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第一章 大領地の守り子
3前世の記憶があるみたいです
しおりを挟む自分は女だから王家の剣になることができない、その事実を知った日。私はあまりのショックで、夜から熱を出し寝込んでしまいました。
ぐるぐるぐるぐる……、いろんなことを考えたせいで知恵熱を出したのでしょう。でも知恵熱にしては、体調が悪すぎます。
「ううう……頭が割れるように痛いです」
長い時間うなされていたため、寝汗をたくさんかいていました。ネグリジェはきっと、びちょびちょでしょう。
熱はそのまま下がることはなく、時刻は深夜に差し掛かっています。しかし、あまりの苦しさに眠ることもままならず、わたくしはゼイゼイと息を切らせていました。
今日は不寝番でないはずのラマが心配そうな顔で、わたくしの額の汗を拭き取っています。
「ラマ……。もう……部屋を……下がりなさい」
わたくしは息も絶え絶えになりながらも、なんとか吐き出すように告げます。
「ですが……。お嬢様……」
「外には……別の侍女も……います。無理をしないで……」
そういうとラマは一瞬眉を潜め苦しげな表情を見せましたが、わたくしの負担になると判断したのか、大人しく引き下がります。
「お嬢様、何かありましたらベルでお呼びください」
まだラマは心配そうな顔をしていますが、一礼をして部屋から下がりました。
部屋に一人きりになるとお父様の声が、頭によぎってしまいます。
「お前騎士学校などにやるわけがないだろう」
騎士を夢みたわたくしにとって、その言葉はどれだけ残酷な言葉でしょう。
もう少しで手に入りそうだった、ずっと憧れていたものが手に入らない。
……それがこんなにも辛いなんて。目標を失った私はなんだか生きる気力さえ失ってしまったような気分になりました。こんなにどん底まで気が滅入るなんて、生まれて初めての経験です。
体力が熱に奪われ、だんだん指の先にも力が入らなくなっていきます。息苦しく、寝返りをうつことも苦しく感じられます。
もしかしたらこのまま私は死んでしまうかもしれません。そのくらい経験したことのない体調不良でした。
眠れないので天井をずっと見ていましたが、目を開けているのも辛くなってきました。
目を開けていると、部屋の中のものが近付いてきたり、遠くなったり、動いているように感じて、目が回わってしまいます。
そのうち目の前がだんだんモヤがかかったように白くぼんやりとした部分が多くなってきます。さすがにもう意識を保つことさえ辛いようでした。
意識を失う手前でわたくしはふと、考えます。
あれ? そういえばどうしてわたくしはこんなに騎士になりたかったのでしょう。
わたくしは王城での事件のあとあの少年の後を追うように騎士になりたいと、王家の剣に憧れを持ちました。
騎士であるお父様やお兄様たちを見てかっこいいと思うから、淑女教育よりも好ましいから、というのももちろん理由としてあります。
けれどもそれ以外にも、もっと根本的な、大切な理由があった気がするのです。それはなんでしたっけ?
肝心なことなのに、それがなんだったかどうしても思い出せません。熱が出て、頭が朦朧としているからでしょうか?
よく眠って熱が下がって、明日また考えれば思い出せるでしょうか?
なんだか答えが思い出せず気持ちの悪い疑問を抱えていましたが、ここでタイムアップのようです。思考はだんだん途切れていきます。
私は熱による疲労で夢の世界へと旅立ちました。
気がつくと私は白い空間に一人ぼっちで立っていました。
「ここ……はどこでしょう?」
あたりを見回しても何も物がありません。ただただ霧がかったように白い空間が永遠に広がっているだけです。果てがなくどこまでも続く、見たこのもない異空間に呆然と立ち尽くしてしまいます。
音もなく、静かな空間で不気味なのに、なぜか恐怖感が湧きません。
ぼーっと、立ち尽くしていると、いきなり目の前に大きな板が現れました。
急な変化に驚いてそちらを見ます。浮き上がっているその板は縦幅は私の体の倍以上、横幅はその倍以上ありそうな見たことのない代物でした。
「これはなんでしょう?何かの魔術具でしょうか?」
見たことのない魔術具のような大きな板を見て、目をぱちくりと瞬かせていると、板はいきなり黒く光り、ウィンと音を立て、起動しました。
そこには次々に絵がまるで動いているように映し出されていきます。絵は驚くほど鮮やかに描かれ、だんだん現れるスピードが速くなっていきます。
……何ですか、これは?
頭には疑問符が浮かび上がりますが、板の絵は止まりません。浮かび上がる絵はまるで見たままを映し出したように繊細に描かれて誰か見て、感じた記憶をそのまま映し出しているようでした。
映っているのは一人の女性です。
その女性は黒く長い髪をしていて、目力が強くキリッとした印象を受けます。背丈も大きく、絵に映り込む男性と比べても、そう変わらないくらいの大きさに見えます。
まっすぐに腰まで伸びた髪を、後ろで一つ結びにまとめた髪型が女性の凛々しさを強調していて、なんだか男性のような格好良ささえ感じてしまいます。
ああ、わたくしもできるならば、こんなに風な見た目の女性に生まれたかったです……。凛々しい格好良さに憧れるわたくしは映っている女性に、そんな憧れすら抱いてしまいます。
見ているうちにわたくしはなんだか違和感を感じ始めました。この女性はわたくしと全く正反対の見た目をしています。……なのにどこか懐かしい気がするのです。
その女性はわたくしと同じように剣を振っています。様子が少し違うのはいつもわたくしが使っているような鉄で作られた真剣ではなく、木のような繊維の多い植物性の素材で作られた剣を使っていることです。
あたりを見渡すと、わたくしがいつも見ているような煉瓦造りの家などはなく、みな家々は木造でできています。
もしかしたら、この板に写っている世界はこことは少し違う世界なのでしょうか。
しばらく女性の様子を見ていると、急に視点が切り替わります。
女性は彼女と同じような服装をした専用の運動着を着た父親らしい人物に話しかけられています。
「忍、君に道場を継がせることはできない」
忍、と呼ばれた女性はまさか、と言う表情を顔に浮かべて父親らしい男性の顔をじっと見ています。
重苦しい雰囲気から察するに、どうやら女性は今のわたくしと同じように望む未来を得られない状況にあるようです。
女である、たったそれだけのことなのに……。この忍さんも理不尽に胸を痛めているのですね……。
昨晩お父様に言われた言葉が頭を過り、またあの苦さを感じてしまいました。
女性は現実に打ちひしがれて、いるように見えました。
わたくしは忍の気持ちがとてもよくわかります。
板の中で忍は父親に食い入るように言い返すします。
「どうして私は道場を継がせてもらえないのですか?」
父親らしい男性は重みのある言葉で吐き出すように言いました。
「それは君が女だからだ。
父親は間髪入れず言葉を返しました。
忍はその言葉に衝撃を受けて目を見開いています。
「お前のような女性に道場をまとめる事は無理だ。この道場には手練の男どもがたくさんいる。その頂点がお前のような女であると言うことは世間にとっても、この道場の者にとっても、許されることではないだろう」
忍の目はまだ諦めていなようです。一縷の望みをつかむように言葉を紡ぎます。その黒い瞳は、戸惑いに揺れていました。
「そんな事はございません。私はこの道場の誰よりも力量があります」
「強い弱いの問題ではない。お前が女であると言うことが問題なのだ」
まあ……。この男性なんてひどいことを言うのでしょう。今にも忍は涙を流しそうな瞳をしています。
つうっと、顎へ涙が流れ落ちます。わたくしは忍の気持ちに同調して、ポツリと涙を流してしまいました。
「「私はこの道場を継ぎたいそれだけなのに」」
その言葉が自分の口から出てきたことにわたくしはハッとしました。
わたくしはこの言葉を知っています。この言葉を自分の口に出したことがある……。その確信をわたくしは持っています。なぜ……そう思うのでしょう?
次の瞬間頭が揺さぶられるような、衝撃が走りました。黒い板ではなく、わたくしの頭のなかに直接映像が流れ込んできたのです。
記憶は痛みとともに容赦無く次々にながらこみます。その痛みに耐えながら、わたくしは膨大な記憶の波を一つ一つ精査するよう確かめます。
その中の一つがわたくしの頭の中にこぼれ落ちてきました。
きっとこれも、忍にとってターニングポイントになる記憶なのでしょう。
「どうしても私と一緒にはなってくれないのね」
重々しい声で忍がそう告げたのは、彼女の恋人であった男性でした。愛おしさを孕んだ熱っぽい視線が、忍から男性へ向けられています。
忍は目の前にいる、細身の男性と恋仲にあったようです。
しかし、親族に結婚をするなら家業である道場を継ぐことができる人間しか許さない、と強く言いくるめられていました。
彼は祖父の代から本屋を営んでいる家に生まれていました。彼もまた、添い遂げるのであれば、家をともに守ってくれる女性を伴侶に望んでいました。
気持ちはお互いにいくらあっても、状況が二人がともに生きるということを許さなかったのです。
男性は苦しげに視線を外し、呟くように弱々しくいいました。
「この状況じゃ無理だろう。君は君を立場ごと幸せにしてくれる男を伴侶に選ぶべきだ」
その言葉に心の中では絶望しているくせに、強がって表に出すことはしない忍は、できるだけさっぱりとした雰囲気を醸すように心がけながら、一言一言、言葉を絞り出すように言いました。
「そうね。そうかも知れない。じゃあ、元気でね」
無言で去っていく男を忍は見つめるだけで追うことはありませんでした。
その後の忍は後悔してばかりでした。
道場を継ぐことを諦めたこと。
父親が決めた男と婚姻を結んだこと。
自分の好いた男とは離れ離れになったこと。
義務として子供を産んだこと。
自分の人生を愛せなかったこと。
……何ひとつ、自分で物事を決められなかった自分自身を心底軽蔑していたこと。
忍は亡くなる直前、後悔を口にしていました。
「自分が道場を告げないと諦めて、周りの人間が望むとおりに人生を歩んできたけれど、どうしてこんなに苦しいのだろう。
あの時、どうして道場を奪い取ってでも夢を叶えなかったのだろう。
あの時彼を追いかけなかったのだろう。
悔やんで、諦めたことをひとつでも叶えられたなら、私の人生はもっとマシだったかもしれない。
どんなに悔やんでも、もう時を戻すことはできないけれど」
悲しそうに呟く女性。わたくしはこの女性の気持ちが胸が苦しくなるくらいに理解できます。
黒髪の女性が亡くなった時、記憶の中の映像はその流れを止めました。
そうか、わたくしは忍だったのです。忍としてわたくしは生き、そして死に、この体に記憶を引継ぎまた生まれ変わったのです。
わたくしは忍の命が終わる時の、願いを思い出します。
「来世、というものが本当にあるなんて思ってはいないけれど。もしあったならば、夢を諦めず、自分の気持ちに寄り添って生きたい。
今度こそ、自分の人生を自分で決めたい!」
なんだか、頭の中のモヤが晴れた気がいたします。わたくしは目が覚めるような気持ちになりました。
いけない。わたくしは今世でも前世と同じ間違いを犯すところでした。
人の意見に賛同し自分を無理矢理納得させ得た人生なんて悔いが残るだけです。
もう、わたくしは決めました。今世では自分の道を貫くのです。
誰かに決められた人生を送って、死ぬ時に後悔をする一生なんてもうまっぴらです。
誰かに決められた選択ではなく自分の選択で失敗してもそれはそれで諦めがつく気がいたします。自業自得ですから。けれども最初から選択権を放棄して、他人に決められた人生を二度も歩むなんて愚かな真似は致しません。
「わたくしは絶対に王家の剣になるのです」
ベッドの中で胸を抑えわたくしはわたくしに誓いを立てました。
……何かこの決意を形に表したいものですね。
この決意を忘れないように目に見える形に残したい。そう思ったわたくしは何か良い方法がないか、思考を巡らせます。
……そうだ髪を切るのはいかがでしょう!
忍の記憶には失恋すると髪を切る文化がありました。気持ちを入れ替え、目に見える形で後悔を削ぎ落とす儀式は、魂の禊のように思えて、とっても清廉にわたくしの目には移りました。
騎士になるのであればこの髪は短い方がいいですね。決めたら行動が素早いわたくしは、キャビネットの引き出しからハサミを取り出し、肩のあたり髪に当てました。
このくらいでいいかしら?えいっ!
軽さを確かめるように頭を左右に降ります。
切れた髪の束はずっしりと重さすら感じます。頭は重みから、解放され軽やかで気分がいいです。
わたくしは髪を肩ほどまで切り、バサっと勢いよくゴミ箱に捨てました。ラマに見られたら所作が雑だと怒られてしまいそうですね。でも気分がいいので仕方がないのです。
あーなんだか気持ちがすっきりといたしました!
わたくしは晴れやかな気持ちで眠りについたのです。
……まあ、夜中のテンションで行動したことに後々後悔するのですけども。
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