【完結】絵師の嫁取り

かずえ

文字の大きさ
上 下
30 / 36

三十 再会

しおりを挟む
「旦那が帰ってこなければ、お前もここで働くことになるんだ。しっかり仕事を見ておくんだな」

 清兵衛と名乗った平政ひらまさが、揚浜屋へ行ってこい、と三好屋を追い出された後、ふくは、しばらく一人で放っておかれた。見世の中は、次第にさわさわとざわめき始める。明け方、客を見送ってから二度寝した遊女たちが、昼見世に向けて準備を始めた頃合いらしかった。
 通されていた小さな部屋へ顔を覗かせた楼主が、見世の中を見られるように襖を開け放つ。平政ひらまさを送り出した後、すぐに戻って来なかったのは、わざとであるらしかった。確かに、よく分からない状況で一人で部屋にいると、不安な気持ちが膨れてきていた。けれど。
 旦那、という言葉に、それも吹き飛んでしまった。
 旦那って、遊斎さんのことよね……。
 頬が熱くなってくるのが分かる。
 見世へ入るための方便とはいえ、とんでもないことを言ってしまった、と、そちらの不安が湧いてきた。
 うつ向いて赤くなるふくが、楼主の目にはどう見えたのか、ふん、と満足気に鼻を鳴らして、またどこかへ行ってしまう。
 襖の向こうには大部屋が見えて、風呂上がりで、着物を適当に引っかけた遊女たちが化粧をする様子が伺えた。
 
「待て、遊斎。お前どの面下げて戻ってきた」

 そんな楼主の声と、どたどたと廊下を走る足音が聞こえたのは、それからすぐのこと。

「おふくちゃん、どこ?」

 遊斎の声がする。

「遊斎さん!」

 ふくが声を上げると、すぐに足音は近付いてきた。気付いた遊女たちが、きゃあと声を上げる。
 走ってきている、ということはご飯はちゃんと食べてるみたいだ、とふくは、ほっとした。とにかく、遊斎が食べているかどうかが心配だったのだ。
 だから、遊斎と顔を会わせて、にっこり笑うことができた。

「おふくちゃん、無事か」
「それは、私の台詞。ご飯、食べた?」
「うん。はい、食べました」
「なら良かった。じゃ、私帰るね」

 ふくの懸念は晴れた。ここまで来た甲斐があったというものだ。そして、遊斎がしっかりご飯を食べていると分かれば、今度は、昼時に父の店から離れた場所にいるのが申し訳なくなってきた。
 早く帰って手伝いをしよう。

「あ、昼時……」

 ふくの帰るの言葉に、遊斎も、はっとした顔を見せる。

「忙しい時間に、心配かけてごめん」
「無事ならいいの。今日は、うちに寄る?」
「ああ、うん。もちろん」
「じゃあ、後でね」

 朗らかに言ったふくは、追い付いてきた三好屋の楼主に丁寧に頭を下げた。

「あの、お世話になりました。仕事があるので、帰ります」
「ああ、そうかい、って言うとでも思ったか。そこへ座れ!場合によっては、旦那のこさえた借金をお前の体で払ってもらうって言ってんのは、脅しでも何でもねえんだ」

 額に青筋を立てた楼主が、それを許すはずもなかったが。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

時雨太夫

歴史・時代
江戸・吉原。 大見世喜瀬屋の太夫時雨が自分の見世が巻き込まれた事件を解決する物語です。

鎮魂の絵師

霞花怜
歴史・時代
絵師・栄松斎長喜は、蔦屋重三郎が営む耕書堂に居住する絵師だ。ある春の日に、斎藤十郎兵衛と名乗る男が連れてきた「喜乃」という名の少女とで出会う。五歳の娘とは思えぬ美貌を持ちながら、周囲の人間に異常な敵愾心を抱く喜乃に興味を引かれる。耕書堂に居住で丁稚を始めた喜乃に懐かれ、共に過ごすようになる。長喜の真似をして絵を描き始めた喜乃に、自分の師匠である鳥山石燕を紹介する長喜。石燕の暮らす吾柳庵には、二人の妖怪が居住し、石燕の世話をしていた。妖怪とも仲良くなり、石燕の指導の下、絵の才覚を現していく喜乃。「絵師にはしてやれねぇ」という蔦重の真意がわからぬまま、喜乃を見守り続ける。ある日、喜乃にずっとついて回る黒い影に気が付いて、嫌な予感を覚える長喜。どう考えても訳ありな身の上である喜乃を気に掛ける長喜に「深入りするな」と忠言する京伝。様々な人々に囲まれながらも、どこか独りぼっちな喜乃を長喜は放っておけなかった。娘を育てるような気持で喜乃に接する長喜だが、師匠の石燕もまた、孫に接するように喜乃に接する。そんなある日、石燕から「俺の似絵を描いてくれ」と頼まれる。長喜が書いた似絵は、魂を冥府に誘う道標になる。それを知る石燕からの依頼であった。 【カクヨム・小説家になろう・アルファポリスに同作品掲載中】 ※各話の最後に小噺を載せているのはアルファポリスさんだけです。(カクヨムは第1章だけ載ってますが需要ないのでやめました)

深川あやかし屋敷奇譚

笹目いく子
歴史・時代
第8回歴史·時代小説大賞特別賞受賞。コメディタッチのお江戸あやかしミステリー。連作短篇です。 大店の次男坊・仙一郎は怪異に目がない変人で、深川の屋敷にいわく因縁つきの「がらくた」を収集している。呪いも祟りも信じない女中のお凛は、仙一郎の酔狂にあきれながらも、あやしげな品々の謎の解明に今日も付き合わされ……。

春雷のあと

紫乃森統子
歴史・時代
番頭の赤沢太兵衛に嫁して八年。初(はつ)には子が出来ず、婚家で冷遇されていた。夫に愛妾を迎えるよう説得するも、太兵衛は一向に頷かず、自ら離縁を申し出るべきか悩んでいた。 その矢先、領内で野盗による被害が頻発し、藩では太兵衛を筆頭として派兵することを決定する。 太兵衛の不在中、実家の八巻家を訪れた初は、昔馴染みで近習頭取を勤める宗方政之丞と再会するが……

劉備が勝つ三国志

みらいつりびと
歴史・時代
劉備とは楽団のような人である。 優秀な指揮者と演奏者たちがいるとき、素晴らしい音色を奏でた。 初期の劉備楽団には、指揮者がいなかった。 関羽と張飛という有能な演奏者はいたが、彼らだけではよい演奏にはならなかった。 諸葛亮という優秀なコンダクターを得て、中国史に残る名演を奏でることができた。 劉備楽団の演奏の数々と終演を描きたいと思う。史実とは異なる演奏を……。 劉備が主人公の架空戦記です。全61話。 前半は史実寄りですが、徐々に架空の物語へとシフトしていきます。

【完結】長屋番

かずえ
歴史・時代
長屋シリーズ三作目。 綾ノ部藩の藩士、松木時頼は三年前のお家騒動の折、許嫁との別れを余儀なくされた。許嫁の家は、藩主の側室を毒殺した家の縁戚で、企みに加担していたとして取り潰しとなったからである。縁切りをして妻と娘を実家へ戻したと風のうわさで聞いたが、そのまま元許嫁は行方知れず。 お家騒動の折り、その手で守ることのできなかった藩主の次男。生きていることを知った時、せめて終生お傍でお守りしようと心に決めた。商人の養子となった子息、作次郎の暮らす長屋に居座り続ける松木。 しかし、領地のある実家からはそろそろ見合いをして家督を継ぐ準備をしろ、と矢のような催促が来はじめて……。

日本が危機に?第二次日露戦争

歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。 なろう、カクヨムでも連載しています。

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

処理中です...