【完結】絵師の嫁取り

かずえ

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十九 恐ろしい話

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 遊斎の暮らす長屋の部屋より広い宇多麿うたまろの部屋の中で、ふかりと豪華な座布団に腰を下ろし、落ち着かずに辺りを見渡す。たくさんの絵描きの道具、それらを並べた座卓、着物を入れる箪笥が置かれ、上等な布団が端の方でたたまれていて、確かに宇多麿うたまろはここで暮らしているのだと思った。
 そこで、はたと気付く。
 商売道具を置いてきてしまった。

師匠せんせい、どうしよう。道具を置いてきてしまった」
「片付ける暇が無かったのだから仕方ない。思い入れのある道具かい?」
「いや、別に道具にこだわりはねえけど、あれが無いと仕事ができねえ」
「初歩の道具の一式くらいやるよ。そんなことより、問題はお前の描いた絵だよ」

 師匠は軽く言うが、こつこつと集めた筆は何本もあり、一辺に買い戻せる金額ではない。入れ物は、亡くなった師匠の使っていた物を勝手に貰ったものだ。だが、形見とかそんな思い入れはない。いい加減傷んできて、買わなくてはいけないなと思っていた所だった。

「絵は、一枚十六文で買い取ってもらってるんだから、もう俺のもんじゃねえですよ。名前は、ちゃんと書いてるんで、それで俺の絵だと分かって貰えたら十分でさあ」
「版画にされてる」
「え?」
「版下絵にされてるんだよ」

 難しい顔をした宇多麿うたまろが取り出したのは、二枚の版画絵。澄尾すみお太夫と紅葉もみじの顔だ。鮮やかな朱を目元、口元に差し、肌は肌色、簪には明るい山吹色のついたそれは、とても美しく仕上がっている。くっきりと輪郭を彫られて、きりりとした美人画に仕上がっていた。
 それは確かに遊斎の描いた絵を元にしていたが、微妙にぼかした線や、揺らした輪郭をすっきりした線に直されて、遊斎にはどことなく、自分の描いたものとは違って見える。彫りを入れるなら入れるように考えて描くものを、そのまま店頭に飾ると思って描いたのだから当然だ。目元、口元の朱色も、確認してもらえるなら、目元はもう少し薄く、口元はもう少し小さく入れたい。
 絵を渡されて、ぐるぐると考えていると煙管きせるに火をつけて一度ふかした宇多麿うたまろが口を開く。

「十六文で版下絵を描かされちゃ、絵師は商売にならねえ。刷った後、売れた分の分け前をもらうか、始めにもっと高値で売らねえと。一度、版下絵を渡したら、いくらでも増やせるんだからな」
「え?」

 問い返した遊斎に、宇多麿うたまろが呆れた声を上げた。

「あたしたちは、一枚描いた絵を、他にも欲しい者がいたらまた描いて売る。そうしたらまた、収入があるだろう?」
「はい」
「ところが、これはどうだい?同じ絵を幾らでも増やせるんだよ。お前の絵は何百枚と出回っても、お前の収入は十六文から増えない。もう一枚描いてくれと頼みに来る者もいない」
「あ……」
「しかも、お前に黙ってこうしたってんだから、良くない。名前が消されてないのがせめてもの救いさね」

 何だか大事おおごとになったと青くなっていると、更に恐ろしいことを言われた。

「名前、ですか」
「そうさ。彫るときに遊斎の名を消されていたら、お前が描いたとすら言えなかったからね。余程急いで事を進めたのか、お前の絵を気に入ったのか。それか、その名で、うちのお抱えだと縛り付けるつもりだったのか」
「はあ……」

 あまりのことに生返事になってしまう。

「しっかりおし!まだ、お試しって安くこきつかわれてる程度だから出てこれたものの、お抱えだから他所で描くなと言われていたら、今のようにろくに飯ももらえず、何ならそのうち見世に閉じ込められて、ひたすら描くことになってたかもしれないんだよ」

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