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第5章 勇気

第13話 あの頃の自分

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◆◇◆◇★◇◆◇


「……あのときは本当にありがとう、フィオちゃん。レードル姫様を連れて来てくれて」
「いえいえ、こちらこそ、すぐに見つけてもらえて良かったです。というか……コーヒーミルさんがあたしのことを覚えてくれていたなんて、思ってもみませんでしたよ」

 地下道は、壁際のロウソクに照らされた薄明かりの中、延々と続いていた。
 ノウェムと別れたフィオは、コーヒーミルとともに埃っぽい地下道を歩いていた。
 特に話すこともないだろうと思っていたフィオだったが、コーヒーミルは歩き始めてすぐに、

「久しぶりね、フィオちゃん。大きくなってキレイになって、すぐに気がつけなかったわ」

 そう言って微笑んだのである。
 フィオは、もちろんその困ったような笑顔を覚えていた。

 軒下に佇んでいた女の子と手を繋いで、町中を歩き回っていたとき。
 何か見つけたのか、女の子が突然フィオの手を離して『コーヒーミル!』と駆け出した。
 そのとき、石畳の道の先で振り向いたのは、レモン色の髪の女の人だった。
 ああ、あの方がお連れ様なんですね。
 良かった、会えましたね。
 立ち止まって様子を見ていると、コーヒーミルと呼ばれた女の人は、小さな女の子の前で片膝をつき、深々と頭を下げていた。

 やっぱりあの子、高貴な身分の子なんだ……
 あたし、そんな子と手を繋いで歩いてたなんて、自分でもびっくりかも。
 フィオが自分の右手をまじまじと見つめていると、コツコツと足音が近づいてきた。
 顔を上げると、先ほどコーヒーミルとよばれて振り向いた女の人が立っていた。

『あなたがレードル姫様を保護して連れて来てくれたのね。本当にありがとう』
『あ、いえ、そんな……』

 しどろもどろになりながら、フィオの頭の中で女の人の言葉が何度も再生された。
 レードル姫様……
 姫様……
 姫様!?
 それほど暑いわけではないのに、どっと汗が吹き出てきた。
 あたし、パン王国の姫様と一緒にいたの……!?
 うわあぁ、何事もなくて良かったあぁ!
 フィオが胸に手を当てて深呼吸していると、コーヒーミルという女の人は、微笑みながら何やらポケットから小さな巾着を取り出した。

『これは、お礼です。少ないけれど、受け取ってください』

 巾着からは、金属の触れ合う音が聞こえてくる。
 中身は金銭の類いだろう。
 フィオの顔が曇った。
 ……え、違う違う。
 これじゃあまるで、お金が欲しかったみたいになっちゃうよ。
 そんなの嫌だ、お金なんて要らない。
 でも、何て言って断ったら……
 ああっ! わかんないよ!
 少し考えた末に、フィオは、

『要らないです! さよなら!』

 と叫んでその場を後にした。
 まるで自分の行動と気持ちを踏みにじられたような気がして、一刻も早く立ち去りたかったのだ。
 ……あれから10年以上も経ったのに。
 あんなに失礼なことを言って立ち去ったのに。
 まさか覚えていてもらえたなんて。
 しかも、こんなにお礼を言われるなんて。
 
「あのとき、フィオちゃんがレードル姫様を連れてきてくれてなかったらって考えると、今でも背筋が凍りそうになるの。何が起こっても不思議ではない状況だった。だから……本当にありがとう」
「いえ……」

 何と答えていいかわからなくなり、フィオは困ったように微笑んでいた。
 なによ、あたし……
 これじゃ、あの頃と何も変わってないじゃない。
 こんなあたしに、勇気なんてあるのかな……
 フィオは唇を噛みしめ、地下道を歩き続けた。

 いまだにどこへ続いているのかわからないが、なんとなく地上へ向かっているような気がしないでもない。
 どうして下町の宿屋の主人である父が、リーヴル城の地下に広がる通路に詳しいのか……
 そもそも、なぜ下町の宿屋が王族の暮らす城と地下道で繋がっているのか……
 今はわからないことだらけである。

「……やっぱり、フィオちゃんには勇気があるのね」

 コーヒーミルの呟きに、下を向いていたフィオは顔を上げた。
 困ったような笑顔を浮かべて、コーヒーミルは続けた。

「あのとき、お礼を受け取らずに立ち去る勇気……素晴らしかったわ」
「え、いや! あれは、そうじゃなくて……! どうやって断ったらいいのかわからなくて、その……」

 見当違いのコーヒーミルに理由を説明しようとしたフィオだったが、そこまでしか言葉が続かなかった。
 やはり、あのときから何も変わってはいないらしい。
 ……こんなあたしに、何ができるっていうの。
 というか、本当に何て言ったらいいんだろう。
 フィオが黙々と考え始めた、そのとき。
 地下道の前方から、何やら騒がしい話し声が聞こえてきた。
 え、ここって普通に人が使ってる道なの!?
 どどどどうしよう!!
 フィオは慌てふためいていたが、コーヒーミルは至って冷静だった。
 すぐに「こっち」と囁いて、フィオを手招きする。
 ふたりは入り組んだ壁際に身を隠した。

 フィオとコーヒーミルが隠れた壁際を通り過ぎていったのは、リーヴル城に勤める兵士たちだった。
 後ろ姿を確認しただけで、城内の清掃を担当しているフィオには、顔見知りの兵士たちだとわかった。
 どうやらこの道は、リーヴル城の物置部屋と繋がっているらしい。
 もう少し彼らの話に耳をそばだててみると、とんでもないことがわかった。
 これからスパイス帝国の軍勢がこの城下町まで押し寄せてくる……
 宰相クレソンが「ヌフ=ブラゾン王国によるパン王国への宣戦布告」を国王に迫っているらしい……

「た、大変ですコーヒーミルさん! このままじゃ、戦争が始まっちゃう……!」

 フィオは、兵士たちに気づかれないよう小声で慌てていた。
 ヌフ=ブラゾン王国とパン王国は友好国なのに、そこで戦争が起こってしまったら……
 まさしくそれが世界戦争の発端になるに違いない。
 ここで止めなければ。
 世界戦争を止めるためにも、竜の王イゾリータを復活させないためにも。
 でも……あたしに何ができる?

「フィオちゃん、落ち着いて。まずはここから地上に出ないと。そして、グリシーヌ国王様にお会いしましょう」
「コーヒーミルさん……でも国王様にお会いして、そこからどうしたら」
「大丈夫」

 コーヒーミルはフィオの肩に手を置き、頷いてみせた。
 そして、

「あなたにしかできないことが、きっとあるわ」

 と言って、フィオを手招きして走り出した。
 コーヒーミルさん……?
 いや、今はゆっくり考えてる場合じゃない。
 とにかく急がなくちゃ!
 フィオはコーヒーミルの後を追い、リーヴル城の物置部屋へと向かった。
 自分にしかできないことを、必死に考えながら。


◆◇◆◇◆ ◆◇


 紅茶に映る自分の顔は、明らかに困惑していた。
 良い茶葉を使っているに違いないのに、良い香りも何も感じない。
 おそらく、わけがわからなさすぎるせいだろう。
 ふっと強めに鼻から息を吐くと、紅茶の水面に波紋が生まれ、映った顔が歪んだ。

 まったく……
 どうしてオレは、こんな小さな部屋で紅茶なんて出されて、もてなされているんだ?
 しかも、伝説の剣に選ばれし者たちの敵であるクレソンに!
 顔を上げたノウェムの向かいでは、そのクレソンが自分の紅茶を口に運んでいた。
 本人にそのつもりはないだろうが、どうにも動きのひとつひとつが規則正しすぎて、何かの機械に見えてくる。

 地下道でクレソンに見つかってしまったノウェムは、なぜかターメリックたちのいる地下牢ではなく、リーヴル城内にある小さな休憩所のテーブル席に連れてこられた。
 そこでクレソンは「まあ、紅茶でもいかがです。私の淹れたものがお口に合うかどうかは、わかりませんが」と言いつつ、二人分の紅茶を用意してくれたのだった。


つづく
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