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第2章 光

第1話 聖地に住む少年

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◆☆◆◇◆◇◆◇


 優しい父と母がいた。
 父の弟である叔父は、愉快な居候。
 そして……
 大好きな、可愛い僕の妹。

 このクリスタニアで暮らすことができて、自分は本当に幸せ者だと思っていた。
 この幸せは、永遠に続くものだと信じていた。
 ……それなのに。

『クラン、イヴェール。お前たちのお母さんは、クリスタン神様の元へ召されたのだ。そんなに悲しい顔をしていたら、お母さんも悲しんでしまうよ』

 森の奥深く、神殿の裏手……
 泣くのを我慢して俯いた耳元で、神の使いである父の声がする。
 隣では、ふたつ違いの妹が顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら、しゃくりあげて泣いていた。

 クリスタニアに住まう少年クラン・レオは、若くして病に倒れた母の死を悼み、父や叔父、妹とともに涙を流していた。
 墓穴に横たえられた柩は木目が美しく、暗い色の土によく映えていた。
 ふと顔を上げてみると、父と叔父も沈痛な面持ちで墓穴を見つめているのが目に入った。

 ああ、ふたりも悲しんでいるんだ。
 でも泣いたりしないだなぁ。
 やっぱり男は我慢なんだね……
 クランは、隣で号泣する妹のイヴェールから、もらい泣きしないように目を逸らした。

 その視線の先、父と叔父の足元に、1冊の日記帳が置いてあった。
 表紙はパステルピンクのチェック柄……
 亡くなった母のものだ。
 どうやら、柩と一緒に埋葬するために、父か叔父が持ってきたものらしい。

『……』

 ……どうして、読んでみたいと思ったんだろう。
 どうして……
 自分が生まれたときのページを開いてしまったんだろう。
 あのとき、日記帳を手に取らなければ……
 今までどおり「普通の家族」として、仲良く暮らしていけたに違いないんだ。

『どうして教えてくれなかったんだよ! 血が繋がってないのに家族だなんて、そんなの嘘じゃないか! 嘘つき家族なんて、僕は嫌だっ!!』

 ……このときの自分は、本当にどうかしていた。
 慰めてくれた妹の言葉の意味さえ、わからなくなっていたのだから。

『わたしは、お兄さんじゃなくてよかったって……恥ずかしいけど、ちょっと思っちゃったの。だから』
『どうして、そんな酷いこと言うんだよ! 僕は、君をずっと妹だと思っていたのに……!』

 普段滅多に感情を表に出さないクランの怒りに触れ、妹は驚きと悲しみのあまり、涙をぽろぽろとこぼしていた。
 クランは、そんな妹に『泣きたいのはこっちだよ』と文句を言ってしまった。
 そんなことをしても、この事実は変わらないというのに。
 ………
 ……

 クランが妹の気持ちに気づいたとき……
 彼女はもう、クリスタニアにはいなかった。
 父親とともに、人知れずクリスタニアを離れてしまっていたのだ。
 残された者たちへの置手紙なんてものはなく、クランは叔父とともに途方に暮れた。

 しかし、彼らが姿を消してから数日後……
 クランの叔父は、神の使いの証である薄桃色の法衣を羽織っていた。

『いつまでも塞ぎこんでいるわけにはいかない。何をしていても明日が来るというのなら、毎日を精一杯生きようじゃないか』

 自分の身に何かあったときは、クリスタニアをよろしく頼む……
 叔父は、兄からそう言付かったことがあると言い、神の使いとして生きていくと宣言した。

 こうして叔父は、フィリアを授かりに来る旅人や、巡礼にやって来た信者と気さくに語らうようになった。
 そして……
 まるで何事もなかったかのように、クランとも今まで通り「家族」として接した。

 ありえない……
 叔父さん、どうしてそんなことできるの。
 僕にはわからない。
 わからないよ。
 クランには、叔父が何か別の生き物ように思えて仕方がなかった。

 クリスタニアは、旅人たちの休憩所と呼ばれることもある。
 つまり訪れる人々は皆、いずれどこかへと立ち去っていくのである。

 来るものは拒まず、去るものは追わない。
 出会いがあれば、別れがある。
 それでもクランには、また会いたいと思っていた人がいた。
 クリスタン教の研究で、クリスタニアを訪れていた風変わりな青年である。
 しかし……
 彼は、クリスタニアから遠く離れた国で亡くなってしまった。

 師匠のように慕っていた青年に、もう二度と会えなくなったとき……
 クランは、ある結論に行き着いた。

 別れが辛いのなら、最初から出会わなければいいじゃないか。
 そして、もし出会ってしまっても、親しくならなければ別れは辛くないはずだ。
 ……何をどうしたって、結局最後はひとりぼっちになるんだ。
 それなら僕は、最初からひとりぼっちでいい。

 不機嫌な顔をしていれば、クリスタニアに来る人々も無理には話しかけてこないだろう。
 そう思って過ごしているうちに、クランの自顔は不機嫌そのものになってしまった。
 けれども、クランは満足していた。

 それでいい。
 僕はひとりが好きなんだから。
 ……こうして、だれに対しても心を閉ざす生活を続けて数年の月日が流れた。

 朝日の浜辺で、同じ年頃の少年が倒れているのを見つけてしまったクランは、本人に聞こえないのをいいことに、大きく舌打ちしていた。

 助けなきゃいけないから、助けるけど、さ……
 具合が良くなったら、早く帰ってよね。
 ……そう思っていたのに。


★◇◆◇◆◇◆◇


 朝日が照らしているのは、水平線の彼方にぼんやり浮かび上がるスパイス帝国……
 ああ、そうか……
 ここは、スパイス帝国じゃないんだったなぁ。
 ターメリックは、クリスタン神殿の窓辺で眠い目をこすりながら、今までに味わったことのない不思議な感覚を味わっていた。

 神殿へ来る前……
 慣れない場所で、眠りの浅くなっていたターメリックは、寝台の中で二度寝もできずにゴロゴロしていた。
 うーん……
 仕方ない、寝足りないけど、もう起きよう。

 窓の下を見てみれば、白み始めた空の下をカメリアが歩いていた。
 浜辺から続いているらしい白砂の上を、少し前かがみになって急いでいるようだった。

 声をかけてみると、ちょうど神殿へ行くところだという。
 慣れない早起きですっかり目が冴えてしまったターメリックは、特にすることもないので、神殿へと同行させてもらうことにした。

 早朝の澄んだ空気の中、木々の茂った深い森を抜けると、草原が広がっている。
 手入れの行き届いた泉が、澄んだ水をたたえて揺らめき、水面には蓮の花が浮いていた。
 そして、クリスタン神殿は、暁の中で自ら発光してるように美しかった。

「……朝日がそんなに珍しいのかい?」

 神殿の中央にある、美しい花々で飾られた祭壇を掃除しながら、カメリアは窓辺に佇むターメリックに声をかけた。
 ……どうやら、かなり長いこと朝日を眺めていたらしい。
 ターメリックは、カメリアのほうを振り向いて、照れくさそうに笑った。

「あ、えっと……今まで大陸の東端に住んでいたので、今日みたいに陸の向こうから太陽が昇ってくるのが新鮮なんです」
「なるほど、そうだったのか」
「……でも、ぼくは寝坊の常習犯だったので、朝日自体あまり見たことがなくて……やっぱり、珍しいからずっと見ていられちゃいますね」

 ……そんなに自慢げに話すことでもなかったなぁ、なんか恥ずかしくなってきた。
 ターメリックが「ははは」と力なく笑ってみせると、カメリアはそれ以上に「あはははは」と愉快そうに笑った。

「寝坊の常習犯ねぇ……申し訳ないが、説明されなくても、もうそうとしか見えないよ。ふふっ、ははははは!」
「あ、あはは……」

 なんでわかるんですか!?
 ぼく、何も言ってないのに!
 そう叫び出しそうになったターメリックは、神殿に自分の声が響き渡ることを想像して、すんでのところで思いとどまった。


つづく
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