36 / 36
三十六 絵師の嫁取り
しおりを挟む
遊斎の、料理屋の娘と題した色鮮やかな浮世絵が清兵衛商店に並んだのは、それから半月も経たないうちだった。
いきいきと働くふくの姿が描かれた三枚ほどの絵は、宣伝用にと貼られているものを見るための行列ができるほどの人気となり、少し高値設定にしてあるにも関わらず、入荷すると飛ぶように売れた。版画にする気はない、と遊斎が言ったので、一枚一枚が違うことも相まって、話題をかっさらった。
絵のひな型となった娘が、どうやら、煮売りの居店、万屋万八の看板娘らしいと気付いた人々が、万八の店を続々と訪ねて、店は大繁盛。万八は、嬉しい悲鳴を上げているとか。
遊斎としては、宇多麿に色付けを習う過程で描いた習作が話題となって、戸惑っている、というのが正直な気持ちであった。
「上手く描けてるってこった。素直に喜んでおけばいいさ」
宇多麿は軽く言いつつ喜んでくれ、自身の弟子だと言いふらしている。宇多麿の弟子だという話も広がるにつれ、ますます絵は評判になっていった。
「版画にはしないのかい?」
そういう宇多麿も、版画は多くない。余程、断れない依頼でない限り一枚ずつ仕上げたいね、と言っていたが、今なら分かる。
「あまり大勢の手に、渡したくねえんですよね?」
「うるさいよ」
そう。絵師たちは、惚れた女の綺麗な姿を残しておきたいだけである。大勢の目に止まることは、歓迎する状態というわけでは無かった。それでも、自分の絵も、愛しいひとも、綺麗だと褒められると嬉しい。なかなかに面倒な性分の生き物である。
遊斎は、三好屋から改めて申し込まれた専属絵師の話を受けなかった。騙されていたことで、これからも信用がおけない、という理由ではなく、単純に、ふくの絵を描く方が楽しかったからである。そして、宇多麿に師事しながら描いた絵の評判を見るに、それは正しい選択だったようだ。
やがて、店の宣伝をしたい茶屋などから、うちの看板娘を描いてくれないか、と依頼が入り始める。
遊斎が描く絵は、どの娘もいきいきと働いていて、笑顔に溢れるものだった。相手方が版画にしたいと言えば、しっかり版下絵としての代金を請求し、色なども細かく指示を出した。三好屋での経験がとても役に立った形である。
ふく以外の娘については、版画にしたいと言われれば快く引き受けて、何人もの看板娘を世に広め、店の繁盛に一役買った。
一方で、料理屋の娘の絵は、いつしか清兵衛商店から姿を消して、もう二度と店頭に並ぶことは無かった。
その後、幾つも描いたふくの絵は売り物にはせず、煮売りの居店、万屋万八の店の中の壁に、額に入れて飾られている。
そして二人の住まいには、ふくの祝言の様子が描かれた絵が飾ってあった。遊斎が、ふくの花嫁姿に見惚れた挙げ句、絵に残さねばと張り切り、初夜にずっと筆を握っていたといういわく付きの絵である。
散々に叱られた遊斎だが、日の経つうちに、あの二人らしい初夜だと良い笑い話となった。
二人は与兵衛長屋で仲良く暮らし、おふくは今も、煮売りの居店、万屋万八の看板娘をやっていて、遊斎はどこかの店の看板娘を描いている。
終わり
いきいきと働くふくの姿が描かれた三枚ほどの絵は、宣伝用にと貼られているものを見るための行列ができるほどの人気となり、少し高値設定にしてあるにも関わらず、入荷すると飛ぶように売れた。版画にする気はない、と遊斎が言ったので、一枚一枚が違うことも相まって、話題をかっさらった。
絵のひな型となった娘が、どうやら、煮売りの居店、万屋万八の看板娘らしいと気付いた人々が、万八の店を続々と訪ねて、店は大繁盛。万八は、嬉しい悲鳴を上げているとか。
遊斎としては、宇多麿に色付けを習う過程で描いた習作が話題となって、戸惑っている、というのが正直な気持ちであった。
「上手く描けてるってこった。素直に喜んでおけばいいさ」
宇多麿は軽く言いつつ喜んでくれ、自身の弟子だと言いふらしている。宇多麿の弟子だという話も広がるにつれ、ますます絵は評判になっていった。
「版画にはしないのかい?」
そういう宇多麿も、版画は多くない。余程、断れない依頼でない限り一枚ずつ仕上げたいね、と言っていたが、今なら分かる。
「あまり大勢の手に、渡したくねえんですよね?」
「うるさいよ」
そう。絵師たちは、惚れた女の綺麗な姿を残しておきたいだけである。大勢の目に止まることは、歓迎する状態というわけでは無かった。それでも、自分の絵も、愛しいひとも、綺麗だと褒められると嬉しい。なかなかに面倒な性分の生き物である。
遊斎は、三好屋から改めて申し込まれた専属絵師の話を受けなかった。騙されていたことで、これからも信用がおけない、という理由ではなく、単純に、ふくの絵を描く方が楽しかったからである。そして、宇多麿に師事しながら描いた絵の評判を見るに、それは正しい選択だったようだ。
やがて、店の宣伝をしたい茶屋などから、うちの看板娘を描いてくれないか、と依頼が入り始める。
遊斎が描く絵は、どの娘もいきいきと働いていて、笑顔に溢れるものだった。相手方が版画にしたいと言えば、しっかり版下絵としての代金を請求し、色なども細かく指示を出した。三好屋での経験がとても役に立った形である。
ふく以外の娘については、版画にしたいと言われれば快く引き受けて、何人もの看板娘を世に広め、店の繁盛に一役買った。
一方で、料理屋の娘の絵は、いつしか清兵衛商店から姿を消して、もう二度と店頭に並ぶことは無かった。
その後、幾つも描いたふくの絵は売り物にはせず、煮売りの居店、万屋万八の店の中の壁に、額に入れて飾られている。
そして二人の住まいには、ふくの祝言の様子が描かれた絵が飾ってあった。遊斎が、ふくの花嫁姿に見惚れた挙げ句、絵に残さねばと張り切り、初夜にずっと筆を握っていたといういわく付きの絵である。
散々に叱られた遊斎だが、日の経つうちに、あの二人らしい初夜だと良い笑い話となった。
二人は与兵衛長屋で仲良く暮らし、おふくは今も、煮売りの居店、万屋万八の看板娘をやっていて、遊斎はどこかの店の看板娘を描いている。
終わり
86
お気に入りに追加
88
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(10件)
あなたにおすすめの小説

【完結】ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
新しい聖女が見付かったそうなので、天啓に従います!
月白ヤトヒコ
ファンタジー
空腹で眠くて怠い中、王室からの呼び出しを受ける聖女アルム。
そして告げられたのは、新しい聖女の出現。そして、暇を出すから還俗せよとの解雇通告。
新しい聖女は公爵令嬢。そんなお嬢様に、聖女が務まるのかと思った瞬間、アルムは眩い閃光に包まれ――――
自身が使い潰された挙げ句、処刑される未来を視た。
天啓です! と、アルムは――――
表紙と挿し絵はキャラメーカーで作成。
浅葱色の桜
初音
歴史・時代
新選組の局長、近藤勇がその剣術の腕を磨いた道場・試衛館。
近藤勇は、子宝にめぐまれなかった道場主・周助によって養子に迎えられる…というのが史実ですが、もしその周助に娘がいたら?というIfから始まる物語。
「女のくせに」そんな呪いのような言葉と向き合いながら、剣術の鍛錬に励む主人公・さくらの成長記です。
時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦書読みを推奨しています。縦書きで読みやすいよう、行間を詰めています。
小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも載せてます。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

かのん
増田朋美
歴史・時代
化政期の日野宿(東京都日野市)を舞台に、少しばかり風変わりなところのある女性友子が、周りの人々を巻き込みながら、騒動を巻き起こしていくお話。
使う言語は現代語ですが、時代設定は化政期から幕末くらいです。
スマートフォンなどがなく、登場人物たちの心情が描きやすかったために、この時代設定にしてありますが、
まちがったところも多々あるかと思います。
中途半端な終わり方ですが、ご想像に任せます。
よくある、発達障害がキーワードになっていますが、それが悪い方へ向かわないようにしてあります。
ご感想はお気軽にどうぞ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
こちらにもお邪魔しました(^^)
さらに素敵な物語に、時間も忘れてた読み終えてしまいました。
本当に本当にありがとうございます!
含羞草様
「ふたり暮らし」に続いて「絵師の嫁取り」も読んでくださり、ありがとうございます!
こちらのお話も楽しんで頂けたようで良かったです☺️
見つけて読んでくださり、ありがとうございましたm(*_ _)m
さくらこ様
感想を送ってくださり、ありがとうございます。
「ふたり暮らし」に続いて読んで頂いて、とても嬉しいです( *´꒳`*)
物語が好きだと言ってもらえて、とても励みになりました!
また、これからも新しい物語を紡いでいこうと思います。その時は、よろしくお願いしますm(_ _)m
タケテル様
『ふたり暮らし」に続いて、こちらのお話も読んで頂き、ありがとうございます!
無事にくっつきました(^-^)
いい嫁さんもらって、一生分の運を使ったなあ、と言われて、ここで使えて幸せだ、って言っちゃう遊斎さんです( *´艸)
遊斎の文字は、文字の形は整っていても、書き順に沿った筆の流れなどがないので、書ける人には下手くそに見えるような文字なんです。下手で良かった……。
お話にお付き合い頂き、感想も送って頂いて、ありがとうございましたm(_ _)m