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猫なので綺麗好きです5
しおりを挟む(ああ、どうしてこの子が泣いていると心が痛いのだろう)
シャルルは痛々しくて見ていられない気持ちになる。だが、同時にミラジェから目を逸らしてはいけない気分にも襲われる。
目を逸らせば、ミラジェは消えてしまう気がした。
(ミラジェを少しでも幸せにしたいと考えていたはずなのに、私が彼女に与えたのは、初夜をでっち上げたと言う恥辱と、私が受けるべきだった毒を喰んだと言う事実だけだ)
与えたい、とずっと思ってきた。公爵家の主人として生まれてきた自分はずっと人に与える立場だった。
なのに、ミラジェには何も与えられずにいることをシャルルは悔しく思っていた。
それどころか、ミラジェはたくさんの素晴らしい恩恵をシャルルにもたらしてくれる。
ミラジェがこの屋敷に来てからの屋敷は、格段に賑やかになった。ジャンやアレナをはじめとした従者たちは、ミラジェが来てから活発な様子を見せるようになった。
何に対しても、無邪気に喜ぶミラジェを喜ばそうと、料理人たちは腕を振るい、使用人たちは屋敷を張り切って磨く。シャルルだけがこの屋敷を管理していた時よりも、何倍も何倍も空気がいい。
それどころか、公爵家の女主人として足りない部分を補おうと、毎日勉学に励み、努力を続けている。
もともと持っていた知識だって素晴らしい。その知識はテイラー侯爵家の水質汚染問題までをも、解決してしまった。
いつの間にか、ミラジェは守られているだけの子供ではなく、守れるだけの力を持った人間になっていた。
シャルルはまだ守ってやりたいと思っているのだが。
「この家で、取り戻せるように、私は力になりたい……」
「……何をですか」
「失われた日々で手に入るはずだったものを」
シャルルは願うように言った。せめて、せめて。与えてくれた分の幸福を返せるよう、幼き日のミラジェが救われて欲しい。そんな気持ちからの言葉だった。
しかし、どこかぼんやりと焦点の合わない目でミラジェは否定をする。
「失われたものはもう二度と戻りません」
酷く冷たい、人間離れした淡々さに、シャルルは息を呑む。
「君は……どうしてそんなに」
悲観的に物事を語るのか。そう続けようにも、言葉がうまく喉から出ない。
「旦那様は苦しい時間を過ごしたわたくしはかわいそうな人間だとお思いですか?」
その言葉にシャルルは目を見開く。
「辛い過去、辛い経験。忘れたいこと……。私の人生にはそれしかありませんけれど、それがまったく役に立たない空白の期間ではないと思うのです。現にテイラー侯爵にお伝えした水質改善の知恵だって、毒に気づけたことだって、あの経験があってこそなのです。……悔しいですがね」
「ミラジェ……」
「私にはあの環境で生き抜いてきたことを汚点ではなく財産にするしか経験を正当化する方法がないのです。その財産と生き汚なさをフルに使ってこの家をもり立てて見せますよ。だから、旦那様……私を利用してください」
その言葉を受け、シャルルは自分がミラジェのあり方を誤解していたことに気がついた。
自分は、ミラジェを幸せにしなければならないと半ば義務のように思い込んでいた部分が少なからずあった。
しかし、ミラジェは強い。
どんな環境であっても最善を選べるだけの知能と勘の良さを持っている。なんなら、シャルルよりも頭が切れるし、非道な選択を選べるだけの冷徹さも持ち合わせている。
ミラジェに必要だったのは、庇護ではなくその素養を遺憾なく発揮させるためのサポートだったのだ。
ミラジェは可哀想な少女、と一括りにまとめられる様な人間ではない。シャルルが知らないだけで、彼女にはまだ多くの武器が隠されている気配がする。そんなミラジェだからこそ、彼女だけを幸せにすることを考えるよりも、シャルルとミラジェも両名が、ひいてはエイベッド家が、幸せになれる方法を考えていった方が遥かに有意義なのだ。
ミラジェにはそれを可能にするだけの、度量がある。
「公爵家の女主人になるには……勉強が足りない部分も多いですが……。努力して、吸収して。この家に相応しい人間になります! ……変えられるのは未来しかないのですから」
その言葉は力強くシャルルに届く。
ミラジェはちっとも悲観的ではなかった。シャルルの考える何倍も、何倍も、強く、逞しかった。
(ああ、ミラジェは眩しいな)
きっとミラジェとなら、この妬みやしがらみの多い公爵家の職務を全うできるだろう。
力強い彼女と、今後も人生を共に歩けることを、シャルルは心の底から嬉しく思った。
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