上 下
192 / 312

第190話 『飛龍丸献上』

しおりを挟む
 安政二年五月二十九日(1855/7/12) 

 次郎は松前藩への軍事教練と併せて、共同で北方の警備体制を整えた。

 ・久春古丹クシャンコタンのロシア軍陣地を焼却。
 ・南樺太のクシャンコタンを大泊と名づけ、整備。
 ・択捉島単冠ヒトカップ湾と国後島白かす湾の整備。
 ・函館港の整備と五稜郭りょうかく(5万3千114両・工期7年)ならびに弁天台場(10万7千277両・工期8年)の造営。(四稜郭、三稜郭、七稜郭)
 ・適宜砲台を設置。
 ・2,111kmの海岸線の道路整備と電信敷設。(電信先行)電信敷設完了予定、安政四年十月。総工費(電信)10万5千550両。

 正直なところ過剰な設備投資と言えなくもないが、蝦夷地は大村藩にとって生命線なのだ。アイヌとの交易に支障がでないよう、内陸の開発も進めている。

 さらに次郎はアイヌの労働環境を良くするために、松前崇広と商人に交渉して、搾取があるようならなくして、三方よしとなるようにした(この時期に反乱でも起こされたら面倒だから、と説明)。

 極寒を身をもって体験したので、次の冬までには揃うように、アイヌの毛皮とゴム布をあわせた防寒具の開発を急がせた。(石炭+石油ストーブも)




 ■大村藩庁

「殿、我が海軍の船を、公儀に献上するという話を耳にいたしましたが、誠でございましょうや」

「うむ、その儀なのだがな……」 

 純あきは顔色が優れないようだ。

「殿、お加減が悪いようであれば、日を改めまする」

「いや、良いのだ。今日は修理も来ておるでな」

「なんと、修理様が……」

 修理とは通称で、純顕の弟の利純(純ひろ)の事である。

 ほどなくして利純と、家督を継いで家老となった針尾九左衛門が謁見の間に入ってきた。次郎の正面上座に純顕が座っているが、右手に利純、そして左手に九左衛門が座った。

「久しいな、次郎左衛門」

「はは。修理様におかれましては、益々ご健勝の事とお慶び申し上げます」

 そう次郎が言って挨拶すると、利純はニコリと笑った。病弱ではないものの、壮健とは言えない純顕に比べて、いかにも武家の棟梁という貫禄かんろくすら見せ始めてきた利純である。

「太田和殿はご多忙のようで、ご自慢の蒸気船で北は蝦夷地から南は薩摩まで、落ち着く暇もございませんな」

 家老の九左衛門は眉一つ動かさず、無表情で言った。他意はないのだろうが、捉え方によっては嫌みと言えなくもない。次郎は気にしなかったが、人によっては、という事である。

「それでは殿、先ほどの儀にございますが、海軍の船を公儀に献上するという話にございますが……」

 それについては、と九左衛門が話に入ってきた。

只今ただいま、我が家中の船手衆……海軍、と名付けたのでしたな。その海軍は急速に整いつつあるように見えますが、ここで御公儀への忠誠を示すためにも、幾艘いくそうかの船を献上しては如何いかがと存じます」

 幾艘か、だと? ! 飛龍丸一隻の話ではなかったのか? 次郎の顔がゆがむが、すぐに無表情を装って、九左衛門の言葉に対して考える。

「……然れど針尾殿、公儀がわが家中の忠義を認めたとて、それが一体何になりましょうや」

「な! 何にとは、太田和殿、言葉が過ぎますぞ。わが家中は無論の事、天下に二百六十家中余り、その全てが御公儀のお陰で栄え長らえてきたのでございますぞ」

「お陰、にございますか」

 転生人の次郎にとって、まったく縁のない話である。しかも御公儀の云々うんぬんというが、はたして外様の大名の全員が徳川の威光にひれ伏して、恩を感じて今を生きているのだろうか?

 全国をまとめて戦をなくした功績は大きいだろう。

 これは、間違いない。関ヶ原の戦いで加増されて大名になった家もあるあだろう。しかし減封された家や、そうでなくてもあらぬ疑いをかけられて改易になった家は五万とあるはずだ。

 幕府に感じている恩とはなんだ? 幕政は譜代がやっているし、親藩は参政してないとは言え別格だ。外様は? 幕府に忠義?

 人質を取られ参勤交代をして、一体何の忠義なんだろうか?




 次郎は深呼吸をして、ゆっくり話し始めた。

「針尾殿、御公儀に対する忠誠を示すための重き行いというのは心得ております。然れど、我らが殊更忠誠を示したところで、わが家中にとって何か益がございますでしょうか? 公儀から目に見える益を得る事がございましょうや」

 九左衛門は一瞬言葉に詰まったが、自らの持論を語る。

「太田和殿、公儀への忠誠心を示す事こそが重しなのです。御公儀からの信を得ることで、我が家中の立場がより強くなり申す。然れば長い目で見れば、わが家中にとっても益となりましょう」

 平行線だ。

「次郎左衛門よ」

 利純が入ってきた。

「公儀への忠義はひとまず置いておこう。おぬしは、今……只今の公儀と我が家中の間柄は如何いかなる物と考えるか? また、今後如何にすれば、より良い道が開けると思うておるのか。聞かせてはくれぬか」

「然れば、常なり(普通)かと存じます。他の外様の家中と同じく、可もなく不可もなく、今の事様ことざま(状況)が一番良い程(程度)かと存じます。命じられて能うならば行い、そうでなければ何もせず。長崎が良い例ではありませぬか。殿は無論の事、佐賀の鍋島様も公儀に備えを強めるべしと訴えても、結句けっく(結局)なにもせず、我らに丸投げにございます」

 利純はなるほどなるほど、とうなずいてはいたが、次のように反論した。

「真に、一番良い程であろうか? 我が家中は他の家中に先んじて、大船建造の禁を解くお許しを得た。また蝦夷地の草分け(開拓)や新しき蒸気船、異国との交渉など、の方は我が家中のため、ひいては日本のためにと思ってやっているかと思うが、はたして幕閣の中にはそれを心得て、わが家中に良き思いのみを抱いておる者ばかりであろうか」

 利純は次郎の行動が、藩と日本のためだと理解した上で、幕閣はそれを理解し許容しているのだろうか? という事である。これについては、次郎の考えも微妙であった。

 苦々しく思い、何か理由をつけて罪に問う、もしくは大村藩を減封・転封・改易にできないか? 
  
 そう考えている輩もいるかもしれない。次郎は彼らの面子を潰した覚えは全くないが、そう感じている人間が全くいない、とは言い切れないのだ。

「うべなるかな(なるほど)。しかして船の献上の話となった訳にございますね」

「然様。次郎、其の方にとっては心血を注いだ我が子のような物であろう。然れど、然ればこそ、献上をすれば公儀の覚えめでたく、以後の行いを易きに導くのではあるまいか?」

 理路整然と、よどみなく利純が話した。




 うーん。

 あながち間違いとは言い難い。

 確かに俺の事を苦々しく思っている幕閣の面々もいるだろう。そういう人達に対して献上したとしても、結局『その意気やよし』の一言で終わるだろうが、確かに(あるとすれば)軋轢あつれきはやわらぐ。




「然れば、この儀は易きに非ずして、しばし考えとうございます」

 次郎は深く考えながら、ゆっくりと返事をした。

「太田和殿、何を仰せか。船は貴殿の物ではない。殿の、我が家中の物である。それを考えるなどとは……何事にござるか」

「良い」

 純顕が短く九左衛門を制した。

「修理の申したとおり、心血を注いだまさに我が子の様な物であろう。わしは公儀とは、程よい間柄が一番だと考えて居る。両者の言い分もっともなれど、次郎よ、しかと考え、後で教えてくれぬか」

「はは」



 
 次回 第190話 (仮)『鉄道が欲しい!』
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

Another World〜自衛隊 まだ見ぬ世界へ〜

華厳 秋
ファンタジー
───2025年1月1日  この日、日本国は大きな歴史の転換点を迎えた。  札幌、渋谷、博多の3箇所に突如として『異界への門』──アナザーゲート──が出現した。  渋谷に現れた『門』から、異界の軍勢が押し寄せ、無抵抗の民間人を虐殺。緊急出動した自衛隊が到着した頃には、敵軍の姿はもうなく、スクランブル交差点は無惨に殺された民間人の亡骸と血で赤く染まっていた。  この緊急事態に、日本政府は『門』内部を調査するべく自衛隊を『異界』──アナザーワールド──へと派遣する事となった。  一方地球では、日本の急激な軍備拡大や『異界』内部の資源を巡って、極東での緊張感は日に日に増して行く。  そして、自衛隊は国や国民の安全のため『門』内外問わず奮闘するのであった。 この作品は、小説家になろう様カクヨム様にも投稿しています。 この作品はフィクションです。 実在する国、団体、人物とは関係ありません。ご注意ください。

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地~ 家族愛の三国志大河

墨笑
歴史・時代
『家族愛と人の心』『個性と社会性』をテーマにした三国志の大河小説です。 三国志を知らない方も楽しんでいただけるよう意識して書きました。 全体の文量はかなり多いのですが、半分以上は様々な人物を中心にした短編・中編の集まりです。 本編がちょっと長いので、お試しで読まれる方は後ろの方の短編・中編から読んでいただいても良いと思います。 おすすめは『小覇王の暗殺者(ep.216)』『呂布の娘の嫁入り噺(ep.239)』『段煨(ep.285)』あたりです。 本編では蜀において諸葛亮孔明に次ぐ官職を務めた許靖という人物を取り上げています。 戦乱に翻弄され、中国各地を放浪する波乱万丈の人生を送りました。 歴史ものとはいえ軽めに書いていますので、歴史が苦手、三国志を知らないという方でもぜひお気軽にお読みください。 ※人名が分かりづらくなるのを避けるため、アザナは一切使わないことにしました。ご了承ください。 ※切りのいい時には完結設定になっていますが、三国志小説の執筆は私のライフワークです。生きている限り話を追加し続けていくつもりですので、ブックマークしておいていただけると幸いです。

OLサラリーマン

廣瀬純一
ファンタジー
女性社員と体が入れ替わるサラリーマンの話

大絶滅 2億年後 -原付でエルフの村にやって来た勇者たち-

半道海豚
SF
200万年後の姉妹編です。2億年後への移住は、誰もが思いもよらない結果になってしまいました。推定2億人の移住者は、1年2カ月の間に2億年後へと旅立ちました。移住者2億人は11万6666年という長い期間にばらまかれてしまいます。結果、移住者個々が独自に生き残りを目指さなくてはならなくなります。本稿は、移住最終期に2億年後へと旅だった5人の少年少女の奮闘を描きます。彼らはなんと、2億年後の移動手段に原付を選びます。

転生したら貴族の息子の友人A(庶民)になりました。

ファンタジー
〈あらすじ〉 信号無視で突っ込んできたトラックに轢かれそうになった子どもを助けて代わりに轢かれた俺。 目が覚めると、そこは異世界!? あぁ、よくあるやつか。 食堂兼居酒屋を営む両親の元に転生した俺は、庶民なのに、領主の息子、つまりは貴族の坊ちゃんと関わることに…… 面倒ごとは御免なんだが。 魔力量“だけ”チートな主人公が、店を手伝いながら、学校で学びながら、冒険もしながら、領主の息子をからかいつつ(オイ)、のんびり(できたらいいな)ライフを満喫するお話。 誤字脱字の訂正、感想、などなど、お待ちしております。 やんわり決まってるけど、大体行き当たりばったりです。

天日ノ艦隊 〜こちら大和型戦艦、異世界にて出陣ス!〜 

八風ゆず
ファンタジー
時は1950年。 第一次世界大戦にあった「もう一つの可能性」が実現した世界線。1950年4月7日、合同演習をする為航行中、大和型戦艦三隻が同時に左舷に転覆した。 大和型三隻は沈没した……、と思われた。 だが、目覚めた先には我々が居た世界とは違った。 大海原が広がり、見たことのない数多の国が支配者する世界だった。 祖国へ帰るため、大海原が広がる異世界を旅する大和型三隻と別世界の艦船達との異世界戦記。 ※異世界転移が何番煎じか分からないですが、書きたいのでかいています! 面白いと思ったらブックマーク、感想、評価お願いします!!※ ※戦艦など知らない人も楽しめるため、解説などを出し努力しております。是非是非「知識がなく、楽しんで読めるかな……」っと思ってる方も読んでみてください!※

処理中です...