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第74話 『過マンガンカリウムの生成とコカインの単離』(1846/4/20)
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弘化三年三月二十五日(1846/4/20) 精煉方
大村藩領内ではまだ普及していないが、次郎のまわり、いわゆる医学方と精煉方についてはメートル法(長さ・質量の単位で10進法)を浸透させていた。
正直なところ次郎はもちろんの事、他の3人も尺貫法にはなじみがない。メートル法で生きた時間の方が、はるかに長いからだ。
そのため生徒にレート(交換率)を覚えさせ、自分で換算させた。一応4人ともある程度は覚えてはいたが、生活に必要な最低限だ。
米や酒が1升でいくらかのレベルである。
面倒くさいという気持ちもあったが、技術や知識、情報を次郎達4人と海外からに頼っている以上、尺貫法を標準にする意味がないからだ。
それにこれからはメートル法が主流になる。
一之進の薬草園は外浦衆が住んでいる外浦小路の脇にあって、広さが100坪ほどあった。ここにコカの木を植え栽培していたのだが、その広さはわずか3坪ほどである。
これで足りるのか? 結果オーライでコカの葉を採ることができるが、手術の際に足りるのだろうか? そんな疑問を信之介は抱いていたのだが、杞憂に終わる事となる。
研究所に運び込んだのは約2.3kgのコカの葉であった。
「よし、まずはこの葉を乾燥させるぞ」
そう言って信之介は持ってこさせたコカの葉を、専用にあつらえた竹で組んだ数段の棚にまんべんなく並べて乾燥させる。
すべて乾燥させるのに10日ほどかかったが、今度はそれをこまかく砕いて水をまぜ、越後から取り寄せた石油にまぜる。ここからがいわゆる化学だ。
攪拌(混ぜて)して硫酸を加え、アルカリで中和させる。
硫酸は硫黄と硝石を混ぜ合わせて加熱すると得られ、アルカリは灰汁を利用した。さらに攪拌し沈殿させた後に上澄み液を捨て、乾燥させるとコカインの元になるコカ・ペーストができあがる。
この辺りの製造の知識は、信之介単独のものではなかった。コカインという薬物、局所麻酔に使える薬物だからこそ、その精製法に関しては一之進の知識が役立ったのだ。
次の工程である。
コカイン・ペーストをコカインにするためには、過マンガンカリウムが必要である。酸で処理した後に、それを使って不純物を取り除く。
最後に濾過して濃度を高め、精製してできあがりだ。
「おい、過マンガンカリウムはどうやってつくるんだ?」
「? 知らん」
「知らんってお前!」
信之介の問いにぶっきらぼうに答える一之進であったが、実は過マンガンカリウムの精製法は、1659年に発見されている。
その事は二人は知らなかったが、困った時のオランダ書である。
化学物質の生成と精製方法に関する書籍は、兵器と同じく優先的に輸入してあるのだ。こういったところが、次郎をはじめ大村藩のアドバンテージなのは間違いない。
主に以下の3段階の操作で合成される。
①酸化剤に対して耐久性のある素材の容器で、二酸化マンガン(マンガン=鉱物の酸化物=MnO₂)と、水酸化カリウムもしくは炭酸カリウム(草木灰)を溶融させて空気酸化させる。
もしくは前者2つに、酸化剤である塩素酸カリウムもしくは硝酸カリウムを混合して溶融させて酸化し、マンガン酸カリウムを得る。
②合成したマンガン酸カリウムを冷却後に水に溶解し、酸化剤に耐久性のある素材を用いて未反応のMnO₂等を濾別する。
③ろ過後の溶液に二酸化炭素を吹き込むと自己酸化還元反応が起こり、過マンガン酸カリウムが生成する。
「一之進、無理や」
「は? 何が? 何が無理なん?」
「これ専用の設備が要るってことだよ。……大がかりなものじゃないと思うが」
信之介がため息混じりに言う。
「次郎か」
「次郎だな」
信之介は続ける。
「確かマンガンは、18世紀に元素として発見されている。でも鉱物としても昔から使われているから……」
「……お里か?」
「お里奥様だなあ……」
二人は改めて弘化三年、1846年時点で発見されている化学物質を生成できる設備(工場)を、まとめて建設して貰うように、予算の申請のために次郎へ手紙を送るのだった。
「「お里~」」
二人は急いでお里のもとへ向かった。
次郎による予算投下で新たな研究施設、工場の完成がなければ進まないのだが、二人ともせっかちというか、善は急げ? そういうところは似ていたのだ。
「お里、いや奥様」
「いいよ~別に。今までどおりお里で」
傍らにいたおイネがクスクスと笑ったものだから、一之進は気まずい。
「じゃあお里。藩内で二酸化マンガン、あれ、確か鉱物だよな? とれるところある?」
「マンガン? 軟マンガン鉱かな? じゃあ地元! って言っても反対側だから、西彼町か琴海町……ああいや、戸根村とか長浦村とか、村松とか西海とかあの辺かな」
「うーん、また新しく鉱山を調べなければならないのか……」
「あれ? でも戸根とかその近辺は鉄鉱石で採掘してない? 一緒に産出してないかな」
お里の言葉に信之介がピクっとする。
「ああ! そうだった! しかしあまり芳しくはないようだが、マンガンはどうなのだろうか?」
「それはわからんが……いずれにしても全工場まるっと作りましょう計画は要るな」
一之進が答えた。
「ああ、『全まる計画』はいるな」
「となれば……」
「そうだな」
「頼みますよ奥様」
「ええ、ええ、頼みますよ奥様~」
「え? なに? どーいう事?」
信之介と一之進は計画を打ち明けた。
「なーんだ。でも、私が言ってもOKくれるかわかんないよ~」
「いやいや、ああ見えて、ねえ。(尻に敷かれてそう)それにいずれは必要なものだから……」
その後は良くわからないが四人で盛り上がって終わった。さて、次郎はOKするのだろうか。
「ん? ちょっと待て。……これはひょっとして……おい、信之介、いや信之介先生。C₉H₁₁N₂O₄S(ペニシリン)ってつくれるか?」
■大砲鋳造方
12回目の操業でできた実鋳砲を、ようやく完成した水車を動力として穿孔した。
記念すべき水車動力による錐刀(ドリル)を使った1回目の穿孔であったが、残念ながら一昼夜かけてもわずか30.3cmほどしか進まなかった。
降雨量が少なく、水力が弱かった事も考えられるが、2回目と3回目の穿孔も同様の結果に終わった。蒸気機関の完成による効率化が望まれるところである。
次回 第75話 『東彼杵工業地域と佐賀藩』
大村藩領内ではまだ普及していないが、次郎のまわり、いわゆる医学方と精煉方についてはメートル法(長さ・質量の単位で10進法)を浸透させていた。
正直なところ次郎はもちろんの事、他の3人も尺貫法にはなじみがない。メートル法で生きた時間の方が、はるかに長いからだ。
そのため生徒にレート(交換率)を覚えさせ、自分で換算させた。一応4人ともある程度は覚えてはいたが、生活に必要な最低限だ。
米や酒が1升でいくらかのレベルである。
面倒くさいという気持ちもあったが、技術や知識、情報を次郎達4人と海外からに頼っている以上、尺貫法を標準にする意味がないからだ。
それにこれからはメートル法が主流になる。
一之進の薬草園は外浦衆が住んでいる外浦小路の脇にあって、広さが100坪ほどあった。ここにコカの木を植え栽培していたのだが、その広さはわずか3坪ほどである。
これで足りるのか? 結果オーライでコカの葉を採ることができるが、手術の際に足りるのだろうか? そんな疑問を信之介は抱いていたのだが、杞憂に終わる事となる。
研究所に運び込んだのは約2.3kgのコカの葉であった。
「よし、まずはこの葉を乾燥させるぞ」
そう言って信之介は持ってこさせたコカの葉を、専用にあつらえた竹で組んだ数段の棚にまんべんなく並べて乾燥させる。
すべて乾燥させるのに10日ほどかかったが、今度はそれをこまかく砕いて水をまぜ、越後から取り寄せた石油にまぜる。ここからがいわゆる化学だ。
攪拌(混ぜて)して硫酸を加え、アルカリで中和させる。
硫酸は硫黄と硝石を混ぜ合わせて加熱すると得られ、アルカリは灰汁を利用した。さらに攪拌し沈殿させた後に上澄み液を捨て、乾燥させるとコカインの元になるコカ・ペーストができあがる。
この辺りの製造の知識は、信之介単独のものではなかった。コカインという薬物、局所麻酔に使える薬物だからこそ、その精製法に関しては一之進の知識が役立ったのだ。
次の工程である。
コカイン・ペーストをコカインにするためには、過マンガンカリウムが必要である。酸で処理した後に、それを使って不純物を取り除く。
最後に濾過して濃度を高め、精製してできあがりだ。
「おい、過マンガンカリウムはどうやってつくるんだ?」
「? 知らん」
「知らんってお前!」
信之介の問いにぶっきらぼうに答える一之進であったが、実は過マンガンカリウムの精製法は、1659年に発見されている。
その事は二人は知らなかったが、困った時のオランダ書である。
化学物質の生成と精製方法に関する書籍は、兵器と同じく優先的に輸入してあるのだ。こういったところが、次郎をはじめ大村藩のアドバンテージなのは間違いない。
主に以下の3段階の操作で合成される。
①酸化剤に対して耐久性のある素材の容器で、二酸化マンガン(マンガン=鉱物の酸化物=MnO₂)と、水酸化カリウムもしくは炭酸カリウム(草木灰)を溶融させて空気酸化させる。
もしくは前者2つに、酸化剤である塩素酸カリウムもしくは硝酸カリウムを混合して溶融させて酸化し、マンガン酸カリウムを得る。
②合成したマンガン酸カリウムを冷却後に水に溶解し、酸化剤に耐久性のある素材を用いて未反応のMnO₂等を濾別する。
③ろ過後の溶液に二酸化炭素を吹き込むと自己酸化還元反応が起こり、過マンガン酸カリウムが生成する。
「一之進、無理や」
「は? 何が? 何が無理なん?」
「これ専用の設備が要るってことだよ。……大がかりなものじゃないと思うが」
信之介がため息混じりに言う。
「次郎か」
「次郎だな」
信之介は続ける。
「確かマンガンは、18世紀に元素として発見されている。でも鉱物としても昔から使われているから……」
「……お里か?」
「お里奥様だなあ……」
二人は改めて弘化三年、1846年時点で発見されている化学物質を生成できる設備(工場)を、まとめて建設して貰うように、予算の申請のために次郎へ手紙を送るのだった。
「「お里~」」
二人は急いでお里のもとへ向かった。
次郎による予算投下で新たな研究施設、工場の完成がなければ進まないのだが、二人ともせっかちというか、善は急げ? そういうところは似ていたのだ。
「お里、いや奥様」
「いいよ~別に。今までどおりお里で」
傍らにいたおイネがクスクスと笑ったものだから、一之進は気まずい。
「じゃあお里。藩内で二酸化マンガン、あれ、確か鉱物だよな? とれるところある?」
「マンガン? 軟マンガン鉱かな? じゃあ地元! って言っても反対側だから、西彼町か琴海町……ああいや、戸根村とか長浦村とか、村松とか西海とかあの辺かな」
「うーん、また新しく鉱山を調べなければならないのか……」
「あれ? でも戸根とかその近辺は鉄鉱石で採掘してない? 一緒に産出してないかな」
お里の言葉に信之介がピクっとする。
「ああ! そうだった! しかしあまり芳しくはないようだが、マンガンはどうなのだろうか?」
「それはわからんが……いずれにしても全工場まるっと作りましょう計画は要るな」
一之進が答えた。
「ああ、『全まる計画』はいるな」
「となれば……」
「そうだな」
「頼みますよ奥様」
「ええ、ええ、頼みますよ奥様~」
「え? なに? どーいう事?」
信之介と一之進は計画を打ち明けた。
「なーんだ。でも、私が言ってもOKくれるかわかんないよ~」
「いやいや、ああ見えて、ねえ。(尻に敷かれてそう)それにいずれは必要なものだから……」
その後は良くわからないが四人で盛り上がって終わった。さて、次郎はOKするのだろうか。
「ん? ちょっと待て。……これはひょっとして……おい、信之介、いや信之介先生。C₉H₁₁N₂O₄S(ペニシリン)ってつくれるか?」
■大砲鋳造方
12回目の操業でできた実鋳砲を、ようやく完成した水車を動力として穿孔した。
記念すべき水車動力による錐刀(ドリル)を使った1回目の穿孔であったが、残念ながら一昼夜かけてもわずか30.3cmほどしか進まなかった。
降雨量が少なく、水力が弱かった事も考えられるが、2回目と3回目の穿孔も同様の結果に終わった。蒸気機関の完成による効率化が望まれるところである。
次回 第75話 『東彼杵工業地域と佐賀藩』
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