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三十六 絵師の嫁取り
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遊斎の、料理屋の娘と題した色鮮やかな浮世絵が清兵衛商店に並んだのは、それから半月も経たないうちだった。
いきいきと働くふくの姿が描かれた三枚ほどの絵は、宣伝用にと貼られているものを見るための行列ができるほどの人気となり、少し高値設定にしてあるにも関わらず、入荷すると飛ぶように売れた。版画にする気はない、と遊斎が言ったので、一枚一枚が違うことも相まって、話題をかっさらった。
絵のひな型となった娘が、どうやら、煮売りの居店、万屋万八の看板娘らしいと気付いた人々が、万八の店を続々と訪ねて、店は大繁盛。万八は、嬉しい悲鳴を上げているとか。
遊斎としては、宇多麿に色付けを習う過程で描いた習作が話題となって、戸惑っている、というのが正直な気持ちであった。
「上手く描けてるってこった。素直に喜んでおけばいいさ」
宇多麿は軽く言いつつ喜んでくれ、自身の弟子だと言いふらしている。宇多麿の弟子だという話も広がるにつれ、ますます絵は評判になっていった。
「版画にはしないのかい?」
そういう宇多麿も、版画は多くない。余程、断れない依頼でない限り一枚ずつ仕上げたいね、と言っていたが、今なら分かる。
「あまり大勢の手に、渡したくねえんですよね?」
「うるさいよ」
そう。絵師たちは、惚れた女の綺麗な姿を残しておきたいだけである。大勢の目に止まることは、歓迎する状態というわけでは無かった。それでも、自分の絵も、愛しいひとも、綺麗だと褒められると嬉しい。なかなかに面倒な性分の生き物である。
遊斎は、三好屋から改めて申し込まれた専属絵師の話を受けなかった。騙されていたことで、これからも信用がおけない、という理由ではなく、単純に、ふくの絵を描く方が楽しかったからである。そして、宇多麿に師事しながら描いた絵の評判を見るに、それは正しい選択だったようだ。
やがて、店の宣伝をしたい茶屋などから、うちの看板娘を描いてくれないか、と依頼が入り始める。
遊斎が描く絵は、どの娘もいきいきと働いていて、笑顔に溢れるものだった。相手方が版画にしたいと言えば、しっかり版下絵としての代金を請求し、色なども細かく指示を出した。三好屋での経験がとても役に立った形である。
ふく以外の娘については、版画にしたいと言われれば快く引き受けて、何人もの看板娘を世に広め、店の繁盛に一役買った。
一方で、料理屋の娘の絵は、いつしか清兵衛商店から姿を消して、もう二度と店頭に並ぶことは無かった。
その後、幾つも描いたふくの絵は売り物にはせず、煮売りの居店、万屋万八の店の中の壁に、額に入れて飾られている。
そして二人の住まいには、ふくの祝言の様子が描かれた絵が飾ってあった。遊斎が、ふくの花嫁姿に見惚れた挙げ句、絵に残さねばと張り切り、初夜にずっと筆を握っていたといういわく付きの絵である。
散々に叱られた遊斎だが、日の経つうちに、あの二人らしい初夜だと良い笑い話となった。
二人は与兵衛長屋で仲良く暮らし、おふくは今も、煮売りの居店、万屋万八の看板娘をやっていて、遊斎はどこかの店の看板娘を描いている。
終わり
いきいきと働くふくの姿が描かれた三枚ほどの絵は、宣伝用にと貼られているものを見るための行列ができるほどの人気となり、少し高値設定にしてあるにも関わらず、入荷すると飛ぶように売れた。版画にする気はない、と遊斎が言ったので、一枚一枚が違うことも相まって、話題をかっさらった。
絵のひな型となった娘が、どうやら、煮売りの居店、万屋万八の看板娘らしいと気付いた人々が、万八の店を続々と訪ねて、店は大繁盛。万八は、嬉しい悲鳴を上げているとか。
遊斎としては、宇多麿に色付けを習う過程で描いた習作が話題となって、戸惑っている、というのが正直な気持ちであった。
「上手く描けてるってこった。素直に喜んでおけばいいさ」
宇多麿は軽く言いつつ喜んでくれ、自身の弟子だと言いふらしている。宇多麿の弟子だという話も広がるにつれ、ますます絵は評判になっていった。
「版画にはしないのかい?」
そういう宇多麿も、版画は多くない。余程、断れない依頼でない限り一枚ずつ仕上げたいね、と言っていたが、今なら分かる。
「あまり大勢の手に、渡したくねえんですよね?」
「うるさいよ」
そう。絵師たちは、惚れた女の綺麗な姿を残しておきたいだけである。大勢の目に止まることは、歓迎する状態というわけでは無かった。それでも、自分の絵も、愛しいひとも、綺麗だと褒められると嬉しい。なかなかに面倒な性分の生き物である。
遊斎は、三好屋から改めて申し込まれた専属絵師の話を受けなかった。騙されていたことで、これからも信用がおけない、という理由ではなく、単純に、ふくの絵を描く方が楽しかったからである。そして、宇多麿に師事しながら描いた絵の評判を見るに、それは正しい選択だったようだ。
やがて、店の宣伝をしたい茶屋などから、うちの看板娘を描いてくれないか、と依頼が入り始める。
遊斎が描く絵は、どの娘もいきいきと働いていて、笑顔に溢れるものだった。相手方が版画にしたいと言えば、しっかり版下絵としての代金を請求し、色なども細かく指示を出した。三好屋での経験がとても役に立った形である。
ふく以外の娘については、版画にしたいと言われれば快く引き受けて、何人もの看板娘を世に広め、店の繁盛に一役買った。
一方で、料理屋の娘の絵は、いつしか清兵衛商店から姿を消して、もう二度と店頭に並ぶことは無かった。
その後、幾つも描いたふくの絵は売り物にはせず、煮売りの居店、万屋万八の店の中の壁に、額に入れて飾られている。
そして二人の住まいには、ふくの祝言の様子が描かれた絵が飾ってあった。遊斎が、ふくの花嫁姿に見惚れた挙げ句、絵に残さねばと張り切り、初夜にずっと筆を握っていたといういわく付きの絵である。
散々に叱られた遊斎だが、日の経つうちに、あの二人らしい初夜だと良い笑い話となった。
二人は与兵衛長屋で仲良く暮らし、おふくは今も、煮売りの居店、万屋万八の看板娘をやっていて、遊斎はどこかの店の看板娘を描いている。
終わり
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こちらにもお邪魔しました(^^)
さらに素敵な物語に、時間も忘れてた読み終えてしまいました。
本当に本当にありがとうございます!
含羞草様
「ふたり暮らし」に続いて「絵師の嫁取り」も読んでくださり、ありがとうございます!
こちらのお話も楽しんで頂けたようで良かったです☺️
見つけて読んでくださり、ありがとうございましたm(*_ _)m
さくらこ様
感想を送ってくださり、ありがとうございます。
「ふたり暮らし」に続いて読んで頂いて、とても嬉しいです( *´꒳`*)
物語が好きだと言ってもらえて、とても励みになりました!
また、これからも新しい物語を紡いでいこうと思います。その時は、よろしくお願いしますm(_ _)m
タケテル様
『ふたり暮らし」に続いて、こちらのお話も読んで頂き、ありがとうございます!
無事にくっつきました(^-^)
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