氷の公爵と呼ばれた旦那様はただのヘタレですし、妻の私は子猫です

菜っぱ

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家主の心中は察せず、猫道まっしぐら5

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 その日のミラジェはいつものように自室で勉強に励んでいた。ノック音が聞こえ、入室の許可を出すとシャルル付きの従者であるジャンが、こんにちは~と陽気に顔を出した。

「若奥様。アレナに聞いたのですが、最近何やら面白いことを坊っちゃんにされているようですね」

 ジャンがミラジェの楽しみのことを知っているのは意外だったが、考えてみれば、アレナとジャンの二人は夫婦だった。きっと二人の間で情報交換が行われているのだろう。

「はい。……もしかして、やりすぎでしょうか? お叱り……ですか?」

 仮にもシャルルは公爵家の当主だ。長年仕えてきた使用人たちから見ると、ミラジェの行動は目に余る行動なのかも知れない。
 若干の心配と後ろめたさを抱えながら、ジャンの顔を上目遣いで覗き込む。
 しかし、ジャンは全く怒ってはいなかった。

「いいえ。どうせ旦那様が不用意なことを言ったのでしょう。それよりも、私どもは若奥様がこの屋敷に馴染んできたことの方が数倍喜ばしいことだと思っていますよ。坊っちゃんにいたずらができるようになったのも、彼を信頼できるようになってこその行動でしょう?」
「……ええ。そうかもしれません。以前は粗相をしたらすぐにこの家から追い出されてしまうのではないかと……萎縮していたのですが、最近はそんなことしないってわかりましたし」
「わたくしたちはあなたを追い出したりはしませんよ。あなたはこの家の者たちが待ちに待った、若奥様なのですから」

 穏やかな微笑みを浮かべたジャン。

「まあ、あの手の悪戯をやり始めたのも、どうせ追い出されるならと、逆に吹っ切れてなんでもしてやろうと思ってのことなんですけどね」
「いいじゃないですか。きっかけはなんでも。それにあなたが咎められることはありませんよ。全て猫だとかいう不用意な発言をした坊っちゃんの責任ですから」
「そう思って、今私は猫として旦那様を存分に困らせることに執念を燃やしているのですが……」

 ミラジェが宣言すると、ジャンは「ぷはっ!」軽く吹き出す。

「いい心がけですね。あの方は……。なんでも抱え込んでしまうクソ真面目人間で面白みもないですが……」
「クソ……」

 ジャンの遠慮のない主人批判にミラジェは口をポカンと開けて慄く。
 本当にここの家に仕える使用人たちはシャルルに対して遠慮がない。しかし、その関係性はアングロッタ男爵家になかった信頼と従者と主人の関係性の深さが窺える気がして、嫌いではなかった。

「ええ。だからこそあなたのように柔軟な思考を持つ方に遊んでもらうくらいでちょうどいいのでしょう」
「なんというか……。アレナさんもそうだったのですが、ここの使用人さんたちは、旦那様に辛辣ですよね……それだけ距離が近いのでしょうが」
「そうですねえ。あの方は基本的に、貴族らしく偉ぶることもありませんし、怒ったりしない寛容な方ですからね」
「……私、氷の公爵なんて呼ばれているから、もっと怖い方かと思ってました」
「ただのヘタレでしょう?」

 ジャンは、にこりと素敵な笑顔で言い放つ。

「ヘタレです」

 失礼にあたる発言だということは重々承知しているが、ジャンの意見にはミラジェの同意見だった。

(この家の存続を第一に考えるのであれば、私の幼さなんて考えずに、家ぐるみで子を孕ませる方に舵を切るのが一番手っ取り早い。しかし、旦那様はわたくしの心情なんてものを慮り、それをしなかった……。でもそれは彼本来の優しさが滲み出た判断だとも言える)

 他者への優しさは美点とも言えるが、弱さに限りなく近い。
 きっとそんな性格で今日までシャルルが公爵としての職務を全うできていたのは、ジャンをはじめとした支える者達の力量によるところもあったのだろう。

 ジャンは最初に家にミラジェが訪れた時から、好意的な態度を見せていた。しかしそれと同時に、ミラジェを見定めるような目で見ていたこともわかった。
 この人間はシャルルに寄りかかるだけではなく、支えられるだけの力を持っているか、と。

 ジャンは、ミラジェのことを、その育ちのせいもあるが、割り切りがよく、比較的冷徹な性格をしていると評価していた。その性質を生かして、シャルルが苦手な人を切り捨てるような仕事は彼女に任せられるのではないかと内心考えている。

 ……まだ試したことはないのだが。

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