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第一章 大領地の守り子
36周りも変化してるみたいです
しおりを挟むわたくしが騎士になりたいと願ったあの日から、季節が変わるにつれ、少しずつですが周りの人間が剣のお稽古を許容してくれるようになった気がいたします。
お父様は剣を振るうわたくしにあまり文句を言わなくなりましたし、お母様も眉を潜めた表情でみてきますが、口を挟んだりはしません。
使用人たちも最初はこそこそと陰口を言っているなあ、というのがわかるくらい、批判の感情を表に出していたのですが、日に日にそのような態度を取るものは少なくなり、今ではみんな好意的に思ってくれているようです。
中にはわたくしが先生の家に通うようになったため、我が家を訪れることが多くなった先生の見た目の美しさに絆されたものも多いようですが……。というのも先生がうちに魔法陣の修復にいらした日から急に好意的なものが増えた気がするのです。
ラマが言うには屋敷内の使用人たちで、先生のファンクラブがあると言うのだから驚くです。
(噂では……お母様が後援をされてるとか……)確かにお顔の綺麗な方だとは思いますが、それほどのことでしょうか? と少々呆れてしまいました。
でも確かに先生は儚げな美人なので、オルブライト家の子息にはいないタイプなのです。そう言う人間を神格化してアイドルとして楽しむのがこの家で働くものたちの一つの楽しみなのかもしれません。
わたくしが騎士を目指すために魔術を学んでいる間であれば、先生はうちにいらっしゃるかもしれませんからね。人間とは己の欲に忠実な生き物です。わたくしも剣のお稽古が何よりも好きですし、使用人たちにも楽しみは必要でしょう。人それぞれ好きなものがあるのはいいことです。
わたくしが剣のお稽古を終え、自室に戻ろうと屋敷の廊下を歩いていると、使用人たちが数名で、何やら騒がしくしています。
何かあったのでしょうか?
「まあ!どうしましょう」
「何があったのですか?」
騒いでいる中の一人に声をかけると、その使用人の顔から血の気がひいてしまいました。
何かこの家の主人に見つかるとまずい類の事件だったのでしょうか。
「お、お嬢様!? どうしてこちらに?」
「どうしても……と言われても。この廊下はわたくしの自室への通り道ですから……。
あら?」
わたくしは使用人がその手に持っていたものを注視します。それは先生が書いたであろう魔法陣でした。
「その魔法陣……。破けてしまったの?」
その場にいた使用人はわたくしの言葉に皆一律に顔を青くしていました。どうやら、隠蔽したい出来事の場に立ち会ってしまったようです。
「ううう……。もうお嬢様に見つかってしまったならば、白状するしかありません。
そうなのです。洗濯の魔法陣を破いてしまったのです!
この魔法陣はとても高価なのに!!
ああ、どうやってお詫びすれば!」
使用人たちは半狂乱状態にになって取り乱しています。
……はて。それが果たしてそんなに大変なことなのでしょうか。
きっと先生の家に魔法陣を習いに行く前のわたくしであれば、使用人たちと一緒に顔を青くして慌てふためいていたでしょう。
先生の描く魔法陣は、精度が高くベラボウに高いですから。
でも今のわたくしは違います。人の描いた魔法陣を使うことはできなくても、自分で描いて使うことはできるのです。
わたくしは使用人たちの顔を見てにっこり笑います。
「大丈夫ですよ、こっそり作り替えてしましましょう」
その言葉に、使用人は唖然とした顔をしていました。
わたくしは、使用人が破いてしまった魔法陣をよく観察します。
さすがは先生の描いた魔法陣。細かく要素が分かれていて、なんとも難解な作りをしています。
汚れをただ落とすのに、水を流す・汚れを分解する・それを浮かせて落とす、と言う工程がこの魔法陣には組み込まれていました。
これと同じものをわたくしが作るのは無理そうです。諦めてわたくしが作れる最善の魔法陣を作るしかなさそうですね。あまり難しい要素を組み込んで爆発する可能性を高めたくはないですし……。
「うーん、洗濯ですから、動の要素と水の要素は欠かせませんよね。汚れを取るだけで、穢れを取るわけではありませんので聖の要素は過分かもしれません。
そうなると無の要素でしょうか?」
考え込むわたくしを見て使用人たちは騒然としています。
「あの……。お嬢様?」
使用人たちは心配そうな顔をしてわたくしの顔色を伺っています。使用人はわたくしが魔法陣を少し描くことができる、と言うことは知っています。
しかし、その内容を理解して読み取ることができると言うことは知らなかったようで、それをしている私に対して困惑した表情を見せています。
そりゃそうですよね。屋敷の中で、一番魔力が弱くて、何もできないはずの末のお嬢様が、自分たちではよくわからないことをし始めたんですから。
「多分、単純にたらいの中で水を回して洗濯機みたいにできれば十分なんだと思うのですが……。
誰か白紙の用紙と筆記用具持っていらっしゃらない?」
「それでしたら、こちらをお使いください!」
使用人に声をかけると、そのうちの一人が自分の持っていたメモ用紙と鉛筆のような筆記用具を貸してくれました。
メモ用紙の方にはびっしりと屋敷の掃除方法が書かれています。とても仕事熱心な方のようですね。
メモ用紙を一枚いただいて、魔法陣をさらさらと描き始めます。
「よし!できました!」
魔法陣を描ききると、元々の魔法陣があったタライに貼り付けます。
「これでこのタライが洗濯機として機能するはずです」
「洗濯機……、とは?」
「口で説明するより、見ていただいた方が早いですね。どなたか、汚れ物とお水をこの中に入れてくださらない?」
わたくしの指示にピンときていなかったのか、最初は頭に疑問符を浮かべていた使用人たちですが、出来上がった魔法陣を見て何かを察したようです。
皆、急いで言われたものを持ってくるとタライの中にそれをセットしてくれました。
「これで準備完了ですね。そこのあなた、この魔法陣を起動してくださらない?」
わたくしは目についた、使用人に声をかけました。彼女の髪はほんの少しだけ色がついたような薄い緑色をしています。
「わたくしですか!? わたくしは……その。髪を見ていただいたらおわかりだと思いますが、魔力が少なくて、魔法陣を動かすことが一日に数回しかできないのです。もう今日は三回ほど使ってしまったのでこれ以上魔法陣を動かすことはできないと思うのです」
薄い緑色の髪を持つその使用人はとても申し訳なさそうな顔をして、わたくしに告げます。
……そうは言ってもわたくしよりも相当髪の色は濃いように見えますがね。なんと言ってもわたくしの髪の色は色が一切ない真っ白一色ですから。
「わたくしが描いた魔法陣なので、魔力量が少ないあなたにも十分使えると思いますよ?
試しに触れるだけしてみてください」
わたくしに促されて、その使用人は恐る恐る、魔法陣に手をふれました。
すると、タライの中身の洗濯物は見事に自動で回転し、汚れを落としていきます。
「さ、作動した⁉︎ え! 回ってる⁉︎」
魔力が少ない、と言っていた使用人は驚いた顔をしています。
なるほど、洗濯機を想像してしまったので回ってしまったのですね……。まあ、汚れが落ちればなんでもいいでしょう。
「ほら、使えるでしょう?一度停止させて、汚れ具合を確認してみましょうか」
わたくしは使用人に魔法陣を停止させるように指示し、中に入っている洗濯物の汚れを一緒に確認します。
すると見事に汚れは落ちているではありませんか!
「あらよかった。うまく行きましたね」
使用人たちは皆、目を丸くして驚いています。
「ほんとに汚れが落ちてる‼︎ これなら洗濯の魔法陣の代わりとして使える!」
「ほんとだ! いきなりグルグル回り始めるからなんだなんだ⁉︎ ってびっくりしちゃったけど、水の回転を利用して汚れを落としているんだ……。
こんな発想私じゃ思いつかない……」
みんなが喜んでいるようで、描いた本人であるわたくしも大満足です。
そんな中、一人の使用人がはっ! と声をあげます。
「お、お嬢様! もしよろしければこの方法では落ちない汚れも落とす方法があったりしますか?」
「どんなものですか?」
「今持ってきますね!」
使用人は顔を輝かせて、走っていきました。
「ああ~多分あれね!」
「イノ、あれ気に入ってたものね!」
その場に残った二人の使用人はそれが何なのか分かっているようです。
数分待っていると、イノと呼ばれていた使用人が戻ってきました。
その手にはテーブルクロスが握られていました。
「このテーブルクロス、とってもいい生地でできているのですが、ここに紅茶シミができてしまっていて、使うことができないのです……。
もったいないので、捨てるのももったいなくて、とっておいたのですが……。お嬢様に頼むのはとても申し訳ないのですが……。魔法陣でどうにかならないでしょうか?」
なるほど。しみ抜きですね。
見るとこのテーブルクロス、とろりとした艶やかな光を放ってとっても綺麗ですね。捨てるのはもったいないです。
「うーん。これだと、汚れを落とす、というよりも汚れ自体を消すような魔法陣を構築した方が良さそうですね」
前世の世界では何を言っているのだ、と言いたくなってしまいますが、この世界の魔法陣ではそんなこともできてしまうのだから、とってもすごいですよね。
頭の中で、知っている魔法陣を巡らせます。無の要素を全面的に打ち出せばいいのかしら?
と、いうことは円の内側は五角形でいいのかしら?
ふんふんふんふん、考えながら手を動かしているのを、使用人三人組は興味深そうな表情で見ています。
「あ、直接布地に書かなければいけないですから、その魔法陣自体も消えるように構築しないといけませんね……」
独り言のようにポツリというと、イノが子供のように目を輝かせます。
「そんなことできるんですか!」
「しっ! お嬢様が集中できないでしょう! 邪魔しないの!」
「あ、はあい」
「ふふふ、どんな感じになるのでしょうね」
三人は可愛らしくお話ししています。
ふふ。わたくし、この三人が仲がよくてこんなに可愛らしいなんて知らなかったわ。
勇気を出して話しかけると、いろんなことが知れて楽しいですね。
「よし、大体魔法陣が考えられました!
こちらに描いてみますね。上手くいくといいのですが……」
「失敗しても大丈夫です! どうせ捨ててしまうテーブルクロスですから!」
「こらっ! お嬢様にそんな口聞かないの!」
「ふふっ。そう言ってもらえるとありがたいです。早速試してみましょう!
何事も実験です」
テーブルクロスに直接描いてしまうのは少し怖かったので、お借りしたメモ帳に汚れをつけてその上から試作の魔法陣を描き込みます。
結果、綺麗に汚れが消えたので、これはいけそうだと判断しました。
早速本題のテーブルクロスに描き込みしていきます。
すると、思った通りにテーブルクロスのシミは綺麗に消えました。
「わあああ!」
使用人三人娘の楽しげな声が響きます。
ああ、やってよかったなあ、と思える嬉しい声です。
「お嬢様! ありがとうございます!」
「いいえ。わたくしもとっても勉強になりました。また何かあったら、声をかけていただけると嬉しいです」
「はい! また困った時は声をおかけします!」
満面の笑みにこちらまで嬉しくなってしまいます。
わたくしも三人と同じような笑みを表情に浮かべました。
「みんなが喜んでくれてよかったわ。
じゃあわたくしはお部屋に戻りますわ。……くれぐれもこのことは内密にね。お父様に見つかると面倒なことになりますから」
「もちろんでございます!お嬢様!」
みんながそう言うのを確認し、安心してわたくしはお部屋に戻ります。いやー。いいことするって気分がいいですわね。
ルンルンな気持ちで自室に戻ると、部屋で待ち構えていたラマに、不審な目を向けられていまいました。
「お嬢様……。また何か余計なことでもしましたか?」
「いいえ。何一つ、余計なことなんてしていないわ」
……みんなの役に立つこと以外は。
わたくしはラマの探るような視線を躱し、お母様からの課題である刺繍にとりかかるため、ひとりがけのソファにどん、と座りました。
「さて、今日はどこから刺そうかしら~」
その後、使用人たちはお父様には報告しなかったようですが、使用人たちの間で、わたくしが家事に役立つ魔法陣を作成できることは周知されてしまったようです。
皆で家中から壊れかけの魔法陣を探してきたようで、何かあるたびに魔法陣の製作を頼まれるようになりました。
こう言う仕事はオルブライト家のお抱え魔術師である先生の仕事なのでは? と思いながらも、屋敷のみんなに頼られることが嬉しくて、ついつい引き受けてしまいます。
こうしてわたくしの暮らしを守ってきてくれたみんなに恩返しができれば嬉しいですね。
わたくしが魔法陣を描くのが当たり前になってきた頃から、使用人が口を揃えてこう言うようになったそうです。
「お嬢様はあんなにも、魔術の才能があるのに、魔術師にならないなんて……。
どうしてなんでしょうか……、もったいない」
わたくしが魔法陣を直し終わってその場から消えた後、皆でそんなことを呟いていたと、あとでラマから報告がありました。
まあ、もったいなくてもわたくしは騎士になりたいので仕方ありませんね!
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