かわりに王妃になってくれる優しい妹を育てた戦略家の姉

菜っぱ

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「エンブレン。君は第一王子の王妃となって、この世の全ての不幸を受け入れる、生贄になってもらう」
「は……?」

 エンブレンは父に初めてそう言われた日のことをはっきりと覚えている。

 それは彼女が八歳の日のことだった。

 彼女は八歳の子供の小さな頭では考えられない、この国の禁忌を教えられたのだ。

 この国は、隣国からも羨まれるほどの平和な国だった。

 争いもなく、飢饉やテロが起こることもない、平和な国。

 街へ出れば、国民たちは笑い合い、皆協力しながら、生きている。

 世界でも珍しいくらいの平和な国だ。

 エンブレンはそんな国の宰相家の長女として生まれ、八歳まで何不十なく生きてきた。
 両親は妹のアンジュッテに比べると自分に冷たい気がしていたが、従者たちは優しい。特に擦れることもなくまっすぐに育っていた自覚があった。

 だから、父親が何を言っているのか、まったくわからなかった。

「この国の平和は、歴代の王妃がこの国の不幸を肩代わりすることで保たれているのだ」
「不幸を肩代わり?」
「ああ。この国には国全体にある特殊な魔術がかけられている。『この国を幸福に保つための魔術』だ。だが、君も知っている通り、魔術には必ず対価が発生する。この国では昔から、王妃が受け持つことになっている。その身を魔術に捧げることで、一生その体には痛みや苦しみが渦巻く。だが、その代わり国民は幸福になるのだ! 素晴らしい魔術を保たせるための、尊い犠牲として君が選ばれたんだ!」

 父は口の中がニチャリと音をたてながら、薄暗い笑みを見せていた。

 恐ろしい魔術だと思った。

 そんな非人道的な魔術で、私たちの今までの平和は保たれていたのか。エンブレンは何もかも信じたくない気持ちでいっぱいだった。

 それ以上に、その恐ろしい贄の役割をさも愉快な表情で娘に告げる父の神経が信じられなかった。

 ……この人は自分の娘を差し出すのに、なんの抵抗もないんだわ。

 貴族の結婚は家同士の繋がりを作るために行われる。だから、そこに幸せになるかならないかなんて、瑣末なことは加味されない。

 だけれども、自分の娘がそんなに恐ろしい魔術の贄になることをこんなにも喜べる親がいるのだろうか。

 そう思った時、エンブレンはこの『父』という人は自分のことを『人』ではなく『物』だと思っていることに気がついた。

 エンブレンはふと、自分の伴侶となる第一王子の顔を思い出した。

 第一王子とは幼い頃から何度もあっている。

 日の光がよく透ける色素の薄い金色の髪に、アクアマリンのような青い瞳を持った王子は、いつも柔和で純粋な笑顔をエンブレンに向けてくれていた。

 もし、第一王子がこのことを知っていたとしら……。

 あの純粋そうな笑顔を見る目が今後変わってしまいそうだと思った。

「このことを……第一王子はご存知なのですか?」
「いいや。知らないだろうね。歴代の王がこのことを知るのは、王妃が契約の間と呼ばれる魔術の中心で術にかかってからだと、決まっているんだ。この国の魔術の対価になるには、次代の王からの本物の愛が必要とされているからな。だからこのことを知っているのは王と、宰相家のみだ」

 すうっと血の気が引いていくのを感じた。
 この国はどのくらい前からこんな恐ろしい魔術を使って国を保っているのだろう。

 今まで自分たちが幸せに生きられていたのは、文字通り歴代の王妃たちのおかげなのだ。

「お前は幸せな人間なんだぞ? エンブレン。お前は一生、第一王子に心から愛されるのだ。私たちの贄になってくれたお前を、王家は大切に『保管』してくれる」

 ああ自分は、その呪いを一身に受けるために、作られた器でしかなかった。

 エンブレンは全てを悟りながらも、解せない気持ちでいっぱいだった。

 どうして私ばっかり、割を食わなければならないの?

 それからのエンブレンの心の中に煮詰めたような、苦悩が蓄積し続けていた。

 第一王子との婚姻が決まってからは、両親はよりエンブレンを見放すようになった。

 そして、妹のアンジュッテには、心をくだく。
 この子は自分たちが手をかけて、幸せにしよう。そんな意思が彼らからは漂っていた。

 自分とは鏡合わせのように、なんの責務もなく、キャラキャラと笑うアンジュッテが羨ましかった。妬ましかった。許せなかった。

「お姉様はいいわね。だってあの第一王子のお妃様になれるんだもの!」

 何も知らないアンジュッテは無邪気にいう。

 アンジュッテは知らないのだ。自分の姉がこの国の幸せのために贄にされることを。

「ええ。ありがとう。国母として責任を果たせるよう、今から励みますわ」

 エンブレンは心を制御して、完璧な笑みを作る。

 しかし、恵まれているはずのアンジュッテの瞳には、なぜか羨望が滲んでいた。

 彼女もまた、幼いことから会うことの多かった第一王子に憧れを持っていることに気がついたのだ。
 
 そしてエンブレンは思いついたのだ。

 ——そうだ。この子に欲しがらせればいいんだ。何も知らないアンジュッテはなんでも欲しがるのだから。

 エンブレンが考えた通り、アンジュッテは簡単に第一王子を欲しがった。

 しかし、両親は「それはできないんだよアンジュッテ」と彼女をなだめた。
 エンブレンが王家に正妃として嫁いだあと、側室になることはできる。だが、お前は正妃には決してなれないのだと、念入りに嗜めた。

 なんでも許してくれる自分に甘い両親が、これだけは譲ってくれない。

 その特別感が彼女の気持ちをより第一王子へと向かわせたようだった。

 アンジュッテはエンブレンの目に触れぬ場所で、第一王子と交流を持つようになっていた。

 それだけではない。
 父と母、それにアンジュッテが家族で旅行にいく際も、エンブレンは家に置いていかれたが、そういう時に彼女は家族に可愛がられない可哀想な姉ではなく、王家に嫁ぐ人間であることを強調して伝えた。

「ねえ。どうしてエンブレン姉様は私たちとお出かけにならないの?」

 アンジュッテが無垢な顔して聞いてきたら、エンブレンは必ずこういってやった。

「私がよそで怪我でもしたら、王家の方々に迷惑をかけてしまうでしょう? 私は王家に嫁ぐものとして、責務がありますから」

 そう言った後、必ずエンブレンは彼女の部屋に飾られた第一王子の肖像画を見て、頬を染める仕草をして見せた。

 実際には、彼女たちの両親は捧げ物になるしか将来の道がない、エンブレンよりも自分の手元に置いておけるアンジュッテを可愛がりたいがために、エンブレンを家に置いていただけなのだが、人の思考を惑わせることはエンブレンにとって難しいことではなかった。

 アンジュッテはその光景を見るたびに、悔しげに唇を噛んで見せた。

 その表情の全てが彼女の心を第一王子の元へと向かわせていることを物語っていた。

 そうして、彼女は十数年かけて、場を整えていったのだ。


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