【完結】絵師の嫁取り

かずえ

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五 呆れて物も言えない

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 ばたばたと、年寄りとは思えぬ速さでおかめが走る。桶を持ったふくも、必死で付いていった。長屋に残っていたおかみさん達が、何だ何だと付いてくる。

「熊吉!熊吉、いるかい!」
  
 ある部屋の前で足を止めたおかめが、大声で呼びかけながら、戸を引いた。ふくは、息を整えながら絵師の看板がかかっているなあ、とその部屋の戸を見上げる。私、踏み込んでいいのかな、と戸惑っている間に、後ろから付いてきていたおかみさん達に押されるように部屋を覗く形になっていた。

「これ、しっかりおし!この馬鹿が!」

 予想通りと言うべきか、痩せた男が描きかけの絵の前で、筆を持ったまま倒れ込んでいる。髪は乱れて、口周りには髭がうっすらと生えていた。

「あああ、やっぱり!」

 ふくも思わず声を上げると、部屋の中へと踏み込んだ。桶を部屋の隅に置いて、まずは水だ、と振り返る。

「あの、井戸はどこですか?」
「水かい?」
「はい。水を飲ませないと」
「汲んでくるから待ってな」

 素早く一人の女が動いてくれたので、草履を脱いで部屋へと上がり込んだ。

「遊斎さん。ご飯ですよ!」

 声を掛けながら揺すぶってみる。おかめの声にも目を開けなかった男が、うっすらと目を開いた。

「ご飯……」

 遊斎の口から掠れた声が漏れる。

「医者を呼ぶかい?」

 すぐに水を運んできてくれた女が、気遣わしげに聞いてくる。

「いえ。お腹が空いてるだけだと思うので……」

 ふくはそう言って、手伝ってくれた女と二人で遊斎を助け起こした。
 遊斎はぼんやりとした様子だったが、湯飲みの水を震える手で一口二口と飲んでいるうちに、ようやく人心地ついたらしい。

「おふくちゃん?」

 小さな声が漏れた。

「はい。ふくです」
「何で……?」
「何でじゃないよ、この馬鹿もんが!」

 おかめの怒声に、遊斎は、ひえと首を竦める。

「家の中で行き倒れってのは、長いこと生きてるけど初めて聞いたさね!全く呆れて物も言えないよ」

 十分言っている、と思ったが、ふくは賢く口を閉じた。遊斎も、手伝ってくれている女の人も、何か言いかけて口を閉じるのが見えて、ふふ、と笑う。

「食事をお持ちしました、遊斎さん。とにかく、食べてください」

 桶を片手で引き寄せると、上に掛けていた布巾を取って見せる。画材や様々な大きさの紙で散らかった室内に、良い匂いが漂った。

「ああ」

 ごくん、と涎を飲み込んだ遊斎の口から、何とも悩ましい息が漏れる。
 
「本当に、本当に、ご無事で良かった」

 ふくは、深く深く安堵の息を吐いた。
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