知識や技術において先進的であり、我々も大変敬意を払っております」

 モリソンは一呼吸置き、斉彬の反応をうかがう。周囲の侍たちも緊張した面持ちで2人のやり取りを見守っている。

「しかしながら、我が国が薩摩藩に注目しているのは、単に技術的な進歩だけではございません。薩摩藩の持つ政治的影響力、そして日本の将来を……」

 斉彬はモリソンの言葉を手をあげて遮った。

「然様な事は聞いておらぬ。大村家中に行ったかということと、行ったのならば如何あいなったか? 行かなかったのならば何ゆえか、それが聞きたいのだ」

 モリソンは斉彬の直接的な問いに戸惑いを感じたが、それを見せないように表情を引き締めた。

「公のご質問に正直にお答えいたします。確かに、我々は大村藩とも接触を試みました。大村藩は確かに西洋の技術や知識において先進的です。しかし、我が国が求めているのは単なる技術協力だけではありません。薩摩藩のような、日本全体に影響力を持つ存在との関係構築を望んでいるのです」

 斉彬は眉をひそめ、『つまり、大村家中には断られたわけではないのだな』と鋭く指摘する。

「はい、そのとおりです。大村藩との協力の可能性も探っておりますが、同時に薩摩藩とも独立した関係を築きたいと考えております」

「うべな(なるほど)。……つかぬ事を伺うが、太田和さとという人物を知っておるか?」

 斉彬は表情を変えずに聞いた。

 その予想外の質問にモリソンは驚いたが、一呼吸置いて答える。

「太田和里……殿……申し訳ございません。その名前は存じ上げませんが、重要な方なのでしょうか?」

 斉彬は微笑みを浮かべ、言い放った。

「……ふふふ。あい分かった。商いは誰と如何なる物を扱うにしても、信用と信頼が大事である故な。しかと重臣と諮って決めたいと存ずる。また、始めるとしても、その機がきたならばおって知らせる。モリソンとやら、大儀であった」

 この会談を終わらせようとしたのである。

「お、お待ちください島津公……」

 斉彬はさっさと退座してしまった。

 


 大村でのお里とモリソンとの間で行われた会談の一部始終は、お里の命令で主要各藩に電信で送られていたのだ。イギリスと他藩もしくは特定の商人が結べば、大村藩にとって害はあっても利はない。

 とは言えコネクションを持ちたいというイギリスの意図は斉彬に伝わった。技術革新を目指す斉彬が、どちらからを選ぶのか。また、幕府に対抗するようになれば、次郎とたもとを分かつかもしれない。

 薩摩藩としても、将来の選択肢が増えたのであった。




 次回 第250話 (仮)『土佐の勤王、それぞれの勤王。そして攘夷』
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