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世界の平和を祈った聖者の話

16 怒り

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 それでも、神官は震えるばかりで祈ろうとはしなかった。子どもの呼吸は止まりかけているのに。
 神様。
 慈悲の心で治療院を運営しているはずのあんたの遣いは、目の前の小さな命も救わない。
 他人せいじょの命を捧げるばかりだ。

「私が、やります。」

 見ていられなくなったのか、聖女が小さな声を振り絞った。立っているのも辛そうなのに?

『この子どもの命をお救いください。』

 か細い声は魔力を乗せて教会内に響く。
 ふわり、と柔らかい金の光が子どもを包んで、痙攣が止まった。高熱で真っ赤だった顔も、次第に平静を取り戻していく。
 俺は、手を差し伸べたいのを堪えた。
 彼女は、命を救えと願った。それなら、その言い方なら全治癒にはならない。魔力で足りるかもしれない。
 数分間、聖女から放たれた魔法の光が病気の子どもを包んで癒すのを、静まり返った人々が見守る。
 しん、とした中で、光が収まると共に聖女はふらりと傾いた。受け止めたその体はとても軽く、小柄な俺が抱えられるほどだった。支えながら座り込んでこっそりと手を繋ぎ、枯渇した光の魔力を流す。魔力がないと、体が冷えきってしまう。気を失っていても、寒いとゆっくり休めないことだろう。
 子どもは、と見ると顔色は通常のものになり、呼吸も穏やかなようだ。普通に眠っている。口の端の汚れが、苦しんでいた名残りとして残っていた。

「あ、ああ……。」

 父親が、子どもを抱き締めて膝から崩れ落ちる。

「たぶん、もう大丈夫。」

 俺の言葉に涙を流した。

「ありがとう、ございます。ありがとうございます。」

 泣き声の両親がこちらを拝み、またざわざわと教会内に声が戻り始める。

「せ、聖女さま、こちらもお願いします。」
「ああ、おじいさん、しっかりして!」
「うちの、うちの子が!」
「聖女さま!」

 見えないのか?
 分からないのか?
 聖女が今、誰よりも弱っていることが!

「何を言っているんだ?」

 自分にそんな低い声が出せるとは知らなかった。

「子どもを癒した聖女がどうなったか、見えていないのか?神官は何故、治癒魔法を使わない?」

 ざわ、と空気は揺れる。
 消えかけている命も、幾つかある。気付いている。俺なら、助けられる。
 でも、駄目だ。
 一人癒せば、また一人。次も次もと増えていって、この教会内の全員を癒したって、終わらない。教会から溢れた人がきっと外で待っているだろう。
 治してやりたい。
 助けてやりたい。
 でも!
 誰かの命と引き換えにしては駄目なのだ。聖女が、癒した誰かの代わりに死んで、神官の懐に、王家の懐に金が入るなんて、駄目なんだ。

「治癒魔法は、魔力が足りなければ術者の命を魔力に代えて発動する。それを知っているから、神官は、治癒魔法を使えるのに使わないんだろう?」

 ざわざわ。ざわざわ。
 早く治療を……。
 どうでもいいから、早く。
 うるさい。
 うるさい!

「聖女が、短命だと?よくも、そんな嘘を吐いたな!お前たちが正しい治癒魔法の知識も授けずに治癒魔法を使用させている所為で命を削られて死んでいるんじゃないか!この、人殺しどもが!」
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