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玻璃の章
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私に隠れて手配してあったな、という素早さで真鶴は産婆を連れてきた。年老いた体の小さな女で、腰が少し曲がっている。正直、この婆がいたところで、役に立つとも思えぬような者だった。
「医師以外の男は出てお行き!」
しかし産婆は、部屋の様子を見るとすぐに声を張り上げ、私を追い出した。
なんと無礼な。ぎり、と睨み付けても全く意に介することなく、お湯をたくさん沸かしておくように、と用事まで言いつけられ戸を閉められる。
「何故、出ていかねばならぬ。」
「邪魔でしかないからさ。」
戸を挟んでそんなやり取りをした後は、もう透子の苦しむ声が聞こえてくるばかりであった。
しばらく戸の前にいたが、特に変化はない。苦しむ声だけが聞こえてくるというのは、なかなか堪える状況であった。
立ち去るタイミングも失い、どうしたらいいのか分からないまま、時が立つ。
「皇子。昼餉を。」
同じように、私に付き添い立ち尽くしていた真鶴がおずおずと声をかけてきた。
「そうか、そうだな。」
はっとして立ち去ろうとすると、戸の向こうから産婆の声がする。
「昼食は来ないのか。産婦には食べやすい物にしておくれよ。少しでも回復しなくてはならない。」
追い出しておいて、なんと勝手なことだ。と思ったが、確かにまだかかるなら、食事は必要かもしれない。
そうして、食事を何度か届けさせ、私は二度、布団で寝た。ずっとそこにいることもあるまいと、仕事の合間に部屋の前に立つ。透子が苦しむ声はどんどん力を無くし、一体どれだけかかるのかと不安になり始めた頃、か細い赤子の泣き声が聞こえた。
「お湯をたらいに入れて運んできておくれ。」
産婆は、部屋の前に誰かいることを確信している物言いであった。真鶴が慌てて駆けていく。
私は戸を開けて中へと入った。濃厚な血の臭いと、疲れはてた人々。か細い赤子の声。
透子は気を失っていた。やつれて、更に小さくなったような彼女を見ると、ほやぁほやぁと泣く赤子に腹が立つ。これのせいで、透子はこんなに憔悴しているのだ。
少しはぬぐってもらったのだろうか、血や羊水で濡れた小さな赤子は、恐ろしいことに私によく似ていた。
いや、分かっている。
私ではない。
産婆はじろじろと私と赤子を見比べ、ふん、と言った。
「赤ん坊は、小さいけれど元気だよ。ただ、母親は良くないね。ここからが、大切だ。」
私の頭のなかは怒りで真っ赤に染まった。
あれほど、赤子はどうでもいいと言ったというのに!
「医師以外の男は出てお行き!」
しかし産婆は、部屋の様子を見るとすぐに声を張り上げ、私を追い出した。
なんと無礼な。ぎり、と睨み付けても全く意に介することなく、お湯をたくさん沸かしておくように、と用事まで言いつけられ戸を閉められる。
「何故、出ていかねばならぬ。」
「邪魔でしかないからさ。」
戸を挟んでそんなやり取りをした後は、もう透子の苦しむ声が聞こえてくるばかりであった。
しばらく戸の前にいたが、特に変化はない。苦しむ声だけが聞こえてくるというのは、なかなか堪える状況であった。
立ち去るタイミングも失い、どうしたらいいのか分からないまま、時が立つ。
「皇子。昼餉を。」
同じように、私に付き添い立ち尽くしていた真鶴がおずおずと声をかけてきた。
「そうか、そうだな。」
はっとして立ち去ろうとすると、戸の向こうから産婆の声がする。
「昼食は来ないのか。産婦には食べやすい物にしておくれよ。少しでも回復しなくてはならない。」
追い出しておいて、なんと勝手なことだ。と思ったが、確かにまだかかるなら、食事は必要かもしれない。
そうして、食事を何度か届けさせ、私は二度、布団で寝た。ずっとそこにいることもあるまいと、仕事の合間に部屋の前に立つ。透子が苦しむ声はどんどん力を無くし、一体どれだけかかるのかと不安になり始めた頃、か細い赤子の泣き声が聞こえた。
「お湯をたらいに入れて運んできておくれ。」
産婆は、部屋の前に誰かいることを確信している物言いであった。真鶴が慌てて駆けていく。
私は戸を開けて中へと入った。濃厚な血の臭いと、疲れはてた人々。か細い赤子の声。
透子は気を失っていた。やつれて、更に小さくなったような彼女を見ると、ほやぁほやぁと泣く赤子に腹が立つ。これのせいで、透子はこんなに憔悴しているのだ。
少しはぬぐってもらったのだろうか、血や羊水で濡れた小さな赤子は、恐ろしいことに私によく似ていた。
いや、分かっている。
私ではない。
産婆はじろじろと私と赤子を見比べ、ふん、と言った。
「赤ん坊は、小さいけれど元気だよ。ただ、母親は良くないね。ここからが、大切だ。」
私の頭のなかは怒りで真っ赤に染まった。
あれほど、赤子はどうでもいいと言ったというのに!
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