【完結】絵師の嫁取り

かずえ

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十三 香の匂い

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 仙吉の仕事を受けてから遊斎は、朝方に吉原に出掛けて行くようになったらしい。昼に万八の店へ食事をしに来なくなってしまった。
 引き受けた仕事は、宣伝のための姿絵であるから、遊女たちが身なりを整えたあと、客に引かれるまでの間に描くのが最も綺麗な絵になるのじゃないか、と相談が調ったらしい。九つ(正午)に始まる昼見世までの間と、客足の少ない昼見世の間に、化粧を終えた遊女たちの絵を描くことになったそうだ。
 夜見世が始まる前には引き上げてきて、しっかりと万八の店へ寄ってご飯を食べて帰る。しかし、もともと朝を食べない遊斎が、昼まで抜いてしまっては、どうにも足りていないに違いない。
 のめり込むと食事を忘れる男である。夕食を忘れずに寄って帰るだけ、ましになったと言うべきか。とはいえ、見る間に目の下には濃い隈が現れ始めた。

「遊斎さん、朝御飯に握り飯だけでも持って帰って」

 心配したふくが、手ずから大きな握り飯を二つ作り持たせると、ありがとう、といい笑顔で答える。
 本人はとても充実しているようで、楽しげに長屋に帰って行った。

「おふくちゃん。そんなに心配してやるこたあ、ねえよ」
「ありゃ、吉原帰りだろう、香の匂いがぷんぷんしやがる」
「わざわざこんなとこ回って飯を食わんでも、吉原で食ってくりゃええのになあ」
「おふくちゃん、あんな男はやめとけ」

 遊斎を見送ったふくに、店で夕食をとっていた若い男たちが、口々に言った。仕事だと説明しても、どうにも吉原という場所への憧れと、そんな場所へ入り浸れる遊斎へのやっかみが抑えきれぬらしい。更に、そんな羨ましい状況でふくに心配されるなんて、ふてえ野郎だ、と。
 もとから店の常連には、元気で明るいふくを可愛がってくれる者は多かったが、ふくが遊斎と親密になった頃から、客たちのふくへの様子が少し様変わりした。
 可愛い小さな看板娘から、嫁候補の対象として見るようになったのだろう。折から、遊斎の住む長屋へ度々出掛けて食事を届けていたふくは、ふくふくとした柔らかそうな体付きが、しゅっとしてきた。年頃の娘ならではの体型へと変化したのだ。出るとこは出て、腰の辺りがきゅ、と締まり、お尻がふっくらとある女性となっていた。
 食べることが大好きなのは変わらないため、ほっそりというわけでは無かったが、程よく柔らかそうな、可愛らしい年頃の娘へと成長する様子を皆が見ていたのである。

「なに言ってんの、酔っ払い」

 しかし、ふくにそんな自覚はあるはずもなく、相変わらず明るく笑うだけだ。遊斎のことも、心配の絶えない友人である。
 仕事終わりの時間は、お酒を飲んでおかしなことを言う人が増えるから、困っちゃうわ、とふくはからりと笑うのだった。
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