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しおりを挟む「ん……あ、れ……!?」
悠夏が目を覚ますと、そこには知らない天井。セロの家で寝てしまった事を忘れて、悠夏は勢いよく飛び起きた。
「ぼ、ぼくっ……ここど、こ……」
そしてキョロキョロと周りを見渡すと、徐々に昨夜のことを思い出す。
「そうか、昨日はセロの家で寝てしまったのか」
それにしても、ベッドで……悠夏の家のベッドよりも良いスプリングで寝ているとは思わなかった。セロの事だ、悠夏を床に転がして放置してもおかしくない。
ポケットを探り、スマホを取り出すと午前7時過ぎ。出勤まで少し時間がある。頭を掻きながら、部屋を出るとリビングへ続く廊下だった。
何度も通ってはいるし、間取りも気になってはいたが、何となく一線を越える気がしてリビングとトイレ以外は遠慮していた。
ぽてぽてと気怠げな足音を立ててリビングへ入ると、セロがコーヒーを片手に本を読んでいた。何とも優雅な朝だ。
「……おはよう」
「おはよう。ふっ、よく眠れたようだ」
いつも通り、本から目を離さないし、嫌味も忘れない。
「吸魂鬼というのは夜行性じゃないのか?」
「偏見だ。俺は規則正しい生活を心がけている」
「そう、なのか……。というか、コーヒー……」
味覚が正常な時は日頃から嗜んでいたそれが、すごく恋しい。それに口をつけている吸魂鬼が恨めしい。
「君の味覚は正常なのか?」
「そこまで美味しいとは思わないが、嗜む程度には楽しめる」
「ふーん……」
悠夏は何となく、セロの隣に座ってそのマグカップに口をつけてみた。
「っ!美味しい!」
そのコーヒーは確かに美味しかった。あの親しんだ味ではないが、口の中に広がる無味とは違う。
ぱぁっと顔を明るくする悠夏に、セロは悠夏に目線を向けて、フンッと鼻で笑った。
「君は、間接キスを知らないのか?」
「……え?」
数秒遅れて、悠夏の顔が「かあぁっ」と音を立てる勢いで真っ赤に染まった。マグカップにセロの唾液が付着しており、美味しく感じたのだ。
「さっきの発言は撤回してくれ!!」
「散々キスをしておいて、今更間接キスで顔を赤くするのか?」
「面白いな」と言って、セロは再びコーヒーに手を伸ばすが、掴むのを止めて隣の悠夏の肩に手をかけた。
「口直しだ」
「!……んっ」
柔らかい唇に触れると、温かい口内へ少しだけ舌を侵入させ、すぐに離れる。
「朝から良いものが見れたな」
「君はっ……!僕を揶揄うのがそんなに楽しいのか?」
「自分で望んで揶揄われにきているのだろう?」
「そんなつもりはない!君が嫌味な事を言わなければ、僕だって恥ずかしい思いはしなかった!」
「ふんっ……どうだか。俺が何も言わなくても、君は直ぐにマグカップに気づいて顔を染めていただろう」
「そんな、ことは……」と悠夏は言葉尻を濁した。だが今回に限った話では無い。この嫌味や皮肉を返してくる存在は、普段無表情なくせに、悠夏を揶揄う時は楽しそうなのだ。
「はぁ……もういい!僕は仕事へ行く。行ってきます!」
パタンッ!と強めにドアを閉めることで不機嫌をアピールする悠夏。それでも、一言忘れずに置いていく姿に、セロも笑みが溢れてしまうのだ。
「行ってらっしゃい」
ーーー
職場に着き、最初に向かうはロッカールームに備え付けられているシャワールームだ。シャワーのハンドルを回せば、嫌な気分も流せるだろう。ただその後に残るのは、朝のあの甘味だけだった。
食事というのは視覚も重要な要素の一つだ。例えば、ケーキを見ながらあの甘味を感じられたら、それはケーキを食べているのと等しいのではないか?と悠夏は考えてしまった。
「これは、そうだ……1つの興味だ!あいつの唾液が調味料になるのかという……。いや、それはありえない!無理だ!」
何となく、それはナシだと思った。あの凄まじい甘味は、直接得られてこそ脳へ直接作用する。だから朝のコーヒーも薄らとした味がしなかったのだ。と、ここまで考えてまた悠夏は顔を赤く、片手で顔を覆ってしまった。
「直接って……ただのキスじゃないか……」
シャワーが頭部を、あるいは肌全体を濡らし、流し、甘味も流しきってしまえばいいと、悠夏はシャワーのハンドルを強く回した。
シャワールームからロッカールームへ移動して着替えていると、班長が明るい声で話しかけてきた。
「悠夏、来月にはうちの班に復帰できるぞ」
「本当ですか!?」
班長の柔らかな笑みに、悠夏も釣られて表情が柔らかくなる。さっきまでの不機嫌が本当に流されてしまったようだ。
ただの復帰といえばそうだが、原因が「不信感」から来るものであれば、それが拭えたと思うと喜ばしい事だ。来月まではまだ1週間あったが、そこはさして問題ではない。
「今俺たちが担当しているのは、連続暴行事件だ」
「あの……僕が潜入失敗した麻薬組織は……」
「……彼らは今、鳴りを潜めていてな。めぼしい情報は無いんだ」
自分が逃したからか、と悠夏は肩を落とすが、班長は「気にするな」と肩を叩いた。
「そうだ、悠夏。君の復帰を祝して簡単な食事会をしようと皆が話していてな。急ですまないが、今日参加してくれないか?明日は休みだろ?たくさん飲め!」
落ちた悠夏の肩に、ピクリと緊張が走った。普段から昼食は姿を消したり、食事の話題は避けてきた。他人の前であの無味を口に入れて、表情に出さない自信がないからだ。
だが、味はしないが食べられないことはない。鼻を摘んで無理矢理流し込むようなものだ。それに、独身ひとり身、仕事1番の人間に断る理由はないはずだ。
「もちろんです」
笑顔でそう答える他ないだろう。その日1日憂鬱になってしまったが、それも何とか自分を騙し騙し、やり過ごすしかない。
ただ問題は、その後の口直しだ。連日セロの家に向かうのは気が引ける。できれば避けたいと思いながら、ポケットの膨らみを触った。
ーーー
「かんぱーい!」
それは本当に小さな食事会だった。捜査局から出て裏道1本入ったところにあるカウンターと少しの座敷がある居酒屋。そこは皆の行き付けの場所。
悠夏を含むメンバー5人は各々グラスを掲げ、リズムよく呷った。
サラダや酒のつまみになる食べ物をいくつも頼み、順番に運ばれてくる食事。それは濃い味付けだったり、塩辛い味付けだったはず。思い出の中だけでその食事を楽しむ。
自分が食べては勿体無いと、あまり箸を伸ばさないが「ほら、主役なんだから食べろ」と皿に盛り付けられてしまった。
「悠夏、活躍を聞いたぞ!俺は鼻が高い!」
班長は酒を飲むと泣き上戸になるが、今日は特に回りが早かった。
「班長、最近その連続暴行事件で疲れとストレスが溜まってるんだ……」
班長は乾杯の音頭から僅か30秒でグラスを開け、次の酒を頼んでいた。
副班長が続けて「何か胃に入れてください」と言って、空の小皿にサラダを盛り付けていた。
「そうそう、悠夏も居ないし、助っ人が来るわけでもないし」
悠夏の隣にいる同期が、頬杖をつきながら愚痴を溢した。その空いたグラスに悠夏は酒を注ぎ足しながら、同じように溢した。
「仕方がないだろ。人手不足なんだ……」
危険と隣り合わせのこの職業は、常に人手不足に悩まされている。悠夏も味のしない水のような酒を胃に流し込む。
味はしないが、ふわっとした浮遊感で、それが酒だと証明された。今まで飲もうとしなかったが、気休めに酔うだけなら飲むのもありだなと、悠夏は2杯目に手をつけた。
「大丈夫か?いつもより早くないか?」
「そうだぞ、無理するな」
先輩と副班長が悠夏を心配するが、班長と同期の勢いに合わせて悠夏のグラスも直ぐに底を見せてしまう。
悠夏は酒に弱い。それは班の共通認識だ。
「だーいじょーぶですよ!すぐにかえりますから……」
大丈夫の意味を悠夏は知らないのだろうか、10分もしたら完璧に出来上がってしまった。班のメンバーの話を聞いて笑い声をあげたり、班長からもらい泣きしたりと忙しかった。
「確か悠夏の家って近くないよな?」
「それはきにしないでください!」
悠夏は鍵の入ったポケットに手を当てるが、そこには何もなかった。
「あれ、あれ……?」
まさか失くしたのか?あの鍵を?流石に悠夏の酔いが少しだけ覚め、自分が口走ろうとしていた言葉を思い出してぐっと飲み込んだ。
「どうした?」
同期が怪訝そうに聞いてくるが「いや、なんでもない……」と首を軽く左右に振った。
その鍵は確かにそこにあったはずだ。何故なら居酒屋に来る前に、再度確認したからだ。
どこかに落としたのだろうか?まずい、セロの家に空き巣でも入ろうものなら……とまで考えて、それは無いなと鼻で笑ってしまった。
だが、失くしたと報告する必要が生じてしまった。そわそわと居心地悪くなり、悠夏は「先に失礼します」と主役なのに席を立ってしまった。
「おう!来週からよろしくな!」
「1人で帰れるかー?」
「平気ですっ!」
悠夏が酔っていたこともあり、メンバーは止めることはしなかったが、多少の心配の声色も混じっていた。そんな声を背後に、一歩外へ出ると涼しい夜風にふらっと身体が斜めに傾いでしまった。店の中ではメンバーの目もあった為、しっかりとした足取りをしていたが、緊張も解けて油断してしまったのだ。
「ぁ……」
「倒れる……」と悠夏は声に出ない声を上げ、衝撃に身を硬くしたが、その体が地面に衝突することはなかった。
誰かに受け止められたのだ。
その誰かはすでに気を失った悠夏をいとも容易く抱えている。
「はぁーー……」
深いため息とその影が、ビルの影に溶けて消えた。
ーーー
「うぅーーー………」
悠夏は自分の呻き声で目をうっすらと開けた。瞼の向こうから、蝋燭の淡い光が入ってくる。
「起きたか」
「……ん?あれ……ぼく……あれ?」
この家で起きるのは2度目だったが、今回はベッドではなくソファの上だった。見えるものも天井ではなく、向かいのソファに座るセロだ。
「随分と酔っているようだな。水分を摂ったほうがいい」
そう言って、セロはわざわざ水を入れたグラスを渡してきた。飲みやすいように氷まで入れてある。だが、悠夏はのっそりと上体を起こして少し唇を尖らせると、グラスを机に置いた。
「嫌だ……」
「……はぁ?」
それはもう地鳴りすら起こしそうなほどの低い声で、且つ今までとは違い少しだけ威圧感を混ぜてセロは声を発した。
だがそんなセロを気にも留めない悠夏だ。
「だって、おいしくないだろ?」
「子供か。まぁ、俺からしたら君は子供かもしれないが」
そう返せばいつもの悠夏なら噛み付いてくると、セロは煽ったつもりだったが、それは見事に失敗した。
「そう思うなら、君が飲ませてくれないか?そうしたら、あまくておいしくなる」
尖らせていた口を横に引き伸ばし宣う悠夏。これは見事に煽り返されたなと、セロは眉を寄せた。ただ、そう悠夏が言うのなら、実行に移すのが、このセロという吸魂鬼だ。
「良いだろう」
悠夏の隣、ソファに片膝を乗せ、いつもならそのままキスをするところだが、セロは机にあるグラスに手を伸ばし、少しの水を口に含んで覆い被さるように口づけをした。
「んっふっ、んんっ……」
コクコクと、少しずつ注がれる生温い水は、無味とは違って僅かな甘さを含んでいる。飲みきれなかった水が、悠夏の口から垂れて顎へと伝わる。
「ふぁっ……みずが、あまい……。もっとくれないか?」
「チッ……」
上気した頬を緩ませる悠夏。セロは苦々しく顔を歪めて、悠夏の「おかわり」に答えるべく再び口に水を含んだ。
「んっ、んっ……ん……。はぁっ……おいし……。ふふっ、せっかく氷が入っているのに、ぬるいな」
「そう思うなら自分で飲め」
「やぁだ……。君に飲ませてほしい」
2人の間はわずか数センチ。セロのため息が、悠夏に吹き掛かり、悠夏の息がふふっと、セロへと吹き掛けられる。上目遣いをおまけして、セロへ水をねだる。
「もっと、もっとだセロ」
「はぁ……」
2度とこいつを外で飲ませるものかと、セロは決めながら「最後だぞ」と言って、水を口に含んだ。
「んっ、うんっ……んっ……ぷはぁっ……」
ついでに自分の唾液も悠夏に与えれば、ねだってきた目はトロンと溶け、そのまま力なくずるずるとソファに沈んだ。
「はぁーーー………」
放っておこう。セロは目を閉じて顔を手で覆った後、悠夏をそのままソファに放って、自室へと入っていった。
せめてもの施しとして、その後ブランケットを掛けにリビングへ戻ったのは、セロしか知らない。
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書きかけの長編が止まってますが、
短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。
よろしくお願いします!
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