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しおりを挟む「……るっせーな。今、やっと推しガチャが弾けそうだったのに……。邪魔すんじゃねーよ」
え……。あまりに低く、威圧感丸出しの声に私は慄き、身を縮める。最後に出てきたのは猫背でぶくぶくと太った女だった。元々の背が高いせいか、太るとさらに重量感を感じさせる。
天井から降りてくる際、どしんとスプリングを軋ませた後、ベッドの材に当たる部分がみしりと嫌な音を立てた。
長く……というか、だらしなく伸びた髪で顔が見えない。でも、その髪の隙間からこちらを眼光鋭く睨んでいるのが見えた。まるで、私自身に恨みがあるみたいに。
溢れ出す陰のオーラに喉がヒクリと鳴ってしまう。
「わわわ! また来た⁉︎ こ、こっちはだれ⁉︎」
この展開だと、なんとなくわかってしまうけど……。私の顔が青ざめていくのに対して、ハイヒールを履いた『素敵な私』はにっこりと笑顔を作った。
「こちらは『何かがあった場合のあなた』よ」
「何かがあった場合……?」
「あたしゃねえ。とある事件から、引きこもりになったんさ。……あの時の出来事は昔の私にだって語りたくないね」
一体何があったんだ……。私は改めて最後に出てきた──『何かあった場合の私』を観察する。ボサボサ頭に贅肉が今にも隙間から漏れてしまいそうなパツパツのジャージ姿──しかもその緑色のジャージはすっごく見覚えがある。
私が現在使っている中学校のジャージだった。生地はくたびれて薄くなっているけれど、この形状は間違いがない。胸元にはもう禿げてほとんど残っていない、中学校の校章がうっすらと見えた。
──こんな中年にもなって、中学校のジャージ着ている大人……やだな。
「さあ、全員揃ったわ! 見て、葉月ちゃん。これがあなたの想定できる『未来の私』総勢五名!」
私は『未来の私達』を端から確認する。やっぱり一番素敵だな……と思うのはハイヒールの私。で、一番なりたくないのは……、もちろん
『何かあった場合の私』だ。
「今日はね、あなたの『まあいっか』根性をみんなで叩き治しにきたの!」
『未来の私たち』は顔を見合わせて、明るい口調でねー! と言い合う。
「はあ? 私なんかが、『まあいっか』を辞めても、何かが変わるわけじゃないじゃん」
「それはどうかな?」
ハイヒールを履いた私はふふんと鼻を鳴らす。
「洲崎君、かっこいいよね。で、葉月ちゃんは彼の『意見をはっきり言えるところがかっこいいな~』って思っているんでしょ? 私だけが知っている、洲崎君のかっこいいところって……」
「そうだよ。なんか文句ある?」
「でもね、葉月ちゃん。残念だけど……。みんなそれ、知ってるから」
「え……」
私はポカンとしてしまう。
「そそ。洲崎くんのかっこいいところだけじゃない本当の素敵さにみんな気がついているから、勇気を出して話しかけてるのに……。私って意気地なしだったわあ~。そう言う部分で他の女子と、どんどん差がついていくんだよー!」
「ねー! 『まあいっか』を言うたびに、自分がだめになっていくんだよ~」
「ええええ~!」
その容赦のない言葉に涙目になってしまう。
「大丈夫。今のあなたは行動次第で、何にでもなれる。だけど……。今みたいになんでも『まあいっか』諦めるようだと……こう」
『素敵な私』が手を差し出した方向には『何かあった場合の私』がいた。
「私は運が悪かっただけ……。ていうか、もともと私可愛くないし。私が暗いのは……悪いのは全部、社会のせいだし」
『何かあった場合の私』は暗い顔をしながらぶつぶつと、呪怨じみた言葉を口にしている。
その姿に今の私はヒヤリと背筋を凍らせた。
今、私が友人たちに向けている、かわいいレベルの妬み。その延長線上に彼女はいるのだ。
みんな私よりかわいいから、私よりも恵まれている人に私の気持ちなんかわかるもんか。
そんな他者への嫉妬や恨み、憧れ……そんなものを煮詰めて、最終的な敵を社会にしてしまったのが『何かあった場合の私』だ。
間違いなく、彼女は私だ。本当に『何かあった場合』はああなるだろう。
うっかりあり得てしまいそうな、リアルな未来が目の前にいる。
「わわわ! 人を恨んでぶつぶついう人間にだけにはなりたくなーい!」
あんまりな最終形態に耐えられなくなって、私は頭を抱えて、ベッドに丸まった。
「ふふふ、そうでしょう。でもね。あなたが抱える『まあいっか』はいわば、感情の負債なの。それを放置して、隠して、見て見ぬふりをして……。を繰り返していくうちに、どんどん『素敵な私』からは離れていく」
そう言ったのは『素敵な私』だった。その言葉に『そのほかの私』もうんうん頷いている。多かれ少なかれ、彼女たちにはその経験があるらしい。
その姿に今の私は不安でいっぱいになる。
「まあ、いっかって言い続けてたらこうなっちゃうの……? 私……ハイヒールを素敵に履着こなしているあなたが素敵だと思う。あなたみたいになりたい。でも……なれるかな」
私は『素敵な私』の顔を見上げた。自身に満ち溢れた顔。……彼女みたいになれる自信はちっとも浮かんでこない。どうなっちゃうの、私の未来。そんな考えばかり浮かんでしまう。
多分、混乱もあるのだと思うけど、今、無性に泣き叫びたくて仕方がない。
そんな感傷に浸り気味な私に優しく声をかけたのは『素敵な私』だった。
「大丈夫だよ。あなたはすぐに私にはなれない。だけど、少しだけ、勇気を出したら、確実に今より素敵になれる」
「本当?」
「それはもちろん本当! でもね……。覚えておいて、葉月。あなたは何にでもなれる。あなたがなるのは私じゃなくてもいい」
「え?」
私はその意味がうまく理解できずに、目を瞬かせる。『素敵な私』の目は愛しいものを見るように、優しく弧を描いた。
「私のことを『素敵』だって、言ってくれて嬉しい。けど、私は不確定な未来だから、あなたが少しだけ勇気を出したら、もっと素敵になることだってできるの。あなたは何にでもなれるの!」
「もちろん、今の私よりもだらしなくもね!」
話に割り込んできた『何かあった場合の私』はニヒルな笑みを見せた。
「……ちょっとあんたは黙っていようか」
女王様スマイルを貼り付けたまま、青筋を立てた『素敵な私』が『何かあった場合の私』の耳を叱りあげるみたいに引っ張り上げている。
私と私が話している。それを私が見ている。摩訶不思議な光景だ。でも、ちょっと面白いって、笑っちゃう。
「でも、あなたって懐疑的な性格だし……。それにしょうもないくらいに、小心者。このまま私たちが真っ直ぐに帰ったら、これが夢だって結論付けちゃいそう。何か証拠みたいなものが欲しいな……」
その言葉に、私はぎくりとする。このまま起きたら私は「変な夢見たな~。うーん、でも夢だし? まあいっか」と言っていつも通りの日常を過ごすに違いない。
さすが『私』だ。私のことをよくわかっている。
『素敵な私』がうーんと唸りながら、頬を撫でる。『それ以外の私達』も同じように悩んでいた。
一瞬の沈黙。それを破ったのは『何かあった場合の私』だった。
「あ、私。ポッケに飴ちゃん入ってた。こっちの世界の新商品。……これでも持っていきな」
『何かあった場合の私』のクリームパンみたいな手が私の左手をつかむ。飴をぎゅっと無理やり握らされた。
ポカンとした顔をした私に向かって『何かがあった場合の私』は、「私みたいになるな、幸せになれよ!」と言って、ニッと歯を剥き出しにして笑った。歯は虫歯だらけで、何本も抜けていたけど……。見なかったことにしよう。
手に握られた飴は、見たことのない形状をしていた。包装のプラスチックは見たことのない虹色に光っていた。
「あ、もう時間だ。じゃあ私たち帰るから。またね~」
「じゃあね~!」
「未来で会えるかな?」
「無理でしょ」
手を振った『未来の私達』はそのまま光の穴へとよじ登って帰っていった。残された私は何がなんだか、わからなくなっていた。呆然としていると、だんだん意識が薄れていった。
耳の奥で『未来の私達』の楽しげな笑い声がまだ聞こえた気がした。
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