白兎令嬢の取捨選択

菜っぱ

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第一章 大領地の守り子

間話 私の主人は引きがいい

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 ハーブティーを入れるためのポットを取りにキッチンへ向かうと窓から外の広葉樹の葉が緑から赤へと色を変えていることに気がついた。
 もう少し落葉が多くなったら、掃除しないと。
 この別邸の掃除は私と同居人のニエが行っている。枯葉を集める魔法陣なんて便利なものはこの屋敷には存在しない。あ、でもリジェット様に言ったら案外すぐに作ってくれるかもしれない。今度お会いした時にちょっといって見ようかな。

 たまに暑い日もあるけれど、もう季節は秋に近い。
 リジェット様がオルブライト家の屋敷を出てから一ヶ月以上が立とうとしていた。

 窓の外からは小鳥の鳴き声も聞こえてくる。
 今日も、平和だな……。

 私、タセは今年から一流料理店、リベランを退職してこの領地の領主であるオルブライト家のお嬢様、リジェット様付きの調理人となり、オルブライト家のお屋敷の敷地内に建てられた離宮に住んでいる。

 職場が変わるといろんなことが変わってしまう。今まではフルコース料理を提供するリベランのレシピを作っていたけれど、今はリジェット様の事業であるハーブティーの商品開発に携わっていて、目が回るほど忙しい日々を送っている。

 仕事が大きく変わってしまって後悔はしていないか、とリジェット様は心配そうに聞いていたが、私は後悔なんて一つもしていなかった。リベランでは作ったレシピはみーんな料理長の手柄にされてしまっていたけれど、ここではそんな心配ひとつもない。

 レシピは私の財産だ。

 長年考えた秘伝の調合を、料理長に掻っ攫われてしまう日々は私の心を大きく削った。あのレシピを作ったのは私なのに、誰も私をみてくれない。私は誰よりも貢献していたのに、あの空間ではいないのと同然の扱いを受けていた。
 賞賛を浴びる料理長を見るたびに、私は何をやっているのだろう、と気持ちが荒んだ。

 そんな思い出すだけで反吐が出る日々に比べたら、ここの暮らしは天国だ。
 リジェット様は私の境遇と思いを聞いてからハーブティーのパッケージの裏に開発者の名前を入れて入れてくれるようになった。
 それが嬉しすぎて、その日自室で夜ちょっと泣いた。
 優しい主人の元で今の私は働くことができている。

 ちなみに、本邸の方の料理人に呼ばれて、レシピ改良を手伝うこともある。彼らはみんな熱心で真面目だ。私が作ったものは私が作ったとオルブライト家当主のセラージュ様にも伝えてくれているらしい。どうやら私が作るレシピはセラージュ様にご好評らしい。
 それもあってか私たちが離宮を使うことにあまりとやかくいう人間は少ない。
 だからここでは安心して料理を作ることができた。

 まあ、料理を食べさせたいなあと思っていたリジェット様は王都に旅立ってしまったので、少しだけ物足りなさはあるけれど、一緒に暮らすニエが美味しそうに食べてくれるのでよしとする。



 
 今日も朝からハーブティーの試飲会が行われている。
 柔らかな日差しが差し込む、応接間兼試飲会場の部屋の机の上にはマルトから送られてきたお茶がいくつも並べられていた。
 
 ハーブティーはリジェット様が考案した事業なんだけど、お嬢様の事業っていうからには、お遊び程度の規模かな、と思うでしょ?
 でも私のご主人様であるリジェット様は違うんのだ……。

 もう、やることなすこと規模がでっかい。

 手始めに、さあハーブティーを作りましょうね、と言ってからすぐ、リジェット様は村一つ、ハーブティーの生産農家にしてしまった。
 私はリジェット様にそれを言われた時に、え? 本当に? と感心したという範疇を超えて呆れてしまった。
 だって、御令嬢の事業だよ? もっとちっちゃいと思うでしょう? 
 しかもリジェット様が農場に選んだ土地は、マルトという、瘴気に村中を汚染された場所だった。
 何もそんな場所を選ばなくても……と思ったけれど、リジェット様曰く、シュナイザー商会のクリストフに押し付けられたらしい。

 でも、そんなこともものともせず、持ち前の機動力でマルトの土地を正常化させてしまったらしい。
 それはもう……。統治ですよ、リジェット様。

 そう思ったけど、一従業員でしかない私は突っ込む権利すらない。
 私にできることはリジェット様の手となり足となり、這いずり回ることだけだ。

 今、私の隣でハーブの割合を変える作業を真剣な眼差しでしている、ニエという少女はその村の出身者でリジェット様に巻き込まれたうちの一人だ。
 最初はどこから連れてきた子供⁉︎ っと思ってびっくりしたけれど、ニエはとっても大人びた子で自分の身の回りのことは自分でできるし、なんなら私なんかよりよっぽど自立した子供だった。

 ……私、料理はできるんだけど片付けがてんでダメなんだよね。ついでに、皿洗いなんかの細々とした家事も苦手だ。皿洗いはリベランの下積み時代は仕方ないからやっていたけど、今はできれば避けたいことの一つだ。割っちゃうんだよね……。皿。

 割ろうとはしてないのに、なぜか割れてしまう。
 これは皿に魔術がかかっているに違いない。

 ……あ、そんなことはないってことはわかっているから突っ込まないでね。

 ニエはそんな私を見て「私がやるから、タセはやんないで!」と言って苦手なことを全般引き受けてくれていた。

 本当に……。ありがたくて涙が出ちゃうよ、ニエちゃん。こんな子と一緒に暮らせるなんてなんてラッキーなんだ!

 そんなこんなで、大変な職場だけど私はこの仕事を心の底から楽しんでいた。




「うん、こんなもんでいいかな。セレーの割合をちょっと増やすと酸っぱさが増すと思うんだよね」

 ニエは秤の上に乗せたハーブを手で混ぜた後、ポットに入れお湯をゆっくりと注いでいく。このお茶は季節限定の新商品の商品になる予定だ。
 リジェット様から承った離宮の中には、爽やかなお茶の香りが充満している。

 葉がむされたのを確認して、あつあつのポットからカップにお茶を注ぐ。セレー特有の赤い綺麗な色がカップの中に広がった。

「わあ! 色はいい感じだね」
「味見しよ?」
「そうだね」

 私たちはカップに口をつける。うん、いい味かも。この前作った試作品よりもだいぶ香りが良くなって、酸っぱさの具合もちょうどいい。

「おいしい~! これは売れそうな味!」

 ニエも気に入ったようで、商品開発の具合を記録したノートに大きく丸をつけた。
 私たちはしばし、味の余韻にひたる。

 さて、カップの片付けを始めよう……と思ったところで、ニエは考え込むような顔をしながら口を開いた。 

「なんかこのお茶、飲むと元気になる気がしない?」
「あー……。そう言われてみればそうかも。飲んだ後ちょっと体がスッとするっていうか……。疲れが取れる感じがあるよね」

 そう言って私たちはもう一度カップに口をつける。
 うーん。それを意識すると確かに、何かがすっと抜けるような感覚があるような気がする。

「そう言えばさあ、リジェット様はこのハーブティーの原料になる植物をオルブライト家の屋敷で見つけたって言ってたけど、成分分析ってちゃんとしてるのかな……。リジェット様自身が何年も常飲していたものだって言ってたから、毒物はないんだろうけど……」
「そういえば……。してないね」

 私たちは不安になって顔を合わせる。

「まあ……大丈夫だって。多分悪いもんじゃないから大丈夫でしょ。街のスープ屋だってこの前、粗悪品売って腹を下す客が続失してもなんのお咎めもなかったし。今だって何食わぬ顔で商売を続けてる」
「まあ、そうなんだけどね……」

 買った食事で腹を壊すなんてこの国ではよくある話だ。みんな食あたりにあっても、運が悪かったな、で済ませてしまう。その辺は緩いから問題はないけれど、何だか胸騒ぎがする。

「シュナイザー商会に依頼する?」
「そうだよねえ……あそこしかないよね……」

 ニエはシュナイザー商会、という言葉を聞いてげんなりとした表情を見せた。シュナイザー商会は私たちが作るお茶を卸している商会のことだ。

 王都に百貨店を持つ一流企業なのだが、なぜか本社がオルブライト寮のミームという小さな街にある。最初の取引はリジェット様が手ずからお茶を納品しに行ってくださったが、今では私かニエが商品を卸しに足を運んでいる。
 先日、お茶を卸しに言った際に、会話が弾んだ拍子にニエはついいつもの口調に戻ってしまい、

「このケーキ、クソうまい」

 と言ってしまったばかりなのだ。
 リジェット様の手足になるものとして流石にクソはまずい。
 すぐにはっとしたニエだったが、その後クリストフに「なかなか趣のある言葉遣いですね」とニッコリ釘を刺されてしまい、苦い思いをしたばかりなのだ。
 以前から、言葉遣いを注意してはいたのだが、ニエ自体がいささか器用なタチであるため「絶対、そんなヘマやらないもん」と乱暴な言葉を直そうとはしなかった。
 しかし、今回のことで気をつけていてもとっさに癖は出てしまうということを身をもって体験したようだ。

 そこから、ニエは私にタメ口は聞くが、乱暴な言葉遣いはしなくなった。練習がてらリジェット様にも今後は敬語を使おうと思っているらしい。

「私はもう……。あんな失敗はしないから……」

 不貞腐れる顔のニエをみて、しっかりしていてもやっぱりまだまだ子供だなあ、と微笑ましい気持ちになって微笑みをこぼした。




 数日後、私たちはシュナイザー商会に依頼した成分分析結果を聞きにいった。頼んでから一日もたっていないので、随分早いなと驚いてしまったが、分析結果を持ったクリストフは何だかワクワクしたような表情を見せている。

「頼まれていた成分調査が終わりましたよ。ふふふ。思った通り、こちらは素晴らしい商品でした」
「素晴らしい?」

 私たちはクリストフの言葉に揃って首を傾げる。

「ええ。大変素晴らしい結果です。こちらのハーブティーの回復効果は薬事院で販売される、疲労回復の薬と同等の効果が認められましたからね」

 薬事院は私たちが、風邪をひいた時にお世話になる薬の販売所のことだ。と、言っても薬事院の薬はちょっとお高いので、重めの風邪にかかった時しかお世話にならないけれど。

「待って! じゃあ、このハーブティーは実質、薬だってこと⁉︎」

 ハーブティーは薬事院で販売される商品の五分の一程度の値段で販売されている。ちょっとお金持ちの貴族や商人なら日頃常飲可能な価格帯だ。

 そんな便利でお手頃価格なもの、誰もが欲しがるに決まってる! 私が驚きで声も出なかった。
 ニエの方を見ると彼女も心なしか顔色が青い。

「元々のハーブ……まあそれも薬草なんですが、そちらの効果はそれほど高いものではないのですよ。ただ、女神のお力が宿るマルトとの相性が良かったようですね。いやあ、素晴らしい商品が出来上がりましたね!」

 クリストフは今回の結果を踏まえ、薬効のある商品として販売を進めていく計画でいるらしい。それに待ったをかけ、リジェット様に確認をとってからにするよう促した。

「た、大変なことになっちゃったよ……。これからどうする?」
「とりあえず……。できることはしないといけないね」

 うっかり、とんでもない商材を私たちは作ってしまったらしい。

 リジェット様は引きがいい。でもその引きの良さもちょっと考えものだな、と私とニエは頭を抱えた。


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