【完結】ふたり暮らし

かずえ

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参拾八 手慣れた仕事

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「こりゃまた、無茶苦茶な……」

 野次馬の中にいた老爺が、ぼそりと呟いた。裕福な商人のご隠居、といった風体である。隣に立っていたお付きらしき者に二言三言何かを言うと、お付きはあっという間に走り去った。

「お嬢ちゃん、大丈夫か」

 見た目よりも動きが速く、声にも張りがある。部屋でへたり込んでいたおみつに近付いて、声をかけた。
 その声に、呆気に取られていた野次馬達が我に返ったようだ。

「おみっちゃん、無事かい?」
「怪我してない?」
「あー、恐ろしかった」

 口々に言いながら、無事を確かめあっている。平日の昼前なので女衆が多い。
 おみつは、はっとして目の前に無造作に置かれた二十両を見た。包んであった風呂敷にそれを包み直すと、ひっつかんで出ていこうとする。

「おみっちゃん、どこ行くんだい」

 清兵衛が慌てて腕を掴んだ。

「返さなきゃ。こんなもの受け取ったら作ちゃんが帰ってこられない。早く追いかけないと」
「無理だ。駕籠かごで来ていなさる。そのまま待たせておいでだったから、とうに行っちまったよ」
「そんな……。どうしよう。これじゃ、作ちゃんを売ってしまったみたいになっちゃう」

 おみつは、みるみる目に涙を溜めて狼狽えた。先ほどまでの毅然とした様子とは違い、子どもらしく見える。

「作ちゃんに嫌われたらどうしよう。作ちゃんを売るような人だと思われたら、どうしよう」
「作次がそんなこと信じるわけねえだろう。おみっちゃん、落ち着け。どこに行けばいいかも分かりゃしねえんだから」

 清兵衛がおみつを落ち着かせようとして言ったその言葉はしかし、おみつをその場に崩れ落ちさせた。ぺたんと地面に座り込む。

「ああ。どうしよう。どこへ行けば……」

 橘は狡猾だった、と言わざるを得まい。その手下たちも橘も、一度たりと名乗ることはしなかったし、作次郎の名をあちらから出すこともしなかった。
 ふむ、と商人の隠居に化けていた大塚おおつか平政ひらまさは、あご髭を撫でる。
 たちばな大善たいぜん
 なかなかに、裏仕事に慣れているようだ……。
 平政が指導して、留守居役の引き継ぎをした頃は、真面目すぎて心配になるほどの男であったのに。
 五十両渡せと藩主に指示されて、相手に渡したのは二十両。世話になった礼を尽くせと言われているのに、事情の説明をせずに手切れ金として金を渡している。三十両は懐か。殿のおっしゃる通りに致しましたと言えば、調べられることもない。金を渡した相手に情報を与えてはいないのだから、訴えられる心配もない。
 上手いものだ、と感心してしまうほどの手際だ。
 やれやれと息を吐く。
 平政がおみつを助け起こそうとしていると、野次馬がまたざわついた。

「あ、杉谷様……」 

 野次馬の間を抜けてくる武士二人を見て、清兵衛が呟いた。
 振り返った平政も、溜め息と共に吐き出す。

二手ふたてに別れるという言葉を知りませぬか、殿」
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