白兎令嬢の取捨選択

菜っぱ

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第一章 大領地の守り子

8婚約者を叩きのめします

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 剣の問題を解決してもわたくしにはまだまだ問題が山積みです。

 いきなりですが質問です。今のわたくしの願いを叶えるのに一番邪魔なものはなんでしょう。
 __答えは婚約者です。

 騎士の夢を諦めろとお達しがあった後、おばあさまの喪もあけていないのに、すぐにお父様はわたくしに婚約者を用意してしまったのです。
 望んでもいないロクでもない婚約者を……。

 その婚約者はオルブライト伯爵領のお隣の領地、ギシュタールの伯爵家の長男、エメラージ・レーナ・ギシュタールです。お隣の領地ですからお互いに面識はあるのですがわたくし、この方のことが小さい頃からあまり好きではないのですよね……。

 どんな人かと問われたら、わたくしはロクでなし、と即答して、容赦なくコキおろしてしまいます。
 ……エメラージ様はとにかく中身がなくてペラペラなやつなのです。

 我が家である、オルブライト家は武の伯爵家として名を馳せていますが、すべての領地がそういった秀でた点を持っているわけではありません。
 そのような領地を跨いでも通り名が通じるほど名の通った領地の方が珍しいくらいでしょう。

 わたくしの嫁ぎ先になる、ギシュタール領は特になんの変哲もない領地です。強いていうなら、我が国、ハルツエクデン国の真ん中に位置する大きな湖に面している、ということが他の領地と違いますかね。

 一応、国の成り立ちとして湖の女神が大地を動かしハルツエクデンを作った、という伝説は国中に残っています。でもそれはあくまでもこの国の成り立ちを想像して創作したものであって事実ではないとわたくしは考えています。

 だって、神様が本当にいるなんて考えにくいでしょう?

 たったそれだけのことなのですが、彼らにとって国の象徴である湖と面している、ということはそれだけで誇り高いことのようです。

 エメラージ様をはじめ、ギシュタールの方々はお会いするたびに、オルブライトの領地は湖と接していないからな、とブツクサ小言を口にします。
 湖に面しているからって何かあるわけでもないのになぜ彼らはこんなに誇らしげなのだろう……と会うたびにモヤモヤしてしまう相手なのです。

 例えば、湖に聖なる水が流れている‼︎ という事実でもあれば、わたくしでもそれが誇りなんだなあ、と納得ができます。しかし、その湖は本当にただの湖なのです。なんの利用価値もない、普通の水質の湖。

 しかもその湖は王都の領地に属しています。ギシュタールの領地ではありません。それなのになぜあんなに誇れるのか……。もうわたくしには理解不能です。

 ……それくらいしか誇りに思うことがない領地にわたくしがお嫁にいく必要がどこにあるのでしょうか?

 そうわたくしは思ってしまうのですが、お父様は領地の安定のために必要な婚約だ、といって聞かないのです。どうやらお父様はあの土地にまだ利用価値があると考えているようです。

 財政状況が思わしくないギシュタール領を娘の婚姻を名目に支援し、恩を今のうちに売って領地を乗っ取ろうとしているのでしょうか。
 しかし、そんなことで娘を売りに出すなんてひどい父親です。目の中が濁っているとしか思えません。
 尊敬していたはずのお父様の株はここ数日で急落しています。

 きっとわたくしがギシュタール領にお嫁に行ってもギシュタール伯爵家の人々は何かことあるたびに、オルブライトには湖がないから育ちが良くない、とか意味のわからない難癖をつけられることは目に見えています。

 わたくし、我慢できる範囲でいたら、耐え忍びますけど、耐えられなくなったらきっと夫でもなんでも差し違える覚悟で謀反を起こしますよ?
 そうお父様には再三伝えているのですが、この婚約はいまだに破棄されていません。

 お父様とお会いして、一日経ってしまった今日はそんな大っ嫌いなエメラージ様と交流のためにお茶会が行われます。
 はあ、なんて憂鬱なんでしょう。もういっそ、今日のうちに婚約破棄が成立しませんかね。

「お嬢様、今日はエメラージ様がいらっしゃる日ですから、特別かわいいドレスにいたしましょう。
 午前中のお勉強は今日はお休みですよ」

 ラマはオシャレをしましょう、と素敵なドレスをいくつか出してくださいますが、嫌な相手に会うのに、そんな気分になれません。

「ああ、時間がきてしまったのね……。エメラージ様と会うくらいだったら、わたくしお勉強をしていたいわ」
「まあ、お嬢様。そんなこと言ってはいけませんよ」

 ラマは嗜めるように言います。でもそう言うラマもあんまり嬉しそうじゃないように見えますけれど? 本人の前では言いませんよ。けれども本当に憂鬱なんですもの。

 いつもならまあまあ楽しいドレス選びも憂鬱でなりません。絶対どんなドレスを着ても、貶されてしまうのであんまり気に入っていないものでいいでしょう。
 わたくしはラマが提示したドレスの中から、適当に選んだドレスに身を包ます。

「ああ、なんでよりにもよって婚約者がギシュタール領のエメラージ様なんでしょう。
 あんな名ばかりの伯爵家、旨味も何もないですわ。
 隣の領地でなければならないならアーノルド領の方がよっぽど良いですわ。あそこは領主としての歴史は浅いですが、男爵家としての歴史はとても長いですし」

 アーノルド領はオルブライト領の北に位置するアーノルド男爵家が管理する小領地です。歴史的には元々アーノルド領とオルブライト領は一つの領地だったものを功績を立てた先先代のオルブライト伯爵がアーノルド男爵に分け与えた経歴があります。
 そのこともあって、アーノルド領はオルブライト領の眷属のような扱いになっていると同時にとても友好的な領地です。

 小さい領地ですが、特別な産業が行われているため国内での評価は高く、今年は階位を上げるのではないかと噂されています。

「あら。お嬢様はアーノルドを買ってくださっているのですね。とても嬉しいです」

 ラマはアーノルド領出身の侍女なので、少し嬉しそうな表情を一瞬見せました。けれどもその顔はすぐに何かを考えこむような表情に変わります。

「けれども、お嬢様の歳周りからするとお相手が次期領主のカスタナ様になってしまいますからね……。あの方も不足があるわけではないのですが、姉君であるロザンヌ様と比べてしまうと、見劣りするところがございます」

 アーノルド家のロザンヌ様。その名前はわたくしでも存じ上げております。使用人教育に長けてらっしゃって、ロザンヌ様に教育を受けた使用人を屋敷に引き入れるとその家が繁栄するとまで言われるほど質のいい使用人を輩出する仕組みをお一人で考案され、その使用人人材派遣を自領の名物にまでされた素晴らしい功績の持ち主です。
 まだお若いのに女傑として国中に名を馳せていらっしいます。

 ラマもその一人で、とっても仕事ができる素晴らしい、侍女なのです。オルブライト家には他にも数名アーノルド家出身の使用人が働いています。

「どこの領地に行っても難しいってわけですね。ああ、わたくしどこにも行きたくなくなってしまいます」
「お嬢様……」

 ラマの労わるような視線を見てハッとします。慌てて少しでも明るくしなければ! と気分を入れ替えます。

「未来がどうなるかなんて分かりませんが、とりあえず、今日はエメラージ様と戦いましょう!」

 わたくしは気合いを入れるように大きく深呼吸をしました。




 お出迎えのために嫌々玄関へ向かうと、エメラージ様はちょうど馬車を降りたところでした。ドレスの裾を摘み、淑女らしい礼をすると、エメラージ様は、ふんっと鼻を鳴らしました。
 そのままわたくしの服装をみていじわるそうに片方の口端を持ち上げて、喋りはじめます。

「やあ、リジェット。今日もしけたドレスだな!」

 ほら、やっぱり予想通りの嫌味を言うのです。会ったその瞬間に嫌味を言うってこの人、どういう神経をしているのでしょう。全く……こんな人、のしてやりたいですわ。

 屋敷に現れた、婚約者エメラージ様は今日も尊大な態度でわたくしに接してきます。
 今日の彼はいつものように見た目だけは高そうなベルベット素材でできた、深緑色のコートと揃いのジレを着ていました。金の糸を使った刺繍も多く施されており、財政状況が厳しい領地の子息とは思えない服装をしています。

 服装に凝るよりも、大きく突き出たお腹周りを引っ込ませるだけで、見目はだいぶ改善すると思うのですが、きっと彼はそんな努力はしないでしょう。
 軽く軽蔑するような視線をエメラージ様に向けます。

「まあ、そうですか。わたくしとエメラージ様とは少し趣味が違うようですね」

 口調に毒が含まれていたのが、エメラージ様にも伝わってしまったようで、少し眉間に皺を寄せているように見えます。……後ろのラマにも少し小突かれてしまいました。

 いけない、いけない。この方は腐ってもわたくしの婚約者です。……まだ、今のところは。

 応接間に通されたエメラージ様とわたくしはふかふかのソファに座り、対面してお茶会を始めます。
 ラマが持ってきてくださった紅茶と、果物がたっぷり乗ったタルトはわたくしのお気に入りのものでした。

 そのタルトはわざわざ、気分の乗らないわたくしに気を使ったラマがこっそり手配してくださったもののようでした。ラマの顔をチラリと覗くと、片目をつぶって合図をしてくださいました。
 __なんて主人思いの素敵な侍女なんでしょう。普段は信仰なんかちっともいていない湖の女神に感謝したい気分になってしまいます。
 わたくしは幸せ者ですね。

 しかし、楽しい気持ちはなかなか長続きしません。美味しいタルトに舌鼓を打ち、少し機嫌がよくなったと言うのに、エメラージ様は余計なことを言ってきました。

「はっ! オルブライト領は果物を使って砂糖の量を節約せざるおえないくらいに困窮しているようだな。
 哀れなことだ」

 な、なんですって~! カチンときてしまいます。
 よくもわたくしの好きなものを否定しましたね?

 砂糖が少ないって言いますけれど、あなたの領地の食べ物のようにすべての食べ物を砂糖塗れにしたら健康に悪いでしょう。
 砂糖ばっかり食べてるから、エメラージ様のお腹周りには無駄なものがついてるのではないですか!

「やはり、湖のない領地の者は教育がなってないようだな。
 あの湖は女神が住んでいらっしゃるのだ。
 ハルツエクデンという偉大な国を作った女神の加護を受ける我々、ギシュタールの民にくらべたら、オルブライト領の人間は質が悪い」

 ……これから援助を受ける領地に向かって、このかたはどの口を聞いていらっしゃるのでしょうか。

 湖の女神、といいますが、それはただの言い伝えであって、誰も見たことはないことじゃないですか。
 はあ、もう怒りました。どうしたら、こんな方との婚約を破棄できるでしょう。

 そういえば、お兄様が前に言っていましたね。

「リジェット、お前は物怖じせずにあれこれやるけど、いつかその調子で男のプライドを潰すなよ?」

 ……今それをやったらどんな結果が出るでしょうか。

 わたくしはニヤリと笑います。
 この婚約は取り交わされてからまだ日があまり立っていません。
 __雑草を駆除するには芽がまだできっていないうちに根こそぎ、刈ってしまうのが一番です。
 満面の笑みを作りエメラージ様に声をかけます。

「エメラージ様、いつものように室内でお茶だけではつまらないですから、今日は中庭に向かいませんか?
 きっと、今までに体験したことのない、面白い体験ができると思いますよ」

 わたくしはこれ以上ない笑顔でそう言って、エメラージ様を中庭にお招きしました。




 今日は秋らしい晴天。風もない、剣のお稽古日和です。
 急に中庭に招待されたエメラージ様は怪訝な顔をしてこちらを見ています。

「何をするつもりだ? リジェット」

 わたくしはあの重い剣を鞘から抜き、スッと持ち上げ、矛先を婚約者に向けます。

 エメラージ様は驚いた様子でこちらを見ています。その驚きは婚約者が剣を向けてきたからなのか、分厚くて見るからに重そうな剣を婚約者が易々と持ち上げたからなのか、どちらなのでしょう。
 青ざめた顔からすると、もしかしたら両方でしょうか。

「わたくし、自分よりも弱い方に嫁ぐつもりはないのです。
 ひと勝負いたしませんか? エメラージ様」

 不適に笑ったわたくしはきっと、イラッとする顔をしていたでしょう。

「何を馬鹿なことを言っているのだ?
 君は何を言っているのかわかっているのか?」
「ええ、わかっていますわよ?
 この勝負に負けたら、あなたのご実家は立て直す術を失うのです」
「は? 何を言っているのだ? 馬鹿馬鹿しい。
 しかも君はドレスのままじゃないか」
「あら、いやですわ。戦いから逃げ出す殿方なんて、もっといやですわ。お父様にご報告しましょう。
 あと、ドレスは剣に慣れていらっしゃらなそうなエメラージ様へのハンディですよ。ドレスのままでも十分でしょうから」
「貴様……」

 イラつく言葉を言ってもエメラージ様はしばらく何も言いませんでした。
 もしかしたら、自分の判断が領地経営に関わるかもしれない、ということを心中で案じているのでしょうか。
 ……まあ、お父様に報告しても婚約破棄にはなりませんけどね。

「もしかしてエメラージ様はわたくしのような細腕の女に剣を向けられたくらいで逃げ出してしまう、弱腰さんなのかしら?」

 その言葉がよっぽど気に触ったのか、エメラージ様のこめかみには青筋が薄らと浮かんでいます。きっとご長男として可愛がられて機嫌を周りにとってもらっていた彼にとってわたくしの罵倒は目新しいものだったに違いありません。


 載せられやすいエメラージ様は乗ってくるでしょう。

 わたくしの安い挑発にエメラージ様が苛つき始めました。エメラージ様の掌をを先程のお茶会時に観察したのですが、驚くほど綺麗なまめのない手をしていて、剣のお稽古なんてしてなさそうだったのですよね。

「貴様……。私を馬鹿にしやがって!」

 ほうら。すぐ乗ってきました。

 エメラージ様はお隣にいた、ご自身の従者の剣を引き抜いて、矛先をわたくしに向けました。剣を奪われた従者の方はその行動に驚き、慌ててエメラージ様を止めようとしています。

「エメラージ様! おやめください!」
「黙れ! こいつを野放しにしてしまうのは私の気が収まらんのだ!」
「で、ですが‼︎」

 いい流れになってきました。計画通り、エメラージ様は冷静さを欠いています。
 わたくしは今までにエメラージ様と剣のお稽古をご一緒したことがないので、どのくらいの強さなのかは検討もつきません。

 しかし、どんな力量の相手でも、最後には叩きのめせば良い話ですから。

 剣をお互いに構えると、真っ先にエメラージ様が剣を振るい挙げました。しかし、その剣筋は鈍くすぐにヒョイっと避けられてしまいます。

 あら、残念です。全然スピードがありません。
 オルブライト家の末娘である、わたくしの婚約者様はどのくらい稽古を積んでいるのかと楽しみにしていましたが、ちっとも勝負になりません。

 エメラージ様の太刀筋は鈍いだけでなく、ちっとも定まっておらず、ブンブンと振り回しているだけに見えます。

 足元もバタついていて無駄が多く、これでは疲れてしまうだけです。終盤になると力を出すタイプなのかもしれない、とそのまましばらく避けるだけで、攻撃をせず泳がせて見ましたが、そんな兆しはなくただただ時間が経っていくだけでした。

 少し動いただけなのに、エメラージ様はぜいぜいと息を上げています。かわいそうですから、そろそろ息の根を止めて差し上げましょう。これ以上動くと本人もお辛いでしょうから。

 わたくしは素早くエメラージ様の動きを見切り、後ろから回り込むます。そして刃の部分では、出血をしてしまうので、優しさを込めて、剣の柄を腹に打ち込みました。

「うっ‼︎」

 エメラージ様は鈍い唸り声を上げて、その場に崩れ落ちました。そのまま立ち上がってくださったら、まだ楽しめたのですが、どうやらそれは無理そうですね。一撃で倒れてしまうなんて……。なんて儚いのでしょう。

「勝負が付きましたね」
「くっ!」

 膝をついたエメラージ様を見て、わたくしは酷薄な笑みを浮かべていました。

 痛みからか、冷や汗を額に浮かべているエメラージ様は、しばらく動けずにいました。ようやく動けるようになったエメラージ様はわたくしの方を眉間に皺を寄せながら、睨みつけます。

「エメラージ様って口だけでちっともお強くないんですね。
 これなら、お嫁に行ってもすぐに屋敷ごと武力制圧できそうです!
 ……わたくし張り切って毎日、死に目を見せて差し上げますわ」

 その様子を想像したのかエメラージ様の顔色がどんどん失われていきます。
 わたくしは顔に浮かべた女王様スマイルをさらに深めます。

「大丈夫です。下僕のように可愛がってさしあげ……」
「うわああああ! こんなところにいつまでも居たくない! 帰るぞ!」
「お、お待ちください! エメラージ様!」

 そうして、負け惜しみのようなセリフを口にしながら、エメラージ様は従者を引き連れ急ぎ足でお帰りになったのです。




 やれやれ、一仕事しました。このくらいしておけば、エメラージ様は領地に戻られた後、ご自分の家族にあんな奴と婚約したくない、と懇願するでしょう。

 わたくし、記憶が戻ってから随分と性格が悪くなっているような気が致しますが、強欲に自分の思うがままにことを進める気持ちよさを知ってしまいました。
 もう昔の自分には戻れそうにありません。

 翌日朝早くに、オルブライト家には魔法陣が施された速達のお手紙が届きました。仰々しく断り文句が綴られたそれはわたくしの狙い通り婚約破棄の申し出でした。
 自室で勉強をしていると慌ただしい足音と、けたたましい四回ノックが響いてきました。何事かと思い、扉を開ける許可を出すと、大股歩きで部屋に入ってきました。

「リジェット! これはどういうことだ!」

 お父様が、ギシュタール家から送られてきた、手紙をわたくしの目の前に見せつけるように広げます。
 それを見たわたくしはシラを切って、言い返します。

「あら、わたくしも詳しくは存じ上げないのですよ。しかしどうやらわたくしはエメラージ様の好みの女性ではなかったようです」
「……手紙の中にいきなり切りつけられたと書かれているが」
「おや、エメラージ様は好きあらば切りかかってくる女性はお嫌いなのですか?」
「そんな女性が好きな男の嗜好の方が危ういだろう!」

 あら……。お父様がこんなに取り乱しているのを初めて見ましたわ。

「でも仕方がないじゃないですか。この婚約は解消されたのです。きっと嫁いでもわたくしの安息のためにエメラージ様を亡き者にしなければならなかったでしょうし、手間が省けてよかったではないですか」
「……リジェット、お前という子供はどうしてそう……。はあ。まあいい。今回の婚約はまだ仮の状態で、婚約の魔法陣も作動させていなかったからな」
「婚約の魔法陣?」

 あら? この世界では婚約まで魔法陣だのみなのでしょうか。

「婚約の魔法陣はほぼ結婚が決まった相手にのみ使用するものだからな……。リジェットは魔力が少ないからそれも自分で書く必要があるのか……、そうすると彼奴に指導を頼まねばならぬのか……」
「お父様?」
「なんでもない。とりあえず、今回は私の監督不足も否めぬ。ギシュタールは大した旨味のある土地でもないので、処分は不問としよう。だが、今後も問題ばかり起こすようであれば……。どうなるかわかっているな……? と言っても無駄か……。はあ」

  そのままお父様は自身の筆頭執事のベルに支えられ、よろよろと部屋を退出して行きました。

 お父様が部屋を退出した後、わたくしはそろりと後ろに視線を向けます。ラマに絶対に怒られることを覚悟して、身構えていたのです。

 しかし、ラマはわたくしに何も言ってきませんでした。あら? と思いましたが、エメラージ様との婚約はラマも乗り気ではなかったのでしょうか。

 お父様は今回のことにかなり困惑していましたが、無事に目的を達成できたわたくしはついつい下を向いて、ほくそ笑んでしまいました。



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