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この世は需要と供給で成り立っている1
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ミラジェが毒を受ける事件から、一年が経った。
宣言通り、死に物狂いで勉強を続け、貴族的マナーをきっちり身につけたミラジェは社交界で活躍を始めた。
養子に迎え入れてくれたレイヤード公爵家の後押し(という名の広報活動)もあり、ミラジェは自身が考えていたよりもスムーズに社交界に受け入れられたのだった。
ミラジェが男爵家の悲惨な生活の中で身につけた知恵は貴族の世界でとてつもなく魅力的なものだったのだ。
「逸材ですよ」
シャルルの執務室で、資料をまとめていたジャンがつぶやく。
「まあ……逸材だというのは否定しない」
(ちょっと違った方向で逸材になりつつあるが)
シャルルは相変わらず、公爵としての仕事を続けている。この一年で変わったことと言えば、他の貴族たちに年若い領主だと値踏みされることがなくなったことだ。
今まで、高圧的に接していた扱いにくい貴族たちの態度が急に恭しくなったのだ。
最初はなぜこんなに急に? と不思議に思っていたのだが、ミラジェの影響ではないかと思う。
ミラジェは社交の場で、様々な貴族たちに交渉(脅し)を持ちかけているらしい。
きっとみな、鼠取りが得意なミラジェに頭が上がらないのだろう。
ミラジェに尋ねると「軽く掃除をしておいただけですよ」とふんわりと柔らかな笑みで言われてしまったが、本当に彼女は何をやったのだろう。怖いので、絶対に知りたくない。
最近は、エイベッド家を訪れる貴族たちが、ミラジェの薄い微笑みの中に含まれた冷酷さを感じ取り『こっちが本当の氷の公爵か』と言い出す始末である。
彼女はシャルルに隠れて、相当なことをしているに違いない。
「美しく花ひらく……という話をジャンとしたことがあったが、あれは花ひらく方向性が違うだろう……。あれは……花は花でも毒草だな」
執務室でいつものように、書類仕事を片付けていたシャルルは、呆れたような、だが愛おしさが含まれるような微妙な顔をして呟く。
「それもまた、若奥様の魅力なのでしょう」
ジャンは目を細めて遠くを見るようにいう。
「後、精神がマッチョ」
「……」
続くアレナの言葉にも、シャルルは否定できなかった。アレナは最近、産休を終え職場復帰したばかりだった。もっと休んでいてもいいのに、とジャンと二人で説得をしたが、アレナはミラジェが引き起こす事象から一時も目を逸らしたくないらしく、早めの職場復帰を決めた。
それにあたって、ミラジェは屋敷の中に使用人の子供を預かる保育所を作った。
「こういう施設を作っておけば、子育てが得意な使用人も増えるでしょう。……そうすれば……ふふふ」
含みのある笑い。考えていることはなんとなくわかるが、聞かないでおこう。
「アレナから男爵家で若奥様の置かれていた状況を聞きましたが、相当ひどいものだったらしいですね」
ジャンが言いにくそうに言った。
「……らしいな。しかし、私がその経験を忘れさせてやりたいと思ったのは間違いだったみたいだ。あの子は……ミラジェはその経験すらも強さにして生きていこうとしている。それが好ましくもあり……心配にもなるな」
その言葉に従者二人ははあ? と理解不能という表情を見せた。
「あのかたはそのくらいで潰れるようなたまではない気がするのですが……」
とアレナが
「多分、この屋敷の中でまだ若奥様を守ろうとしている方はあなたくらいですよ……」
とジャンが続ける。
「わたくしたち使用人はもう何かあったら若奥様に守ってもらう気満々ですからね!」
「坊ちゃんは……若奥様の__ちょっと猟奇的なところがお嫌いですか?」
不安気に聞くアレナの問いに、シャルルは眉間に皺を寄せ困惑する表情で答えた。
「それが……嫌いじゃないんだ。それどころかすごく胸がときめくのは……なぜなのだろう……」
「「……」」
執務室に異様な静寂が広がる。
「変態?」
「アレナ! 本当のことであっても、言っていいことと悪いことがあると思います!」
ジャンのフォローはフォローになっていなかった。
「本当であっても⁉︎」
シャルルは瞠目する。
「なんというか……。ミラジェは普段子供らしい清らかな笑顔を振りまいているが、ふと見せる邪悪な顔に……えもいえぬ大人っぽさというか色気を感じてしまう時があるんだ」
その言葉を聞いて目を点にしたアレナはつい、また本音をこぼしてしまう。
「……マゾ?」
「んっ! アレナ!」
シャルルは最初のころはやんややんや、好き勝手評判が広がることに否定をしていたが、最近はもうそれにも疲れて、もう好きに評価してくれ……と投げやりになってきた。
シャルルが公爵家の主人として、という変な肩肘を貼らなくなったことも、ミラジェの功績なのかもしれないとジャンは密かに思っている。
「そういう時はですね……坊っちゃん。君の魅力に完敗だと若奥様に宣言すれば良いのですよ」
ウインクを飛ばしながらアドバイスをするジャンの言葉を、難しい顔をしてシャルルが聞いている。
そんな二人の様子を見ていたアレナは、しみじみと語り始める。
「なんだか……最近。若奥様と一緒にいる機会が多くなってから気がついたのですが……。坊っちゃんは立場上、公爵家の主人として皆をまとめ上げなければならない立場にありますから、守ってほしいタイプの子女たちが周りに群がることが多かったでしょうが、本当は引っ張ってくれるような女性がタイプだったのではないでしょうか」
「……そ、それは。違う……ん、いや? そうなのか?」
よくわからない顔をしだしたシャルル。そんな彼の姿を見て、ジャンは変わりゆく主人を優しい瞳で見つめる。
「与えられることを待つだけの存在にはなりたくないと、若奥様はいつも言っておられますから」
「まあ……若奥様は考えが大人でいらっしゃいますね……。まあ、旦那様はいつまでも少年のような心を持っているどうしようもない方ですから、お二人で釣り合いが取れてちょうどいいのではないですか」
アレナの余計な一言が、妙に心に突き刺さった。
宣言通り、死に物狂いで勉強を続け、貴族的マナーをきっちり身につけたミラジェは社交界で活躍を始めた。
養子に迎え入れてくれたレイヤード公爵家の後押し(という名の広報活動)もあり、ミラジェは自身が考えていたよりもスムーズに社交界に受け入れられたのだった。
ミラジェが男爵家の悲惨な生活の中で身につけた知恵は貴族の世界でとてつもなく魅力的なものだったのだ。
「逸材ですよ」
シャルルの執務室で、資料をまとめていたジャンがつぶやく。
「まあ……逸材だというのは否定しない」
(ちょっと違った方向で逸材になりつつあるが)
シャルルは相変わらず、公爵としての仕事を続けている。この一年で変わったことと言えば、他の貴族たちに年若い領主だと値踏みされることがなくなったことだ。
今まで、高圧的に接していた扱いにくい貴族たちの態度が急に恭しくなったのだ。
最初はなぜこんなに急に? と不思議に思っていたのだが、ミラジェの影響ではないかと思う。
ミラジェは社交の場で、様々な貴族たちに交渉(脅し)を持ちかけているらしい。
きっとみな、鼠取りが得意なミラジェに頭が上がらないのだろう。
ミラジェに尋ねると「軽く掃除をしておいただけですよ」とふんわりと柔らかな笑みで言われてしまったが、本当に彼女は何をやったのだろう。怖いので、絶対に知りたくない。
最近は、エイベッド家を訪れる貴族たちが、ミラジェの薄い微笑みの中に含まれた冷酷さを感じ取り『こっちが本当の氷の公爵か』と言い出す始末である。
彼女はシャルルに隠れて、相当なことをしているに違いない。
「美しく花ひらく……という話をジャンとしたことがあったが、あれは花ひらく方向性が違うだろう……。あれは……花は花でも毒草だな」
執務室でいつものように、書類仕事を片付けていたシャルルは、呆れたような、だが愛おしさが含まれるような微妙な顔をして呟く。
「それもまた、若奥様の魅力なのでしょう」
ジャンは目を細めて遠くを見るようにいう。
「後、精神がマッチョ」
「……」
続くアレナの言葉にも、シャルルは否定できなかった。アレナは最近、産休を終え職場復帰したばかりだった。もっと休んでいてもいいのに、とジャンと二人で説得をしたが、アレナはミラジェが引き起こす事象から一時も目を逸らしたくないらしく、早めの職場復帰を決めた。
それにあたって、ミラジェは屋敷の中に使用人の子供を預かる保育所を作った。
「こういう施設を作っておけば、子育てが得意な使用人も増えるでしょう。……そうすれば……ふふふ」
含みのある笑い。考えていることはなんとなくわかるが、聞かないでおこう。
「アレナから男爵家で若奥様の置かれていた状況を聞きましたが、相当ひどいものだったらしいですね」
ジャンが言いにくそうに言った。
「……らしいな。しかし、私がその経験を忘れさせてやりたいと思ったのは間違いだったみたいだ。あの子は……ミラジェはその経験すらも強さにして生きていこうとしている。それが好ましくもあり……心配にもなるな」
その言葉に従者二人ははあ? と理解不能という表情を見せた。
「あのかたはそのくらいで潰れるようなたまではない気がするのですが……」
とアレナが
「多分、この屋敷の中でまだ若奥様を守ろうとしている方はあなたくらいですよ……」
とジャンが続ける。
「わたくしたち使用人はもう何かあったら若奥様に守ってもらう気満々ですからね!」
「坊ちゃんは……若奥様の__ちょっと猟奇的なところがお嫌いですか?」
不安気に聞くアレナの問いに、シャルルは眉間に皺を寄せ困惑する表情で答えた。
「それが……嫌いじゃないんだ。それどころかすごく胸がときめくのは……なぜなのだろう……」
「「……」」
執務室に異様な静寂が広がる。
「変態?」
「アレナ! 本当のことであっても、言っていいことと悪いことがあると思います!」
ジャンのフォローはフォローになっていなかった。
「本当であっても⁉︎」
シャルルは瞠目する。
「なんというか……。ミラジェは普段子供らしい清らかな笑顔を振りまいているが、ふと見せる邪悪な顔に……えもいえぬ大人っぽさというか色気を感じてしまう時があるんだ」
その言葉を聞いて目を点にしたアレナはつい、また本音をこぼしてしまう。
「……マゾ?」
「んっ! アレナ!」
シャルルは最初のころはやんややんや、好き勝手評判が広がることに否定をしていたが、最近はもうそれにも疲れて、もう好きに評価してくれ……と投げやりになってきた。
シャルルが公爵家の主人として、という変な肩肘を貼らなくなったことも、ミラジェの功績なのかもしれないとジャンは密かに思っている。
「そういう時はですね……坊っちゃん。君の魅力に完敗だと若奥様に宣言すれば良いのですよ」
ウインクを飛ばしながらアドバイスをするジャンの言葉を、難しい顔をしてシャルルが聞いている。
そんな二人の様子を見ていたアレナは、しみじみと語り始める。
「なんだか……最近。若奥様と一緒にいる機会が多くなってから気がついたのですが……。坊っちゃんは立場上、公爵家の主人として皆をまとめ上げなければならない立場にありますから、守ってほしいタイプの子女たちが周りに群がることが多かったでしょうが、本当は引っ張ってくれるような女性がタイプだったのではないでしょうか」
「……そ、それは。違う……ん、いや? そうなのか?」
よくわからない顔をしだしたシャルル。そんな彼の姿を見て、ジャンは変わりゆく主人を優しい瞳で見つめる。
「与えられることを待つだけの存在にはなりたくないと、若奥様はいつも言っておられますから」
「まあ……若奥様は考えが大人でいらっしゃいますね……。まあ、旦那様はいつまでも少年のような心を持っているどうしようもない方ですから、お二人で釣り合いが取れてちょうどいいのではないですか」
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