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第36話 『唐津一揆の結末と捕鯨。深澤家鯨組の復活』(1839/11/03)
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天保十年九月二八日(1839/11/03) 佐賀城
「その後、唐津の件はいかがあいなった?」
「は、やはり佐渡守様(唐津藩主小笠原長和)の説得には応じず、一揆勢は御公儀の沙汰を待つとの事でございます。しかして唐津藩は藩兵二百五十人余りを国境に遣わしております」
「なるほど、やはりそうなったか。致し方あるまい。我が藩も守らねばならぬ。国境の小侍番所に兵一千を遣わし留めるよう。加えてこの儀を江戸の老中の水野越前守様(水野忠邦)へお伝えするのだ」
「はは」
直正のこの判断により唐津・佐賀国境(多久市)では緊張状態となり、幕府の裁断を仰ぐことになったのだが、結局幕府預かりの案件となったのである。
ほどなくして幕府の役人が下向して唐津に入り、厳しい事情聴取が行われた。
一揆の首謀者は、驚く事に処刑されたものはいなかった。
騒動を起こした罪は問われたものの、ここで首謀者を殺せばさらなる規模の一揆が起きると判断したのかもしれない。
それほど唐津藩の領民は苛政にあえいでいたのだ。
詳細な調査の結果、唐津藩では当事者の数名が解雇ならびに蟄居となった。
小笠原家は預け地(幕府が藩に管理を委託している土地)召し上げの後、日田代官が代わりに治める事になったのだ。
一揆の首謀者数名を多久の小侍が止宿(宿に泊める)させたため、佐賀藩は厳重な注意を受けたが、それ以上の処罰はなかった。
「いらぬ巻き添えを食うたの」
「は、されど我が藩も人ごとではございませぬ。借財ゆうに十三万両を超え、いつ訴訟を起こされるかわかりませぬ」
■玖島城下 次郎邸
「とりあえずはこれ以上大きな騒動にはならないけど、佐賀藩も順風満帆じゃないって事だよ。多分、この時期はまだ借金が山積みのはずだから。あ、借金で思い出した」
「どうした?」
雷汞の実験の休憩中に次郎と話していた信之介は尋ねた。
「大村藩は参勤交代や長崎の警備、その他諸々で収支がカツカツだったんだよ。昔から。それで借銭が積み重なって、その支払いや新規に必要な金を深澤家から借り入れていたんだ」
「深澤家?」
「ああ。捕鯨で財をなした一族で、一時は藩主より深澤家当主の意向を重んじる気風もあったようだ」
「? 然れど聞かぬな。そのような豪商なら、俺たち全員が知っていてしかるべきだろう?」
「潰されたんだよ」
「潰された?」
次郎の言葉が信之介の興味を引いたようだ。
「そうだ、約40年前の寛政八年に、それまでの借財の返済ができなくなって潰されたんだ」
「深澤家はそんなに借金していたのか? 鯨は儲かるだろう? 多少は不漁の時もあるだろうけど、それでも財政破綻で潰れたのか」
「だから潰されたんだよ」
次郎はもう一度言った。
「藩はそれまで深澤家に5万両近い借財をしていたんだ。払えなくなって何度も利子の返済を待たせたり、知行地からの年貢でまかなったりしたが、結局返済額に全く足りず、借り入れは膨らむばかりだったんだ」
うんうん、と信之介は聞いている。
「けどね、捕鯨業は儲かるけど冬の捕鯨の季節に数百人もの人を雇わなくちゃいけないから、多額の資金がいる。でも大村藩に多額の資金を貸し付けていて、そのほとんどが焦げ付いていたんだよ」
「要するに不良債権?」
「そうだ。雇うためにはどこからか借りなきゃいけないし、藩のために他の商人から借金して、返せる当てのない藩に貸しては、負債は膨らんでいく一方だったんだ」
要するに無理やりのリスケジュールである。返済の目処が立たない相手には、現在なら不良債権として新規の貸し付けはしない。
しかし大村藩は、恐らくはこの時代の財政難の藩がやっていた事と同じように、無理を通して金を借り、事実上返済できない状態だったのだ。
要するに深澤家の捕鯨における財政の中で、完全に大村藩は不採算部門で切り捨て要員だったのである。
改善の見込みがなく、他部門の業績を圧迫するようなら、切り捨てるしかないのだ。
しかし、この時代にできるはずがない。
結局、破産したのだ。
「そうか……それでどうするのだ?」
「そうだな、まずその借財を返す。簡単にはいかないだろうが、借りた物は返さなくてはいけない。人としての道理だ。その上で深澤家に家業の復興をさせ、捕鯨を復活させる」
「借金って、5万両あるんだろ? 返せる当てはあるのか?」
「どうするかは、殿にお伺いを立てなければならないが、石けんの利益で返せる。深澤家は捕鯨を辞めたが、その子孫は雇われながらも捕鯨自体には携わっている。呼びかけには応じるはずだ」
「その金はあの嫌みな家老が仕切っている石けん、要は藩の金か? それとも次郎、太田和家の金なのか?」
「お慶ちゃんと小曽根屋さん経由の儲けは太田和家だろうね」
次郎は言う。
「その鯨組復活の金はどっちが出すんだ?」
「家老としての立場上、藩の金という事になるだろうけど、太田和家の利益の余剰金は藩に献納する為にストックする事になっているからな」
「! 献納するのか?」
「そうだ。というか、献納できる状態にしておく、というのが正しい表現だな。まあ俺たちがそれぞれやりたい事や、やるべき事が自由にできるための金は残しておく。貯金もする。その上である程度形がまとまったら、藩営にするんだよ。金はあるにこした事はないけど、それが目的ではないだろ?」
「確かにそうだ」
「よし。そうと決まったら江島にいってくる」
「わかった」
次回 第37話 『鯨組の復活とペニシリン』
「その後、唐津の件はいかがあいなった?」
「は、やはり佐渡守様(唐津藩主小笠原長和)の説得には応じず、一揆勢は御公儀の沙汰を待つとの事でございます。しかして唐津藩は藩兵二百五十人余りを国境に遣わしております」
「なるほど、やはりそうなったか。致し方あるまい。我が藩も守らねばならぬ。国境の小侍番所に兵一千を遣わし留めるよう。加えてこの儀を江戸の老中の水野越前守様(水野忠邦)へお伝えするのだ」
「はは」
直正のこの判断により唐津・佐賀国境(多久市)では緊張状態となり、幕府の裁断を仰ぐことになったのだが、結局幕府預かりの案件となったのである。
ほどなくして幕府の役人が下向して唐津に入り、厳しい事情聴取が行われた。
一揆の首謀者は、驚く事に処刑されたものはいなかった。
騒動を起こした罪は問われたものの、ここで首謀者を殺せばさらなる規模の一揆が起きると判断したのかもしれない。
それほど唐津藩の領民は苛政にあえいでいたのだ。
詳細な調査の結果、唐津藩では当事者の数名が解雇ならびに蟄居となった。
小笠原家は預け地(幕府が藩に管理を委託している土地)召し上げの後、日田代官が代わりに治める事になったのだ。
一揆の首謀者数名を多久の小侍が止宿(宿に泊める)させたため、佐賀藩は厳重な注意を受けたが、それ以上の処罰はなかった。
「いらぬ巻き添えを食うたの」
「は、されど我が藩も人ごとではございませぬ。借財ゆうに十三万両を超え、いつ訴訟を起こされるかわかりませぬ」
■玖島城下 次郎邸
「とりあえずはこれ以上大きな騒動にはならないけど、佐賀藩も順風満帆じゃないって事だよ。多分、この時期はまだ借金が山積みのはずだから。あ、借金で思い出した」
「どうした?」
雷汞の実験の休憩中に次郎と話していた信之介は尋ねた。
「大村藩は参勤交代や長崎の警備、その他諸々で収支がカツカツだったんだよ。昔から。それで借銭が積み重なって、その支払いや新規に必要な金を深澤家から借り入れていたんだ」
「深澤家?」
「ああ。捕鯨で財をなした一族で、一時は藩主より深澤家当主の意向を重んじる気風もあったようだ」
「? 然れど聞かぬな。そのような豪商なら、俺たち全員が知っていてしかるべきだろう?」
「潰されたんだよ」
「潰された?」
次郎の言葉が信之介の興味を引いたようだ。
「そうだ、約40年前の寛政八年に、それまでの借財の返済ができなくなって潰されたんだ」
「深澤家はそんなに借金していたのか? 鯨は儲かるだろう? 多少は不漁の時もあるだろうけど、それでも財政破綻で潰れたのか」
「だから潰されたんだよ」
次郎はもう一度言った。
「藩はそれまで深澤家に5万両近い借財をしていたんだ。払えなくなって何度も利子の返済を待たせたり、知行地からの年貢でまかなったりしたが、結局返済額に全く足りず、借り入れは膨らむばかりだったんだ」
うんうん、と信之介は聞いている。
「けどね、捕鯨業は儲かるけど冬の捕鯨の季節に数百人もの人を雇わなくちゃいけないから、多額の資金がいる。でも大村藩に多額の資金を貸し付けていて、そのほとんどが焦げ付いていたんだよ」
「要するに不良債権?」
「そうだ。雇うためにはどこからか借りなきゃいけないし、藩のために他の商人から借金して、返せる当てのない藩に貸しては、負債は膨らんでいく一方だったんだ」
要するに無理やりのリスケジュールである。返済の目処が立たない相手には、現在なら不良債権として新規の貸し付けはしない。
しかし大村藩は、恐らくはこの時代の財政難の藩がやっていた事と同じように、無理を通して金を借り、事実上返済できない状態だったのだ。
要するに深澤家の捕鯨における財政の中で、完全に大村藩は不採算部門で切り捨て要員だったのである。
改善の見込みがなく、他部門の業績を圧迫するようなら、切り捨てるしかないのだ。
しかし、この時代にできるはずがない。
結局、破産したのだ。
「そうか……それでどうするのだ?」
「そうだな、まずその借財を返す。簡単にはいかないだろうが、借りた物は返さなくてはいけない。人としての道理だ。その上で深澤家に家業の復興をさせ、捕鯨を復活させる」
「借金って、5万両あるんだろ? 返せる当てはあるのか?」
「どうするかは、殿にお伺いを立てなければならないが、石けんの利益で返せる。深澤家は捕鯨を辞めたが、その子孫は雇われながらも捕鯨自体には携わっている。呼びかけには応じるはずだ」
「その金はあの嫌みな家老が仕切っている石けん、要は藩の金か? それとも次郎、太田和家の金なのか?」
「お慶ちゃんと小曽根屋さん経由の儲けは太田和家だろうね」
次郎は言う。
「その鯨組復活の金はどっちが出すんだ?」
「家老としての立場上、藩の金という事になるだろうけど、太田和家の利益の余剰金は藩に献納する為にストックする事になっているからな」
「! 献納するのか?」
「そうだ。というか、献納できる状態にしておく、というのが正しい表現だな。まあ俺たちがそれぞれやりたい事や、やるべき事が自由にできるための金は残しておく。貯金もする。その上である程度形がまとまったら、藩営にするんだよ。金はあるにこした事はないけど、それが目的ではないだろ?」
「確かにそうだ」
「よし。そうと決まったら江島にいってくる」
「わかった」
次回 第37話 『鯨組の復活とペニシリン』
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