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参拾四 帰りたい
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目を開けると、義母の顔が見えた。頭がうまく働いていないようで、義母だな、と分かっただけだった。
「ああ、作次郎さん」
その声も、耳を通らず頭の上を流れていくようだ。
奥方の声に、使用人達が動く気配がする。
お匙が呼ばれて、横に座った。
「作次郎さま。今、どんな具合ですか?」
ぼんやりとしていると、目の中を覗きこまれる。
「焦点が合っておりませんな。半分眠っておるような状態です」
年配のお匙は、奥方にそう告げると、懐から粉薬を取り出した。白湯に溶かして作次の体を起こし、口につける。作次は、無意識にこくんと一口飲んで、その苦さに少し覚醒した。
いやいやと首を振ると、
「良薬とは口に苦いもんじゃ、ほれ、頑張れ」
と鼻をつままれる。開いた口に少しずつ流し込まれて、いやいや飲み込んだ。
全て飲み終えると、
「よう頑張ったな」
と、少し温かいお茶が渡される。慌てて飲むと、とても美味しかった。飲み干すと、汗がふきだしてくる。ぐらぐらと体が揺れた。おっと、と言いながらお匙が体を横にしてくれる。横になって目を閉じてもまだ、ぐらぐらと揺れているような感覚があった。
「悪いもんを全部出したら、すっきりするじゃろ」
ふきだす汗を誰かが拭ってくれている感覚があった。体の中に渦巻く気持ち悪いものが出て、それがきれいに拭われている、そう思うと少し気分は浮上して、また意識は闇の中に沈んだ。
次に目を開けると、父が見えた。忙しい父がこんなところで何をしているのだろう、と作次はぼんやり思う。
「起きたのか」
霞がかかったような頭で、ほけっと頷いた。
「食事に何か盛られたか」
食事。
作次は、ぼやぼやとした頭で考える。
いや。食べていない。おいらは、あれを食べられない。
箱膳を思い出すと、また吐き気に襲われたが、もうお腹には何も入っていなかったらしい。
うっ、うっ、と嘔吐いても出せるものは何も無かった。
慌てた父が、使用人とお匙を呼んでいる。
「毒なのか」
「いいえ。作次郎さまは昨夜から何も口にしてはおられない、と思われる。わしの薬だけじゃ」
「そなたの薬が合わなかったか」
「熱を散らす葉っぱを摺った薬が、合うも合わぬもございませぬ。熱はだいぶ落ち着いておるのじゃから、効いとるわい」
父の子どもの頃からいると聞くお匙は、父にも気安く話をする。
「作次郎さま。広さまを思い出したのでしょう?」
このお匙が駆けつけた時には、母はもう息をしていなかった。お匙がすぐにしたのは、母を抱えて呆然とする作次の口に手を突っ込んで、吐かせることだった。
まだほとんど食べていないと言う間もなく、出せるものを全て出した。
「殿。作次郎さまは、広さまを奪ったこの屋敷の食事を、体が受け付けていないのではありますまいか」
藩主は、眉間に皺を寄せて作次とお匙を見る。口を開く前に、お匙が被せるように言った。
「軟弱な、と言われますまい。母を目の前で失のうて、このようになりながらも一年、生きておられたのですぞ」
「では、どうすると言うのだ。食べねば、人は死ぬ」
苦しくて、怠くて頭が回っていない。だから、心からの言葉が、作次の口から漏れた。
「帰りたい……。家に、帰りたい……」
◇◇◇
お匙→将軍や大名の侍医
「ああ、作次郎さん」
その声も、耳を通らず頭の上を流れていくようだ。
奥方の声に、使用人達が動く気配がする。
お匙が呼ばれて、横に座った。
「作次郎さま。今、どんな具合ですか?」
ぼんやりとしていると、目の中を覗きこまれる。
「焦点が合っておりませんな。半分眠っておるような状態です」
年配のお匙は、奥方にそう告げると、懐から粉薬を取り出した。白湯に溶かして作次の体を起こし、口につける。作次は、無意識にこくんと一口飲んで、その苦さに少し覚醒した。
いやいやと首を振ると、
「良薬とは口に苦いもんじゃ、ほれ、頑張れ」
と鼻をつままれる。開いた口に少しずつ流し込まれて、いやいや飲み込んだ。
全て飲み終えると、
「よう頑張ったな」
と、少し温かいお茶が渡される。慌てて飲むと、とても美味しかった。飲み干すと、汗がふきだしてくる。ぐらぐらと体が揺れた。おっと、と言いながらお匙が体を横にしてくれる。横になって目を閉じてもまだ、ぐらぐらと揺れているような感覚があった。
「悪いもんを全部出したら、すっきりするじゃろ」
ふきだす汗を誰かが拭ってくれている感覚があった。体の中に渦巻く気持ち悪いものが出て、それがきれいに拭われている、そう思うと少し気分は浮上して、また意識は闇の中に沈んだ。
次に目を開けると、父が見えた。忙しい父がこんなところで何をしているのだろう、と作次はぼんやり思う。
「起きたのか」
霞がかかったような頭で、ほけっと頷いた。
「食事に何か盛られたか」
食事。
作次は、ぼやぼやとした頭で考える。
いや。食べていない。おいらは、あれを食べられない。
箱膳を思い出すと、また吐き気に襲われたが、もうお腹には何も入っていなかったらしい。
うっ、うっ、と嘔吐いても出せるものは何も無かった。
慌てた父が、使用人とお匙を呼んでいる。
「毒なのか」
「いいえ。作次郎さまは昨夜から何も口にしてはおられない、と思われる。わしの薬だけじゃ」
「そなたの薬が合わなかったか」
「熱を散らす葉っぱを摺った薬が、合うも合わぬもございませぬ。熱はだいぶ落ち着いておるのじゃから、効いとるわい」
父の子どもの頃からいると聞くお匙は、父にも気安く話をする。
「作次郎さま。広さまを思い出したのでしょう?」
このお匙が駆けつけた時には、母はもう息をしていなかった。お匙がすぐにしたのは、母を抱えて呆然とする作次の口に手を突っ込んで、吐かせることだった。
まだほとんど食べていないと言う間もなく、出せるものを全て出した。
「殿。作次郎さまは、広さまを奪ったこの屋敷の食事を、体が受け付けていないのではありますまいか」
藩主は、眉間に皺を寄せて作次とお匙を見る。口を開く前に、お匙が被せるように言った。
「軟弱な、と言われますまい。母を目の前で失のうて、このようになりながらも一年、生きておられたのですぞ」
「では、どうすると言うのだ。食べねば、人は死ぬ」
苦しくて、怠くて頭が回っていない。だから、心からの言葉が、作次の口から漏れた。
「帰りたい……。家に、帰りたい……」
◇◇◇
お匙→将軍や大名の侍医
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