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玻璃の章

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「……医師には診せているのか?」
「いえ。」
「早急に手配しろ。」
「は。」

 父はふらつきながら出ていき、それきり何も言わなくなった。

 快璃かいり深剣みつるぎも見つからないまま時は過ぎてゆき、耶麻やまの国と我が国、あけの国と我が国とは一触即発の空気となった。
 預かった王子と姫を返せないのである。かたや行方不明、かたや体調不良。どちらにせよ、こちらにとっては意図せずとも人質となり、向こうから攻めてくることは無いが、兎に角王子を、姫を戻してほしいと矢の催促である。日を追うにつれ、向こうの使者も決死の覚悟で乗り込んで来るようになった。
 あけの国は、姫に一目会うまで帰らないと居座り、耶麻やまの国は行方不明と聞いて国境くにさかいまで軍を進めてきた。こちらからも、防御のためとして軍を配備する。いつ戦が起きてもおかしくは無かった。
 何と簡単なことだ。
 いつだったか、快璃かいりを戦場に送りたくて、考えて考えて戦を起こしたことがあったが、こんな簡単に戦は始まるものなのか。
 いや、まだ始まってはいないか。
 なんだか可笑しくなって、一人くつくつと笑う。

皇子みこ?」

 真鶴まなづるの訝しげな声。変わらず仕えてくれている。すべてを知って、弟の白露しらつゆを私に殺されて、お前はどんな気持ちでここにいるのか。
 ああ、もう何もかもが可笑しくて仕方ない。

「何でもない。」

 機嫌良く、私は答えた。 
 やり直すなら、二国もの間と緊張が高まっていようと、何なら以前、戦を仕掛けた東夷とういの国とも事を構えても、すべては無かったことになる。どうでもいいことだ。
 けれど。
 もし、このまま透子とうことの人生を歩んで行くのなら憂いは絶たねばなるまい。父は今、冷静さを少し欠いている。
 東夷とういとは、今のままの同盟関係が良いだろう。耶麻やまの国は、農業主体の、広いが人の少ないのんびりした国だ。こちらが本気を出せば、あっさり制圧できる。緊張状態を保って国境で睨み合いを続け、じわじわと国力を削いでいれば、そのうち根を上げることだろう。深剣みつるぎは嫡男ではない。長引けば、引くに違いない。
 あけの国は、潰してしまいたい。透子とうこの帰る場所など無くてよい。繋がりのある全てを燃やし尽くし、未練を断ってやろう。
 大体の腹案ができて、更に機嫌良く透子とうこの部屋へ向かった。
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