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参拾七 大当たり
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「え?どういうことですか?」
おみつは思わず大きな声を出した。意味が分からない。
「これだから下民などと関わりたくないのだ」
橘大善は、心底嫌そうに吐き捨てる。
この狭く汚い長屋の一室に座っている状況が、どうしようもなく不快だ。
清兵衛商店で金を渡して終わる筈が、それを受け取るのも説明を受けるのも自分ではない、と清兵衛が言い張った。どうにも話が終わりそうになかったので仕方無く、案内されるままに駕籠を走らせれば、汚い長屋の一室に座らされている。
目の前に座るのは、少女が一人。出入り口の戸は開けられたまま、大勢の野次馬が覗き込んでいる。
「作ちゃんは…作次郎さまは、自分の意思でお家に帰ったのではないのですか?」
橘は、溜め息を吐いた。
何が作次郎さま、だ。
「下民を一人、身請けすると言っておるのだ。ここに二十両ある。あやつの代金だ。こんなに貰えるなど有り得ぬだろう」
「身請けって、何なんですか。意味が分かりません」
「身請けの意味も分からぬのか。もうよい。金は置いておく」
「作ちゃんは、売り物ではありません。幾ら出されたって売るものか!返してください!お金なんていりません」
「この、無礼な小娘が!」
橘の言葉に、後ろに控えていた武士が二人ともに刀に手をかける。
「きゃあ」
「おみっちゃん、お逃げ!」
「小さい子に何するんだい」
たちまち野次馬から幾つもの声が上がった。
「黙れ、下民ども!全員、口を封じられたいか」
「お武家様、我々にもさっぱりと話が分かりません。作次を無理やり連れていった理由と、いつ返してもらえるかを教えて頂きたいと申した筈です。身請けとは一体……」
橘を案内してきて、一番前で話を聞いていた清兵衛が、堪らず口を挟む。
「お主らが知る必要もない。一両の価値も無さそうな子どもに二十両払うと言うておるのだ。這いつくばって受け取り、我らのことは忘れるがいい」
そこまで言ってから、ふと橘は気付いた。自分は、作次郎という名前を言っただろうか、と。こやつらは、どいつもこいつも、あの汚い子どもを作次郎、作次と呼んではいまいか。
振り返って、後ろに控える二人に聞く。作次を拐った二人だった。
「おい、連れてきた子どもの名を聞いたか?」
「いえ、知りませんが」
「誰の代わりをさせるのか、告げたのか」
「いいえ」
では、どういうことだ。たまたま、似た顔で似た背格好で同じ名前だった…?
いや、もしかして、これは。
「小娘。あやつは作次郎という名前なのか。いつからここに住んでいる?」
「い、一年前、ですけど……」
おみつは、その嫌な目付きに思わず後退りしながら、答えた。
「は、はははは。これは、面白い。まさか、本物か」
ならば、あの口調も、礼儀を知らぬような様子も。
「全て演技か」
くくくくっ。
笑いが止まらない。
本物だった。
生きていた。
だが、もう一度息の根を止める好機を神は与え保うたのだ。
「帰るぞ」
橘は上機嫌に立ち上がった。呆気に取られる人々を置いて、二十両も気前よく置いて、長屋を後にした。
おみつは思わず大きな声を出した。意味が分からない。
「これだから下民などと関わりたくないのだ」
橘大善は、心底嫌そうに吐き捨てる。
この狭く汚い長屋の一室に座っている状況が、どうしようもなく不快だ。
清兵衛商店で金を渡して終わる筈が、それを受け取るのも説明を受けるのも自分ではない、と清兵衛が言い張った。どうにも話が終わりそうになかったので仕方無く、案内されるままに駕籠を走らせれば、汚い長屋の一室に座らされている。
目の前に座るのは、少女が一人。出入り口の戸は開けられたまま、大勢の野次馬が覗き込んでいる。
「作ちゃんは…作次郎さまは、自分の意思でお家に帰ったのではないのですか?」
橘は、溜め息を吐いた。
何が作次郎さま、だ。
「下民を一人、身請けすると言っておるのだ。ここに二十両ある。あやつの代金だ。こんなに貰えるなど有り得ぬだろう」
「身請けって、何なんですか。意味が分かりません」
「身請けの意味も分からぬのか。もうよい。金は置いておく」
「作ちゃんは、売り物ではありません。幾ら出されたって売るものか!返してください!お金なんていりません」
「この、無礼な小娘が!」
橘の言葉に、後ろに控えていた武士が二人ともに刀に手をかける。
「きゃあ」
「おみっちゃん、お逃げ!」
「小さい子に何するんだい」
たちまち野次馬から幾つもの声が上がった。
「黙れ、下民ども!全員、口を封じられたいか」
「お武家様、我々にもさっぱりと話が分かりません。作次を無理やり連れていった理由と、いつ返してもらえるかを教えて頂きたいと申した筈です。身請けとは一体……」
橘を案内してきて、一番前で話を聞いていた清兵衛が、堪らず口を挟む。
「お主らが知る必要もない。一両の価値も無さそうな子どもに二十両払うと言うておるのだ。這いつくばって受け取り、我らのことは忘れるがいい」
そこまで言ってから、ふと橘は気付いた。自分は、作次郎という名前を言っただろうか、と。こやつらは、どいつもこいつも、あの汚い子どもを作次郎、作次と呼んではいまいか。
振り返って、後ろに控える二人に聞く。作次を拐った二人だった。
「おい、連れてきた子どもの名を聞いたか?」
「いえ、知りませんが」
「誰の代わりをさせるのか、告げたのか」
「いいえ」
では、どういうことだ。たまたま、似た顔で似た背格好で同じ名前だった…?
いや、もしかして、これは。
「小娘。あやつは作次郎という名前なのか。いつからここに住んでいる?」
「い、一年前、ですけど……」
おみつは、その嫌な目付きに思わず後退りしながら、答えた。
「は、はははは。これは、面白い。まさか、本物か」
ならば、あの口調も、礼儀を知らぬような様子も。
「全て演技か」
くくくくっ。
笑いが止まらない。
本物だった。
生きていた。
だが、もう一度息の根を止める好機を神は与え保うたのだ。
「帰るぞ」
橘は上機嫌に立ち上がった。呆気に取られる人々を置いて、二十両も気前よく置いて、長屋を後にした。
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